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【95%ノンフィクション】小説ラバーブレード
- 1 名前:護身館 :02/04/03 23:28
- 95%ノンフィクション小説「ラバーブレード」
http://homepage1.nifty.com/rubberblade/nobel%20index.htm
炸裂してます
- 2 名前:第1話 シを教える者 :02/04/03 23:31
- 秋の夕日が稽古場に射し込み、衝撃吸収材質のジョイントマットを紅く染めた。
まるで、血の海の様に・・・。
稽古場の壁時計は、5時を刻んでいた 。
中央に、一組の男女が相対している。
両者共、半球体状ポリカーボネイト・シールドが付いたヘッドギアを被り、
両手には指抜き状のクッション入りコットングローブ、
身体には、白い軽量型ボディプロテクター・黒のベルクロ式ニー・レッグガード、そして式金的ガードを装着していた。
通常の格闘組手をする光景に見えつつ、何処か違和感があるのは、
恐らく男が右手に握っているモノであろう。
男が握っているモノ、それは刃渡り15センチ有る両刃の硬質ラバーナイフだった。
自社が製造したナイフを元に作っただけあり、その形状は本物のナイフを思わせる程精巧な出来映えである。
相手に嫌悪と憎悪を与えるには、充分な道具であった。
「それでは、お願いします。」
身長172センチ・82キロの私「石丸 寛」は、相対している女性に礼をする。
「お願いします。」
身長165センチの女性生徒「勇さん」も礼をした。
これが、ナイフ対徒手による自由組手を開始する合図だった。
- 3 名前:第1話 シを教える者 :02/04/03 23:32
- 勇さんは、右半身を斜め後ろに引き、やや腰を落としながら両手で正中線上に構える。
私も勇さん同様に構え、左手を少し開いて前へ出し、左腕に刃先が隠れる様にラバーナイフを構えた。
ナイフの刃先を相手に見えなくする事で、攻撃軌道の先読みを未然に防ぐ為である。
小指以外は、指を添える程度でグリップを握り、全身から無駄な力を抜く。
私はスーパーセーフ面のシールド越しに、勇さんを見た。
私の視力は裸眼で、左右平均0.03弱である。
故に人の形は判別出来るが、それ以上は解らない。
そのせいか、空間を通して漂ってくる相手の気を、感じ取れる様になった。
(迷いと緊張、身体が力んでいる)
(私に神経を集中しているけど、目に頼っているね。)
(以前より身体に意識を行き渡らせる様にはなったけど、まだ伝わっていない部分が結構あるかな。)
生徒の勇さんと対峙しつつ、相手から伝わる気を感じながら思考する。
次の瞬間、左脇腹に形容し難い感覚を感じ、それを発した源を察知した。
(右後ろ手による、左脇腹狙いの一歩撃ちか・・・。)
時を刻む音以外は何も聞こえない、静かな世界。
- 4 名前:第1話 シを教える者 :02/04/03 23:35
- 私が彼女にする事は、硬質ラバーナイフで勇さんの致命傷部位を刺突・斬撃し、架空の「死」を与える事。
ナイフ攻撃に限らず、徒手攻撃も同時に行う。
身体に受けたダメージから自己診断する事を教え、自分に残された余命時間を逆算する。
そして最後まで、立ち向かう事を厳命する。生きる事を放棄させない為に・・・。
- 5 名前:第1話 シを教える者 :02/04/03 23:36
生きる意志を強く抱いてもらう為に
私は
「死」を教える者になる。
- 6 名前:第1話 シを教える者 :02/04/03 23:37
- もう一度、勇さんの殺気を感じた瞬間、私は踏み出した。
空を斬るナイフの鋭く細い咆哮が、静けさを斬り裂いた。
私は右後ろ足を鞭の様に振るい出し、こちらの間合いに踏み込んできた勇さんの右足膝皿の内側に、踵を撃ち出す。
相手の足を蹴り砕きつつ、歩を進める「崩脚」と言う足技である。
「ゴッ!!」
勇さんは、右膝頭で鈍い音を立てつつ「崩脚」を受けた。
私は崩脚を放った右足を、素早く地面に捻り込みつつ腰を捻りながら、勇さんの左頚部動脈に内横円を描きつつ斬り込んだ。
「ヒュッ!!」「パシィッッ!」
勇さんは、左前手で私の右手を内円捌きしつつ、私の右手を掴み動きを封じ様とする。
「ビッ!」
捌かれた右手を腰で引き戻しつつ、勇さんの左腕内側を斬撃。
(刃筋の角度から言えば、皮膚と縮張筋を少し断裂させた程度か・・・。)
- 7 名前:印知己先生 :02/04/03 23:39
- 師母タンって本当にミニスカ美女なの?。
師母タンは、本当に3M級の巨女なの?。
気になるっす。
でも、痛すぎて、しっかり読む事ができないんで、調べられない・・・・。
- 8 名前:第1話 シを教える者 :02/04/03 23:40
- その時、勇さんは右前足で擦り込みつつ、右縦拳打を私の左脇腹に撃ち放った。
(筋肉を緊張させているから、まだ動きが遅いな。)
勇さんの右縦拳打を、私は左手で内円捌きしつつ、その腕を掴み、勇さんの顔面へ斜め縦円を描きながら押し付ける。
関節が可動する方向へ完全に曲げられた右腕は、力を入れる事が困難であると同時に己の視界を遮っていた。
相手の体と接触して、明確に伝わってくる勇さんの気。
「焦り」
「混乱」
「恐怖」
「死」の拒絶。
- 9 名前:第1話 シを教える者 :02/04/03 23:45
- 「おやすみ。」
そう心で呟きつつ、勇さんの喉元にラバーナイフで斬り込む瞬間。
空気が震える位に、彼女から強い意志が放たれた。
「死にたくない!」
- 10 名前:第1話 シを教える者 :02/04/03 23:47
- その瞬間、彼女は左足で踏み込みつつ、右後ろ足で私の金的に膝蹴りを放った。
「ゴッ!」
(よし)
視界を遮られた中、相手の体の位置を割り出し、自ら更に踏み込んで急所攻撃に撃って出た勇さんの成長に嬉しくなった。
(ならば次はどうするかな?)
勇さんの右足脛裏に左足を擦り進め、顔面に押しつけていた右腕を首に押し付け、後ろへ転倒させる。
そのまま勇さんの喉へ、ラバーナイフを垂直に刺し込もうとした時。
「ビュッ!!」
後ろへ転倒された勇さんは、そのまま両膝を抱え込み、丸めた背中をバネにし、頭上から迫る私の顔面へ両踵蹴りを撃ち上げた。
「!?」
間一髪、身体を反らせて勇さんの攻撃を流しつつ、目の前に見える両足のアキレス腱を切り裂くべく、ナイフを一閃するが視界から消え失せる。
危険を身体が察知したのか、私が無意識に後ろへ引いた瞬間。
勇さんは空を斬った両足を素早く抱え込み、仰向けで倒れている状態から、私の脛に対し水平右踵蹴りを放った。
「ギシイィィッッ!!」
ニーガードから伝わる衝撃に、足の骨が歯軋りを上げた。
無意識に半歩下がらなければ、恐らくこの程度では済まされないだろう。
- 11 名前:第1話 シを教える者 :02/04/03 23:48
- 「グゴン!」「ヒタッ」
私の脛に踵蹴りを放ちつつその反動で身を起こし、斜め下から私の顔面に掌底打を放つのと、
私のラバーナイフが、勇さんの首筋に刃筋を立てて食い込ませたのは、ほぼ同時であった。
掌底の角度から、恐らく私の鼻は垂直に砕かれ、その骨が脳に刺さって致命傷になっていると診断し・・・・。
「よし。それまで。」
私は組手の終了を告げ、互いに稽古場中央で正対し、礼をする。
「本日の稽古はここまで。お疲れ様でした。」
お互い防具を外して、笑顔になる。
「勇さんだいぶ動ける様になりましたね。今度から少しレベルを上げましょうか。」
「はい。でも最後にやられちゃ駄目ですよね。」
「最後まで如何に生きるかが重要ですから、思う存分あがいて下さい。」
「そうですね。」
「それより転倒させた後の動き、見事でしたよ。」
「あっあれは、先生に踏み潰されたく無いと思ったら、自然に動いたんです。」
一応手加減しているけど、そんなに私は殺気立っている様に見えたのかな・・・。
やや複雑な気持ちになりつつ、2階に上がった勇さんから目線を外し、稽古場のガラス戸を開け外に出て、夕焼けを見る。
「先生か・・・。」
私は秋風に当たりながら、久々に自分の師を思い出し始めていた・・・。
- 12 名前:第2話 先生のセンセイ :02/04/03 23:52
- 秋の夜風にススキの穂がざわめく中、シャッターを降ろした稽古場で、私は一人修練を終えようとしていた。
最後の闇組手を終え、稽古場のど真ん中で大の字に寝ながら、壁時計を見る。
(9時ちょうどか・・・。)
少し休もうと思い目を閉じると、身体の感覚を急激に薄らぎ、やがて消えてしまった・・・。
- 13 名前:第2話 先生のセンセイ :02/04/03 23:53
- 目を開けると、そこは深夜の湾岸道路だった。
私は昔乗っていた単車に寄りかかりながら、片足を投げ出して、まだ暖かいアスファルトの上に座っていた。
緩やかな潮風に頬を撫でられながら、ぼんやりとした視線を前へ向ける。
一人の細い影が、こちらにゆっくりと歩み寄ってくる。
やがて外灯に照らし出される容姿。
潮風に揺れる、細くて癖の無いセミロングの黒髪。
月明かりを浴びた、透き通る様な白い肌。
優しい目で私を見つめながら、小さく微笑みを浮かべる綺麗な女性。
夢の中だと解りつつも、私は声を出さずに居られなかった。
- 14 名前:第2話 先生のセンセイ :02/04/03 23:54
- 「先生」
- 15 名前:第2話 先生のセンセイ :02/04/03 23:55
- 私に、八極拳とナイフ格闘戦術を教えてくれた人。
私は苦笑しながら、夢から醒める為に再び目を閉じた。
- 16 名前:第2話 先生のセンセイ :02/04/03 23:58
- 夢から醒めて仰向けに寝たままゆっくりと首を起こし、一番最初に見たのは、
白いクマさんの刺繍入り靴下を履いた小さな左足が、私の左脇腹にめり込む寸前だった。
咄嗟に左手で、相手の左足首を外円捌きしつつ掴む。
すると相手は、流れる様にそのまま左足を曲げて、膝落としに移った。
「ゴツッ!!」
相手の左膝と、私が寝たまま突き出した左膝頭が鈍い音を立ててぶつかり、
私の喉へ相手の右手刀が突き出され、私の右抜き手が相手の目に伸びたのは、ほぼ同時だった。
「ビッ!!」
そのまま互いに寸止めし、動きが止まる。
- 17 名前:第2話 先生のセンセイ :02/04/03 23:58
- 私はゆっくりと相手を見上げた。
身長142センチの小柄で細い身体、ポニーテールの黒髪に白い肌。
私の問いを聞く前に、彼女は無表情のまま小さな唇を開いた。
「嬉しそうに大口開けて寝てるからよ。」
私より年上の恋人であるノンさんは、ハスキーな声で平然と言い放った。
暫く彼女の顔をじっと見上げながら、私は呟くように問い掛けた。
「ねえ。ノンさん。」
「なに。」
Gジャンのポケットに手を入れて立っているノンさんが、再び私を見る。
「昔先生から、一人の時は半分しか見えず二人になって初めて全てが見えると、言われたんだ。」
「・・・唐突に何言い出すの。」
少し困惑する彼女に構わず、私は言葉を続けた。
「君はどれ位見える様になった?」
少し紅くなる彼女。
「わ、私はともかく、貴方は半分でしょうね。」
「どうして?」
「わがままだから、よ。」
呆然とする私を見て、少し慌てる彼女。
「ご飯まだなんでしょ。」
くるりと背を向けて、2階へパタパタと上がって行った。
私はゆっくり身体を起こして、頭を掻きながら苦笑した。
今晩のご飯に想いを馳せながら、私は気持ち軽やかに階段を上がった。
第二話 終 第参話へ
- 18 名前:第2話 先生のセンセイ :02/04/04 00:00
- あとがき
今回は、私の先生と彼女が登場しました。
ちなみに彼女ノンさんには、機会有る度に口伝で説明し、たまに組手をする程度ですが、長年続けると
かなり上達する事が最近身を持って知り、潜在意識への擦り込みは軽視出来ないと再認識しました。
私の先生が女性で有る事を、先日生徒さん達にお話しましたら大変驚いていました。
当時の私は、武道・武術について全く無知故に、先生が女性でも気にしなかったのですが、
去年から武術系雑誌を読んで、武道・武術の先生は年配の男性が、圧倒的に多い事を初めて知った次第です。
小説を書きながら修練の日々を思い出し、とても懐かしく思いました
これからの話に、また登場しますのでお楽しみに。
この小説は95%ノンフィクションです。
- 19 名前:第3話 始まりの場所 :02/04/04 00:15
- 土曜日の昼下がり、やや冷たい秋風を皮ジャン越しに感じつつ、高良山中をバイクで駈抜けていた。
舗装された山道から、自然林道に入り、ギャップに注意を払いながら、ゆっくり坂を登る。
坂を抜けると、約25m四方の平原が広がる山頂に辿り着いた。
久留米の街と高良山景が一望出来る、見晴らしが大変良い数少ない場所だ。
木々や草花に囲まれた中にいると、心が穏やかになり、とても心地良い。
多くの生き物が発する息吹に包まれた安堵感。
「さてと・・・。」
タンクバックから、シングルバーナーと小さなケトルを取り出す。
ケトルに、来る途中に汲んだ湧き水を注ぎ、火に掛ける。
円筒型のタッパーからコーヒー豆を、バンダナに振り出す。
バンダナを絞り包み、持参した板の上に置き、ナイフの柄尻で叩き砕く。
アルミ製マグカップに、ろ紙器を被せて、バンダナを解き粗挽きの豆を入れる。
やや高い位置から、沸騰したお湯を一点にゆっくり注ぐ。
マグカップからろ紙器を外し、石の上に腰掛けながら、ゆっくりとコーヒーを啜る。
(うまい。)
眼下に広がる綺麗な景色と、穏やかな秋風に揺れる草花を眺めながら、暫し思考する事を忘れ
目の前に広がる平原に見とれていた。
(もう一年以上経つのか・・・。)
- 20 名前:第3話 始まりの場所 :02/04/04 00:16
- 1999年7月下旬。
私は一人の男性から、対ナイフ格闘戦術の訓練を依頼された。
男の名は、早川さん。
数年前にバイクを通して知り合い、以後親交している間柄である。
私よりも年上で、もう直ぐ30半ばになる。
身長約180センチ・90キロ、柔道歴が有り、柔軟な筋肉を身に付けていた。
丸いフレームの眼鏡を掛け、伸ばした黒髪を後ろで縛っている。
文学・哲学に深く、低い声で一語一語ゆっくり解り易く話す。
常に察しと思いやりを持った、快い人である。
彼から改まって依頼された時は、別段驚かなかった。
雰囲気からして、復讐・私怨と言った気配は感じられない。
ただ目の前には、生きている実感を欲した彼の瞳があった。
「来月の8月から訓練を始めましょう。」
私は、彼の申し出を承諾した。
訓練を始める前に、様々な準備があった。
まず、どの様なカリキュラムを組むか。
暫く考えて作成したが全て破棄し、基本型等の必要最小限の要素に絞って教えつつ、自由組手
の中で、動きながら指導する形式を選んだ。
段階形式で途中挫折させるよりも、流れの中で一緒に泳ぎながら指導した方が、動く体を作るには
最も効率が良いからである。
ただし、基本が疎かにならぬ様、訓練日以外は、自宅で基本型等の独習を課す。
ナイフ攻撃に対して少しでも生存率を上げる為、致命傷部位を斬撃・刺突された場合は、死亡とする
事で、適切な防御と自己診断を徹底的に叩き込む。
- 21 名前:第3話 始まりの場所 :02/04/04 00:18
- 次に、訓練場所の問題。
山の中を散々バイクで駆けずり回った結果、この平原に決定した。
何故山を選んだかは、幾つか理由がある。
まず、ナイフで襲われる状況は、圧倒的に外出中の路上で遭う場合が多い。
なるべく野外が望ましい訳は、屋内と野外では空間錯覚が生じ、間合いが約30センチ位
誤差が生まれるからである。
あと、生徒さんの体力消耗を緩やかにする為。
自然の中で動くと、体が自然の気を呼吸し、肉体的疲労を若干抑えられるから。
最後に、装備の問題。
訓練に用いるナイフは、実践を主眼とするならば、刃入りの物が良い。
全身の感覚神経を短期間で鋭敏化し、「気配取り」を体得する場合は、本物のナイフから発する「恐怖」が
一番適している。
しかし当然生傷が絶えず、日々の労働に支障を来すので、間を取りポリカーボネイト製ナイフにする。
服装は動きやすい物を着用し、顔面は目を保護する為、ポリカーボネイトのゴーグルを掛ける。
訓練は、毎週土曜の昼4時から夜7時まで。
報酬は、夕飯を奢ってもらう事にした。
そして8月の第一土曜、初めての訓練日を迎えた。
- 22 名前:第3話 始まりの場所 :02/04/04 00:19
- 目標その1は、「相手の気配を感じる事。」
全神経を張り詰めて、視界内・死角から攻撃をして来る一瞬前に、発せられる「気」を感じ取る。
最初の数週間は、私に斬られ続けていたが、視覚に頼らず自らの気で相手の気を感じる事が
出来始めると、斬られる回数が少しづつ確実に減っていった。
目標その2は、「相手を倒すまで動き続ける事」。
動きを止めたら、ナイフの刃筋が立て易くなり、結果奥深く斬られてしまう。
逆に言えば、常に動き続ける物体に刃筋を立てて斬る事は大変困難である。
その事を踏まえて、相手の力の流れを読み取りながら、歩を絶やさず的確に動く。
目標その3は、「力の流れを感じながら戦う事。」
相手の攻撃を捌いた時、足の位置や腰の捻り等から、力の流れを巧く次の動作に繋ぐには
どうしたら良いか。
反対に、相手の攻撃を捌いた時、この状態の体勢から相手はどう動くか。
関節の可動域・方向・筋力の流れ等を、自分の体内から感じる事で「人体」を知る。
体と力の流れを知れば、基本型の理解が深まり、応用がし易くなる。
目標その4は、強い力を発する為に、充分脱力する事。
筋肉に不必要な力を込めると、体が萎縮し、手足が伸びず、柔軟性が無くなる事で、機動力が
激減する。
硬直した筋肉は、僅かな力のうねりしか伝導出来ず、強い撃ちが放てない。
一番致命的なのは、筋肉に力を入れると、感覚が鈍る。
故に、呼吸法で心身をリラックスさせ脱力しつつ、発力する時のみ力を込める。
相手に攻撃を捌かれても、自在に変化出来る為にも、力まない事。
- 23 名前:第3話 始まりの場所 :02/04/04 00:21
- 最初は、ナイフによる一斬撃離脱攻撃のみから始め、対処が出来なかった攻撃動作を3回
繰り出して、彼に自力で適切な判断を思考させ、答えを導き出してもらう。
唯一、彼に要求した事はただ一つだけ。
「最後まで心静かにしましょう。」
勝負への拘り・未熟故の焦り・思い通りにならない憤り等、僅かでも心に「我」を抱くと、
その思いに「心」が捕われて、神経を鋭敏化する事が困難になり、「心」が縛られる事で
「体」も思う様に動けず、自らの命を危険に晒してしまう。
一瞬で生死が決まるナイフ戦では、最後の最後まで、相手の動きを写し取る水鏡の如き
静かな心を持つ者が生き残れる。
夜7時に山を下り、夕飯を食べながら、その日の組手練習について指導説明し、お茶を
飲みながら、専門知識を講義する。
最初の訓練初日から早3ヶ月が過ぎようとしていた。
毎回の訓練で感心したのは、彼の心だった。
幾ら特殊訓練とは言え、年下の者に体を徒手攻撃され、更に硬質樹脂ナイフで皮膚半枚斬られつづけ
何度も地面に這わされれば、普通心が荒ぶり感情が爆発する。
しかし彼はどんなに傷ついても、ゆっくり立ち上がって礼をしながら、構え直す。
膝や膝の関節が外れても、自力で入れ直して立ち上がる。
怒気を発さず、とても静かな目で私を見ていた。
- 24 名前:第3話 始まりの場所 :02/04/04 00:23
- 11月上旬、訓練を終えいつもの様に、彼と談笑しながら何時もの店で夕飯を食べていた。
「最初の頃と比べて、かなり相手の動きを感じられる様になりましたね。」
オレンジジュースにストローを差して、カレーを食べる早川さんに話掛けた。
「うーん、まだまだだな。時々考えてしまうから。」
「最初は考えながら動いて構いませんよ。それを繰り返す事で深層意識に擦り込めば、無意識に動けますから。」
「そうだな。」
ゆっくり頷きながら、カレーを食べ終えた早川さんは御冷を呷った。
「・・・、最近、嬉しくてな。」
グラスを置いた彼が、不意に口を開いた。
「武術を習っている事がですか?」
「正確に言えば、石丸から武術を習う事で、今まで出来なかった事が出来る様になり、今まで経験出来なかった
事が体感出来た事だよ。」
滅多に笑わない早川さんが、少し口元を緩めていた。
「今まで自分には、こんな事は出来ない・体験出来ないと思い込んでいた事が、少しでも出来て感じられたのが
最近嬉しいんだ。」
何も言わず、私は頷いた。
「もう一つ嬉しいのは、生きている充実感に満たされている事かな。」
「生きている充実感・・・。」
オレンジジュースをストローで吸い上げながら、私は反復した。
窓から夜景を見ていた早川さんは、ゆっくりと視線を私に戻した。
少し間を置いて、一語一語噛み締める様に話始める。
- 25 名前:第3話 始まりの場所 :02/04/04 00:24
- 「ナイフ攻撃と言う「死の恐怖」と対峙して、生き足掻く組手をする事で、改めて生きている事を強く認識出来たんだ。」
「だから」
「今、生きている事が、とても幸せなんだ。」
山頂の平原から、紅い夕日をバックミラー越しに見ながら、始まりの場所に背を向けてバイクのスロットルを開けた。
教室を開いて始めての冬が、もうすぐ訪れ様としていた・・・。
第参話 完
本小説は、95%ノンフィクションです。
- 26 名前:第3話 始まりの場所 :02/04/04 00:25
- あとがき
最初は、彼一人だけの訓練でしたが、指導して行く中で彼の変化を見ながら、私の教えている武術は人の役に立つのではと
思い、再度基礎体系・各種修練内容等を思考錯誤の末、作成し現在教室を開いている次第です。
こうして教室が開けたのも、生徒さん達と掲示板で応援して下さる皆さんのお陰です。
次回は、私とセンセイの出会いについて書く予定です。
- 27 名前:護身館 :02/04/04 00:28
- 95%ノンフィクション小説「ラバーブレード」
http://homepage1.nifty.com/rubberblade/nobel%20index.htm
炸裂してます
- 28 名前:印知己先生 :02/04/04 01:06
- かっこ良い。
俺もラバブやりたくなっちゃうよ。
妄想の方法の参考になります。
- 29 名前:第四話 先生は木の下で昼寝する :02/04/04 20:31
- 1990年10月初旬。
場所は、東京都郊外にある静かな住宅街にある、大きな自然公園。
木葉の隙間から、柔らかい日差しが差し込み、涼しい秋風が落ち葉を宙に躍らせる。
私、石丸 ヒロシは、倒れていた。
余りにも唐突なので補足すると、芝生の上で大の字になって、
あお向けに気絶していた。
目が醒めても、意識がまたぼんやりとしている。
やがて少しづつ、記憶が蘇る。
雲が少ない綺麗な青空を見ながら、苦笑した。
(センセイと組手して、やられたんだ。)
上半身には、私の皮ジャンが掛けられていた。
ゆっくり上体を起こして、Tシャツ越しに体を触る。
(良かった。まだ斬られていない)
その代わり、全身の筋肉が痺れて力が入らない。
のろのろと皮ジャンに袖を通し、ジーパンから土を手で払いながら立ち上がる。
「うえっ!き、気持ち悪い・・・。」
例えるなら、二日酔いと乗り物酔い、更に高熱時の症状を足した感覚に近似する。
拳打・蹴り等の表面打撃による痛みは、それほど無いのだが、
体の中が掻き混ぜられた様でとにかく気持ちが悪い。
喉元まで、吐き気が込み上がる。
体内に氣を撃ち込まれて、氣の流れを狂わされたのが原因だ。
強い浮遊感と、体内の揺れを抑えながら歩き出す。
ただ真っ直ぐ歩く事ですら大変だった。
先生の元に弟子入りして、早2年目。
型の修練と組手をする事により「動きの筋肉」を養ったお陰で、
当初虚弱体質だった私の体は、身長172センチ・80キロ・足のサイズが28センチに成長した。
しかし、筋肉と体力そして技術等の体得だけでは、実戦で生き残れない事を
ここ最近の組手で改めて痛感する。
痺れる手足を引き摺りながら、大きな木の下にいる人の前で、歩を止めた。
- 30 名前:第四話 先生は木の下で昼寝する :02/04/04 20:34
- その人は、大きな木の幹に寄り掛りながら、横座りしていた。
細くて艶の有る黒い髪。
左右に分けた前髪と、セミロングの後ろ髪が、さらさらと風に揺れている。
細い輪郭の綺麗な顔に、真っ直ぐ通った鼻筋。
透き通るような白い肌。
身長は165センチ位、細くてしなやかな体形をしている。
秋の日差しが心地良かったのか、気持ちよさそうに眠っていた。
年は私より少し上、だろう。
年齢は聞いていないので、年上である事しか解らない。
雰囲気的には、美味しいプリンを作ってくれる優しいお母さん、と言う感じが近い。
今日の服装は、黒のノースリーブシャツに、インディゴブルーのGベスト、黒のショートスカート。
ちょっと違和感を感じるのは、左手首に軍用腕時計をはめているのと、
特殊部隊用ブーツを履いている性だろう。
膝の上には、読み掛けになった異国の詩集があり、風でパラパラとページがなびく。
木陰で昼寝をする彼女を見て、ナイフ格闘戦術と中国武術のセンセイだとは、
誰も思わないだろう。
- 31 名前:第四話 先生は木の下で昼寝する :02/04/04 20:36
- 私は暫くの間、目の前に座る人の寝顔に見とれた後、ふと我に帰って声を掛けた。
「センセイ」
「・・・・スゥ、スゥ」
「センセイッ!」
「・・・ほえっ?」
やや寝惚けながら、やっとセンセイが目を覚ました。
「あっ、おはよう」
「おはようじゃないですよ、センセイ。」
センセイは目を擦って軽く伸びをした後、私の顔をじっと見つめた。
「な、なんですかセンセイ?」
「マルちゃん、顔色悪いわよ。大丈夫?」
「・・・。センセイ、私どの位気絶してました?」
誰のせいだ、誰の!と心で叫びつつ、気を失っていた時間を聞くと、彼女は左手首の
軍用腕時計をちらと見た。
「15分強よ。目を開けたまま寝るなんて器用ね。」
小さく口元を微笑ませながら答えるセンセイ。
「あの・・・。」
「ちゃんと手加減したから、内臓や関節は潰れてないでしょう。」
「確かに、潰れてません、けど・・・。」
「まあ力の集束を拡散させた分、反発力も分散して、体を吹き飛ばしちゃったけどね。」
「・・・。」
「芝生の上だから、背中とかあまり痛くないでしょ。」
「・・・センセイ。」
「ん?」
私は心の中で、自分の口を止めようと必死になった。
内臓がグラグラ揺れている感覚が根強く残っている事に加え、全身の筋肉が痺れて
思う様に動かず、視線すら中々定まらない。
「もう一度、組手願います。」
私の言葉を聞いたセンセイは。
ただ、やさしく微笑みを返してくれた。
- 32 名前:第四話 先生は木の下で昼寝する :02/04/04 20:37
- いつしか空は、夕焼けを帯び始めている。
センセイはゆっくりと腰を上げ、私に向かいゆっくりと歩んで来た。
組手はすでに開始している。
何気なく公園を散歩している様に。
ただ普通に、ごく自然に、センセイはこっちに歩いて来る。
私は、彼女が一歩近づく度に、一歩引いていた。
恐ろしかった。
いつナイフを投げられるか。
6メートル強の距離で、彼女が狙いを外した事は、ない。
ほんの一瞬でも踏み止まれば、格好の的になる。
怖かった。
進み出す事が。
5歩進んできて、センセイは歩みを止めた。
私も歩を止める。センセイとの距離、約3メートル強。
深い意識の底すら見通せる様な、黒い瞳で私を見るセンセイ。
センセイの口から、言葉が風に舞った。
- 33 名前:第四話 先生は木の下で昼寝する :02/04/04 20:38
- 「怖い?」
その言葉に驚いて、私は先生を見た。
怒りなどの激情的な表情では無く、瞳に少し悲しげな色を湛えていた。
「怖い、です。」
私は正直に答えた。本当に怖かったのだ。
自分の存在が、消えてしまう事を知ったから。
無様だ。臆病だ。情けない。
私は己の心の弱さに気付き、強烈な自己嫌悪に陥った。
「恐れを抱くのは、恥ずべき事ではないわ。」
「・・・?」
「怖さを知れば、自分の弱さを知る事が出来る。
己を弱さを認める事で、人は強くなれる。」
「・・・。」
「貴方は、何を恐れているの?」
「わかりません。しかし、怖いです。」
それを聞いて困ったように微笑むセンセイ。
「何が怖いか、知りたくない?」
知りたい。自分が何を恐れているのか。でも足を踏み出せない。
- 34 名前:第四話 先生は木の下で昼寝する :02/04/04 20:40
- 夕日を浴びながら、センセイが優しい笑顔で言った。
「逃げる事が簡単なら、立ち向かう事も簡単よ。」
この時、心の霧が一気に掻き消えた。
- 35 名前:第四話 先生は木の下で昼寝する :02/04/04 20:43
- 私は、右半身を斜め後ろに引いた構えから、センセイとの間合いを計る。
距離1.5メートル。
「ザッ!」
私は右足を鞭の如くしならせつつ、センセイが踏み出した左前足膝頭に、
踵蹴りを放った。
センセイの左膝皿を砕くべく蹴り出した私の右足は、
狙った目標に触れる事無く、空を切った。
その瞬間。
「ゴッ!」
自分の脳天に、センセイの左踵がめり込まれていた。
私の右崩脚蹴りに対しセンセイは、左足を後ろに引きつつ、
そのまま逆立ちし、私の脳天へ逆踵落しを放ったのだ。
首が軋み、猛烈な激痛に襲われながら、前転着地したセンセイの左足を、
右足で踏み封じる。
そのまま一瞬胸に息を吸い、口から細長く息を吐き出しながら
右縦拳打を、センセイの鳩尾へ放つ。
案の定、センセイの左手が、流れる水の様に内側へ円を描きながら、
私の右手首を捌き掴んだ。
私は捕まれた右腕を縦に折り曲げ、肘撃ちを放つ。
センセイは左前足を、私の右足で踏み封じられているので、動けない。
無表情のセンセイに対し、勝利を確信した時だった。
- 36 名前:第四話 先生は木の下で昼寝する :02/04/04 20:44
- 「ごりっ」
なんか、とても、嫌な音。
私の右太腿に、先生の左肘がめり込んでいる。
センセイは私の右手首を掴んだ後、左掌で私の右上腕へ滑らせながら、
私の右肘撃ちを捌き、そのまま左肘を私の右太腿に落としていた。
右足に力が入らない。
センセイは封が解かれた左前足で半歩進み、左手で、私の右脇腹に横掌底を撃つ。
「ヴン!」
肝臓が激しく揺れる。
脇腹を撃たれたと同時に、センセイの右顔面に左掌底を放つ。
私の左手をセンセイは、円を描く様に左手で捌き掴み、内側へ引きつつ、
右後ろ足で、私の左側へ踏み込む。
左足は真っ直ぐ伸ばして残したまま、いわゆる弓歩の立ち方だ。
私の左腕は、内側へ完全に曲げられ、同時に右腕の攻撃も封じられた。
右足の太腿は痺れて動けない。
センセイの右手の指先が、そっと私の左脇腹に触れた。
そして掌底がゆっくり、螺旋を描きながら、捻り込まれ
腹部に表現し難いうねりが加わる。
まるで、臓器を強く握られた様な、そんな錯覚に襲われる中、
私は内側に曲げられた左腕の袖に、右指を走らせた。
鹿角製の柄尻に小指を掛け、愛用のシースナイフを抜き、
右足を軸足に腰を落として、素早く体を後ろに回転させながら、
鋼の牙を一閃させる。
- 37 名前:第四話 先生は木の下で昼寝する :02/04/04 20:45
- 彼女の顔が見えた時。
ナイフが、地面に落ちた。
右手甲を見ると、「くの字」に曲げた左中指第二関節が刺さっている。
ツボに対する打突。
これをやられると、最低4時間は物が握れない。
彼女の右手が、すうっと背中に回ったのを見て、私は大いに焦った。
「斬られる!!」
慌ててセンセイの右手を封じる為踏み出した瞬間、私の右顎に
彼女の左掌底が入った。
そのまま、私は膝から崩れ落ち、仰向けになりながら
芝生の上に倒れた。
ヒャッ
首筋に冷たい感触が伝わる。
腰を降ろしたセンセイが、私のナイフを首筋に当てていた。
「ハイ、おしまい。」
組手終了を告げると、氷の様な表情は消え、組手前の優しい顔で
私を見つめていた。
- 38 名前:第四話 先生は木の下で昼寝する :02/04/04 20:46
- 「・・・センセイ。」
「なぁに?マルちゃん。」
「お腹空いた・・・。」
「今日の夕ご飯は私が作るわ。」
「すいません。」
「気にしなくていいのよ。さあ、帰りましょう。」
白く細長い指が、目の前に差し出される。
少し力を込めたら砕けそうな、ガラス細工を思わせるセンセイの手を
握り、芝生の上から立ち上がった。
夕日に染まった自然公園の芝生を、いつもの如く彼女の左に並んで
ゆっくり歩き始めた。
何故左なのか、先生曰く非常時の際、左手で私を地面に押し倒しつつ
利き手で反撃しやすい為だからだ。
半分嬉しく、半分情けなく、複雑な気分である。
楽しそうに歩く彼女を横目に見ながら、ふと考える。
「どうしたの?」
視線に気付いたセンセイが、私を見た。
「あの、どうして・・・マルちゃんと呼ぶのですか?」
「んー、それはね。」
彼女は立ち止まり、にっこり笑って答えてくれた。
「貴方がとても正直で、お馬鹿さんだからよ。」
第四話 完
この小説は、95%ノンフィクションです。
- 39 名前:第四話 先生は木の下で昼寝する :02/04/04 20:48
- あとがき
今回は、センセイとの練習風景を書いて見ました。
静かに叱られていた組手の日々を思い出します。
センセイの手料理は美味しかったなあ・・・。
- 40 名前:第五話 まごころ :02/04/04 20:51
- 先程組手をした自然公園のすぐ側にある、センセイのマンションに私は居た。
上京して間も無い頃、センセイと出会い、断られるのを覚悟で
住込み弟子入りを申し出たら、あっさり承諾してくれた。
現在私は、彼女の部屋にあるロフトに居候している。
センセイと過ごせるのは、普段だと仕事が終わる夕方以降か休日になる。
ちなみに今日は、日曜日。
置き時計の針は、ちょうど8時を差していた。
CDラジカセから、ジャズピアノのしっとりした音色が、静かに流れる。
アイボリー色の室内には、必要最低限の家具以外は何も無い。
小さな丸いテーブル・14インチテレビ・シングルパイプベッド・茶色の小さな三段本棚。
そして、穏やかな空気。
部屋の中央にある小さな丸テーブルを挟んで、私とセンセイは食後のコーヒーを飲んでいた。
センセイは、薄いピンクの半袖ブラウスと、ベージュのプリーツスカートに着替えている。
白い小さなコーヒーカップに、私がサイフォンで煎れたモカを注ぐ。
嬉しそうにセンセイは、白いカップを小さな口元に運んだ。
「ありがとう。」心からの感謝の言葉。
鈴の様に透き通った声が、心に響く。
私は、黒のタンクトップにジーパン姿で胡座座りしながら、
ぼんやりとセンセイを見た。
- 41 名前:第五話 まごころ :02/04/04 20:53
- 武術を教えている時のセンセイは、体に青く冷たい炎を揺らめかせ、
「心」を閉じ、周囲の意識を吸い込む様な瞳をしている。
はっきり言って、かなり怖い。
今目の前に座っているのは、普段のセンセイ。
穏やかで暖かい春の風を身に纏い、周りの人が
元気になる雰囲気を漂わせている。
一緒にいるだけで、心が癒される。
極限的な恐怖と、周囲に活力を与える優しい心を持つ人。
「ちょっと、マルちゃん。何ボーっとしてるの?」
柔らかい色を湛えた、黒い瞳と視線が合う。
「えっ?その・・・もう少し手加減して戴けないかなぁ、と。」
「・・・手加減してるけど。」
少し眉を寄せて、小首をかしげるセンセイ。
実際、あれだけ組手で超振動波と氣を内臓に加撃された性で、
体内の揺れが収まらず、とにかく気分が悪いのだ。
肉体と精神体の接合点が、氣脈を乱された事でズレが生じ
肉眼の視点がずれている。
それでも、センセイお手製夕飯を残さず平らげる事が出来たのは
美味しかった故の奇跡だ。
今夜のメニューは、炒飯・手作り餃子・かに玉スープ・冷たいデザート。
今度、作り方を教えて戴こう。
やや話が逸れたが、とにかくこのままでは体が持たない。
- 42 名前:第五話 まごころ :02/04/04 20:56
- 「わたし、ちゃんと手加減してるわよ。」
両頬をプウと膨らませて、腕組みしながら抗議する彼女の姿は
大いに緊迫感が欠けている。
「センセイ、手加減って、意味知ってますか?」
人差し指を軽く唇に当てながら、彼女は即答する。
「死なない程度にする事でしょう。」
えっへんと胸を張る彼女。
左右に分けた綺麗な前髪と、首筋に掛かった後ろ髪が
さらさらと揺れる。
色白で、端正な顔立ちをした彼女の表情からは、
「あったり前でしょ!」と言わんばかりだ。
そんなセンセイを見て、アーミーカット気味にした私の頭は、大きくうな垂れた。
「それじゃあ、今からわたしが聞く事に返事しながら
よーく考えてね。」
センセイは、まるで子供を諭す母の様に話し始めた。
- 43 名前:第五話 まごころ :02/04/04 20:57
- 「まずわたしが立ち上がった時に、いきなり刀を抜いた?」
「・・・抜いてません」
「脳天に踵落しした時、脳を潰そうとした?」
「・・・いいえ、踵をめり込ませただけです。」
「右腕の筋肉、引き千切って無いでしょ。」
「まあ、一応繋がってますが・・・。」
「右の大腿骨も折ってないし。」
「はあ・・・。」
「右の肝臓も揺らしただけで、潰してないでしょう?」
「・・・はい。」
「マルちゃんの右手を捌いた時、手首を砕かなかったでしょう。」
「・・・ええ。」
「ちゃんとナイフを、使わせてあげたし。」
「・・・。」
「右肘関節も砕かず、ちゃんと地面に寝かせてあげたわよねぇ。」
「ぐうっ・・・。」
まるで私の心の悲鳴を聞いて、楽しんでいる様に
彼女は悪戯っぽく微笑んでいた。
- 44 名前:第五話 まごころ :02/04/04 20:58
- 「潰さず、砕かず、折らず、斬らず、引き千切らず・・・。」
物騒な動詞を、詩を読んでいる様に彼女は、
言葉を紡ぐ。
「唯一貴方に与えたのは、気絶する程度の苦痛だけ。」
そう。
武術を行使する時は、唯一つ。
相手を殺める時、ただその時だけ。
何故なら、「武術」は生命活動を、
最も効率良く止める事のみを主眼として、
極めて純粋に洗練されたものである。
センセイの質問に応答し終わった時、私は武術での手加減は
相反する矛盾であり、戦う以上に至難である事に
やっと気付かされた。
センセイの思いやりを察する事が出来なかった
己の心の未熟さを
ただ、ただ、ひたすら恥じるしかなかった。
- 45 名前:第五話 まごころ :02/04/04 20:59
- 私は、俯いていた顔を上げ、センセイを見た。
優しい笑みを浮かべた彼女が口を開く。
「これからは目に頼らず、私の氣を感じ取りなさい。
貴方の氣を、自分の周りに広げて、
私から発せられる波を感じなさい。
そうすれば、目で見てから動くのではなく、
体が先に動けるから。」
「でもセンセイ、自分にはまだ・・・。」
「自分の心を信じなさい。
自分を信じれずに修練を積んでも
時が過ぎるだけよ。
貴方が自分の心を信じない限り、体は動かないわ。」
「自分の心を、信じる・・・。」
「そう。己の心を信じれば
想いに心が揺らぐ事はなくなるわ。
心には、嘘や迷いは無いのだから。」
- 46 名前:第五話 まごころ :02/04/04 21:02
- 「これからも、わたしと共に歩む事を望むのなら」
「更なる恐怖を、貴方に与えましょう。」
「そして暗闇の中で見出しなさい。」
「幸せを。」
言葉だけ聞けば、氷の槍に胸を貫かれた気分に襲われるだろう。
しかし言葉とは裏腹に、彼女からは、暖かく穏やかな風が吹き
私の心を優しく包み込んでくれた。
彼女から伝わって来る気持ちは・・・。
純粋な「まこごろ」だった。
第五話 完
この小説は、95%ノンフィクションです。
- 47 名前:第五話 まごころ :02/04/04 21:03
- あとがき
次回からは再び現在に戻ります。
- 48 名前:第六話 シズカナ オトコ :02/04/04 21:05
- 月の綺麗な夜だ。
稽古場と道路を隔てる、一枚作りの強化ガラスドア越しに夜景を見ていた。
闇夜の街路樹が、銀の光に照らされて紅く浮かび上がり
落ち葉が木枯らしに吹かれ、宙を舞い踊る。
夜風の音が、子守唄の様に耳へ響き渡る。
私はゆっくりと、目の前に座る男へ視線を戻した。
彼の名は、中桐。
年は私と同じ。
今年6月から毎週日曜日の夜、
自宅から当教室まで車で1時間以上走り、武術を習っている。
体格は一見細く見えるが、無駄な贅肉が省かれ
必要な筋肉のみ集束されている。
動物に例えるなら、黒豹と言ったところか。
以前、横浜の八極拳教室に入門していたと言う。
良い師に指導して戴けたお陰であろう、
その体格と、型の動作を一目見て、思わず心中で感嘆した。
物静かで、寡黙な人である。
- 49 名前:第六話 シズカナ オトコ :02/04/04 21:07
- 5月末、当時市民センターで練習していた頃、
彼が見学に訪れた時の事だった。
練習が終了し、私は中桐君に話をした。
「私の教室には、流派名・段位・試合が無い。
もし、君がそのいずれかを望むのであれば・・・。」
彼は、正式な八極拳の基本を体得している。
私は、もし彼が流派に属する事を望み、何らかの資格を得たいので有れば
近所の八極拳教室を薦めようと考えていた。
次の言葉を続け様とした時、
中桐君の一言が断ち切った。
「望んでいません。」
その時の彼の目を、私は良く覚えている。
好い目をしていた。
- 50 名前:第六話 シズカナ オトコ :02/04/04 21:08
- 今私達は、一番最後に行なう自由組手の前に、休憩をとっている。
彼に自分の先生の事を話し、夜景を眺めて再び彼に視線を戻すと、
滅多に喋らない中桐君の口が開いた。
「この武術の先生は、女性なのですか・・・。」
意外だったのか、張りのある低音の声から動揺を感じる。
「その先生の流派名は?」
片桐君の問いに、私は苦笑を押さえつつ答える。
「一切聞かされていないし、私も訊ねなかった。
仮に知ったとしても、流派を名乗るつもりは無いよ。」
無表情だった彼の表情が、何故?と訴える。
「センセイと私の理念が、違うからだよ。」
「・・・理念の違いですか?」
「そう。私は「制敵護身」を基本理念にしているが、センセイの理念は・・・。」
次の言葉を口にした私は、一体どんな表情をしていたのだろう。
- 51 名前:第六話 シズカナ オトコ :02/04/04 21:10
- 「見敵必殺。」
「さてと、そろそろ始めましょうか。」
全身に防具を身に付けた二人の男が、片手にスーパーセーフ面、
もう一方の手に、黒い硬質ラバーナイフを握って立ち上がり
互いに2メートル程離れて、面を被る。
「中桐さんが、先にナイフ側で始めましょう。」
「はい。」
私は右半身を後ろに引いて、半身になり
頭一つ分腰を落として、上体を低くし
両手を僅かに曲げ、心臓よりやや高い位置で、正中線上に構える。
半身になる事で体面積を小さくし、体を防御しつつ、予め攻撃部位を限定させる為だ。
両手を正中線上に、心臓よりやや高い位置で構える事で、重要致命傷部位を守りつつ
万一手首の動脈を断ち斬られても、出血量を抑えられる。
中桐さんに真っ直ぐ左足を向け、両つま先に気持ち荷重を掛けつつ
右後ろ足の踵を僅かに浮かせる。
この立ち方をする事で、素早く自在に歩を進めやすくなる。
細く長く複式呼吸をしながら、丹田で氣を練り
全身に行き渡らせて、脱力する。
体が熱くなってきた。
正面にいる中桐君に、視線を向ける。
ゆらゆらとした靄の様な存在が、目の前にいた。
私の目は裸眼で、両目平均0.02しかなく、ほとんど見えない。
しかし、見えない事は逆に有り難かった。
目に頼らず、氣を採る術が身に付いたから。
とは言え、まだまだ未熟だ。
私は体から、ゆっくり「氣の枝」をイメージし、
体を幹として、頭・指・胴・足等、様々な部位から心の枝を伸ばし、
その枝先に葉を茂らせつつ、中桐君の周囲に広げた。
- 52 名前:第六話 シズカナ オトコ :02/04/04 21:11
- 「お願いします。」
静まり返った稽古場に、両者の挨拶が短く響く。
「ナイフ」対「徒手」自由組手練習が始まった。
掛声や苦悶の声は無く、
ただ室内に響くのは、
ナイフが空を切り裂く時に立てる、鋭い哭き声と、
硬質ラバーナイフで、斬られた時に生じる細い擦過音。
肉体同士が、衝突時に放つ鈍い音。
そして、衝撃吸収マットの上を走る摺り足音のみ。
室内を包むのは、
互いが放つ氣と、心地よい緊張感だけ。
交互にナイフ・徒手の立場を変えて、組手を続ける。
徒手側がナイフ側に、重要致命傷部位を斬撃・刺突されれば「死亡」。
徒手側は、斬られた部位を自己診断し、「残り時間」を計算しながら、
ナイフ側の致命傷部位へ、徒手攻撃を放つ。
「重要致命傷部位を斬られても、必ず一撃返す事を常に留意する。」
当組手に置ける、最低限の約束である。
私がナイフ側の時は、斬り込んだ部位から相手のダメージを判断し
失血性意識喪失までの「残り時間」を告げて、組手を続ける。
徒手側の生徒が、私の致命傷部位を外して撃ち込んだり、
基本を押さえずに手・足先で触れた場合は、そのまま続行する。
- 53 名前:第六話 シズカナ オトコ :02/04/04 21:12
- 練習時間が終わり掛けた時、中桐君がナイフ・私が素手の番になった。
目線を中桐君全体に据えつつ、体から張り巡らせた氣の枝先と葉に、神経を集中させる。
彼は左半身を後ろに引き、半身に構えている。
左手に握ったナイフの刃先を、右腕で隠しつつ中段に構える。
彼の周囲に、枝葉の如く張り巡らせた自分の氣から
様々なことが瞬時に、心へ流れて来る。
(見る事に固執して、「体」を置き去りにしてるな。)
「そのまま」
そう告げて私は、構えた姿勢をさせた中桐君に歩み寄り
左手首を掴んで軽く振る。
「はい、力を抜く。力を抜く。」
同じ様に右手首を掴み、上下に軽く振る。
「力んでいると、手足は伸びず、刃は届かないよぉ。」
歌う様に言いながら、体から余分な力を抜く様促す。
「良し!じゃあお願いします。」
仕切り直しの礼をすると、先程の空気が瞬時に掻き消え、
稽古場は再び静けさに包まれた。
- 54 名前:第六話 シズカナ オトコ :02/04/04 21:15
- 彼の左手周辺に張り巡らせた枝葉が、
かすかにざわめいた。
「シュッ」
中桐君の左手に握られた、硬質ラバーナイフの刃先が鋭く哭き
私の右頚部に一閃する。
「ガッ」
前へ踏み出された彼の左脛に、私の右踵が撃ち込まれる。
ナイフの動きは、全く見えなかったが、
私の右手は右外側へ横円を描いて、彼の左手首を捌き掴んでいた。
何時の間にか、ごく自然に。
そのまま彼の左腕を、内側へ曲げ切らせる様に引き押す。
「ガスッ!」
中桐君の左手首を捌きつつ、彼の右後ろ足の膝皿に
左足の踵を蹴り込んだ。
そのまま蹴り出した左足を、彼の脛上で滑らせつつ足甲を踏む。
中桐君の体が、硬直した。
ナイフを持った左腕と、右足は封じた。
(さあ中桐君、どうする?)
- 55 名前:第六話 シズカナ オトコ :02/04/04 21:17
- 私の体から生やした氣の枝葉が、再び揺れた。
「!?」
中桐君の右足を踏んだまま、腰を落としつつ彼の右脇腹へ
左横掌底打を放とうとした時。
「バシッッ!!」
彼は右手首を、縦に円を描きつつ、私の左鎖骨と肩の接合部へ
振り下ろしていた。
間一髪、振り下ろされた右腕を左掌で捌き掴み、難を逃れる。
しかし彼は、私の左腕を掴み返し、
一気に手前へ引きながら左足で踏み込みつつ、
左手を縦に折り曲げ、肘撃ちを放つ。
私は咄嗟に、中桐君の左手首から右手を離し
私の左腕を掴んでいた、彼の右腕内側に「打突」を撃ち、
彼の手を振り解き、一歩後ろへ引いた。
あのまま彼の左腕を掴んでいたら、肘・肩の連撃を負っただろう。
間髪入れず私は、右後ろ足を踏み込ませ、中桐君の顔面目掛けて右縦拳打を放つ。
彼は冷静に、私の右腕へナイフを一閃させ、刃を食い込ませる。
- 56 名前:第六話 シズカナ オトコ :02/04/04 21:19
- (腰入れが甘い。)
(指の絞り込みが足りない。)
(筋繊維に逆らって、刃筋を立てている。)
(やっと皮膚一枚斬れた位、だな。)
内心呟きながら、斬られた右腕を左へ振り被り、
鞭の如くしならせながら、握り込んだ小指付け根部分を
中桐君の右側頭部目掛け、横薙ぎに撃ち刺した。
「ゴンッ!」
本来は右耳の後ろ部分に撃ち込む事で、
相手の平行感覚気管を一時喪失させられる。
体の捻り方・呼吸法・角度等を変えれば、
女性でも、相手の脳を内側から破裂させられる危険な技だ。
故に今回は、「スピードだけ」載せてシールドに当てた。
私からの打撃を受けつつ、中桐君は右足を半歩進めつつ、
鳩尾へ横拳打を放つ。
(良し。咄嗟に反撃出来たね。)
内心喜びながら、左手で円捌きすべく
彼の右腕に触れると、力が抜けている事に私は気付く。
(しまった!)
無意識による動作。
それは、一瞬だった。
- 57 名前:第六話 シズカナ オトコ :02/04/04 21:22
- 彼は右腕を伸ばしたまま、斜め下に下げつつ
右前足を半歩擦り込ませ、
右つま先を、地面に鋭く捻り込み
その円のうねりを、足から腰、背中へ捻り上げ
右手甲を、私の金的目掛けて振り上げた。
槍を下から上に跳ね上げる様に。
「グゴッ」
「よし、それまで。」
張り詰めたが霧散し、互いに離れ礼をする。
「大丈夫ですか?」
やや心配気味の中桐君に、その場で軽くジャンプしながら返事を返す。
「ファールカップが無かったら、袋が破裂してたな。」
「・・・。」
「気にせんで良いよ。金的有りなんだから。」
- 58 名前:第六話 シズカナ オトコ :02/04/04 21:24
- 努めて明るく振舞おうとしたが、防具はあくまでも外傷予防と
外部日衝撃防護で有り、内部衝撃波には弱い。
下腹部の内臓が、踊り狂っている。
「今放った技、見事だよ。」
スーパーセーフー面を外し、前髪を掻き揚げている中桐君に
私はまだジャンプをし続けながら、声を掛けた。
彼は、無表情な顔を少し緩ませ、口を開く。
「以前通っていた教室で、習った技です。」
照れている。
「・・・そうだったね。」
私は何だか可笑しさが込み上げ、吹出した。
彼もつられて、笑っていた。
滅多に見られない、良い笑顔だった。
第六話 完
この小説は、95%ノンフィクションです。
- 59 名前:第六話 シズカナ オトコ :02/04/04 21:25
- あとがき
ついに中桐君が登場しました。
次回は、私がナイフ側で彼が素手側による、対ナイフ組手練習の話を書く予定です。
- 60 名前:印知己先生 :02/04/04 23:44
- たしかにコレは武道板よりココ向けですな。
細身の女が八極できる訳ナイナイ。
- 61 名前:第七話 ココロを知る :02/04/05 12:09
- 「思いと心は、別々に存在しているわ。」
何時だったか、センセイと二人で「迷い」の話をしていた時に、彼女が私に言った言葉だ。
私の右隣に並ぶ彼女は、白のブラウスに薄桃色のカーディガンを羽織り、
茶色のスカートを履いている。
彼女の首元に光る、綺麗な翡翠色の勾玉首飾りが、歩調に合わせ左右に揺れる。
センセイの柔らかな声が、穏やかな春風に乗り、私の耳を優しく撫でた。
「心は既に答えを出している。
けれど、自分で自分の心が見えないから
体の中に様々な「思い」が生まれ、更に心が見えなくなるの。」
「心を知るには、どうすれば良いのですか?」
私の愚問を聞き、彼女は悪戯っぽく微笑む。
- 62 名前:第七話 ココロを知る :02/04/05 12:10
- 思い出した。
満開に咲いた桜並木の下を、二人並んで歩いていた時だ。
あの時、私達の周囲を桜の花弁が、暖かい雪の様に舞っていた。
月の色を湛えた様な白い肌に、端正な顔立ちをした彼女の顔が、
細い黒髪を揺らせて、ゆっくり私の方へ振り向いた。
桜色の小さな唇が開く。
「己の内面を感じるのよ。」
******
- 63 名前:第七話 ココロを知る :02/04/05 12:12
- 「もう、終わりですか?」
二人の男が対峙している夜の稽古場に、低く重い声が響く。
室内にあるのは、広がる心と焦りの心、そして夜風の哭き声。
私に問い掛けられた中桐さんは、無言のまま
左手に硬質ラバーナイフを握り締め、左半身を後ろへ引き、半身で構えている。
スーパーセーフ面のシールド越しに見える彼の表情は、やや険しい。
彼の両上腕が、うっすら赤みを帯びて腫れている。
御互いにヘッドギアと拳サポーターのみ装着し、1.5メートル程
間合いを取りつつ、静かに対峙していた。
「もう、斬り込まないのですか?」
右半身を後ろへ引き、中腰で半身構えながら、再び私は彼に問い掛ける。
無感情で冷淡な言葉が、室内に響く。
今私は中桐君に、ナイフ武器術の基本型「一重半月斬り」の練習を兼ねて、
「徒手」対「ナイフ」組手を行なっている最中だ。
組手の決まり事は、至って簡潔。
ナイフ側の中桐君は、私に対し「一重半月斬り」を用いて致命傷部位を斬撃する。
私は中桐君の斬撃を、両手を駆使して円捌きし、隙あらば頭部へ軽く撃ち込む。
一見徒手側には絶望的な条件だが、組手を開始すると意外な展開になっていた。
******
- 64 名前:第七話 ココロを知る :02/04/05 12:13
- 中桐君は何度も、「素手」の私にナイフを繰り出すが、
私が両手で空に円を描く様に、ナイフ攻撃を捌き続けるので
彼はなかなか斬り込めずにいた。
何故彼は、私に斬り込めないのか。
それは彼が毎回斬撃する直前、「今からココを斬ります!」と叫ぶ様に
狙った部位へ、強く殺気を放ってナイフを振っているからだ。
意図的では無く、殺気を押さえられずに発していると表現した方が、正しいだろう。
無理も無い。
普通の人は武器を携帯しただけでも、周囲に殺気を滲ませる。
その武器を取り出し、眼前に構えれば、殺気は更に強くなる。
常に氣採りを意識した修練を積んでいる武人にとって、
殺気を自制出来ない人が相手だと、非常に攻撃を捌きやすい。
私は周囲に張り巡らせた心で、彼から発せられる殺「氣」を
感じ採りながら、心赴くままに体を動かせて、彼のナイフ攻撃を捌き続けた。
枝葉の如く広げた私の心に、彼の心が触れ、心の枝葉が揺れる。
心感じるままに、体を赴かせると、私の掌が彼の腕に吸い込まれていた。
練習なので、円捌きは「捌く動作」までに留める。
- 65 名前:第七話 ココロを知る :02/04/05 12:14
- 組手も終盤に差し掛かり、稽古場には
彼の腕が私に円捌きされた打撃音と、
淡々とした私の声だけが響く。
「バシッ」
「刃先から振っている。」
「パァン」
「深く踏み込む。」
「バン」
「力まない。」
「タァン」
「指を絞る。」
「ビシッ」
「腰から引く。」
「ペシッ」
「息を吐く。」
やや呼吸が荒くなっている、中桐君の目を見た。
焦り、戸惑い、闘争の色が入り混じっている。
- 66 名前:第七話 ココロを知る :02/04/05 12:16
- 「君は、目と思いに捉らわれ過ぎている。」
私は静かに語り掛けた後、咆哮した。
「こい!」
瞬間、中桐君は左後ろ足を、前へ跳躍させ
私の右頚部目掛け、ナイフを横から一閃した。
「シュッ」
「バシィッ!」
私は左前足で半歩擦り進み、右腕を上から縦に円を描く様に振り出し
彼の左腕内側へ右手首を撃ち込む。
その動き、流れる風の如く。
「円捌き」は、相手からの攻撃を「捌く」だけでは無い。
脱力した腕を、あらゆる方向に円を描いて振り出し、
相手の体に触れた瞬間、「発力」し触れた部位を捌き砕く。
「ギリッ」
- 67 名前:第七話 ココロを知る :02/04/05 12:18
- 円捌きを放った右手で、そのまま中桐君の左腕を掴み、
彼の左肘を捻り引き、右脇下へ挟み込んだ。
幾ら彼が、ナイフを握った手首を動かしても、刃は私の体に届かない。
私の左顔面に繰り出した彼の右拳打を、私は左手を左から横に振って
横円捌きしつつ、彼の胸へ押し封じる。
これが実戦ならば、右脇に挟んだ彼の左腕に力を込め、体を捻り肘関節を砕いている。
私は技が掛かった事を確認し、ゆっくり彼から手を離した。
「休憩しましょう。」
「はい。」
室内に張り詰めていた緊張が解けるが、中桐さんの表情はやや暗い。
私は床に腰を下ろし、小さな折畳みテーブルの上にある
スポーツ飲料のペットボトルを掴み、中桐君のコップへ注いだ。
(さて、どう話そうかな・・・)
******
- 68 名前:第七話 ココロを知る :02/04/05 12:19
- 「どんなに目を凝らしても、相手の心は見えないよ。」
コップに注がれたスポーツドリンクの揺らめきに、目線を落としていた
中桐君へ言葉をかける。
考え込む彼を見ながら、私は言葉を続けた。
「隙は心の揺らぎだ。心の揺らぎは、心でしか解らない。」
「・・・。」
「はっきり言えば、ナイフの動きを肉眼では追えない。」
意外な私の発言を聞き、彼の顔に驚きの色が現れる。
「仮に肉眼で捉えられたとしても、視界から瞬時に消えられると、
肉眼からの情報を絶たれた体は混乱し、一瞬身動きが取れなくなる。」
「・・・それでは、目で見る事とはどう言う事なのですか?」
口数少ない彼からの問いに、私は笑顔で答えた。
「目は相手の目に定め、全体に視野を広げる。それだけで充分だ。」
「・・・、僕には自分の心が分かりません。」
「正直だね、君は。」
私は、ゆっくり噛み砕く様に語り掛けた。
「まず思いを消し、心を澄ます。
心を澄ませば澄ます程、相手の心を鮮明に感じ採れる。」
「・・・心を、澄ます。」
「そう。白紙に様々な色彩を写し取る如く、
思いの色を消し、心を澄ます。」
一瞬納得仕掛け、また考え込む中桐君を見て、
私は苦笑しながら訊いた。
「思いの消し方が、分からないのかい?」
「・・・はい。」
「自分を信じるんだ。そうすれば思いは消える。」
「・・・・自分を信じる事、ですか。」
復唱する彼の目を見据えながら、私は言葉を繋いだ。
- 69 名前:第七話 ココロを知る :02/04/05 12:21
- 「己の命を預ける位、自分を信じれば・・・・。」
「体は君を裏切らない。」
******
5分間の休憩時間が終わり、全身に防具を装着し
稽古場中央で、私と中桐君が向かい合って立っている。
素手の中桐君に対し、右手に硬質ラバーナイフを握る私。
暫し沈黙した後、互いに礼を交わす。
「お願いします。」
本日最後の練習になる、「ナイフ」対「徒手」組手が始まった。
******
- 70 名前:第七話 ココロを知る :02/04/05 12:23
- 私は過去センセイと行なった組手の経験を元に、
長期間イメージトレーニングを積んだ結果、
ラバーナイフで生徒さんを攻撃した時、またはナイフ攻撃を受けた時、
実際斬れていないのに斬れている様に見え、出血していないにも関わらず、
血が見える様になった。
これより先に書き綴る描写は、現実とは別に私が感じた
イメージである事を予めご了承下さい。
******
中桐さんは、私から1。5メートル強間合いを取り、左半身を後ろへ引き構えている。
緊張の性か、左腕を胸に当たるまで曲げていた。
前に伸ばした右腕は、不要な力みが入り、柔軟さが無い。
(心を開けずにいるから、体が怯えているな。)
私は右半身を後ろに引き、腰を落として構える。
両つま先に荷重を掛け、右後ろ足の踵を地面から僅かに浮かせる。
ゆっくり複式呼吸を行ない、全身に氣を巡らせ、心を広げる。
感じる。
自分の手足が、刃になる感覚が。
感じる。
彼の心が、私の心に触れるのが。
私は彼の「思い」を斬るべく、歩を擦りだした。
******
- 71 名前:第七話 ココロを知る :02/04/05 12:27
- 私は半歩摺り足で前進しつつ、中桐君の右前手へラバーナイフを一閃する。
「ジュルッ」
彼の小指第二関節に刃筋を立て、柄を指で絞り込み刃を食い込ませ、腰と背中から引き斬り、
そのまま小さく円を描きつつ、下から跳ねる様に、右手首頚動脈を切断した。
我が刃は、無限に連なる無形の円の如く。
「残り3分。」
斬撃した部位の受傷度を診断し、失血性意識喪失に至るまでの「残り時間」を、彼に告げる。
彼の小指が宙を舞い、右手首に走った紅い筋から血が滲み始め、やがて心臓の鼓動に合わせ血が流れ出す。
私は右手首を斬りつけながら、右後ろ足を鞭の如く蹴り出し
中桐君の左後ろ足の内脛に踵を放つ。
「ゴッ!」
私の踵蹴りに対し、彼は左足踵で蹴り返した。
御互いの踵が、異音を立てて空中でぶつかり合う。
私はすかさず、着地した中桐君の左前足の外側へ右足を擦り進め、
彼の右頚部目掛けて、左からナイフを横一閃する。
- 72 名前:第七話 ココロを知る :02/04/05 12:28
- 「ヒュッ」
「ビシッ」
私の右腕は、右側から横円を描いて繰り出された彼の左手に
捌き掴まれ、一旦動きを止められたが、
そのまま右腕を、自分の方へ引きながら下へ回転させつつ、ナイフを振り下ろし、
彼の左内股に刃先を入れ、筋肉の目に沿って刃を走らせ内太腿血管を断裂した。
「残り1分。」
2個所の受傷部位と、激しく動き回った時の出血速度を計算し、「残り時間」を伝える。
緑色の衝撃吸収マットに、あるはずの無い中桐君の血が、
まるで紅い雪が降った様に散っている。
衣類が血を吸って、肌に張り付き重そうだ。
シールド越しに見える彼の顔には、苦痛の色が無い代わりに、蒼くなっている。
- 73 名前:第七話 ココロを知る :02/04/05 12:47
- 実際鋭い刃で切られた場合、痛みはあまり感じ無い。
痒いと言う感覚が、最も近い。
斬られて一瞬間が空いた後、紅い筋が滲み始め、唐突に血が溢れ出てくる。
体から止めど無く流れ出る自分の血を見、
己の血の暖かさを肌で感じた時、人は恐怖する。
流れる血の速さ以上に、恐怖が体を駆け巡り、我を失い心が死ぬ。
外傷性ショック死。
刃物攻撃で死亡する原因の中で、最も多い事例の一つだ。
彼が顔を蒼くしているのは、仮想の血を見たからだろうか。
私は上体を更に低くし、彼の左前足の外側に歩を擦り進める。
「「ブンッ」」
中桐君が左縦拳打を放つが、私は左手を右から横へ振り、円捌きし
掴んだ左腕を完全に曲げ切らせ、彼の体へ押し付け動きを封じた。
この状態では、幾ら彼が右腕を振っても、私に届かない。
もがく中桐君の左頚部に、ラバーナイフを走らせようとした時。
彼の体が舞った。
「ヴンッ!!」
彼は疾風の如く、左前足のつま先を軸に右足を
蹴り出しながら体を一回転させ、私の鳩尾へ右肘撃ちを突き放った。
私は咄嗟に左へ身を捌き、一歩後ろに引いて間合いを取る。
左掌が痺れている。
うねりが込められた肘撃ちの軌道を、無理やり逸らした性だ。
先程の彼の動き。おそらく無意識で出た技だろう。
- 74 名前:第七話 ココロを知る :02/04/05 12:48
- 良い目だ。
「参る。」
私はそう言い放つと同時に、右後ろ足の踵を、彼の右前足膝皿へ蹴り出し
喉を縦に斬り裂くべく、足元からナイフを跳ね上げる。
「「ヒュッ」」
「ドンッ!」
私が蹴り出した右足の踵と、下から上に跳ね上げたナイフは、虚しく空を斬り
次の瞬間、左脇腹の内臓が激しく揺れた。
中桐君は自ら、右前足を半歩「右斜め」に擦り出し、私の攻撃を捌きつつ
紅に染めた左手の横掌底を、私の左脇腹にめり込ませていた。
今日、八極拳基本型練習時間で説明した、「弓歩撃ち」が見事に決まっている。
前足の踏ん張りや、体の捻り等が甘いが、今日はこれで充分だ。
「よし!本日はここまで。」
互いに礼をして、面を外す。
汗だくの頭に、ひんやりとした空気が触れる。
気持ち良い。
ふと目の前にいる中桐君を見た。
体には傷一つ無く、服は汗に濡れているだけで、血は付いていない。
私は内心安堵しながら、タオルを手に取った。
- 75 名前:第七話 ココロを知る :02/04/05 12:50
- ******
「中桐君、最後の動きはとても良かったよ。」
稽古場玄関前の道路で、帰ろうとする中桐君に声を掛けた。
「有難う御座います。」
月の光を浴びながら、彼は笑顔を浮かべて一礼し、駐車場の方へ歩き始める。
ゆっくり確実に成長する生徒を、じっと見送る。
先程撃たれた腹の痛みは、秋の夜風と共に何処かへ消えて行った。
第七話 完
- 76 名前:第七話 ココロを知る :02/04/05 12:50
- あとがき
今までは「動」の話でしたので、次回からは「静」の御話を書きたく思います。
- 77 名前:第八話 お茶を飲むふたり :02/04/05 12:54
- ガラッ
「あーっ、サッパリしたぁ!」
稽古場2階にある私の部屋の戸を、彼女は勢い良く開いた。
湿り気を帯びたショートカットの髪を揺らせて、居間にある座布団に腰を下ろす。
「お疲れ様、ユウさん。」
私はそう言いながら、湯呑に冷えた麦茶を注ぎ、木目テーブルの上へ置いた。
「あ、石丸君ありがとう。」
彼女はそれを一気に煽って、空にする。
「くうぅっ!やっぱり夏は冷たい麦茶よね。」
眼鏡を掛けた彼女が微笑むのを見て、私もつられて笑顔になる。
彼女の名は、ユウさん。
当武術教室、唯一の女性生徒だ。
ちなみに年は、私より上。
今年の5月から習って、早半年になる。
彼女は毎週水・土曜の、昼3時から夕方5時に、
私とマンツーマンで練習している。
白いTシャツと、青のジャージが似合う、元気で芯が強い女性だ。
練習後生徒さん達には、2階にある浴室で汗を流してもらい、
私の部屋で茶を飲みながらくつろいで戴いている。
武術の練習で解り難い点が有れば、その生徒さんに解りやすい言葉を
選んで説明したり、武術とは関係無い御馬鹿な話や、真面目な話を
皆で交わして、談笑する。
私は、この穏やかな時間が好きだ。
- 78 名前:第八話 お茶を飲むふたり :02/04/05 13:10
- ******
ベランダ越しに差込む秋の夕日が、やや物悲しげに居間を照らし出す。
「それで石丸君、最近教室への問い合わせはあるの?」
「ないです!」
キッパリ言い切った私を見て、ユウさんはやや面食らっている。
「そう言えばこの間、メールが届きましたよ。」
「良かったわね。で、どんな内容なの?」
私は口の中で、アブラムシを噛み潰した様に、顔をしかめながら言った。
「・・・アニキと呼んでも良いですか。」
「え?」
シーンと室内が静寂した後、その場にいた二人が大爆笑した。
ユウさんは、涙を滲ませながら腹を抱えて、苦しんでいる。
正直このメールを受け取った時は、ちょっぴり人生がイヤになった。
暫くして呼吸を落ち着かせながら、ユウさんが口を開く。
「んー、まぁ、その人の事はともかく。こんなに良い教室なのに
どうして問い合わせが少ないのかなぁ・・・。」
「ユウさんにそう言って戴けると、嬉しいですよ。」
「でも・・・なんだか私が我が侭言ったみたいで悪いわ。」
ユウさんの言葉を、私は幾分優しい声で制した。
「私の武術を習いたいと志した人が来た。
私はその人の心に応じたまでです。」
- 79 名前:第八話 お茶を飲むふたり :02/04/05 13:12
- ユウさんが入会した時、私達は市民センターのホールを借りて練習していた。
公共施設の貸出時間は限られており、定期的に予約が取れる事は無い。
夕方から仕事が入っているユウさんにとって、
練習時間帯の変動はかなり苦しい。
私は急遽、テナントを借りて稽古場を立ち上げる決断をした。
生徒が10人にも満たない状況で、物件を借りて稽古場を立ち上げる行為が
如何に無謀な事か、百も承知だ。
しかも当武術は、全く未知の新武術。
その新武術は、忌むべき存在と決め付けられ、憎悪と嫌悪の象徴にされた「ナイフ」を
武器術として教え、それを中国武術と同時駆使する、徒手武器一体型新武術。
社会から凄まじい拒絶反応が来るのは、誰の目から見ても、火を見るより明らかだろう。
しかし。
私の元で、武を学びたい者がいる。
学びたい者には、大いに学んで頂ける様にしたい。
私の中には、その一心しか無かった。
条件の良いテナントを探し、7月に稽古場を立ち上げる。
生徒さん達は喜んだ。
特に彼女は、一際感激していた。
これでいつでも修練が出来る、と。
良かった。
みんなに喜んでもらえて。
- 80 名前:第八話 お茶を飲むふたり :02/04/05 13:15
- ******
「んー。なんで反応ないんだろうね。ナイフ犯罪がこれだけ起きてるから
もっと問い合わせがあってもいいのに。」
「ユウさんの様に武術教室へ通ってまで、自分の命を守ろうとする人は
少ないのでしょうね。」
護身の必要性を感じている人は、かなり多いだろう。
しかし武術を修練してまで備えようとする人は、ほとんどいない。
何故か。
私は、二つの理由を考えている。
一つ目は、自分は危ない目に遭わないと言う、妙な自信を持っている事。
自分には関係無いから、備える必要は無い。
非常にお粗末で、救い様の無い考えだと言わざる得ない。
二つ目は、自分は武術には向いていない・出来ないと言う先入観を
強く持ち、自己納得している事。
自分は武道・武術・格闘技関係は未経験だから、出来ない。
女性の場合、武道・武術・格闘技は男性向きと考え、女性には
不向きだと思い込んでいる方が多い。
未知の世界に対する恐れ。
その恐れを誤魔化す為に、自ら諦める理由を作り、自分には不向きだと
自己納得させ、安心感を得る。
- 81 名前:第八話 お茶を飲むふたり :02/04/05 13:16
- 「折角体験コースがあるんだから、参加してみたら
良いのにね。」
「どんな体験するか解らないから、怖がっているのかも。」
「アタシは体験コース楽しかったな。
特に初級版の組手は、今までに無い新鮮さがあって
楽しかったわ。」
見学に来た方達に、彼女は決まって
「この武術は、実際やってみないと、その醍醐味は
解らないわ!」と力説してくれる。
実際習っている生徒さんから、見学者にそう言って戴けると、
より一層説得力が増すので、私は有り難く思っている。
- 82 名前:第八話 お茶を飲むふたり :02/04/05 13:18
- 「私達の教室を知らない人が多いから
問い合わせが少ないのだと思います。」
「サーチエンジンの登録は?」
「有名な所で十箇所。地域の検索ページは、五箇所
登録してます。」
「雑誌関係への連絡は?」
「某専門誌の教室案内コーナーに、2回掲載済みです。
武道・武術・格闘関係雑誌のホームページに幾つか
御挨拶しましたが、返答無しです。」
「地元での宣伝は?」
「地元女性雑誌に広告記事を掲載して戴きましたが、反応無し。
毎月数千枚単位で、広告投函するも反応無し。
某防人関係の宿舎に広告投函しましたが、これも反応無し。」
最後の「防人関係の宿舎へビラを投函した。」を聞いて
ユウさんは、口を付けた麦茶を吹いた。
「ちょ、ちょっと!つい数ヶ月前、その人達の一人がナイフで
刺し殺された事件があったばかりでしょ!」
「そういう事件があったからこそ、関心があるかなと思って
投函したのですが、どうかしましたか?」
あっけらかんと言う私を、ユウさんは呆然と見ながら
「・・・それもそうね。」
と納得する。
- 83 名前:第八話 お茶を飲むふたり :02/04/05 13:19
- それから彼女は、暫し考えて口を開いた。
「知り合いの人達には、教室の事を話したの?」
「話しましたけど・・・。」
声のトーンを落とし、私は顔を俯かせる。
ちょうど逆光気味なので、
ユウさんからは、私が酷く気落ちした様に見えたかも知れない。
「けど?」
心配そうにユウさんが声を掛ける。
私は勢い良く、顔を上げて言った。
「ほとんど狂人扱いされました!」
言葉の内容とは裏腹に、私は胸を張ってガハハと大声で笑いながら返答する。
一瞬ユウさんはキョトンとしていたが、やがて苦笑し始めた。
「狂人扱いとは、酷いわね。」
「いや〜。人から「うっ、こいつ狂ってやがる!」と見られるのは
そう滅多に無いですからね。」
「そう見られて、逆に愉快だと感じるのが石丸君らしいわ・・・。」
彼女の呆れ声が、部屋に舞った。
- 84 名前:第八話 お茶を飲むふたり :02/04/05 13:20
- ******
「アタシは、ここに通って良かったと思っているの。」
「何故、ですか?」
「幾つかあるけど、主に三つかな。
一つは、武術未経験者の私に合わせた指導をしてくれる事。
無理無く安心して続けられるから、非常に有り難いわ。」
いきなり激しい練習を課さず、かと言って実戦より落とした
練習も行なわせない。
武術初心者を指導する際、私は常に「中道」を心掛けている。
「二つ目は、表現的に不謹慎かも知れないけど
とても面白い事。」
ユウさんから「面白い」と聞いて、私は正直嬉しかった。
「全然不謹慎では無いですよ。
ちなみにユウさんは、ラバーブレードの何処に
面白さを感じますか?」
「まず素手と武器の攻撃が両方出来る、今までの武術に無い斬新ね。
更に「円捌き」を加えて、様々な要素を絡み合わせているから、
動作の多様性が高くて、面白いわ。
でも一番魅力的なのは・・・。」
ユウさんは、微笑みながら私の目を見て言った。
「物凄い緊張感ね。」
- 85 名前:第八話 お茶を飲むふたり :02/04/05 13:23
- ******
「なるほど、緊張感ですか。」
私の声にユウさんは笑顔で頷きながら、言葉を続ける。
「あの緊張感が、アタシはとっても好きなの。
目の前で、硬質ラバーナイフを構えた石丸君が
いつ斬り込んでくるか。
それとも蹴りが放たれるのか。
蹴りと思わせて、いきなり掌が撃ち込まれるのか。
とても怖いし、凄く緊張するの。」
私は彼女の話に、じっと耳を傾ける。
「でも、「必ず生き延びてやる!」と強く念じ、
必死になって動き回って練習が終わった後
とても充実感を感じるの。」
「充実感?」
うーんと、ユウさんは顎に軽く指を当てて、噛み締める様に返事を返す。
「必死になって生きた充実感、と言う表現が正しいかしら。」
彼女の言葉に、私は感嘆した。
「有り難い。」
私は胡座座りを正し、彼女に一礼した。
- 86 名前:第八話 お茶を飲むふたり :02/04/05 13:24
- ******
「でも解らないわ。
こんなにナイフ犯罪が多いから、少し位問い合わせが
あっても良さそうなのに・・・。」
ユウさんは、寂しそうな表情を浮かべてそう言うと
ベランダから見える夕日に、視線を移す。
「危険な時はとにかく逃げれば良いと、思っている人達が多い性かしら。」
半ば悲痛さを帯びた彼女の声が、静かな部屋に重く響く。
「・・・逃げられるなら、無論逃げた方が良いです。」
夕日を背に感じながら、私はゆっくりと湯呑をテーブルに置く。
「しかし、逃げられない時もあります。」
夕日を眺めていたユウさんの視線が、私の顔に向く。
「そうね。逃げられない時はあるし、むしろその時の方が多いわ。」
「だけど一般の人達は、何の根拠も無く、どんな時でも逃げられると
思い込んでいます。」
「逃げられない時、逃げる事しか考えていない人は、どうなるんだろう。」
「簡単ですよ。」
- 87 名前:第八話 お茶を飲むふたり :02/04/05 13:27
- 「殺されます。」
******
「ナイフを持った相手から逃げる事が、どれ程困難か
知らないし、知ろうともしないのが問題だと私は思います。」
逃避行動は格闘する事よりも、困難で有り、高い危険性を伴う。
しかし、それを認識している人は稀有である。
「よく世間に知られている護身術では、相手の隙を突いて
一発攻撃し逃げるとあるけれど、石丸君はどう思う?」
ユウさんの問いに、私は苦笑しながら返事を返す。
「逃げる為に一発攻撃した後、逃げる体勢へ移行する間に
斬撃されるでしょうね。」
「うん。アタシも組手してみて、よく分かるわ。」
彼女の言う通り、ナイフを持った相手と対峙した時、
不用意に一歩後ろへ後退している間に、一瞬で複数の致命傷部位を
斬撃されてしまう。
相手に一撃放って逃走するチャンスを作るには、攻撃と同時に
捌きが出来ないと、ただの自滅行為だ。
「攻撃して逃げるにしても、相手の機動力を奪わなければ
すぐ追い掛けられてしまいます。」
両腕を組み、ユウさんは少し考え込んでいる。
- 88 名前:第八話 お茶を飲むふたり :02/04/05 13:30
- 「・・・。じゃあ石丸君が言う様に、相手の機動力を奪う攻撃を放って、
動けなくすれば逃げられるの?」
「それでも、難しいですね。」
少し温くなった麦茶を飲んで、私は言葉を続ける。
「もし相手が投てき武器を携帯していた場合、相手の機動力だけ封じ
安心して逃げる事は、逆に危険です。」
「投てき武器って?」
「ナイフ、手製吹き矢、スリングショット、ボウガン、拳銃、石、・・・。」
投てき武器名を挙げる私の言葉を聞いて、ユウさんは気付いた。
「目と手さえ無事なら、充分使えるわ・・・。」
「正解。しかも襲われた方は、こちらに背を向けて逃げてくれる。
襲う方は、さぞ狙いやすいでしょう。」
「しかも、相手が一人とは限らないわね。」
「むしろ複数で襲ってくるケースが多いです。
命乞いする姿を見る事が、快楽になっている奴らは
どんな手段も躊躇無く使います。」
「難しいわねぇ・・・。」
- 89 名前:第八話 お茶を飲むふたり :02/04/05 13:31
- 私は思わず苦笑した。
「最初から不利なんですよ。圧倒的に。
時間・場所・人数・手段等、事前に一切知らされ無いまま
いきなり命を狙われる。」
「命懸けよね・・・。」
「仰る通り自分の命を守る事は、命懸けです。
戦うも、逃げるも、どちらを選んでも命懸けになります。」
「それでも今の人達は、とにかく逃げれば良いと思っている。
何故なのかな?」
壁際に置いたショーケースへ目をやりながら、ゆっくり返答した。
「自分の命を守る事に、命を懸けたくないのでしょうね。」
ショーケースには、昔私がセンセイと練習で使用した
武具が並べられている。
鋼の牙達が、夕日を浴びて鈍く光っていた。
- 90 名前:第八話 お茶を飲むふたり :02/04/05 13:33
- ******
ユウさんは、ジャケットから煙草を取り出し、口に咥えライターを探す。
シュボッ
「あ。有難う。」
「どう致しまして。」
私は彼女の煙草に点火した後、手に持ったジッポーの蓋を閉じた。
煙草は吸わないのだが、何故か持っている。
立ち上る紫煙が、居間に揺らめき漂う。
「ユウさんの動き、最初の頃よりかなり良くなりましたよ。」
「うん。立ち止まる事は減ってきたわ。」
私は組手の時、技や捌きを無理に行なわせる事はしない。
習い始めの生徒さんに、組手の時、留意してもらう事は唯一つ。
「相手に神経を集中し、歩を絶やさず動き続ける事」である。
ナイフ使いと遭遇した時、歩を止める事は即刻「死」を意味する。
- 91 名前:第八話 お茶を飲むふたり :02/04/05 13:35
- 何故か。
刃物で斬る時、その物体が静止していれば、とても刃筋が立てやすく
斬り込みやすいからだ。
逆に言えば、ナイフで動き続ける物体へ、正確に狙いを定めて
刃先を当て、刃筋を立てながら引き斬る事は、大変困難である。
これが刀なら、鋭く強靭な刃と、長くて重量がある刀身で、動き回る相手を斬る事は
難しくないが、ナイフは違う。
まずナイフ自体がとても軽いので、重さで叩き斬る事は難しい。
材質自体が柔らかいので、僅かに刃筋が狂えば、たちまち刃こぼれを起こし
、刃先がへし折れる事も珍しくない。
ちなみに人間の皮膚の強度は、防弾チョッキ一着分に相当する。
腹部に刺し込まれたナイフの刃先が、よく折れているのは、
人体の腹圧に、ナイフの材質強度が耐えられ無いからだ。
ナイフで動き回る相手を斬り難い決定的理由は、その刀身の短さにある。
ナイフで物体を斬る時に使用する部分は、刃先のカーブした部分を
食い込ませて斬る。
- 92 名前:第八話 お茶を飲むふたり :02/04/05 13:36
- 仮にナイフの刀身全長が、15センチあったとしよう。
この長さの内、実際斬り込む部分は僅か3センチ強。
このたった3センチを、目まぐるしく動き回る相手に対し、
正確に部位を狙って刃筋を立て、腰から引いて斬らねば、人体は斬れ無い。
只闇雲にナイフを振りまわしても、刃が「当たった」だけで
精々皮膚一枚切れる程度にしかならない。
「斬る事」と「当てる事」は、全く違う。
当教室の生徒さん達は、ナイフ武器術の基本練習で、その事を痛感している。
ナイフで動き回る人間を斬るのは、決して安易な事では無く、
非常に難しいのだ。
だからこそナイフと対峙している時は、常に歩を絶やさず動き回る事を
常々生徒さんに留意して戴く。
そうして組手を繰り返す事で、潜在意識に強く擦り込ませる。
同時に歩を絶やさず動き続ける事で、全身の筋肉と股関節がほぐれ
良い下地作りにもなる。
「前へ進みながら円捌きを繰り出せる様になりましたから、
今度は少し応用を入れてみましょう。」
「宜しくお願いします。」
灰皿に煙草を置いて、ユウさんが一礼する。
良い笑顔だ。
- 93 名前:第八話 お茶を飲むふたり :02/04/05 13:37
- ******
「石丸君、有難う。」
「何ですか、急に改まって。」
稽古場の玄関で見送りをする私に、不意にユウさんが感謝の言葉をくれる。
「こんなに熱中出来る事に出会えて、とても嬉しいの。」
凛々しさが漂うユウさんの顔が、暖かい夕日に染まる。
「だから有難う。」
偽りの無い純粋な感謝の言葉を聞いて、私は嬉しかった。
「それでは気を付けて御帰りください。」
「御疲れ様でした!」
早く女性の生徒さんが増えると良いですね。
秋の夕日を背に浴びながら、私は心の中でユウさんに語り掛けていた。
第八話 完
この小説は、95%ノンフィクション小説です。
- 94 名前:第八話 お茶を飲むふたり :02/04/05 13:38
- あとがき
今回は激しい練習風景から一変し、終始私とユウさんとの会話を書きました。
静かな話でしたが、如何でしたか?
- 95 名前:印知己先生 :02/04/06 00:57
- ナイスです。
ラバブ最高!。
- 96 名前:第九話 終わりから始める者 :02/04/06 07:52
- 「石丸さんは、ナイフで斬られた事がありますか?」
当教室に来訪した方達から、度々訊かれた質問である。
私はこう答えている。
「あります」と。
私の返答を聞いた方の大半は、興味津々に次の事を問う。
「誰から斬られたのですか?」
「センセイからです。」
訊いた方は、戸惑いの色を顔に浮かべる。
「どうして斬られたのですか?」
「武術の練習で斬られました。」
淡々と虚飾無く、私は答える。
ここまで訊いた方は、顔から血の気を引いて絶句していた。
何故そんなにショックを受けるのか、私には解らない。
ナイフで斬る術を学ぶ事は、ナイフで己の心身を斬られながら学ぶと言う事。
それが当たり前であると認知して、私はセンセイの元で武術を学んだ。
センセイは私を偽らない。
それは、センセイから伝わって来る「心」でわかる。
だから私は、センセイを信じる。
- 97 名前:第九話 終わりから始める者 :02/04/06 07:54
- 「怖い」けれど、「不安」は無い。
もしセンセイが、不可抗力無いしは意図的に、私を斬り殺めたとしても、
恨みはしない。
センセイを信じた時点で、すでに命を預けていたから。
「覚悟」とは違う。
その人を信じているから、安心して命を預けられる。
信じているから、その人から命を奪われても、安心出来る。
もし武術を教わっている際に、万一斬り伏せられたら
死ぬ前に一言だけ、センセイに言おうと決めていた言葉があった。
「ありがとうございました」と。
日々手取り足取り、武術を教えてくれてありがとう。
何度も組手で、私を吹き飛ばしてくれてありがとう。
色んな事について、時には徹夜で語らってくれてありがとう。
私が病気の時、一生懸命看病してくれてありがとう。
私が過ちを犯した時、心が凍てつく位怒ってくれてありがとう。
寝相の悪い私に、布団を掛けてくれてありがとう。
美味しい手料理を、食べさせてくれてありがとう。
止め処無く湧き上り続ける、感謝の気持ち。
私は毎日、一人稽古場で練習を終えた後、礼をする。
「センセイ、ありがとうございました。」
- 98 名前:第九話 終わりから始める者 :02/04/06 07:55
- ******
冬の或る晩、以前住んでいた私の自宅で、上川さんと共に酒を酌み交わしながら談話した事が有る。
12畳の居間の中央に据えられた、応接テーブルの上には
石丸手製の豚味噌キムチ鍋が、ぐつぐつと旨そうに煮えている。
作り方は、センセイから教わった。
卓上コンロには、熱燗を浸けたヤカンを載せている。
暖められた日本酒の、ほんのり甘い匂いが居間に漂う。
足元には、空の徳利が転がっている。
御互い既に、結構な量の狂水を酌み交わしたのだが、
私の顔がやや赤らんでいる以外は、二人共酔った素振りは無い。
特に上川さんは、滅多に酔わない。
後ろ髪を束ねた彼が掛けている丸眼鏡が、鍋から立ち上る湯気でやや白く曇る以外、
その静かな表情は、いつもと変わりない。
デニムのロングシャツを肘まで捲り、腕組みしたまま、彼はじっと鍋を見据えている。
以前彼と一緒に飲んだ時、トイレから戻ってきた上川さんが私に
「血を吐いたら起こしてくれ。」
と言って、レンズと口周りに「吐血した時の返り血」を浴びたまま寝てしまった。
恐らく酔っていたのだろう。
「上川さん、そろそろ食べましょうか。」
「ああ、食べよう。」
互いに手を合わせ、
「「戴きます」」
私と上川さんは、黙々と鍋を突付き始めた。
味が良く染み込んだ白菜が、実に美味い。
- 99 名前:第九話 終わりから始める者 :02/04/06 07:57
- ******
「・・・石丸はナイフで斬られた事は有るのか?」
「はい。」
私は笑顔で返事しながら、上川さんの御猪口に徳利を傾け、
温まった日本酒を注ぐ。
薄っすらと湯気が立ち昇る御猪口を持った上川さんが、
私に礼を言って、ゆっくり熱燗に口を付けた。
私は空になったドンブリに熱燗を注ぎ、そのまま煽る。
「どうして斬られた?」
「武術の練習中に、センセイから斬られました。」
「なるほど、な。」
そう上川さんは言いながら、自分で御猪口に熱燗を注ぐ。
「センセイに斬られたのは事実だと思う、が・・・。」
二杯目を飲み干した彼の、つり目が細くなる。
「斬られたのは練習中じゃないな。
御互い正対している時の組手で、君より先にセンセイが
ナイフを抜くのは不自然だ。」
低く静かな上川さんの声が、和式の居間に響く。
相変わらず、鋭い人だな。
私はドンブリ酒を飲みながら、そう思った。
- 100 名前:第九話 終わりから始める者 :02/04/06 07:58
- 確かにセンセイが、私相手に組手をするならば、徒手で充分だ。
仮に私がナイフを持った状態でも、彼女から先に抜かない。
センセイがナイフを抜くのは、彼女の「心」が相手を「敵」と見なした時のみだ。
「思い」で体を動かす人ではない。
私は苦笑しながら、彼に返答する。
「実は、センセイの隙を突いて襲い掛かり、逆に斬られました。」
「・・・不意討ちをして、返り討ちされたのか。」
「そうです。」
各自各々の杯に、熱燗を注ぐ。
私は、ドンブリの中でゆらゆらと光る熱い狂水を、暫く眺めた後
一口啜り、上川さんに向かって話始めた。
「・・・ちょうどあの日は、今日の様に寒い夜でした。」
- 101 名前:第九話 終わりから始める者 :02/04/06 08:08
- ******
センセイのマンション自室にあるロフトに居候し、
早3年目を迎えようとしていた、ある冬の出来事。
可愛い置き時計の針は、きっかり午前一時指している。
私はセンセイと二人で、小さな丸テーブルの周りに腰を下ろし、
14インチテレビに映る番組を見ていた。
番組タイトルは、「カノッサの屈辱」
毎週、海外の奇想天外な番組を放送している。
ほとんどテレビを見ないセンセイが、熱心に見るテレビ番組の一つだ。
今日の内容は、イギリスの放送局が製作した番組で、
某有名な進化論学者の子孫が、何をとち狂ったのか、
エベレストの山頂で茶会をすると言い出し、数十人の召使と友達を連れて、山に登る話である。
ご先祖様に比べ、学が無い事を悟った彼は、誰も無し得ない偉業をしたくて、
この冒険を立案し実行に移した。
ちなみに彼らは、テーブルや食器、着替え一式等を背負って山に登り、
山頂の上で全員正装服に着替え、紅茶を飲んだ。
その時間、約20分。
「この記録は、当分破られないよ。」
吹き荒れる山風を物ともせず、にっこり微笑む某進化論学者の子孫。
当分どころか、誰もこの記録に敢えて挑もうとはしないだろう。
凄い人だ。
- 102 名前:第九話 終わりから始める者 :02/04/06 08:09
- ******
「私に隙が有れば、いつでも襲っていいわ。」
センセイが私の弟子入りを許して戴いた時、そう私に告げた。
私は自分の耳を疑い、彼女の顔を見つめる。
細くて艶やかな黒いショートヘアーを、初夏の風に揺らせながら
白く整った顔に、優しい笑顔を浮かべている。
大人の雰囲気を漂わせつつ、何処か仕草が子供染みている不思議な雰囲気。
澄切った黒い瞳が、私を見ている。
私は少し動揺しながら、センセイに訊いた。
「不意討ちをしても良い、と言う事でしょうか?」
「ええ、そうよ。」
ゆっくり彼女は頷く。
「時間や場所は・・・。」
「クスッ、何言ってるのマルちゃん。不意討ちだから、そんなの関係ないでしょう。」
「手段とかは・・・。」
「貴方ねぇ・・・。不意討ちの意味解ってる?何でも有りなのよ、な・ん・で・も。」
悪戯っぽく微笑みながら彼女はそう言って、私の前を軽やかに歩き出す。
私は、彼女から発せられた言葉を聞いて、頭の中が混乱していた。
時間・場所・手段一切問わない!?
それじゃあ、まるで・・・。
センセイは5歩程歩くと、私に振り返る。
白のGジャンと、デニムのショートスカートが、ふわりと風に舞う。
ウグイス色のTシャツを着た彼女の胸元で、翡翠の勾玉が踊る。
暖かさに満ち溢れたその表情からは、想像し難い言葉が、
小さな唇から流れてきた。
「大丈夫。私は皮一枚しか斬らないから。」
- 103 名前:第九話 終わりから始める者 :02/04/06 08:10
- ******
丸テーブルの左側に、センセイは腰を下ろしている。
少しゆったり目の、白地に薄桃色の縦ストライプ模様が入ったパジャマの上に、
紅いハンテンを着て、彼女は熱心にテレビを見ていた。
女性特有の矢印座りをして、細くてしなやかな白い指を
膝の上にそっと添えている。
時折短い後ろ髪から垣間見える、白い首筋がとても眩く感じられた。
私は台所からツマミを取り、居間へ戻った時、
彼女の背中を見て、強い衝動に駆り立てられた。
隙だ。
私は台所から取ってきたソーセージを、ジーンズのベルトに挟み
右手に握っている物の感触を確かめる。
右手に握られていた物、それはソーセージを切る為に台所から持って来た、
バック社製フォールディングナイフだった。
私は、握っているナイフに内心舌打ちする。
(駄目だ・・・。)
- 104 名前:第九話 終わりから始める者 :02/04/06 08:12
- ******
「どうして駄目だと思ったんだ?」
上川さんが、やや眉をひそめて訊く。
「オープンブレード方式のナイフは、一度ブレードを出してロック
しなければなりません。」
「つまり刃を出している間に、気付かれると言う事か・・・。」
「ええ。折畳み式のナイフは、刃を出す動作が必要になりますから
本来格闘用には非常に不向きです。」
鍋の中にうどん玉を入れながら、彼に説明した。
どんなに優れたオープンブレード機構を備えた折畳み式ナイフでも、
「一挙動」で動作を繰り出せなければ、かなり致命的だ。
どんなに素早く刃を振り出す修練を積んでも、折り畳み式ナイフである以上
この動作を省く事は出来ない。
ナイフ攻撃を捌かれるには、充分過ぎる「間」が生じる。
僅かな「間」は、永遠の「死」に繋がる。
「それが解っていても、か?」
上川さんが、口元をニヤリと歪めて私に訊く。
「はい。あの時の私は、どうしようもない身の程知らずでした。」
私は苦笑いを浮かべて、彼の御猪口に熱燗を注いだ。
- 105 名前:第九話 終わりから始める者 :02/04/06 08:13
- ******
始めての「不意討ち」。
私は、センセイの背後1メートル弱の所で、左膝を床に付け前屈みに座った。
センセイは、小声でクスクス笑っている。
(殺めるのではない。センセイを制圧するだけだ・・・。)
私は目を閉じて、そう自分の心に言い聞かせながら、細くゆっくり口から息を吐く。
全身から力が抜け、体の芯が熱くなる。
体の中から、「思い」が消えた。
そして右親指で、ブレードに触れた瞬間。
「!」
見ている。
私を。
否。
センセイの「思い」はテレビを見ている。
しかし、センセイの「心」は、私を見据えていた。
疑心暗鬼による錯覚では無い事は、自分の体から伝わる体感で解る。
人から意識を向けられた時に感じる、独特の感覚が、全身を駆け巡った。
動けない。
僅かでも指を動かせば、水面に広がる波紋の如く、彼女に伝わる。
動けない。
私の心に、センセイが触れている。
未知の恐怖に、体と魂が激しく震え上がる。
組手の時に感じる緊張感とは、比べ物にならない。
次元が、違う。
- 106 名前:第九話 終わりから始める者 :02/04/06 08:14
私は、激しく後悔した。
ナイフさえ有れば、有利と思った事。
後ろから不意を突いて奇襲すれば、容易く制圧出来ると確信した事。
センセイが私に、不意討ちしても構わないと言う言葉を告げたその意味を、この時ようやく思い知った。
彼女に不意討ちをする事は、彼女の「心」と立ち合う事だと。
私は今、一切の感情や思いを排した、センセイの純粋な「心」と対峙している。
幸福感と恐怖感が激しく入り混じり、体の中でうねり上がり、心が軋む。
目を開く事が、出来ない。
瞼の裏で、瞳を閉じた彼女の幻影を見た。
何故か物悲しそうな雰囲気を漂わせている。
「私を斬るの?」
センセイの寂しげな声が、私の心に響き渡る。
私を包み込むセンセイの氣が、「殺氣」ではなく
「哀氣」だと悟った時。
私は。
心の中で。
絶叫した。
- 107 名前:第九話 終わりから始める者 :02/04/06 08:15
- ******
「そこまで解ったなら、引けばいいと思うが。」
上川さんの半ば呆れ声を聞いて、私は首を横に振った。
「そこで引くのは、センセイに失礼だと思ったんです。」
碗に注いだうどんを食べる上川さんが、意外な顔をする。
私は彼の視線を意識しつつ、言葉を紡いだ。
「私はナイフを握った時点で、センセイに「斬る」意志表示を示しました。
センセイは、私の意志に対し「心」で応じてくれた。
私だけを見つめてくれたセンセイの心に、敬意を払って抜いたのです。」
「・・・確実に返り討ちされると、解っていてもか?」
上川さんは箸を止め、ズルズルうどんを啜る私を、真剣な眼差しで見る。
「・・・私は、知りたかっただけです。」
私はベランダの方に視線を移し、窓から見える星空を見ながら呟いた。
「闇を。」
- 108 名前:第九話 終わりから始める者 :02/04/06 08:18
- ******
「制圧」は撤回だ。
斬る。
閉じていた目を、ゆっくりと開く。
右目から頬に、何か熱い物が流れる。
涙だった。
右手首を素早く振り出す。
「カチッ」
折り畳まれたブレードが、手首の捻りで振り出されてロックした時。
銀光が一閃した。
- 109 名前:第九話 終わりから始める者 :02/04/06 08:19
- 音は聞こえなかった。
痛みは感じなかった。
ただ解っているのは、
彼女が、こちらに背を向けて座ったまま
右手に握った刃渡り10センチ弱のシースナイフを、横一閃させ
私の左眼下に、刃を食い込ませている事だ。
正確には、センセイは右手のナイフで、私の左眼下をナイフで一閃した後、
すぐ手首を返し引き、再び斬った部位に、寸分狂わず刃先を立てている。
私は瞬時に、2度の「死」を味わった。
ジワリと、左眼の下からむず痒さを感じる。
鋼の爪下から、生暖かい血が滲み出て、左頬に流れた。
右手の指先からフォールディングナイフが抜け、床へ静かに落ちる。
自分の顔に刃先を食い込まれたまま私は、右つま先を床に捻り込みつつ、
腰と背中を捻り、センセイの右脇腹へ右横掌底を放つ。
しかし、私の右掌は空を切り、前へつんのめる。
- 110 名前:第九話 終わりから始める者 :02/04/06 08:21
- 「あっ!?」
彼女は左へ身を捻って、私の右掌底を捌きつつ、こちらに向かって後転し、
そのまま私の鳩尾へ、右足を蹴り出した。
「ドスッ」
「ぐううっ!」
彼女の右足、特に踵が私の鳩尾にめり込む。
蹴られた衝撃で、口の中を思いっきり歯で切った。
鉄の味が、口一杯に広がる。
全身から、力が抜けていく。
足元には、逆さまになったセンセイの顔が、苦悶する私を黙って見つめている。
「ピチャッ・・・。」
氷の様に冷たく、無表情な彼女の白い顔に、私の口端から血が滴り落ちる。
彼女の甘い髪の匂いと、口から滴る血の匂いが交じり合う。
鳩尾に蹴り込んだセンセイの右足を、両手で掴み、一気に膝関節を捻り砕こうとした瞬間。
一瞬脱力した彼女の右足が、猛烈にうねり上がり
足裏で円を描きながら、私の鳩尾に「剄」を流し込んた゛。
足裏で掌底打を放たれたと言えば、解るだろうか。
センセイの右足を掴んでいた私の両指は、突然うねり上がった右足の
強烈な縦軸回転に巻き込まれ、ほとんどの指を突き指した。
- 111 名前:第九話 終わりから始める者 :02/04/06 08:22
- 無理も無い。
太いドリルを、素手で握り締めた様なものだ。
手首・肘・肩の関節が、悲鳴を上げる。
鳩尾から螺旋状に流し込まれた力のうねりは、背中まで響き渡った。
体の中身が、内側に凝縮され圧壊する感覚。
「苦痛」を通り越した、形容し難い嫌悪感。
圧倒的な孤独感が、身体の中に広がる。
これが。
闇。
私は意識が朦朧とする中、足元にある彼女の顔面に対し、右掌底を打ち下ろそうとする。
しかし。
鳩尾に捻り込まれたセンセイの右足が、風を斬って跳ね上がり、
私の顎を蹴り上げた。
- 112 名前:第九話 終わりから始める者 :02/04/06 08:23
- 「ゴスッ!」
あれ?
体が言う事を聞かない。
何故?
さっき顎を踵蹴りされたから、脳を潰されたんだ・・・。
・・・呆気なかった、な。
あ、「あの言葉」をセンセイに伝えないと。
・・・喋れない。
そうか。
生きている時しか、喋れないんだ。
・・・。
・・・・・・。
・・・・・・・・・生きたい。
私はゆっくり後ろへ、仰向けに倒れた。
「人を斬るのに、殺気を2回も発したら駄目よ。」
悪戯をした我が子を諭す様な、柔らかい笑みを浮かべて
センセイは私の顔を覗き込んでいる。
「大丈夫よ。何処も潰してないわ。」
良かった。
私は、まだ。
生きている。
そう喋ろうとしたが、ふがふがと口が動くだけで、言葉を発せない。
「まったく貴方って人は、本当にお馬鹿さんね。」
愚かな弟子を見下ろしながら、彼女は慈愛に満ちた顔で微笑んだ。
其処から先は、覚えていない。
- 113 名前:第九話 終わりから始める者 :02/04/06 08:26
- ******
「つまり実戦的修練をしたければ
不意討ちしても良い、と言う訳か・・・。」
感慨深く上川さんは言いながら、御猪口を煽った。
「ただし、覚悟して襲え、と言う事ですね。」
私は台所で作ってきた、板わさをつまみながら答える。
笹かまぼこを少し厚めに切り、筋目を入れ山葵を詰めて、醤油を垂らした料理だ。
これがまた、日本酒に良く合う。
「・・・敵わないから、挑んだのか。」
「ええ。」
上川さんの奇妙な問いに、私は率直に答えた。
本音を言おう。
終わりから始めたかった。
闇の中で、自分がどれだけ足掻けるか。
限りなく絶望的な局面でも、そこから始めようとする心を、私は養いたかった。
その心を持っているセンセイに立ち向かえば、見出せる確信があった。
そして或る時、私は知った。
自分が一人である限り、その境地に辿り着けない事を。
- 114 名前:第九話 終わりから始める者 :02/04/06 08:27
- ******
「・・・石丸、その後不意討ちしたのか?」
板わさを飲み下して、熱燗を啜った上川さんの口から、重く低い声が漏れる。
「はい。」
「また、斬られたのか。」
「斬られました。」
「何か得られたのか?」
上川さんの問い掛けに、私は笑顔で答えた。
「闇の中で踏み出す心を得ました。」
それから8ヶ月後の夏、上川さんは山頂の草原で、私から武術を習い始めた。
第九話 完
- 115 名前:第九話 終わりから始める者 :02/04/06 08:28
- あとがき
何だか、食べ物の匂いが充満した話になりました。
- 116 名前:第十話 無痛のシ :02/04/06 08:32
- もし貴方は、自分の身体をナイフで斬られた時。
どんな感覚を想像されるだろうか。
恐らく大半の方が、「苦痛」を思い浮かべるだろう。
気が振れんばかりの、想像を絶する苦痛。
鋭く尖ったナイフから、そう連想するのも無理は無い。
私は幾度か修練を通して、ナイフに斬られ、刺された事が有る。
だから、はっきり言える。
ナイフで斬られた時は、「無痛」である。
「そんな馬鹿な!」と思われるかも知れないが、事実だ。
良く研ぎ澄まされたナイフで有る程、斬撃時の痛覚は希薄になる。
逆に刃を研いでいない、所謂「斬れないナイフ」で斬り付けられると、
激痛を強いられる。
鈍らな刃が、神経を引き千切るからだ。
無痛の攻撃を与えられる殺傷武器。
これが実に恐ろしい。
- 117 名前:第十話 無痛のシ :02/04/06 08:32
- 何故か?
「無痛」故に、ナイフ攻撃を「知覚」するのは、非常に困難だからだ。
徒手による攻撃は、肉体同士の接触により、受傷診断がし易い。
何処を殴られたり、蹴られたり、折られたりしたかは、相手の肉体が
自分の身体と接触した時に、苦痛として知覚出来る。
苦痛の強弱も、身体のダメージを把握するのに、大きな参考となる。
しかし、ナイフは違う。
腕に生暖かい液体が流れていると感じた時には、手首の動脈を断ち斬られている。
背中に小さな痒みを感じた時には、中枢神経を断たれて首から下が動かせない。
呼吸がし辛いと思った時には、喉を切り裂かれている。
気付いた時には、斬られている。
相手に苦痛を与えず、静かに確実な死を与える。
それがナイフ攻撃。
「ラバーブレード」は、無痛の死と対峙する為に考案された武術である。
無痛の死と対峙する事が、如何に困難か。
今、私と組手をしているユウさんは、心底痛感しているだろう。
- 118 名前:第十話 無痛のシ :02/04/06 08:34
- ******
「カァン!」
私が突き出した硬質ラバーナイフの先端が、ユウさんのスーパーセーフ面に当たり、
昼下がりの稽古場に、甲高い快音を響かせる。
眼から脳へ貫く、刺突攻撃。
失血性意識喪失までの「残り時間」を数える迄も無い。
即死だ。
「刺突攻撃は、左右に身を捌く。」
「はい!」
淡々と静かな私の声に、凛と返事をするユウさん。
私は彼女がナイフを凝視した時、刺突攻撃をしている。
正面から一直線に突き出される刺突攻撃は、点から点に動く攻撃動作故に
遠近感が非常に捉えにくい。
ナイフを凝視すると、自分自身に錯覚の暗示を掛けてしまう。
それを戒める為に、彼女がナイフだけに意識を捕われた時は、
目視では距離感が計り辛い「刺突攻撃」を、遭えて繰り出している。
- 119 名前:第十話 無痛のシ :02/04/06 08:35
- 「ナイフが動き出してからでは、間に合わないです。
私がナイフを振る直前に放つ「気」を、感じ取って捌きなさい。」
「はい」
凛としたユウさんの返事が、私の耳を打つ。
「眼は、私の眼に視点を定め、全体を見る様に視野を広くして下さい。
まずは、脱力しましょうね。」
笑顔で彼女に声を掛けながら、私は目の前で両手を回した。
ユウさんも苦笑しつつ、両手をくるくる回して、深呼吸を繰り返す。
体から不安を吐き出す様に、細く長く口から息を吐く。
彼女の呼吸はかなり荒く、中々息が整わない。
少し膝が震えている。
無理も無い。
稽古中の怪我を治療する為、暫くの間彼女は稽古場に来れなかった。
ちなみに今日は、1ヶ月振りの練習初日である。
ナイフ対徒手組手に置いて、徒手側は精神力・体力等を、かなり酷使する。
ナイフから発せられる殺気を久し振りに浴びて、ユウさんの精神は激しく疲弊していた。
精神が消耗する事で、以前より落ちた彼女の体力は、更に磨り減っていく。
(気持ちの上では大丈夫そうだが、心はかなり疲れているな)
(もう少し手加減してみるか)
私はユウさんの胸中をそう察していたが、
彼女は別の想いに、身を焦がしていた。
- 120 名前:第十話 無痛のシ :02/04/06 08:36
- ******
(なんで捌けないのかなぁ!)
絶望の闇より黒い硬質ラバーナイフを握り、
目の前で茫洋と立っている熊男を一瞥しながら、
ユウさんは、己自身に苛立っていた。
ナイフを突き出される前に発せられた「気」は、感じ取れた。
何処を刺されるのか、身体に刺さった殺気で解っていた。
刺突攻撃を、円捌き・体捌きしつつ徒手攻撃する術は、知っていた。
頭では全て理解しているのに、何故身体が動かないか、彼女は知っている。
「思い」を強く抱いている故に、自らの「心」を「思い」で縛っているからだ。
そこまで自覚しているから、尚更悔しい。
(暫く稽古を休んでいたから、体力が落ちている。)
(型練習もしていなかったから、自然と身体が動かないっ。)
(相手の動きが、速い)
(間合いが、わからない )
胸の中から湧き出るユウさんの「思い」が、己の身体を石化させてゆく。
- 121 名前:第十話 無痛のシ :02/04/06 08:38
- やがて全身が石になろうとした時。
(久々に組手が出来て嬉しい。)
(嬉しいけど・・・。)
(何か、違う)
石化した体に、小さなヒビが入る。
(体を動かしに来たの?いいえ違う)
(武術の練習?それも有るけど、違う!)
全身を包み込んでいた石の肌に、無数の亀裂が入る。
(ワタシは、守りたいから、ここにいるんだ!)
体を覆っていた石の肌が、四方に砕け散る。
彼女から、「思い」が消えた。
- 122 名前:第十話 無痛のシ :02/04/06 08:39
- ******
何故ユウさんは、必死になって「無痛の死」と対峙するのだろう。
片目を潰され、幾本の指を落とし、腹を裂かれ、止めど無く流れ落ちる
己の血をイメージしながら組手をしてまで、何故生きる努力をする?
なぜ、そう迄して生を欲する?
彼女自身も、その答えを中々見出せない性か、苛立ちが空気を通して
こちらに伝わって来る。
仕方ない。
攻撃動作・速度を、一般刃物犯罪者レベルに下げ、徐々に組手進度を上げるか。
「「お願いします。」」
互いに礼をし、組手を開始する。
(ナイフは腰に差しておくか・・・。)
一般刃物犯罪者は、衣服からナイフを取り出す場合が多いので、
状況を近づける為、腰のベルトにラバーナイフを差し込もうとしたが
中々旨く入らない。
(くっ、どっか引っ掛かってやがる!)
右手を腰に回したまま、私は心の中で毒づいた。
腰のベルトへナイフを差し込む作業に、没頭していた私は、
ユウさんから伝わる心の変化を、完全に失念していた。
彼女の体が、ゆらりと動いた。
- 123 名前:第十話 無痛のシ :02/04/06 08:40
- ******
気付いた時には、すでに彼女が一歩踏み出した時だ。
体から力みは、感じられない。
空氣の流れに乗る様に、風の如き速さで歩を進め
瞬時に間を詰められた。
(綺麗な歩だ・・・。)
思わず見惚れてしまった。
次の瞬間。
「ドスッ!!」
軽量ボディプロテクター越しに、衝撃「刃」が体に伝わる。
鳩尾には、ユウさんの右縦拳打がめり込まれていた。
鳩尾の筋肉は痛くないが、胃が揺れている。
(脱力から発力の拍子が、以前より合い始めているな。)
(力の集束率も上がっている・・・。驚いたな。)
ユウさんは両足を肩幅強に開き、中腰姿勢で右半身をこちらに向け、
私の鳩尾に拳を埋めたまま、鋭い眼差しで私を睨んだ。
「思い」が消え、深く澄切ったユウさんの目。
焦り・怒り・苛立ち・怯えの色は、無い。
良い眼だ。
「もう始まっています、待てません!」
彼女の強くはっきりした声が、夕日に赤く染まった稽古場を打つ。
暫し静寂が過ぎた後、私は口を開いた。
「ええ、始まってます。良い撃ちでしたよ。」
私はシールド越しに苦笑しながら、正直な気持ちを彼女に伝えた。
無言で礼をし、元の位置に戻るユウさん。
静かに彼女を見据えながら、私は決断した。
- 124 名前:第十話 無痛のシ :02/04/06 08:42
- ******
良い「心」だ。
1ヶ月も空白があったのに、無意識状態で、あんなに良い
動きが出来るとは。
あれほど心を濁していた「思い」も振り払っている。
「制圧」してみるか。
通常の「硬質ラバーナイフ」対「徒手」自由組手では、
ナイフ側である私が、徒手側の致命傷部位を、硬質ラバーナイフで的確に攻撃して
失血性意識喪失までの「残り時間」を宣告し、徒手側はその「残り時間」を精一杯使い、
私に反撃又は回避する。
「制圧」の場合は、「残り時間」を徒手側に宣告するまでは、通常時の組手と変わらない。
大きく違うのは、私が徒手側の体を床に組み封じる事だ。
立ち回る暇を一切与えず、素早く徒手側の体を封じつつ床に押し付け、
重要致命傷部位に硬質ラバーナイフを一閃する。
ナイフと徒手の同時攻撃に、組み付き・足払いが加わる。
まだユウさんには、「制圧」への対処はかなり難しいだろう。
しかし今の彼女の「心」なら、更に何か見出せそうな予感がした。
よし。
ユウさんを制圧しよう。
- 125 名前:第十話 無痛のシ :02/04/06 08:43
- ******
「「お願いします。」」
互いに礼を交わした後、私は右半身を後ろに引いて
中腰に構えつつ、右腕を肩から水平に、真横へ伸ばした。
ラバーナイフは握らず、グリップエンドの穴から通した黒いゴムバンドの輪を
手首に掛け、ナイフを垂らしている。
左手は下ろしたままだ。
1.5メートル程の間合いを取り、右半身を引いて油断無く構えるユウさん。
「ビュッ!」
私は右手首を素早く捻り、ラバーナイフを一回転させて握る。
ラバーナイフが空に回転した時、彼女は一瞬踏み込もうとした後ろ足を、
その場に押し留めていた。
(良し。引っ掛からなかったね。)
この時私は、初撃でナイフを使おうとは考えていなかった。
凶器が握られる僅かな隙を突いて、突進して来る相手に、
徒手でカウンター攻撃を入れようと、右手のナイフを宙にぶら下げて誘ったのだ。
右腕を真横へ伸ばしたまま、ラバーナイフの刃を下に向け、腰の高さに構える。
左手を腰に添えながら、彼女との間合いを摺り足で計る。
ユウさんから、冷たい風が漂ってきた瞬間。
私の右後ろ足が跳躍し、彼女が踏み出すであろう、右後ろ足の膝関節に
「崩脚」を放った。
鞭の様にしなる槍の如く、私の右足踵が、ユウさんの膝関節を踏み砕くべく
突き出される。
- 126 名前:第十話 無痛のシ :02/04/06 08:44
- 「ゴッ!」
互いの踵が、ぶつかり合い、鈍い打撃音を立てた。
私の崩脚を察知したユウさんが、崩脚で蹴り返している。
崩脚を放ちつつ間合いに踏み込んだ私は、下から上へ半月を描きながら
ラバーナイフを跳ね上げた。
ユウさんの右太腿内側にある血管と、右頚動脈へ刃先を一閃するが
咄嗟に半歩後退され、「予想通り」空を切った。
- 127 名前:第十話 無痛のシ :02/04/06 08:46
- 我が刃は、無限に連なる円の如く。
足元から彼女の顎下まで、半月を描く様にラバーナイフを跳ね上げ、
そのまま胸元まで弧を引き、目の前に構え出しているユウさんの
両手首内側を、左から右へ朱虹を描く様に、刃を一閃した。
彼女の右手手首内側に刃筋を立て、下から上に押し斬り、
そのまま半円を引きつつ、左手首内側を上から下に引き斬る。
幻影の血が、私の右手を温かく濡らす。
鉄錆臭い血の匂いが、鼻を突く。
右手首は動静脈両断・関節筋断裂により指先可動不能。
左手首への斬撃は、浅い。
動静脈は断ち切ったが、関節筋まで刃が達していない。
彼女の左指は、まだ動ける。
私はユウさんの左手首を引き斬りつつ、そのまま刃先を
彼女の左脇腹へ刺し込もうとした。
「「タァン!」」
私の右手首を、上から縦円を引いて振られたユウさんの左手で
円捌きされつつ掴まれたのと、彼女が私の顔面目掛けて放った右縦拳打を、
外から横円を描く様に左手を振り、円捌きしつつ手首を掴んだのは、ほぼ同時だった。
ユウさんの右手首からは、幻影の血が流れ出ている。
斬撃した傷口から、白い筋が見える。
心臓より高い位置の御陰で、出血の勢いは弱い。
生暖かい血が、左手の中でヌルヌル滑り
とても掴み難い。
経験上、如何しても錯覚してしまう。
- 128 名前:第十話 無痛のシ :02/04/06 08:47
- (良し。肝臓への刺突を捌けたな。)
(惜しいのは、右手だな。)
(手首を掴まれても、まだまだ君の体は動けるぞ。)
ユウさんが私の右手を引いた時、
左後ろ足を、彼女の右前足脛裏に踏み進む。、
左手で掴んでいたユウさんの右腕を、彼女の左顔面に押し付けて
そのまま床へ仰向けに倒した。
「ドサッ」
床に接地する瞬間、後頭部と背中を強打させぬ様、右腕を引いて
ショックを和らげる。
「バサッ!バサッ!バシッ!!」
床に組み伏せられ、ユウさんは必死になって手足を振る。
ユウさんの右腕を真っ直ぐ伸ばした状態のまま、彼女の左顔面に押さえ付けつつ
左半身を床に押し封じているので、ユウさんの左拳打は元より両足の蹴りは
関節が曲がる方向上、私の体に届かない。
私はゆっくりと、ユウさんの喉元にラバーナイフの刃先を当てた。
「ピタッ」
「死亡です。」
物静かな私の声が、彼女の耳元に小さく響いた。
- 129 名前:第十話 無痛のシ :02/04/06 08:48
- ******
「あ゛ーっ!金的蹴りが入れられなかったぁ!!」
地団駄を踏んで悔しがるユウさんに苦笑しつつ、私は床に寝転んだ。
先程、ユウさんが組み伏せられた姿勢を取る。
「この状態で幾ら足を振っても、「外側」には曲がりません。」
私の説明を訊きながら、彼女は真剣な目付きで頷く。
「この様に右足を伸ばして、一旦内側へ振って・・・。」
「振った反動を利用して、腰から捻りつつ、後ろ回し蹴りを放つ!」
そう言いながら私は、床に寝た体勢から勢い良く、後ろ回し蹴りを放った。
「組み伏せた相手は、ナイフで致命傷部位を攻撃しようと
接近して来ます。
その時、脇腹を狙って踵を蹴り込めば、暫く相手は行動不能に陥ります。」
「わかりました。」
「本日は久々の稽古にも関わらず、良く頑張られました。
本日の稽古はここまで!」
「「有難う御座いました」」
- 130 名前:第十話 無痛のシ :02/04/06 08:50
- 互いに礼を交わし、面を取る。
ユウさんが、やや困惑した表情を浮かべている。
「どうかしましたか?」
「さっきの場合、石丸君だったら如何するの?」
「足で首の骨を砕きますが。」
「ナイフは使わないの?」
ユウさんの問い掛けに、暫し腕組みして考える。
「・・・面倒臭いですから。」
苦笑いしながら、頭を掻きつつ答える。
ナイフを使うよりも、素早く威力が強い技が出せれる状況ならば
武器に固執しない。
人体には人体の攻撃が、最も有効だと言う事を、私は知っているから。
私の返答を訊いたユウさんは、いつもの笑顔に戻った。
「それを聞いて安心した。」
「どうしてですか?」
「組み伏せられた時、首を踏み砕かれる錯覚に襲われたから。」
「・・・。」
トントントンと階段を上がっていく彼女の、小気味良い足音が
階下に心地良く鳴り響く。
「心に触れる事が出来たのかな・・・。」
私は内心嬉しかった。
- 131 名前:第十話 無痛のシ :02/04/06 08:51
- ******
日没が、日を追う毎に早くなる。
沈み掛けた夕日が差し込む私の居間で、
ユウさんと一緒に、アイスコーヒーを飲みながら一服していた。
「私は武術を体得する為に、人間らしさを無くしたかも知れない。」
「・・・充分人間味有ると思うけど?」
私の唐突な発言に、ユウさんは怪訝そうな顔をする。
「う゛ーん。「今」は山盛り有りますけどね。」
私は笑みを浮かべながら、腕組みして天を仰ぐ。
やがて視線をユウさんに戻し、穏やかな口調で話始めた。
「人を殺める技術を高める事だけに心を奪われると、人が生きて行く上で
最も大切な想いを失います。
その想いが無ければ、どんなに生き延びても孤独で虚しいだけです。」
過去の思い出が脳裏に溢れ出で、混濁する。
やや気まずい静寂は、ユウさんの明るい元気な声で、打ち破られた。
「難しい事は、よくわかんないけど
今教えてもらっている武術は、自分と大切な人達の命を
守る為に使えれば良いと思ってます。」
- 132 名前:第十話 無痛のシ :02/04/06 08:52
- 彼女の言葉を聞いて、私は驚きを隠せなかった。
私が武術を通して伝えたかった大切な事を、言ったくれたからだ。
そんな私の顔を見ながら、照れ臭そうに苦笑するユウさん。
「大切な人達と一緒の時に襲われて、自分だけ逃げ出したくないから・・・。
その為に強くなりたいから、武術を習いたい。」
彼女の強い決意を現す、澄んだ言葉。
「その想いを大切に抱いて修練すれば、きっと幸せになれますよ。」
自分の命だけを守る為に生きる事は、非常に孤独且つ虚しい。
大切な人達の命を守ろうとする心が、生きる力を強くする。
ユウさんは、その心を見出していた。
今の彼女なら、強く生きる事ができ、安らかに死ねるだろう。
人との絆を命懸けで大切にする者は、孤独な死を迎える事はない。
第十話 完
- 133 名前:第十話 無痛のシ :02/04/06 08:53
- あとがき
ユウさんの稽古復活記念に書きました。
これからも宜しくお願いします。
- 134 名前:第十話 無痛のシ :02/04/06 10:18
- >>7 :印知己先生 :02/04/03 23:39
>師母タンって本当にミニスカ美女なの?。
>師母タンは、本当に3M級の巨女なの?。
>気になるっす。
>でも、痛すぎて、しっかり読む事ができないんで、調べられない・・・・。
>>28 :印知己先生 :02/04/04 01:06
>かっこ良い。
>俺もラバブやりたくなっちゃうよ。
>妄想の方法の参考になります。
>>60 :印知己先生 :02/04/04 23:44
>たしかにコレは武道板よりココ向けですな。
>細身の女が八極できる訳ナイナイ。
>>95 :印知己先生 :02/04/06 00:57
>ナイスです。
>ラバブ最高!。
印知己、オマエウザイ。
- 135 名前:第11話 流れる円の如く :02/04/06 10:21
- 「円捌き」
当武術教室の修練に置いて、最も重視している体術の一つである。
全身を脱力し、両手で空に円を描き、ナイフ・徒手攻撃を瞬時に捌く。
防御と攻撃を、同時に兼ね備えた術。
それが、「円捌き」
1999年11月最後の土曜日。
冷たい冬の山風が吹き荒れる野原で、
上川さんは、「円捌き」を体得する糸口を見出すべく、
私と対峙していた。
- 136 名前:第11話 流れる円の如く :02/04/06 10:22
- ******
ヒュゴォッ
市内から程近い、山の山頂に開けた野原の上を
冷たい山風が唸り声を挙げて、駆抜ける。
二人の男達は、沈み往く夕日を浴びながら、
互いに両手を下ろし直立したまま、5メートル程間合いを取って、
対峙していた。
私は腰のベルトに、硬質ポリカーボネイトナイフを差し込み、
茫洋とした雰囲気を漂わせながら、上川さんを見据えている。
ナイフと同じ素材で出来ているゴーグルを掛け、
黒のタンクトップに、黒のカーゴパンツ、
足元にはコマンドブーツを履いていた。
冬の山頂では、かなり辛い格好だが、
肌が露出している程、感覚が鋭敏になり、
空氣の波動や気配採りがし易いので、敢えて薄着をしている。
両上腕の外側に幾本か走っている、朱色の線。
上川さんから斬られた、浅い斬り傷だ。
以前に比べ、少しづつではあるが、
彼が「刃引き」を理解し始めて来た証拠でもある。
踏み込み、各部の捻り、呼吸、脱力・発力、絞り込み、刃入れ、斬撃部位、角度等
未熟な点を挙げればきりが無いが、刃引きする事を、
体で理解し始めただけでも、大きな成長だと思った。
- 137 名前:第11話 流れる円の如く :02/04/06 10:23
- 上川さんは、吹き荒れる風に身動ぎ一つせず、静かに立っていた。
大きな男だ。
身長180センチ、体重90キロの巨体は、
日々水泳とウォーキング、型練習等で鍛え上げられている。
鈍重そうな外見と裏腹に、筋肉の柔軟性、動作の速度等はかなり良い。
以前柔道をされていた事もあり、機動力も申し分無い。
彼の服装は、カーゴパンツが深緑色である以外は、ほぼ私と同じ格好をしており
右腰には、私が武術指導初期の頃に使用していた、硬質ABS製ナイフを下げている。
後ろで結んだ彼の髪が、山風に煽られ、激しく振り乱れている。
ややつり目気味の両眼に、焦りと緊張の色を湛えながら、
私の眼を見ていた。
(頭では解っているが、「思い」が先立って、体から先に動けん!)
彼の心声が、荒れ狂う山風に乗り、私の心に吹き付けられる。
両腕と胸には、掌程の大きさをした青紫色の内出血痕が、浮き出ている。
私から円捌きされた時に生じた痕だ。
力は極力込めず、やや勢いを載せた位で加減したのだが、
接触時の発力を殺す事が出来ず、痣を付けてしまった。
頚動脈部と両手首内側の皮膚には、私がナイフで斬った時に作った
朱色の斬撃線が幾本か走っている。
御互い無言のまま、暫し見据え有っていた。
- 138 名前:第11話 流れる円の如く :02/04/06 10:24
- ヒュゴォォッッ!!
冷たい白刃を思わせる山風が、一際高い咆哮を上げた後、
私は凍てついた唇を開いた。
「最後の組み手です。」
「はい。」
淡々とした上川さんの返事が、風に巻き上げられ夜空に吸い込まれる。
山の木々と紅い空に傍観される中、
この野原で行なう、最後の組み手が始まった。
- 139 名前:第11話 流れる円の如く :02/04/06 10:25
- ******
山で修練出来る事は、非常に有り難い。
木や草花、川など、自然が豊富にある環境で
型練習や組み手をする事により、体に純粋な氣を採り入れ
体内の氣の循環を良くし、心身共に活性化を促せるからだ。
綺麗な氣を呼吸する事で、濁った氣を体内から放出し
鈍っていた感覚を研ぎ澄ませられる。
柔らかい土の上で組み手をすれば、いざ転倒しても
体への衝撃を緩和出来る。
敢えて修練場所に山を選んだ理由は、二つある。
一つは、屋外を想定した間合い採りの修練に、最も適していたからである。
屋内で武術・武道等の組み手をする間合いと、屋外での間合いを比べると
約30センチ以上の「空間錯覚」が生まれる。
屋内組み手では、相手に手足が届いていたのに、
屋外では空を切って中々当たらない、
または相手に当てても、力を込めるまで至る事が出来ないのは、
この「空間錯覚」が主な原因である。
格闘修練者が、街中で絡んできた暴漢に対し、
日々の成果を発揮出来ず遅れを取りがちなのは、
屋外での喧嘩経験を積んでいる暴漢が、
屋外の間合いを身に付けているからだと、私は考察している。
故に私は、型の独修練や一人組み手をする時、室内稽古場も含め
山や河川敷、自然公園等の屋外で行ない、
屋内外両方の間合いを、日々心身に擦り込んでいた。
- 140 名前:第11話 流れる円の如く :02/04/06 10:26
- ならば何故、山を下るのか?
答えは、寒いからである。
ここは12月に入れば、路面が凍結する位、急激に冷える。
練習の帰り道、凍結した路面を滑って、崖下に転落したくないのが、正直な理由だ。
山を選んだ二つ目の理由は・・・。
その理由を彼が見出せれば、円捌きは出来ると私は確信しているので、
まだ伏せて置こう。
出来れば、山を下る今日の組み手で、気付いて欲しい。
黒土が広がる野原は、夕日に照らされ
乾いた血を思わせる色彩を浮かべている。
これから始まる組み手の行方を、予感させるかの様に。
- 141 名前:第11話 流れる円の如く :02/04/06 10:27
- ******
二人の男達は、ゆっくり一歩歩み出た。
何気なく、ごく自然に。
ジャリッ
私は死を教えるために。
ジャリッ
彼は生きるために。
ジャリッ
次の瞬間
終わりを告げる者と、終わりから始める者が
疾駆した。
- 142 名前:第11話 流れる円の如く :02/04/06 10:28
- 上川さんの右手が、腰のナイフへ伸ひだ時、
私は彼の右後ろ足へ、右足を蹴り出しつつ、
左手で、縦円を描く様に振り出し
ナイフのグリップを握った彼の右腕を、掴み押した。
ゴッ
前へ踏み出された上川さんの右足脛に、私の右踵をめり込ませ
そのまま足を踏み封じつつ、
右掌で彼の鳩尾に、縦掌底打を放つ。
グッ
上川さんは、右手をナイフから離して、私の左腕を掴み引き、
左上腕で鳩尾を庇う。
私は、左へ身を引き摺られる流れに乗りながら、
右掌の軌道を鳩尾手前から、彼の顎下へ、円を描いて跳ね上げた。
ビュッ
バシイィッッ
顎を砕かれまいと、私の右頭部へ、左掌底を横薙ぎに振り出す上川さん。
- 143 名前:第11話 流れる円の如く :02/04/06 10:29
- 「捌けぇ!」
怒声と一緒に息を吐きつつ、
私は右手で、彼の左上腕内側を、横円捌きした。
その際、腕のツボに、氣を込めた裏拳を叩き込んだ。
暫くの間、上川さんの左腕は、痺れて動かせないだろう。
裏拳を当てたまま、右手の中指第二関節を突き出し
彼の左腕から左太腿のツボへ、半円を引く様に打突を放つ。
バシッ
上川さんの左膝蹴りが、私の右拳に蹴り出された。
私は指を潰すまいと、咄嗟に掌を開き、彼の膝を受ける。
右掌から伝わる力の流れから、彼が膝蹴りから
右脇腹へ、中段回し蹴りを放つ事を察知した。
ビュオッ
男達の間で、風が渦を巻いた。
- 144 名前:第11話 流れる円の如く :02/04/06 10:31
- ******
私は、彼の右前足外側に踏み出していた右足を軸にして、体を回転させた。
彼の左中段回し蹴りが、左脇腹を僅かに掠める。
そのまま彼と自分の背中を合わせる様に、体を回り込ませ
その勢いを左肘頂点に集束し、
上川さんの左脇腹を突いた。
ゴリ゛ッ
咄嗟に彼は、左腕で脇腹を守ったが、
肩と肘の中間部に、私の左肘が深くめり込み、嫌な音を立てた。
「円を線で受けるな」
上川さんと背中合わせのまま、静かに指摘した時、
私の股間へ彼の左踵が、蹴り上がる。
パン
股間へ蹴り出された上川さんの左踵に、
上から右手で掌底を撃った後、右腰からナイフを抜く。
右足を軸に、上川さんの左前へ一気に回り込んだ瞬間
彼の口へ、ナイフを一閃した。
左上下腕は、先程の加撃で麻痺し、垂れ下がったまま動かない。
彼の右腕が動き出した時、
私のナイフは上川さんの口元間近だった。
- 145 名前:第11話 流れる円の如く :02/04/06 10:33
- 捌け
心の中で、彼に叫びながら
死神の羽根を走らせた。
******
ギガガッ
「ぐぐごお゛っ!!」
私が放ったナイフのエッジは、
上川さんの食い縛る「歯」に受け止められていた。
刃先が前歯の上を滑り、歯茎に食い込み、
口の両端から血を流しながら、
咆哮を上げている。
- 146 名前:第11話 流れる円の如く :02/04/06 10:34
- 彼の意外な反応に、内心感嘆した。
私が予測していた彼の回避行動は、
後退または、額で受けると考えていたが、
まさか歯で受けるとは。
彼の目は、怒気を帯びて居らず
静かな色を湛えていた。
良い顔だ。
彼は、歯でナイフを受けたまま、私の左側頭部へ、
右上段回し蹴りを放った。
鞭の如く蹴り出された彼の右つま先が、
風を切り裂く。
- 147 名前:第11話 流れる円の如く :02/04/06 10:36
- 「ナイフ使いにぃ!」
私は怒声を上げつつ、半歩擦り進み、
左手で外側に縦円を描きつつ、彼の右足を掲げ上げ
眼下から鋼の牙を一閃し、
右アキレス腱を断裂する。
「腰上の蹴りをっ!」
上体を落とし、彼の右足首を左肩に担ぐ。
「放つなぁっ!」
上体を一気に上げ、肛門へナイフを跳ね上げた時。
- 148 名前:第11話 流れる円の如く :02/04/06 10:38
- ビュオッ
上川さんの巨体が、宙に舞った。
彼は左足を、私の頭に蹴り出しつつ、
私の首を両足首で挟み、
空中で、体を右に捻ろうとした。
後にこの技は、柔道技で「カニバサミ」と呼ばれ、
彼が最も得意としていた技の一つで有る事を知った。
私はナイフを握っている右人差し指と中指の、第二関節を突出し、
彼の左太腿外側にあるツボへ、「打突」を撃った。
首を挟み込む左足首の力が、急に緩む。
ドサッ
シャッ
上川さんは受身を取って地面に着地しつつ、右手で腰のABS製ナイフを抜く。
私は地面から立ち上がり構えたが、片方の足を麻痺させたとは言え、
最後まで頭を上川さんの両足で挟まれたまま、
地面に叩きつけられたので、脳が激しく揺れていた。
視界も波打っている。
ナイフを持って構えている彼の姿が、まるで蜃気楼の様に
ゆらゆら揺れていた。
- 149 名前:第11話 流れる円の如く :02/04/06 10:40
- バシッ
ナイフ攻撃を繰り出した上川さんの右手を、
左手で横円捌きすると同時に、
彼の手甲に、左掌底を叩き込む。
左手で彼の右手を掴み、
左小指をナイフで斬りつつ、空に銀円を引いて
右頚動脈に刃先を走らせた。
円の流れを感じ取れ。
真心を込めて、刃を一閃させる。
その時
彼の心に
想いが届いた。
パシッ
彼は私の右腕に、左掌で触れ
そのまま私の右腕を斜め右上に上げ、
ナイフを握った私の右手を、左肩後ろへ回し封じた。
その動き、円を描く如く。
これが、円捌き。
- 150 名前:第11話 流れる円の如く :02/04/06 10:41
- 上川さんは、右手を掴まれたまま、一歩踏み込み
私の鳩尾へ右肘撃ちを放った。
「バシッ」
「ギシイィッ」
素早く手放した左手で、彼の右肘に円捌きをしたが捌ききれず、
右肋骨で受け止めた。
骨が悲鳴を上げて、軋み音を上げる。
激痛が全身を駆け巡るが、内心湧き上がる嬉しさで痛みを忘れた。
「よく円捌きが出来ました。今日はこれまで!」
数歩離れて、互いに礼を交わす。
「「有難う御座いました」」
山の向こうに夕日が沈み、綺麗な星空が私達の頭上を覆っていた。
- 151 名前:第11話 流れる円の如く :02/04/06 10:43
- ******
辺りが闇に包まれる中、足元を特大のマグライトで照らしながら
二人共、服を着替えていた。
「上川さん、口、大丈夫ですか?」
「ああ、問題無い。」
フライトジャケットを羽織りながら、無表情に返答する。
かなり問題有りそうだか、本人がそう言うなら
何も言えない。
暫くして、彼の口が開く。
「何故、口内から頬を斬り破らなかった.?」
「意味がありませんでしたから。」
「そうか・・・。」
彼は深く頷いた。
- 152 名前:第11話 流れる円の如く :02/04/06 10:44
- 「今日は円の動きが出来て、良かったですね。」
私はM-65フィールドパーカーに袖を通しつつ、
笑顔を浮かべて、彼に声を掛けた。
「ああ、やっと体が解り始めて来た。それと・・・。」
「それと?」
「君が何故、この場所を選んだ理由が解った。」
丸眼鏡越しに見える彼の目は、ゆっくり周囲を見渡していた。
「流れるはそよ風の如く、撃つは疾風の如く。
絶えず続く円の様に・・・。」
私が以前、上川さんに言った言葉が、
彼の口から流れ、夜空に巻き上がる。
私に視線を戻し、次の言葉を紡ぐ。
「 ・・・ここは、自然の流れを感じ取る稽古場だと
さっき気付いたよ。」
感慨深く、静かに語る彼の声を聞いて、
私は表情を綻ばせた。
「解って戴けて、有り難いです。」
- 153 名前:第11話 流れる円の如く :02/04/06 10:45
- 二人の間を、一層冷たくなった山風が走り抜ける。
私は月が放つ銀光に照らし出された、山頂の野原に声を掛けた。
「さようなら。始まりの場所。」
私達へ、見送りの手を振るかの様に、
周囲の木々や草花が、風に揺れた。
自然の流れを教えてくれて
ありがとう。
第十一話 完
- 154 名前:第11話 流れる円の如く :02/04/06 10:46
- あとがき
現在の当教室では、とても生徒さんに出来ない修練です。
出来れば本身を用いて組み手をした方が、短期間で感覚の鋭敏化を、
飛躍的に促進させられるのですが、互いに社会人故、内容をかなり落として指導致しました。
- 155 名前:第11話 流れる円の如く :02/04/06 10:49
- 今から数年前。
ある寒い冬の夜に起きた、哀しい出来事。
******
当時、私は損害保険代理店を設立し
外回りに奔走していた。
その日、私は顧客さんが住むマンションを訪ねていた。
ごく最近建てられた、最新型マンションは
外観・内装全てに置いて、贅沢に作り込まれている。
顧客さんとの話を終えて退室し、エレベーターで総大理石作りの玄関ホールに降りた。
ホテルを思わせる様な、広いホールを歩くと、
オートロック式の大きな強化ガラスドアに辿り着いた。
そこから更に、広さ十畳程の通路を渡ると
玄関が有り、外に出られる。
- 156 名前:第12話 実戦 :02/04/06 10:51
- ガシュッ
オートロック式のドアが、左右に開く。
正面は壁、左角に集合ポスト、右側奥に全自動ドアがあり
そこを抜ければ、外に出られる。
私は右へ行かず、左角にある集合ポストの方へ歩く。
実は二人の顧客さんに用事があったのだが、もう一人の方は不在だったので
書類を投函しようと思い、ポストに向かった。
右肩から下げたショルダーバックから、封筒を取り出した時、
右手奥の自動ドアが開いた。
ガシュッ
タッタッタッ
小気味良い、軽快な足音を響かせつつ
一人の少女が私の右隣で立ち止まり、自分の郵便受けを開けている。
歳は小学校高学年だろう、背中には最近見かける汎用ショルダーバッグを
背負っている。
クセの無い黒髪は、首筋で結わえられ、小さな尻尾を作っている。
黒くて大きな瞳。
白のターセルネックに、インディゴブルーのGジャン・Gパンを着て、
明るい白青のスニーカーを履いていた。
顧客さんのポストに封筒を投函した際、右隣に立つ少女と目が合う。
「こんばんわ!」
「こんばんわ」
今時珍しく挨拶をした少女に、私は笑顔で返した。
そのまま、右手奥の玄関ドアへ行こうとした時。
一組の若い男女が、玄関の自動ドアをくぐって来た。
二人共、紺色のスーツを着ており、一見すると営業回りの会社員に見えるが
漂ってくる雰囲気は、尋常では無い。
- 157 名前:第12話 実戦 :02/04/06 10:52
- 第十二話 実戦 は>>155から
- 158 名前:第12話 実戦 :02/04/06 10:54
- 私は、小さな白い溜息を吐いた。
かんべんしてくれよ。
******
私が少女の前に出ようとした時、一組の若い男女が玄関の自動ドアを
くぐり、素早く左右に展開した。
動きが良いな。
左角には身長180センチ弱・90キロ程の男が、左内懐に右手を入れながら構え、
右角に背を付けた平均体形の女性は、右手で二連装式催涙ガス銃を構えたまま、
スーツのポケットに左手を入れていた。
彼女の左ポケットに入っているのが、ビスケットでない事は断言できる。
頼むから、こんな狭い所で使うなよ。
- 159 名前:第12話 実戦 :02/04/06 10:55
- 男が右手で取り出そうとしているのは、特殊警棒だろう。
ただ単に抜いて、そのまま使える道具なら、利き手の腰周りに携帯している。
左肩の下がり具合等から見て、全長60センチ強の物か。
かなり場数を踏んでいる性か、表情は至って冷静。
歩の動きから見て、かなり柔をしているな。
それに比べて・・・。
女性の方は、かなり危ない状態だ。
右手を私の方へ真っ直ぐ伸ばし、最新型催涙ガス銃を構えているが
銃口が小刻みに揺れている。
しっかりした装備と訓練は受けている様だが、実戦経験は
少ないようだ。
と言うより、今回が初めてではなかろうか。
指が白くなる程、グリップを強く握り、今にも引き金を引きかねない。
黒髪をポニーテールした薄化粧の顔は、極度の緊張で蒼白している。
相棒の男性も、彼女の異変に気付き、焦り始めた。
もう暫くしたら引き金引くな、間違い無く。
お腹が空いた。
- 160 名前:第12話 実戦 :02/04/06 10:57
- ******
熊が悶絶する程の強力な催涙ガス銃を構えている、彼女の顔を見た。
極度の緊張感で張り詰めた彼女の神経は、僅かな物音一つで充分切れそうだ。
彼女にとっては、初めての実戦であろう。
自分の中で、急激に緊張を高めていた。
左角で構えている男は、半分焦りの表情を浮かべたまま
私と相棒の女性を、広角視野で見据えている。
私は頭が大きい割には、大福の様に皺が無くて小さい脳を、フル回転させた。
恐らく目の前にいる男女は、少女の身辺警護を依頼された業者だろう。
玄関をくぐった時、警護対象の間近に、
上下濃紺のスーツを来たゴツイ男がいたので、慌てて散開したという所か。
さて、これからどうしょう。
右角の彼女は、じきに催涙ガスをぶっ放す。
このまま二人の虚を突いて、逃げるのは簡単だ。
しかし私の目の前には、少女がいる。
只ならぬ雰囲気故、先ほどから口を閉ざして、硬直していた。
強い殺気と共に、凶器を突き付けられれば、普通の反応である。
このまま小学生の子が、強力な催涙ガスを
密閉した室内で吸えば、どうなるか。
相棒の男は、自らガスで苦しみながら特殊警棒を、
辺り構わず振り回すだろう。
そんな中、ガスを吸って動けない少女は、どうなるか。
- 161 名前:第12話 実戦 :02/04/06 10:58
- 己を護身するだけで有れば、一人で逃げればいい。
しかし今回は、自分一人でも無事に逃げられんだろう。
街中で絡んできた暴漢ならまだしも、
相手はプロだ。
しかも二人。
その人数も、二人だけとは限らない。
外に仲間が待機している可能性は、十分ある。
この状況で自分の他に、もう一人助けるのは
はっきり言って酔狂沙汰だ。
一人で逃げる時に比べ、危険率が倍以上跳ね上がる。
一瞬、様々な事を考えながらも
結局私は、その少女を助ける事にした。
正義に駆られて?
道徳的に?
違う。
私が望まぬ争いとは言え、結果的には自分の戦に、少女を巻き込んだ。
だから助ける。
私は自分の心得に従い、自分の道を歩く。
ただそれだけだ。
「ほんと貴方は、正直で御馬鹿さんね。」
いつもセンセイから言われた言葉が、脳裏に浮かぶ。
- 162 名前:第12話 実戦 :02/04/06 11:00
- 違いねぇ。
心の中で苦笑した時、とうとう催涙ガス銃の引き金が引かれ
死神の吐息が、勢い良く振り撒かれた。
バシュッッ
理不尽この上無い戦いの火蓋が、切って落とされた。
- 163 名前:第12話 実戦 :02/04/06 11:02
- ******
催涙ガスが噴出される音を聞いた瞬間、私は両目を閉じ
息を止める。
下丹田に溜めた氣と、腹に吸い込んだ酸素。
これだけ有れば、充分だ。
「馬鹿野郎っ!」
男の怒声を聞きながら、私は左手に持っていたフルフェイスメットを
素早く少女の頭に被せ、左角の男へ疾歩する。
相棒の女性は、恐怖に駆られて何度も催涙ガス銃の引き金を
引き続けた。
バシュッ
バシュッ
バシュッ
バシュッ
- 164 名前:第12話 実戦 :02/04/06 11:03
- 私は細く、長く、口から息を吐き出しつつ
擦り進んだ。
シャキン
ゴッ
警棒が伸びた音が室内に響くと同時に、私は左踵を
男の右前脛にめり込ませる。
警棒を振り出す際に伸びた男の右腕を、
左前手で内円捌きしつつ、手前に掴み引く。
そのまま男の右腕内側のツボに、やや中指を突出した右拳を
空に円を描きながら、捻り刺した。
- 165 名前:第12話 実戦 :02/04/06 11:05
- ガラァン
彼の右手から、特殊警棒が床に落ちた。
男は悲鳴を噛み殺し、左手で私の右肩を掴み引く。
良し。
私は右肩を掴み引かれたまま、彼に向かって左前足を
半歩擦り進めた。
右腕を縦に折り畳み、喉仏下にある鎖骨接合部へ、斜め下から右肘を突き上げた。
バキ゛ッ
「お゛お゛お゛お゛っ゛っ!」
男は両腕を垂れ下げて、野太い絶叫を上げた。
少し五月蝿いが、これで両手は使えまい。
男の右肩を、右手で掴み引き、
その巨体を、右角にいる相棒へ一気に押し付ける。
女性は自分が放った催涙ガスに苦しみ、男を払い除ける事が出来なかった。
彼女がスーツの左ポケットから、何かを取り出そうとした時
私は左膝蹴りを、男の股間に突き刺す。
「あぐうぅっ」
股間を押さえて、前屈みになる男。
男の足元に、黄色い液体が滴り落ちる。
失禁した様だ。
- 166 名前:第12話 実戦 :02/04/06 11:08
- がら空きになった彼女の右脇腹に、左手で横掌底を叩き込む。
背を取られまいと、角に立っていたのが仇になった。
彼女の足元には、股間を押さえ座り込んだ男が寄りかかり、逃げる事が出来ない。
「くはっ!」
衝撃音がほとんど無い打撃に、彼女は短い悲鳴を上げ
その場に崩れ落ちる。
肝臓を激しく揺さぶったので、暫く体の自由は利かない。
念の為、彼女の頭を右手で掴み、
足元にしゃがみ込んでいる、男の後頭部へ
顔面を叩きつける。
「「がぁっ」」
二人共、同時に悲鳴を上げて
折り重なる様に倒れた。
女性の方は、鼻と口から血を流している。
二人共、普段鍛えているから、この程度なら大丈夫であろう。
男にはともかく、女性にここまでしなくてもと感じた方は、大勢いると思う。
これでも私にとっては、甘過ぎるほど充分に手加減した。
肝臓を破裂させず、首を折らず、気絶させただけ。
先に武器を放った代償としては、あまりにも軽過ぎる。
今回は最初の時点で、相手が使う武器が解っていたから
幸い手加減が出来た。
私は閉じていた両目の内、左眼だけ開けて、少女のいる位置を確認し
手を引いて外に連れ出した。
- 167 名前:第12話 実戦 :02/04/06 11:09
- 片目しか開けなかったのは、外に共犯者が居た場合に備え
催涙ガスに侵されていないもう一方の目を使う為である。
案の定、先程開いた左眼は、針で突き刺された様な
鋭い痛みが走り、涙が溢れ出ている。
右目を開けて、周囲を見渡す。
誰もいない。
確認し終わると同時に、猛烈な刺激に襲われる。
これで暫く両目は、見え無い。
玄関口にある植え込みの石段に、腰を下ろさせて
少女の頭から先程被せた、私のヘルメットをゆっくり脱がす。
少し涙目になり、咳き込んでいるが、直接催涙ガスを浴びなかった分
症状は軽い。
目を開けられないので、この子がどんな表情をしているか解らない。
気配を通して伝わって来たのは、恐怖・戸惑い・寂しさ。
いわゆるパニック状態だ。
無理も無い。
自分を警護してくれる者が、目の前で見知らぬ人に倒され
敵である人に助けてもらった。
混乱するなと言う方が、無理な話である。
ヘルメットのシールド越しに繰り広げられた殺し合い。
幼い子供の心にどれだけの影響を与えたか、計り知れない。
無言で石段に座っている少女の前で、私は右膝をついて
しゃがみ込んでいた。
- 168 名前:第12話 実戦 :02/04/06 11:10
- この時、私は油断していた。
もし最後まで気配採りを怠っていなければ、
次に始まる悲劇を未然に防げたであろう。
不意に背後から、人の気配が伝わって来た。
邪気は感じられない。
帰宅して来たマンションの住人だと思い、振り向いて
声を掛けようとした時。
バチッッ
頚椎を鋭利な物で刺された様な、鋭い激痛が
頭の中に炸裂した。
意識が薄れる中、目の前にいる少女の叫び声が聞こえた。
「ママ!」
- 169 名前:第12話 実戦 :02/04/06 11:13
- ******
どれ位、意識を失っていただろう。
私は、右膝を石畳に付いて座ったまま、気絶していた様だ。
先程より両目が見え始めている。
目の前には、30後半位の女性が地面に座り込んでおり
少女は縋り付いて泣いていた。
少女の母親は、少し身を起こして、片手で娘を抱きしめている。
口内を切ったのか、口端から血が流れていた。
母親の意識は無事な様だが、立ち上がれない様だ。
右手甲と右ふくらはぎが、やや赤みを帯びて腫れている。
足元には、踏み砕かれたスタンガンの残骸が飛び散っていた。
一体私は、彼女に何をしたのか。
状況から考察し、最も可能性が高い推論を述べよう。
少女の母親から首筋にスタンガンを撃たれた時、
私は無意識のまま右肘を、彼女の右足ふくらはぎ目掛けて、振り返りつつ突き刺した。
ズクッ
そのまま、左手の中指を少し突出した状態で拳を握り、
崩れ落ちる彼女の右側頭部にあるツボへ、打突を撃ち込んだ。
平衡感覚を司るツボを打たれたら、立ち上がる事は非常に困難になる。
そのまま左手で、彼女の右耳を掴み、顎下へ
右掌を突き上げた。
- 170 名前:第12話 実戦 :02/04/06 11:15
- 私はぼんやりとした視界の中、彼女の右手甲を見て、
この母親も只者ではないと直感した。
普通のご婦人は、80キロもある男に
顎下を掌底で突き上げられながら頬を掴まれ、
後頭部を地面に叩きつけられたら、只では済まない。
特に無意識状態で技を放ったので、全身の捻りと氣を込めて撃った筈だ。
恐らく彼女は、地面に叩き付けられる前に
右手を後頭部に回し、受身を取ったのだろう。
相当「武」の修練を積んでいると見た。
先刻のスタンガン攻撃は、彼女なりの手加減か・・・。
自分の子供を救うのに、何故全力を出さん!
娘を抱きしめていた母親が、私に顔を向ける。
彼女は、泣いていた。
親子の背後に、何時の間にか先程の男女が立っている。
男は無言のまま、私に礼をした。
相棒の女性は、顔から流した血をこびり付かせたまま、
俯いている。
少女の細く哀しいすすり泣き声が、暗く冷たい夜の闇に
霧雨の如く降り注ぐ。
- 171 名前:第12話 実戦 :02/04/06 11:18
- 一同の様子を見て、私は理解した。
母親は、私が娘さんに危害を加えない事を知っていた。
攻撃すれば、反撃を受ける事を承知で
わざとスタンガンを放ったのだ。
武人に対する非礼を、自分の身を持って詫びようとしたのだろう。
・・・。
・・・・・。
・・・馬鹿野郎。
アンタが倒れたら、その子はどうするんだ!
私は無言のまま、静かにゆっくりと、その場を歩き去った。
それから暫くして、マンションの管理人に母娘の事を訊くと
彼女達は、あれからすぐ引っ越したそうである。
あの家族が一体何から追われて、身を守っていたのか
結局解らずに終わった。
- 172 名前:第12話 実戦 :02/04/06 11:20
- 私は、少女の身辺警護を依頼された業者と、母親に詫びるつもりは無い。
経緯はどうであれ、人に危害を加えた者は、その代償を受ける覚悟で
行なったと、私は認識しているからだ。
先に人へ危害を加えて置いて、反撃されて怒るのは、
あまりにも無責任かつ身勝手な考えである。
しかも、強力な威力を秘めた護身用具を行使した場合、
相手に与えた苦痛に等しい代償を、受ける覚悟が無ければ
持つべきでは無い。
私は唯一、少女に御詫びをしたかった。
私は、自分と少女の身を護る為に戦った。
少女の護衛は、自分達の任務を果たす為、戦った。
少女の母親は、武人へ非礼を詫びる為に、その身を差し出した。
結果的に、私と少女の護身は出来た。
- 173 名前:第12話 実戦 :02/04/06 11:21
- しかし後に残ったのは。
虚しさと哀しさだけ。
無様で。
格好悪く。
勝利の余韻など、微塵も無い。
これが、私の体験した実戦経験の一つである。
その子の母親は、強かった。
私なんかより、とてもとても強かった。
第十二話
- 174 名前:第12話 実戦 :02/04/06 11:22
- あとがき
今回は、実戦をテーマに書きました。
この話しを読んで、皆さんは何を感じましたか?
- 175 名前:第13話 心の恩人 :02/04/06 11:25
- センセイと出会う前の私は、心が死に掛けていた。
怒り
苦しみ
笑い
楽しさ
嬉しさ
哀しさ
人が持っていて当たり前の心を、私は失い掛けていた。
その時有ったのは「嫌悪」と「虚しさ」
ただそれだけ。
私は、自分が嫌いだった。
だから、人も嫌い。
自分がどうなろうが構わない。
だから、人に関心が無い。
人を大切にしようとする心が無い。
思いやりの心が無い。
人を愛する心など、毛頭無い。
東京で、センセイに出会った。
心を無くした私に、武術を教えてくれた。
武術の修練を通して、私は失い掛けた心を、再び取り戻す事が出来た。
もし、彼女に出会う事が無かったら。
私の心は、確実に死んでいただろう。
センセイは、心の恩人だ。
- 176 名前:第13話 心の恩人 :02/04/06 11:27
- ******
夕闇の中、夏服を来た男子高校生が薄笑いを浮かべている。
口の周りを紅に染めて、「何か」をゆっくり噛んでいた。
あらゆる凶器で傷付けられた体を揺らめかせて、
「彼ら」に歩む。
「私の心を受け取ってください」
少年の穏やかな言葉が宙に舞い、彼らが絶叫した。
この少年に危害を加えた者は、後に彼の事を、影でこう囁いた。
「狂犬」と。
- 177 名前:第13話 心の恩人 :02/04/06 11:28
- ******
ある男の子の話をしよう。
その子は体重4キロで生まれた、極度の虚弱体質児だった。
生まれて間も無い内に、体質改善薬物を投与される。
内臓壁は非常に脆く、泣いただけで脱腸し、いつ腸閉塞になるか解らない。
重度の気管支喘息と、アレルギー性鼻炎、不整脈を伴う肋間神経痛を抱えていた。
吃音とドモリが酷く、名前の最初の一文字を発音し終わるのに
約一分掛かるのは当たり前。
身体は色白く、同世代の女性より細い。
高校卒業時は、身長172センチ・体重48キロだった。
身体上特異な点は、長時間無呼吸動作が出来る事と、
顎の筋肉が異常に発達していた。
この男の子は、私である。
病弱な性で、幼稚園に行った記憶はほとんど無い。
家では、食事をし薬を飲んで横になる日々。
五つ年上の兄の部屋で、よく本を読んでいた。
一人思索していた時間が、あまりにも長かった故なのか、
物事の考え方が、同世代の子達とかなりかけ離れていた。
- 178 名前:第13話 心の恩人 :02/04/06 11:30
- ******
やがて、当時引っ越し先の小学校に入学。
私の父は某損害保険会社に勤めて居り、全国各地の支社に転勤する
都合上、二年置きに家族で引っ越ししていた。
話を戻そう。
私は入学したと同時に、虐められた。
先生に教科書を朗読しろと言われて、読んだらドモリっ放し。
体の関係上、体育はいつも見学。
周囲から見れば、私は格好の獲物だったろう。
虐められる決定的な原因は、人生で最初に経験した算数のテストで、0点を取った事だ。
単純な足し算・引き算の問題だったのだが、
普通に解いたら面白くないと思い、掛け算と割り算で解いた。
ちなみにその知識は、兄の教科書から独学していた。
その結果、皆の目の前で先生に、大声で言われた言葉。
「アンタ!義務教育を舐めているでしょう!!」
随分、大人気有る先生だ。
この日から先生黙認の元、皆に虐められた。
今にして思えば、私の捻くれた考え方も、大いに祟っていたと思う。
- 179 名前:第13話 心の恩人 :02/04/06 11:31
- ******
「良いなぁ。元気よく動けて。」
私は5・6人の男女から、シャープペンや携帯カッターナイフで
体のあちこちを刺され、椅子で殴りつけられ、鍵の束を握り締めた
拳で顔を殴打され、蹴飛ばされながら、不思議と冷静に考えていた。
恐怖は感じなかった。
いつも呼吸不全と、急性腸閉塞で死に掛けていたから、すでに感覚が麻痺したかも知れない。
つま先で鼻を潰され、縄跳びの紐で首を締められ
意識が遠のく中、私は疑問を感じた。
「何故みんな笑っているんだろう。」
******
「今日は差別について作文を書きましょう。」
国語の時間、先生がそう言って授業を進める。
「どうしたら差別を無くせるのか、考えて書いてね。」
にこやかに笑みを浮かべる担任に向かって、私は口を開く。
「もう差別を受けてますが。」
「五月蝿いっ!誰もアンタに書けなんて言ってないわよ!」
先程とは打って変わり、声を荒げて私に怒鳴りつける。
嘲笑が教室を包む。
ああ・・・。書かなくて良いんだ。
私は窓際の席から、校庭に目線を落としつつ呟いた。
「くだらん。」
これが以後、私の口癖になった。
- 180 名前:第13話 心の恩人 :02/04/06 11:33
- ******
小学校2年生に上がる前に、引越しして転校した。
そこでも、当然虐められた。
女の子より華奢で病弱な体、極度のドモリ、そして妙に悟った捻くれ根性。
小学四年生になった時、日々繰り返される暴力にある疑問を感じ、図書館で辞書を片手に
沢山の書物を読み漁る。
その大半は、哲学書・精神論文など。
学生や先生も居たので、よく解らない所は質問していた。
我ながら、恐ろしい小学生だと思う。
私は知りたかった。
生きる事の意味を。
その年の夏休み。
炎天下の中を帰宅途中、私は唐突に
疑問の答えを知った。
人はいつか必ず死ぬ。
完全に、跡形も無く、消滅する。
その日私は初めて、死の恐怖に身を震わせた。
- 181 名前:第13話 心の恩人 :02/04/06 11:34
- ******
夏休みが終わって間も無い頃。
私は放課後の教室で、複数の子達から
彫刻刀で体を刺されていた。
みんな笑っている。
腕・背・掌・太腿・足甲・耳、至る所をジャンケンで勝った
勝者が、私に鋭い刃を突き刺す。
みんな笑っている。
この時私は、先日知った「死」に怯えていた。
死んだら、何も残らない。
悔しい。
自分はこんなに刻まれた体を引き摺って、いつか死ぬのに
彼らは、身も心も綺麗なまま死ぬ。
どれほど私の心が傷ついたか、声にしたいが
ドモリが酷いので、声で訴えられない。
言葉で彼らに、私の心を訴えられない。
どうしたら。
どうしたら、私の受けた傷を知ってもらえるだろう。
尻を平刀で刺された時、私は眼前に立つ足に手を伸ばした。
次の瞬間、紅い夕日が差し込む放課後の教室に
断末魔が響いた。
ああ。
やっと「私」の痛みを知ってくれた。
ありがとう。
- 182 名前:第13話 心の恩人 :02/04/06 11:36
- ******
声にならない悲鳴が上がった。
その時私は、眼前にあった一本の足に、噛み付いていた。
犬歯を深く食い込ませ、前脛の一部を食い千切る。
不快感は無い。
幼少の頃から、数時間置きに流れ出す鼻血を飲み干していたので
慣れている。
仲間の子達は、呆然としていた。
私は体のあちこちから、彫刻刀を生やしたまま、ゆらりと立ち上がる。
「・・・やっと私の気持ちが届いたね。」
これが当時小学四年生の自分が発した言葉だとは、今でも信じられない。
「君達の体に、私の心を刻んで上げる。」
後に彼らの一人が、この時の私について語るには
「口元を真っ赤にして、とてもやさしく微笑んでいた。」そうである。
足の肉を食い千切られた子が、床の上で激しくのた打ち回り苦しんでいる。
ゆっくりと、彼らの方へ歩み出す。
仲間の子達は、雄叫びの声を上げ、彫刻刀を振るって
一斉に襲いかかった。
- 183 名前:第13話 心の恩人 :02/04/06 11:37
- ******
それから10分後、私は誰もいない教室の床を、モップで拭いていた。
「汚れていると、みんな来なくなるからね。」
私は穏やかな笑みを浮かべ、床磨きに汗を流す。
先程襲い掛かって来た子達は、皆逃げていた。
私は刺されると同時に、次々と相手の体を食い千切った。
私の心を、君達の体に刻み込んで上げる。
決して忘れさせはしないよ。
言葉で君達の心に、私の思いを刻めないから
体に刻んであげる。
しっかりと私の心を伝えたいから、どうか逃げないで。
彼らの一人は、床にへたり込んで、失禁していた。
虐めていた相手が、優しい笑みを満面に湛えて
自分達を食べようとする。
あまりにも常軌を逸した状況に、皆畏怖した。
反撃されるのは、ある程度予測していたであろう。
しかし自分達が、食料に見なされたと錯覚し、戦慄した。
小便と血を散らして、彼らは泣き叫びながら
教室から逃げ出していった。
私は、血に染まった床をモップで綺麗にした。
モップを絞ったバケツの水は、どす黒くなっている。
私は彼らの血が入り混じったバケツの水に、人差し指を入れた。
「温かい。」
悪い人の血が冷たくない事を、初めて知る。
この日を境に、自分の事を「私」と言う様になった。
- 184 名前:第13話 心の恩人 :02/04/06 11:38
- ******
これだけの騒ぎを起こしたにも関わらず、事は表面化しなかった。
地元の者が、よそ者にやられたと言う事を、周囲に知られるのは
余程不味かったのであろう。
負傷した者達は、「狂犬に噛まれた」と周囲に弁明していた。
失礼な。
私は狂犬ではない。
人間だ。
それ以後も、私への虐めは続いた。
ただ今までと違うのは、一度私に暴力を上げた者は
二度と私に近づかなくなった。
私はただ自分の心を牙に込めて、相手に伝えたかっただけ。
私の心を伝えれば、仲良くしてくれる。
その思いに反して、人は私を遠ざけていく。
何故?
- 185 名前:第13話 心の恩人 :02/04/06 11:41
- ******
中学・高校と学年が上がるに連れ、虐める側の手段もより高度化した。
彫刻刀
デザインナイフ
千枚通し
果物ナイフ
フォーク
切り出しナイフ
特殊警棒
椅子
机
ハサミ
カッター
定規
コンパス
木刀
竹刀
傘
鉄パイプ
スパナ
ハンマー
- 186 名前:第13話 心の恩人 :02/04/06 11:42
- 有刺鉄線巻き金属バット
角材
鎖
アイアン
パター
ナックル
スポーク
五寸釘
ノミ
アイスピック
ノコギリ
ガラス
標識
殺虫剤
レンガ
腕時計
シャープペン
ワイヤー
ショベル
パチンコ
エレキギター
スクーター等、
- 187 名前:第13話 心の恩人 :02/04/06 11:43
- ざっと記憶を辿っただけでも、上記に挙げた凶器で
時・場所を選ばず襲われた。
各流派の格闘術も、一緒に用いられた。
刺された。
切られた。
削がれた。
抉られた。
殴られた。
潰された。
焼かれた。
投げられた。
撃たれた。
撥ねられた。
締められた。
剥がされた。
蹴られた。
目潰しされた。
- 188 名前:第13話 心の恩人 :02/04/06 11:45
- 暴力のオンパレード。
校舎や街の死角で、襲われる。
誰もいない。
誰も助けてはくれない。
痛かったよ。
とても痛かったけど。
とても嬉しかった。
私を構ってくれたから。
私は感謝しながら彼らの身体に、自分の心を刻み伝えた。
砕け散らずに歪み切った私の心。
この時、私の心は「凶気」だった。
正常な凶気とは、正にこの事である。
これらの物で襲われて続けて解った事は、三つある。
一つ目は、自己防衛能力が飛躍的に高まり、ダメージを軽減出来きる様になった事。
二つ目は、暴力を振るう人は、心底楽しそうに笑みを浮かべている事。
三つ目は、彼らの身体に私の心を刻んでも、理解してくれない事だった。
特に三つ目を知った時は、哀しかった。
- 189 名前:第13話 心の恩人 :02/04/06 11:47
- まず最初から抵抗せず、一方的にやられる。
最後に必ず彼らのリーダーが、私の元へ確認に来るので
その時、私の心を彼の身体に伝える。
その後一人づつ、彼らの身体に私の心を刻み込む。
身体に私の心を刻み込まれた者は、周囲に何も言わない。
傷の事を聞かれても、彼らは一言。
「狂犬に噛まれたんだ。」と言葉を濁す。
そして二度と、私に近づかない。
いつもその繰り返し。
何故、私に食い千切られた事を否定するのだろう。
哀しい。
私はいつも窓際で静かに、一人で本を読んでいた。
友達はいたが、親友はいない。
親友を作るのは止めた。
どうせ裏切られるなら、最初から要らない。
人に期待や希望は、しない。
かと言って、全てに絶望する程、心は壊れていなかった。
高校に進学し、また虐められたが、先程の事を繰り返し
やがて虐められなくなった。
もう誰も相手をしてくれない。
身体を傷付けられる事は、無くなった。
楽しくない。
- 190 名前:第13話 心の恩人 :02/04/06 11:49
- 6・3・3の十二年学校生活を送って、最後に残ったのは、
「虚しさ」と「嫌悪」ただそれだけ。
卒業式の時、クラス全員で写真を撮る為
カメラを持ってくる様、みんなから「命令」されていたが
私は持っていかなかった。
案の定、全員烈火の如く猛り狂い、詰め寄ってきた。
その様子を見ながら、私は静かに一言発した。
「私は、思い出はいらない。」
私の襟首を掴んでいた人は、呆然として動けなかった。
くだらん。
もう私を傷付ける人に、私の心を刻むのは止めよう。
疲れた。
本当に、疲れた。
解ってもらえないなら、やるだけ無駄だ。
私は高校卒業後、東京へ上京した。
理由は二つ。
一つは、絵の専門学校に通いたかった。
もう一つは、今まで引っ越した中で、一度も訪れたことの無い土地だったから。
- 191 名前:第13話 心の恩人 :02/04/06 11:50
- ******
東京に行き、専門学校指定の学生寮に入るが、
ここでも一部の人達から、理不尽な正義を押し付けられ、
辟易していた。
私に嫌悪してもいい。
好きなだけ暴力を振るってもいい。
残虐な手口で殺そうとしても構わない。
ただ。
私に、君達が主張する正義への理解を強いるな。
純粋な悪意・憎悪・殺意は、甘んじて受けよう。
しかし、偽りの心でもたらされる死は、
願い下げだ。
私は、純粋な心に触れたい。
上京した夏の深夜、私は近くの森林公園の中を、当ても無く歩いていた。
森の奥に誰かいる。
私は漆黒の闇へ、臆する事無く、歩を進めた。
- 192 名前:第13話 心の恩人 :02/04/06 11:51
- ******
森の奥には、芝生の平原が広がっている。
その平原の中央に、一人の女性が立っていた。
月を覆い隠していた雲が切れ、眩い銀光が
彼女に降り注ぎ、漆黒の闇から浮かび上がらせる。
くせの無い艶やかな黒いショートヘアが、夏の夜風に揺れている。
綺麗に整ったその顔からは、慈愛が満ち溢れている。
色白の肌は、月の光を浴びて、より一層耀きを増す。
歳は解らない。
年上にも感じるが、どこか幼さも混じっている。
掴み所が無い。
不思議な雰囲気だ。
蒼いTシャツの胸元には、翡翠色をした勾玉の首飾りが
銀光に照らされ煌いている。
白のGジャンに、同色のショートスカートを着ており
細くしなやかか両足には、何故か黒のコマンドブーツを履いていた。
左手首に、年代物の古びたクロノグラフを巻いている。
その左手には、一振りの刀が握られていた。
- 193 名前:第13話 心の恩人 :02/04/06 11:54
- 長さは脇差程だろうか。
彼女は茫洋と直立したまま、左手首を前へ傾ける。
鞘柄が、左肩の後ろに触れ様とした時。
彼女の顔から、一切の表情が消え
大気が哭いた。
その動きは、あまりにも素早く、肉眼で捉えられなかった。
しかし私の体は、その動きを感じ採れた。
一刀四撃すると同時に、両手足を駆使し徒手を繰り出す。
流るるは、そよ風の如く。
撃つは、疾風の如く。
全ては、絶える事無く廻り続ける円の如く。
先程と同様に、何事も無く彼女は立っている。
- 194 名前:第13話 心の恩人 :02/04/06 11:55
- 私は、泣いていた。
声も無く、全身を震わせて私は涙を流した。
今まで、どんなに暴力を振るわれても
決して泣く事はなかったのに。
こんなに胸が張り裂ける程の哀しみに触れたのは、初めてだった。
抜刀した時、全身を吹き抜けた彼女の心。
幾度発狂しても晴らせない孤独感と、計り知れない程深い哀しみ。
そして、とても綺麗で純粋な殺気。
これまで様々な凶器で傷付けられても、
恐れる事は無かった。
しかし今の私は、彼女の気に触れて、震える両足で
身体を支えているのが精一杯である。
なんて。
なんて純粋な「真心」の持ち主なんだろう。
長い間、人の心の闇に包まれていた私には、
彼女から伝わり来る真心が、とても心地良く感じた。
- 195 名前:第13話 心の恩人 :02/04/06 12:15
- これが、人の心。
暖かい。
私も、
この人の様な心に
なりたい。
刀を円筒状の皮ケースに収め終えると、彼女は私に一瞥する。
優しい微笑みを浮かべて、一言私に言った。
「来る?」
そう言って、彼女は背を向けて歩き出す。
私は、彼女の後について行った。
これがセンセイと私の出会いだった。
それから3年間、センセイから武術と共に、様々な心を学んだ。
当初ボロボロだった体は、体重82キロ・足サイズ28センチの
巨躯に成長した。
そして私は己が道を歩み出すべく、センセイの元から旅立った。
己の武を、これから出会う愛しい人と
大切な仲間を護る為に使うと心に決めて。
大柄な身体を皮ジャンで包み、私は一路九州へ向けて
鉄馬を疾駆させた。
第十三話 完
- 196 名前:第13話 心の恩人 :02/04/06 12:16
- あとがき
私は自分が好きです。
だから私は人が好きです。
どんなに嫌われ、裏切られ、拒絶されても、私は人を信じたい。
人と共に生きたい。
人から辛い目に遭わされた分、人に優しく出来る。
人から嬉しい事をしてもらった分、その喜びを人に分けたくなる。
センセイは、心の恩人でした。
沢山の親友に恵まれ、私は幸せです。
みなさん、ありがとう。
- 197 名前:護身館 :02/04/06 12:18
- 95%ノンフィクション小説「ラバーブレード」
http://homepage1.nifty.com/rubberblade/nobel%20index.htm
炸裂してます
- 198 名前:印知己先生 :02/04/06 22:36
- ラバブアゲ。
- 199 名前:第14話 仇を追う者 :02/04/11 19:41
- 単車に乗って早11年。
野宿旅が好きな私は、愛機に野営道具を積んで、ふらりと旅に出掛ける。
季節問わず、行きたい場所へ走り、
焚き火をして、星空を見上げながら一夜を過ごす。
一人で過ごす夜も良いが、人との出会いも旅の楽しみである。
今日は、旅先で或る単車乗りと過ごした夜の話をしょう。
- 200 名前:第14話 仇を追う者 :02/04/11 19:44
- ******
ジッ!ジッ!ジッ!
「・・・オイル切れかぁ。」
小さな滝の音を背中越しに聞きながら、私はジッポーを
ベストのポケットに放り込んだ。
もう直ぐ日が沈む。
焚き木を組み終え、携帯コンロと調理器具・食材を
サイドバッグから取り出し、いざジッポーで着火しようとしたらオイル切れ。
仕方がない。
単車からプラグを抜いて火花で着火するかと、
改めて愛機を見た途端、やる気が一気に失せてしまう。
「そういやフルカウルだったんだ・・・。」
はっきり言って、カウルを外すのは非常に面倒くさい。
しかし、標高が高い冬山で火が無いのは、かなり厳しい。
下手すれば、凍死しかねない。
某名作劇場の主人公みたいな死に方は、まっぴら御免だ。
「ま、自業自得だな。」
溜息一つ付いて、ベストに携帯している工具へ手を伸ばし掛けた時、
遠くから鉄馬の鳴き声が響いてきた。
「やばい・・・。幻聴が聞こえ始めた。」
真冬のこの時期に、人里離れた山中へ単車で来る人間は滅多にいない。
しかも私がいる場所は、行き止まりである。
ここには、小さな野原と滝、そして私以外は何も無い。
- 201 名前:第14話 仇を追う者 :02/04/11 19:45
- 耳を澄まし、感覚を鋭敏化する。
間違い無い。
一台の単車が、こっちへ向かって来る。
排気音から4スト単気筒エンジン。
かなり酷使しているな。
音のリズムから乗り手を推察する。
アクセルの開け具合からして、恐らく荷物を満載した旅ライダーだろう。
闇が濃くなり始めた山奥から、古びたオフロードバイクが見えた。
何故か、ヘッドライトが消えている。
球が切れたのか。
キャリアに野営道具を満載したオフロードバイクは、ゆっくりスピードを落とし
私の目の前で停止した。
エンジンは切らずに、左足を地面に下ろしている。
年季の入った白いオフ用ヘルメットの後ろから、紐で縛った後ろ髪がヒョコッと出ている。
英国製の黒いオイルジャケットは、日に焼けて色褪せていた。
良い味出している。
オーバーパンツと、モトクロスブーツは、ここ最近新調した様だ。
服の上から見えるラインから、女性だと分かった。
年は、20代半ばと言ったところか。
排気ガスで煤けたオフロードゴーグル越しに、彼女の目を見た。
驚き・戸惑い・焦り・緊張・不安、そして警戒。
大きな黒い瞳に、様々な感情の色が入り混じっている。
- 202 名前:第14話 仇を追う者 :02/04/11 19:47
- 「こんばんわ」
取り敢えず挨拶を掛けてみるが、反応無し。
じっと黙り込んでいる。
私は構わず、言葉を続けた。
「この先は、行き止まりだよ。」
たっぷり3秒後。
彼女は崩れる様に、ヘルメットを被ったままハンドルに突っ伏した。
暫くして彼女は、恐る恐る私の方へ顔を向ける。
「あの・・・訓練中すみませんが」
ハスキーな声だ。
「訓練?」
「終わった後、一緒に下山しても良いでしょうか?」
「・・・ちょっと待て。言っている意味が良く解らんが。」
- 203 名前:第14話 仇を追う者 :02/04/11 19:48
- 「貴方は特殊部隊の方では無いのですか?」
私はわざとらしく腕を組み、自分の体を見下ろす。
頭には退色した黒のSWATキャップ。
額の位置に、三首犬のメタルエンブレムを付けている。
黒のフライトジャケットCWU-45Pに、同色のカーゴパンツ。
両足には6点ベルト止めの、黒いプロテクトロングブーツ。
映画「ジャッジ・トレッド」の主人公が履いていた奴だ。
ジャケットの上からは、オリジナルの強化外骨格付きベストを着て
両肘・両足にもプロテクターを付けている。
強化外骨格付きベストと言えば、大袈裟だが
実際には特殊部隊ベストに、市販されているバイク用プロテクターを
自作加工して取り付けた物だ。
ちなみにメーカーは、雷神のバトルプロテクター。
ベストの背中と首回りには、転倒時の衝撃を緩和する為、衝撃吸収材が入っている。
本来は突入時の際、首周りや背中を防護する為に考案されたのだろう。
単車で転倒した時、脊髄・頚椎損傷を防ぐには、とても有り難い。
ベスト前面には、様々な形状をしたポケットが沢山有り、
各種ツールを収納するのに重宝している。
動き易さを追求したベストと、人体工学を熟考して作られたプロテクターの
相性は想像以上に良かった。
これにメタルプレート付きのグローブを付けたら、装着完了。
どんな姿かと言えば、映画「スピード」に出てくるSWATの装備に
各関節部を、鎧の様なプロテクターで覆った格好と言えば
分かるだろうか?
- 204 名前:第14話 仇を追う者 :02/04/11 19:49
- ここ数年、この格好で公道を走り回っているが、
不思議と、警察や市民に咎められた事は、一度も無い。
行く先々で人から良く話しかけられて、馬鹿っ話に花が咲く。
車に乗っている子供から、特撮ヒーローと思われて
よく手を振られるのが、何より嬉しい。
「特殊部隊の方、ですよね?」
再び彼女が、怪訝そうな目付きで私を見ながら聞いてきた。
「違います。」
「えっ?」
否定した私に、彼女は動揺する。
私は意地悪く口元に微笑を湛えて、
両眼をカッと見開きつつ、胸を張って答えた。
- 205 名前:第14話 仇を追う者 :02/04/11 19:51
- 「頭が不自由な人です。」
その一言を聞いて、きっかり10秒後。
「きゃあああっ!!」
ガガアァァッ!
ガシャン!!
彼女は叫びながら、一気にバイクをアクセルターンさせ逃げようとした。
が、キャリアの荷物でバランスを崩し
見事に立ちコケした。
- 206 名前:第14話 仇を追う者 :02/04/11 19:53
- 冗談の通じない人だ。
そういや以前、山頂で話し掛けて来た単車乗りに
「ここなら綺麗に電波が届きますね。」と爽やかに言った瞬間
ホイルスピンして逃げられたっけ。
旅の想い出を回想しながら、私は横転したオフロードバイクを引き起こし、
枯葉の降り積もった地面に、へたり込んでいる彼女へ聞いてみた。
「すみませんが、火を貸して頂けますか?」
- 207 名前:第14話 仇を追う者 :02/04/11 19:55
- ******
「・・・対ナイフ専門護身武術教室。」
焚き火の灯かり越しに、彼女は私の名刺を朗読する。
パチッ パチッ パチッ
うーん、杉の木は良く燃える。
ジッポーを貸してくれた彼女に、ひたすら感謝。
改めて、炎に照らし出された彼女を見る。
笑えば可愛い表情を浮かべられる顔は、
かなり殺伐と化している。
紅は引いていない。
黒髪も光沢が褪せて、毛先が痛んでいる。
色白の顔は、日焼けしていた。
携帯パイプ椅子に座って、御玉で鍋を掻き混ぜている私に
彼女は深深と頭を下げた。
「ごめんなさい」
「もう良いですよ。私も冗談が過ぎた。」
「でも・・・。」
「もし良かったら、一緒に食べませんか。」
「えっ?」
「さっき驚かせたお詫びです。」
にっこり笑顔を浮かべて、彼女を見る。
「ちょっと持ってて下さい。」
- 208 名前:第14話 仇を追う者 :02/04/11 19:56
- 広場に立てた自分の簡易テントから、小走りで御碗と箸を持ってくる。
「・・・じゃあ、頂かせてもらいます。」
まだバツが悪いのか、目線を伏せている。
おずおずと差し出された彼女の御碗に、
私は特製合わせ味噌キムチ鍋を、御玉ですくい注ぐ。
鍋の作り方は、至って簡単。
昆布で出汁を取り、合わせ味噌とキムチの素を入れ、
豚肉・魚・ネギ・白菜・しめじ・椎茸等をぶち込み
少量の日本酒を加えて出来上がり。
具が少なくなったら、うどん麺を加えて、鍋焼きうどんが楽しめる。
寒い冬の夜、心と身体を温める私の定番野外料理である。
「「いただきます」」
私が食べ始めたのを見届けて、彼女は御碗に箸を付ける。
「・・・美味しい。」
一口食べた彼女は、目を丸くした。
「ありがとう。」
自分の料理を誉められた事と、彼女の人間らしい表情を見て
つい笑顔で返事を返す。
彼女は慌てて、私から目線を逸らして、
食べる事に専念した。
一瞬、彼女が赤面した様に見えた。
- 209 名前:第14話 仇を追う者 :02/04/11 19:59
- やがて食事も終え、私は足元に置いてあるサイドバッグから、
小鍋と白い塊が入ったタッパーを取り出す。
「?」
彼女の視線に気付き、説明する。
「ん?甘酒。」
小鍋に滝水を汲み、焚き火に掛ける。
熱燗やバーボンも良いが、寒い野外で飲む甘酒も好きだ。
そんなに私は怪しいのかなぁ?
御湯を沸かしている間、焚き火の向こうで携帯パイプ椅子に座り
私を注視する彼女に、内心苦笑した。
私が両手を使う時を除いて、彼女は常に右手を、
ジャケットのポケットに入れている。
「そんなに人が怖いですか?」
- 210 名前:第14話 仇を追う者 :02/04/11 20:01
- 私の静かな一言に対し、彼女は微動だにしない。
しかし気配までは隠せない。
心がかなり動揺しているのが分かる。
しばらく二人の間には滝の音だけが響き、静寂が続いた。
「・・・石丸さんは、武術の先生ですよね。」
「対ナイフ専門のね。」
「訊いても、良いですか?」
「どうぞ。」
「石丸さんの教えている武術は、喧嘩に使えますか?」
過去幾度も聞かれた質問。
そしてこれから言う答えに、どんな反応を示すか大体決まっている。
答えたくないなぁ。
私は内心溜息を吐いて、結局答えた。
- 211 名前:第14話 仇を追う者 :02/04/11 20:02
- 「喧嘩には使えません。生徒にも、そう教えてます。」
私の一言が、彼女の何かに触れた。
彼女は今までの物静かな態度を一変させ、感情を爆発させる。
「その教え方は、間違ってます!!」
勢い良く立ち上がる彼女に押されて、
パイプ椅子が地面に倒される。
「それじゃあ喧嘩になった時、止められないじゃないですか!」
頭上から、椅子に座っている私を睨み付けた。
今にも襲い掛からん勢いだ。
あーあ。やっぱり言われた。
私に「同じ質問」をして勝手に一人で憤慨したのは、彼女で何人目だろう。
最初の内は、説明をしていたが、最近は説明するのも疲れて
相手が欲している答えを与え、適当に流していた。
今回もそうしょうかなと、彼女の目を見る。
彼女の瞳は、心身を傷付けられた時に滲み出る
心の血色を湛えていた。
・・・話してみるか。
私はゆっくり口を開いた。
- 212 名前:第14話 仇を追う者 :02/04/11 20:04
- ******
「武術は殺人術です。殺し合いには使えても殴り合いには使えません。」
淡々とした私の言葉を聞いて、やや唖然とする彼女。
「でも・・・、喧嘩に使えないと、やられるじゃないですか!」
私は椅子に座って前屈みになりながら、
両肘を膝に乗せて両指を組み、口元に付ける。
「じゃあ訊きますが、「喧嘩」とは?」
「それは・・・、相手を殺さない程度に痛めつける事だと・・・。」
「それは結果論です。」
「・・・。」
「なぜ事前に、喧嘩程度で争いが終息すると、確信出来るのですか?」
「・・・それは相手が素手だから・・・。」
「素手でも、充分人は死にます。」
私の問い掛けに、彼女は大いに戸惑い黙り込んでしまう。
倒れた椅子を起こし、彼女が座ったのを見届けて、
再び言葉を紡いだ。
「人との争いを、自分に都合良く解釈するのは危険ですよ。」
反論出来ない彼女は下唇を噛み、私の眼を少し睨み付けながら聞いている。
そんな彼女の態度を気にせず、更に話を続けた。
「相手は素手だから、喧嘩で済むだろう。」
「この程度痛め付ければ、歯向かって来ないだろう。」
「そして・・・。」
私はニヤリと口元を歪めて、彼女が着ているジャケットの右ポケットを見る。
「ナイフを抜いたら、勝てるだろう。」
- 213 名前:第14話 仇を追う者 :02/04/11 20:06
- ******
彼女の身体は、一気に硬直した。
顔面が真っ青になっている。
「・・・どうして、分かったの?」
彼女のか細い擦れ声が、滝音に削がれつつ私の耳に届く。
「貴方が発する殺気です。ポケットの皺から見て、
最新型のタクティカル・フォールディングナイフでしょう。」
驚きの表情をする彼女を無視し、話を続ける。
「衣類に金具を引っ掛け、瞬時に刃を引き出すそのナイフは、
生地に独特の皺を生み出します。
まあ、肩や腕の姿勢だけでも充分解りました。」
私はつまらなそうに言いながら、御湯が沸騰した小鍋に、
タッパーから酒粕の塊を落とす。
溶けるのに、約10分かな。
彼女の方を見ると、落ち着きを取り戻していた。
目を細めて、じっと私の顔を注視する。
- 214 名前:第14話 仇を追う者 :02/04/11 20:07
- 「怒らないのですね・・・。」
「怒ってほしいのですか?」
「・・・石丸さんは、ナイフを使わないのですか?」
彼女が訊く「使う時」とは、「護身時」を指していると思い、
私は素っ気無く答えた。
「使う使わない以前に、持ち歩きません。」
「・・・どうして?」
「面倒臭いからです。」
「え?」
私から全く予想外の答えを聞いて、彼女は戸惑った。
ナイフ武器術を教えている先生だから、当然ナイフを
携帯していると思ったのだろう。
私は鼻頭を指先で掻きながら、言葉を付け足す。
「自分の体が一番扱いやすいからね。」
私は焚き火越しに、照れ笑いを浮かべた。
- 215 名前:第14話 仇を追う者 :02/04/11 20:09
- ******
「そのナイフは護身用ですか?」
彼女は無言のまま、僅かに頷く。
「どんな時に、ナイフを抜きます?」
「・・・相手がナイフを抜いて、襲い掛かって来た時、です。」
一言づつ強く噛み締める様に、彼女は言葉を紡ぎ出す。
私は、彼女の言葉を一刀両断した。
「それでは間に合いませんね。」
それを聞いた彼女は、再び激昂し猛烈に反論する。
「ナイフは最強の武器です。絶対に間に合います!」
彼女の大きな怒声が、静かな山間に響き渡る。
- 216 名前:第14話 仇を追う者 :02/04/11 20:12
- 「うるさい。」
とても静かな私の声が、彼女の耳に流れる。
先程までの口調とは、明らかに違う。
彼女の顔は蒼白になり、背筋を震わせている。
私は、静かに、怒っていた。
「ナイフで簡単に人は斬れん。」
「私のナイフは、特殊部隊御用達の物です!」
こりゃあ、かなり重症だ。
高名な人の御墨付きが有る強力な武器を持てば、無敵になれると信じ切っている。
道具偏重社会の悪しき一面だ。
- 217 名前:第14話 仇を追う者 :02/04/11 20:13
- 徒手でナイフに対処する為の「心・技・体」を養い、ナイフを一緒に用いる事で
初めてその真価を、存分に発揮させる事が出来る。
「ナイフ使い」の呼称は、徒手だけでもナイフに匹敵する程強いと言う認識で
本来使われている。
そう言う人達は、「ナイフは最強の武器です。」なんて寝言でも言わない。
有れば使うけど、無くても気にしない。
それが、ナイフ使い。
目の前にいる愚か者は、それらの事に全く気付いていない。
ナイフや強力な武器さえ持てば、自分は強くなったと錯覚する。
ナイフ犯罪が増加する主な原因の一つと言える。
- 218 名前:第14話 仇を追う者 :02/04/11 20:15
- 「例えば突然、野生の猿が襲って来たとする。」
私は小鍋を掻き混ぜながら、意地悪く訊いた。
「君はナイフで、斬る事が出来るかね?」
返事は無い。
悔しそうに下唇を噛み締めて、私を睨んでいるが、瞳の色は弱弱しい。
「人間は、野生の猿より遥かに強い。」
「・・・知っています。」
血の気が引いた唇から、闇の中に消え入りそうな彼女の声が流れる。
「いいや、君は知らない。」
「人を斬った事があるから、知っています!」
彼女は椅子から立ち上がって、血を吐き付ける様に声を上げる。
右手はポケットに忍ばせたままだ。
私は表情を変えず、降り掛かかる彼女の血生臭い言霊を霧散させた。
「君は今まで弱い人を斬って来た。
だから君は、人の強さを知らない。」
「君には、必死になって生きようとする猿を斬る事は、出来ない。」
彼女は、ゆらゆらと椅子にへたり込んだ。
- 219 名前:第14話 仇を追う者 :02/04/11 20:17
- ******
酒粕がだいぶ溶けて来た。
別の小さいタッパーから、三温糖をスプーンですくい
小鍋に降り注ぐ。
うん、良い匂いだ。
「・・・教えて下さい。」
縋る様な目で、私を見つめながら彼女が哀願する。
「ナイフで人を倒すには、どうしらいいのですか?」
彼女の言葉から、今まで人を斬りつけて来たが、
殺めてはいない事が伺える。
殺めたい奴が居るのか?
彼女から教えを乞われ、暫くの間小鍋の甘酒を御玉で掻き混ぜた後、
私はニッコリ笑って返事をした。
「教えてあげないよ。」
おっ、必死になって怒りを押さえている!
凄い歯軋り音だ。
- 220 名前:第14話 仇を追う者 :02/04/11 20:20
- 「お願いします!教えて下さい!」
「仇撃ちの為か?」
「どうして・・・分かった、の・・・?」
「男のメットを被ってたからさ。」
私は彼女のオフロードバイクに、視線を向ける。
バックミラーに掛けられている年季の入ったヘルメットには
英語の筆記体で小さく、女性のファーストネームが書かれていた。
- 221 名前:第14話 仇を追う者 :02/04/11 20:22
- ******
「君の目的は、彼の仇撃ちでは無い。」
驚いた目付きで、彼女は私を見る。
火の粉が、冬風に乗って、闇へ舞い上がる。
「私怨を晴らす為だ。」
彼女は、何も喋らず体を丸めて、顔を俯かせる。
肩が震えていた。
「君はナイフで人を殺す事に、執着している。」
「やめて・・・」
「そうして君は、生きる事から逃げている。」
「もうやめて!」
「逃げるのも辛いから、君は
「やめて!やめて!もうやめてぇっ!!」
半ば半狂乱になり悲鳴を上げて、彼女は私の言葉を制する。
「・・・もう、やめて。」
- 222 名前:第14話 仇を追う者 :02/04/11 20:26
- ポケットから右手を出して、彼女は両手で顔を覆い、泣きじゃくった。
「君には、命乞いをする人は殺せない。」
私は穏やかな口調で、彼女に話しかけた。
「もし出来たとしても、君は心を壊してしまう。」
私は小鍋の甘酒を、御玉で少しすくい、味見する。
うん、ちょうど良い。
「彼は、君の心が壊れる事を望むかい?」
彼女は、顔を覆っていた両掌をゆっくり下ろし、顔を上げる。
私は二つのマグカップに、甘酒を注ぐ。
白い湯気と共に、良い香りが立ち昇る。
彼女の手に、マグカップを手渡す。
- 223 名前:第14話 仇を追う者 :02/04/11 20:27
- 「どうぞ。」
両目を紅く泣き腫らした彼女に、私は微笑み掛けた。
これが、私が彼女にしてやれる精一杯のまごころ。
戸惑いながら、甘酒に口を付けている。
「おいしい・・・」
微かに呟いた後、彼女は両手でマグカップを握り締めたまま
顔を伏せ、肩を小刻みに震わせながら小さく泣き始めた。
私は、そっと彼女の側を離れて、
何気なく、滝の上に広がる綺麗な星空を見上げた。
- 224 名前:第14話 仇を追う者 :02/04/11 20:29
- 「無力だ。」
私の口から漏れた一言は、滝の音に飲み込まれて行った。
******
翌朝、彼女は既にいなかった。
あれから彼女がどうしているか、私には分からない。
今も何処かで、彼女は彼のバイクを疾走させて、仇を追っているのかも知れない。
それが良い事なのか。
それとも悪い事なのか。
私には判断出来ない。
どんな生き方を選ぶのかは、その人自身である。
私は、みんなと幸せになる為に
生きたい。
第十四話 完
- 225 名前:第14話 仇を追う者 :02/04/11 20:31
- あとがき
人は心豊かな生き物です。
心があるからこそ、人を愛する事が出来ますが、その反面、
心がある故に時には、とても苦しみます。
どうか己の心を殺さないで下さい。
- 226 名前:第15話 天地を愛でる :02/04/11 20:34
- 木枯らしが吹く或る日の夕方、突然熊の様な訪問者が稽古場に来た。
熊と例えたのは、その訪問者の方が
クマのプーさんに似ていると思ったからである。
上背は180センチ強、体重100キロ弱の筋骨隆々を絵に描いた肉体。
歳は30代と言った所か。
男の皮膚は、長期間ジャングルをさ迷ったかの如く、浅黒く日焼けしている。
丸太の如き太い猪首。
全身の筋目がくっきり目視出来る程に
鍛え上げられた筋肉。
ごつごつと節くれ立った両手の爪は、かなり短い。
今まで幾度と無く、割ったのだろう。
服装は黒のタンクトップに、色褪せた深緑色のカーゴパンツ。
寒くないのだろうか?
自分も似たような格好なので、人の事は言えないが。
ピッチリ張ったタンクトップの上から、仮面ライダーを彷彿とさせる大胸筋と
六つに割れた前腹筋が分かる。
普通太腿周りにゆとりがあるカーゴパンツが、スリムジーンズの如く
張っている。
暑い漢だ。
アーミーカットした顔立ちは、ただただ「無骨」の一言に尽きる。
私より更に薄い眉毛と、一重瞼の目、ず太い鼻っ柱が印象的だ。
何故か片方の外耳が、「歯型状」に千切れている。
指の長さも、ちょっと不揃いだ。
幾度か骨折を繰り返した性であろう、全身の骨格がやや変形している。
身のこなしから、かなり格闘の修練を積んだ方と見た。
- 227 名前:第15話 天地を愛でる :02/04/11 20:37
- この漢は、クマのプーさんに良く似ている。
惜しくも似ていないのは、首に紅いスカーフを巻いていないだけだ。
夕日が差し込む稽古場で、互いに正座して向き合う。
彼は私に、こう質問をした。
「ここでは八極拳を教えていると聞きましたが、何処の流派ですか?」
その巨体に似合う重低音の声が、稽古場に流れた。
「流派は知りません。」
「・・・え?」
あっさりとした私の返答に、彼は躊躇した。
私は内心苦笑しつつ答える。
「私は師母から、流派・何家・何式等は
一切聞かされてませんし、訊いた事も有りません。」
暫くの間、稽古場内が静けさに包まれる。
私の言葉を、必死に理解しようと苦悶している彼に気にせず
30年以上前のカップに注いだコーヒーを飲んだ。
旨い。
遥々山で水を汲んで来た甲斐があった。
舌鼓を打っている時、彼が荒ぶった口調で訊いてきた。
「何処の流派か分からない武術を習っていたのですか?貴方は!?」
「「八極拳」を師母が教えてくれた。私には、これだけで充分ですよ。」
本心である。
- 228 名前:第15話 天地を愛でる :02/04/11 20:39
- しかしまだ彼は、懐疑的な表情を更に深めた。
「それではナイフ武器術は、何処の特殊部隊の格闘戦術ですか?」
「師母が自ら修得していた古流剣術より、派生させた武器術です。」
再び涼しい顔であっさり答える私を睨みつけながら、彼は更に訊く。
「それでは、その古流剣術の流派は!?」
「一切聞いてませんし訊いた事もありません。故に知りません。」
物凄い歯軋りが、熊男の口から発せられる。
どうしてそんなに、流派に拘るのかねぇ・・・。
敬愛する師から、有り難い武術を教えて戴けるだけで、充分じゃないのかな?
浅黒く日焼けした顔を、更に怒りでドス黒くしながら、必死に自制する訪問者を
一瞥しながら不思議に思った。
やがて呼吸を整えた彼は、嘲笑を含めて言った。
「流派も分からぬ武術で幾ら練習しても、実戦の時
結局負けるんじゃあないですか?」
分厚い胸板の前で太い両腕を組み、鼻で笑う熊男さん。
- 229 名前:第15話 天地を愛でる :02/04/11 20:40
- その仕草を見ながら、私は確信した。
うーん可愛い。
やっぱりクマのプーさんだ。
「己の力だけに拘る人は、自分より強い力を持つ者に殺されますよ。」
淡々と静かに放った私の言葉が、彼の琴線を大きく弾いた。
彼は瞬時に顔を怒気色に染め、その歪な太い指で私を差しながら大声で言い放った。
「アンタの考え方は、間違ってる!」
ぐわあぁぁんと、稽古場に熊の雄叫びが響き渡る。
決まってるねぇ。
でかい体の分だけあって、声もでかい。
体に似合わず、気が短い人だ。
しかしこの台詞を言われたのは、これで何十回目だろう。
人の意見や考えを批判する事は、議論をする上で有意義な事だと思う。
しかし、相手の話を最後まで良く聞かずに、相手の意見の存在自体を
最初から否定し批判するのは、愚行かつ無礼極まりないと私は思う。
この様な無礼をする人達の大半は、「自分の考えが絶対的であり正しい」と
強く盲信している人が多い。
信念を抱く事は大事だが、一歩誤れば只の独り善がりでしかない。
- 230 名前:第15話 天地を愛でる :02/04/11 20:41
- 「何故、間違っていると思いますか?」
私は穏やかに訊いてみた。
「だって自分の命を守る時に、自分の力に拘らないのは
矛盾しているじゃないか!?」
「矛盾してますよ。」
「な、な・・・。」
涼しい顔をして答える私に、訪問者は怒りを通り越して、
体を震わせている。
不粋な殺気が稽古場内に吹き荒れる。
うーん、本当に怒りっぽい人だ。
全身の筋肉が盛り上がり、巨体が更に大きくなる。
膨れた胸板で、黒のタンクトップが張り上がる。
充血した一重瞼の目が吊り上がり、食い縛った歯の隙間から、
荒い獣の息を吐いている。
今にも涎が床に滴り落ちそうだ。
私は目の前で急速に膨れ上がる殺気よりも、彼の涎が気になった。
頼むから床に落とさないで。
体から獣毛を生やす位の勢いで激昂している大熊に、
私は穏かに言葉を掛けた。
「そうやって己の力だけに拘っている間は、
自分より強い力を持つ者に殺められますよ。」
- 231 名前:第15話 天地を愛でる :02/04/11 20:44
- 一瞬、沈黙が漂う。
「ま、負けた時は、また鍛えて強くなれば良いんだ!」
やや躊躇しながら、怒気を含ませて彼は答える。
「「また」は有りませんよ。永遠に。」
先程までと同じ口調。
しかし、私か゛発した言霊の微妙な変化を感じ取ったのか、
床から立ち上がり掛けた彼の動きが、ぴたりと止まる。
吐息が白くなる程寒い室内にも関わらず、何故か彼は額から汗を噴出している。
私は言葉を続けた。
「命懸けの戦いに、勝ち負けは有りません。」
私の話を聞き終わった後、彼はへたり込む様に座り込んでいた。
目から怒気が消えている。
漂ってくるのは、大きな虚脱感。
暫く静寂の後、彼は先程までとは正反対に、力の無い声で訊いてきた。
「自分以外の力とは、なんですか?」
私は笑顔で答えた。
「天地の力です。」
カッコォーンと音が鳴り響く様に、彼は顎を落として呆然自失する。
それから暫くして彼は無言のまま、よろよろと力無い足取りで
稽古場を後にした。
「私達は天地と共に生きているんだよ。」
徐々に小さくなる彼の背中を見送りながら、私は小さく呟いた。
- 232 名前:第15話 天地を愛でる :02/04/11 20:45
- ******
熊男さんが御帰りになった後、私は稽古場のシャッターを降ろした。
日は既に沈み、辺りは闇に包まれている。
シャッターを閉めた後、稽古場の蛍光灯を灯す。
今日は、生徒さんの指導予定が無い日。
つまり私の練習日だ。
私は接客時の服装、黒のタンクトップに黒のジーンズ姿のまま、
ストレッチを始める。
一つの部位に対し、計3分間費やす。
呼吸法を行ないながら脱力し、ゆっくり丹念に伸ばす。
柔軟な筋肉は、筋力と氣を多く伝達する事が出来る。
良く伸びる事で素早い動作が出来、柔らかくする事で
攻撃時に受ける衝撃を拡散させ、防御に繋がる。
短い間合いで、円のうねりと氣を同時に放つ八極では
柔らかくて良く伸びる筋肉が必要不可欠だ。
ストレッチだけで、たっぷり一時間費やす。
- 233 名前:第15話 天地を愛でる :02/04/11 20:47
- その後、八極拳とナイフ武器術の基本型練習を行う。
最初は、ゆっくりとした動作で、呼吸法と型を調和させる。
僅かな空気の流れも逃さぬ様に、全神経を研ぎ澄ましつつ、
呼吸で取り入れた氣を丹田で練り、胆力を高める。
練り上げた氣を、ゆっくり型を行ないつつ全身に行き渡らせ
大地を踏み締めつつ、円のうねりと氣を相乗し、大氣に放つ。
自分の中から徐々に我を消し、踏み締める大地と、眼前に広がる天空との
一体感を感じ始めたら、少しづつ型の動きを速める。
最後に全身全霊を込めて型を行ない、基本練習を締める。
中盤では、基本型を組み合わせた応用型練習を、上記と同様に行なう。
最後に稽古場の端で胡座を組み、瞑想する。
自分の体に染み込んでいるセンセイの「氣憶」を呼び起こし、
稽古場に幻影を投影させ、組手練習をする為だ。
しかし、この方法には一つ難点がある。
「氣憶」を呼び覚ます際の環境や、心理変化に応じて
幻影が生まれる事だ。
その時々によって、センセイの状態がかなり異なる。
10分程経った後、ゆっくり目を開く。
稽古場の中央に現れた、我が敬愛する師母の幻影は・・・。
酔っ払っていた。
- 234 名前:第15話 天地を愛でる :02/04/11 20:49
- 寒い夜、師母はよくライチ酒を飲んでいたっけ。
******
「あら?マルちゃん久し振りね。」
稽古場の中央に横座りしたセンセイは、ショートカットの
綺麗な黒髪を揺らしつつ、月色の肌をほんのり桜色に染め、
口元に優しい微笑みを浮かべながら、緩やかに右掌を振った。
白いターセルネックシャツの上に、薄桃色のカーディガンを羽織り、
ベージュ色をしたコーデュロイのロングスカートを履いている。
彼女の甘い髪の香りと、ほのかなライチの匂いが漂って来た。
最悪だ。
この状態のセンセイと組手したら、殺される。
ただの幻影とは言え、その攻撃で精神が死ぬ事は、
肉体の死に繋がる。
幻影を消せば済むのだか、私の「氣憶」から自分の氣を分けて
擬似的に彼女の気配を作り投影しているので、それを自分で消すには
かなり手間が掛かる。
いつも組手後、自主的に消えて戴いているのだが・・・。
まずい。
非常にまずい。
何とかしなければ・・・。
背中でダラダラと大汗掻いている私を、一向に気にせず、
彼女は相変わらずのんびりした口調で訊く。
「今日は防具を付けてするの?」
- 235 名前:第15話 天地を愛でる :02/04/11 20:52
- 防具を付けても無駄だ。
平時ならともかく、酒に酔っているセンセイの前では、
どんな防具を装着しても、ダンボールの鎧以下でしかない。
目の前の相手は、普段以上に隙が無い。
気配採りを阻害する衣類は、一枚でも少ない方がいい。
タンクトップが邪魔だ。
「いえ、今日は・・・」
「ふーん付けないの。本格的ねぇ。」
違う!
「えっ?素手でナイフを持った私と組手したい!?良く言ってくれました!!」
誰もそんな事は言ってない!
ああっ!右手に「あの」ナイフが!?
それはセンセイが何時も愛用している、刃渡り10センチにも満たない
小さなシースナイフだった。
あれで刺された右拳の古傷に、鈍痛が走り抜ける。
私は彼女が立ち上がる前に、息を鋭く吐きつつ疾歩した。
それと同時に、私は自分の愚行を、内心激しく痛感した。
- 236 名前:第15話 天地を愛でる :02/04/11 20:53
- 「「思い」で動いてしまった!!」
自分の中で、悲鳴に近い叫び声を上げる。
自然の流れに逆らい、「己の意」で動いてしまった。
あまりにも初歩的かつ致命的な過ち。
一歩目で、右後ろ足を低く前に振り出し、床に踏み込む。
ズンッ!
センセイは立ち上がろうとせず、私を見ていた。
彼女は薄く、笑っている。
私は戦慄した。
「破ぁっ!」
稽古場を震わせる様に右足を踏み込ませつつ、
竜咆を上げて、彼女の右側頭部目掛け
左足を蹴り放つ。
この時私は、センセイが酔っていた事を、すっかり失念していた。
- 237 名前:第15話 天地を愛でる :02/04/11 20:54
爆弾が爆発するほんの一瞬前、周囲の空気が急速に爆心へ集束する。
爆発力の高い爆薬に点火する時、大量の空気が必要になるからである。
氣を用いた武術も、例外では無い。
彼女の間合いに足を踏み込ませた瞬間、周囲の大氣が
センセイの元へ一気に集束した。
******
- 238 名前:第15話 天地を愛でる :02/04/11 20:57
- パァン!
私の左下段廻し蹴りを、センセイは右手で快音を立てながら
あっさりと外円捌きする。
グジュッ
そのまま踏み下ろした私の左足甲を、ナイフで地面に縫い付けながら
ふわりと立ち上がる。
猛烈な激痛を必死で殺しながら、私は彼女に左半身を向けたまま
両つま先を地面に捻り込みつつ、左縦拳を放とうとした。
脱力した状態から、呼吸と共に発力する間際。
ダンッ!!
彼女は地面を揺るがす如く、右足を地面に踏み下ろして、
大地の氣を震わせつつ、その白く細い右掌でふわりと私の縦拳を包み、
寸剄を流した。
脱力状態の左腕から、センセイの「氣」と「円の力」を逆流され
左手首から肩関節全てが捻り砕かれると共に、筋肉が捻じ切られた。
ガッコ゛ゴキキィッ
ビチビチビチィッ
鈍い破壊音が、激痛と共に全身を駆け巡る。
- 239 名前:第15話 天地を愛でる :02/04/11 21:01
- 「あぐおおっっ!」
その痛み故に鼻血を吹き、少し失禁してしまった。
ナイフで地面に縫い付けられた左足を、強引に引き抜き
私は半歩踏み出しつつ、右横掌底を放つ。
その右手も、彼女の左手で緩やかに縦円捌きされ、掴み引かれる。
と同時に彼女の右掌が、私の額にそっと触れる。
私は体の痛みを忘れ、内氣を急速充填し
右後ろ足を軸に、一歩引こうとした。
駄目だ。
左前足を、彼女の右足で踏み封じられて動かせない。
退路を断たれた事を悟った時。
脳が激しく揺れた。
頭に剄を流された衝撃だ。
視聴覚器官が彼女の氣で狂わされ、全て沈黙する。
- 240 名前:第15話 天地を愛でる :02/04/11 21:02
- 崩れ落ちる事は許されなかった。
まだ頭を、センセイの右手で掴まれている。
そして
ドン!ドォン!
彼女の右肘と右肩が、鳩尾に連撃された。
その衝撃を例えるならば、高速でボーリング球を撃ち込まれた感じと
言えば分かりやすいだろうか。
「・・・良かった。手加減してくれたんだ・・・。」
私は壁に吹き飛ばされながら、薄れ往く意識の中、
師母に感謝しつつ気絶した。
- 241 名前:第15話 天地を愛でる :02/04/11 21:04
- ******
目を醒ますと、まだセンセイはライチ酒を飲んでいる。
私は仰向けに倒れたまま、暫くの間センセイの顔を見つめていた。
意識が朦朧として、何も考えられない。
「思いで動くな体で動け、と前から言ってるでしょう。」
優しい口調で、彼女が言った。
「「思い」で動くと、自分の力しか出せないわ。」
「・・・なぜ?」
「あらら、頭打って忘れちゃったの?」
しょうがない子ねぇ、と彼女は苦笑した。
「己と天地を調和させて、体が赴くままに動けば、自然の流れに沿って動けるのよ。」
御猪口に酒を注ぎながら、言葉を紡ぐ。
「美味しい狂水を呑みながら、天の氣を吸い、大地の脈動を感じながら眠る。
天地を愛でる事が、天地との調和よ。簡単でしょう?」
「・・・良く分かりません。」
「貴方は本当に御馬鹿さんね。」
師母はそう言って、笑顔を浮かべたまま消えていった。
「愛でる相手が大き過ぎるよ。」
私は一人呟きながら苦笑いした。
第十五話 完
- 242 名前:第15話 天地を愛でる :02/04/11 21:04
- あとがき
稚拙な文章ですが、来年もどうぞ宜しくお願いします。
- 243 名前:護身館 :02/04/11 21:06
- 95%ノンフィクション小説「ラバーブレード」
http://homepage1.nifty.com/rubberblade/nobel%20index.htm
炸裂してます。強烈に来てます。
- 244 名前:印知己先生 ◆HAGEWz.o :02/04/11 22:31
- この才能は天賦の才ですね。
- 245 名前:第16話 子を護りし者 :02/04/12 13:52
- 「今まで武術等を全くした事がありませんが、
私に出来るのでしょうか?」
今まで教室に来られた入会志願者のほとんどが、
不安げな表情を浮かべて、私に尋ねた。
学生時代から運動をしていませんが、出来るでしょうか?
筋肉が有りませんが、出来るでしょうか?
歳を取っていますが、練習について行けるでしょうか?
女性でも出来ますか?
それらの問いに、私はこう答えている。
私は師母に、武術の教授を願い出ましたが、
「私の教える武術は、貴方には出来ない。」と明言されました。
私は、今出来ないから出来る様になりたいと申し上げると、
師母は笑顔で私の申し出を快く承諾してくれました。
そして他に類を見ない程不出来な私に、
昼夜問わず多くの時間と手間を費やして、武を教えてくれました。
今「武」が出来ないのなら、今から学んで出来るようにすれば良いだけです。
学び励む事は、何時の時点からでも始められます。
貴方が諦めない限り、どんなに進度が遅く、幾度失敗を繰り返しても
私は教え続けます。
私に武術を教えてくれた師母の様に。
- 246 名前:第16話 子を護りし者 :02/04/12 13:53
- ******
20世紀最後の12月を迎えた或る日、
一人の若い女性の方が、午後の柔らかい日差しを浴びつつ、
当稽古場の門を鳴らした。
初めてお会いした時、彼女の第一印象は、「健康的で明るいお嬢さん」だった。
彼女の名は、風さんと言う。
薄く化粧をした色白の細い顔立ちに、大きな黒い瞳。
明るい笑顔が、彼女の人柄を現している。
軽くヘアマニキュアを掛けたクセの無いセミロングの
ストレートヘアーを後ろで束ね、淡い紅色のバレッタで飾っている。
ベージュのハイネックシャツの上に白のカーディガンを羽織り、
ブラウンのゆったりしたジャンパースカートを履いていた。
この後彼女から、年齢は私より一つ下であり、
半年前に一児を出産したばかりの若奥さんと聞き、内心驚いた。
- 247 名前:第16話 子を護りし者 :02/04/12 13:55
- ご来訪の御礼をした後、稽古場二階の私室に招き、
コーヒーを薦めながら、風さんに伺ってみた。
「何故、当教室に来られたのでしょうか。」
そう伺った私の眼を、彼女は真っ直ぐ見つめながら、
強い意志を込めて短く答えた。
「子供を護りたいからです。」
暫くして彼女は、今までの経緯を語り始めた。
******
風さんが、当市内に引越しして来たのは一年前。
それから何事も無く新婚生活を送り、半年前に一児を出産後に
彼女は身の危険を感じる様になった。
昼間ベビーカーを押して近所を歩いていると、
見知らぬ不審者や車に尾行され始め、一時は襲われる寸前まで行き掛けた。
「スタンガンを買いましたが、今は家に閉まってます。」
「折角買ったのに、何故ですか?」
「ベビーカーを押している時は、両手が塞がってますから。
背負えば両手は開きますが、そうすると背後から襲われた時に
赤ちゃんが危ないので・・・。」
風さんの言う通りだ。
仮に片手を離して、スタンガンを取り出しても
その間に刃物で数回刺されている可能性が、非常に高い。
敢えて道具を携帯しないのは、咄嗟にベビーカーを横倒しするか、
覆い被さって子供を護る為であろう。
- 248 名前:第16話 子を護りし者 :02/04/12 13:57
- 風さんの自宅周辺に関しては、私にも憶えがある。
変質者や暴漢が多々出没し、未解決事件が山積みしているエリアの一つだ。
何か対策を取られたのですか?と言う愚問を、私は伏せた。
半年前から危険な目に遭い続けているのなら、ご主人や警察等には
既に何度と無く相談したであろう。
私は改めて彼女を見た。
不審者・不審車両に幾度と無く付け狙われ、
半年もの間、日々危険を強いられたら、大抵の人は
精神や体に異常を来し、酷く怯える。
車に連れ込まれて拉致される。
車に撥ねられる
ナイフで刺される。
特殊警棒で手足を砕かれる。
スタンガンを押し当てられる。
催涙ガスを吹き付けられる。
違法改造エアガンで撃たれる。
物陰から、ボウガン等で狙撃される。
これらの事が起こる可能性が高い場所と
隣接して住む恐怖は計り知れず、既にPTSDに掛かっていても、決して大袈裟では無い。
- 249 名前:第16話 子を護りし者 :02/04/12 13:58
- しかし目の前でコーヒーに口をつけている風さんは、
落ち着いていた。
風さんは、「とても怖い。」と訴えるのだが、
彼女の心から乱れは感じられない。
「思い」は怖がっているが、「心」は動じていない。
この心は、命懸けで我が子を護ろうとする、
母親の強い意志が成せる業なのか。
私は笑顔で彼女の入会を、快く承諾した。
- 250 名前:第16話 子を護りし者 :02/04/12 13:59
- ******
「こんにちわーっ!」
一月中旬過ぎの日曜昼2時50分、稽古場に明るい声を響かせながら
風さんが稽古場の門を開けた。
稽古場の壁に掛けたホワイトボードに、本日の稽古内容を
書き込んでいた私は、笑顔を浮かべる彼女に振り向きつつ挨拶を返す。
「こんにちわ風さん。」
「じゃあ着替えてきますね!」
と言い、彼女はタンタンタンと軽快に階段を上がって行く。
3時から約30分掛けて、入念にストレッチを行なう。
以前エアロビクスをされていた風さんの体は、驚く程柔軟性が高い。
つい最近まで、直立したまま前傾し、膝に顔を付けられた程だ。
柔らかく伸びが良い筋肉であるほど、動作を滑らかに素早く行なう事が出来、
打撃・防御力を高められる。
「今日は良い天気ですね。」
「なんだか、御昼寝したくなりますね。」
3時半から4時半迄の一時間、当教室で教える八極拳の基本型を練習する。
練習する基本型は、「寸歩」と「一歩」の二つ。
「寸歩」とは、構えの状態から一歩も足を踏み出さずに
その場で地面に両足を捻り込ませつつ、両手で円を描いて
攻撃を円捌きしつつ攻撃を放つ、多くの極意が凝縮された始原の型である。
- 251 名前:第16話 子を護りし者 :02/04/12 14:00
- 「一歩」とは、相手の足を砕きながら一歩進みつつ、
同時に攻撃を円捌きし攻撃を放つ「一挙三撃」の型だ。
この型には寸歩の要素も含む他に、基本歩法・蹴り等の
要素があり、後の連続技・応用型に繋がる重要な型である。
ちなみに当教室で教えているナイフ武器術は、八極拳の型と古流剣術で
成り立っているので、徒手・武器術の基本となる以上二つの型を
生徒さん達に分かり易く説明し、ゆっくり確実に時間を割いて
修練して戴く。
毎回型練習をする前に、まず私がゆっくり実演し、
生徒さんに留意点を話してから始めさせる。
「それでは風さん、宜しくお願いします。」
「お願いします。」
礼を交わした瞬間、稽古場に心地良い緊張感が漂った。
- 252 名前:第16話 子を護りし者 :02/04/12 14:01
- ******
風さんが、左半身を前にして
腰を落とし低く構える。
ゆっくり細く長く、口から息を吐き
体内の氣を下ろし、両足から大地に流す。
そして鼻から大氣を吸い、下腹部にある氣車の下丹田に
氣を溜めて呼吸を止める。
下丹田で氣を練り、胆力を高め、脱力する。
己を殺し、心の音が聞こえるまで心を研ぎ澄ます。
そして、発力。
「シュッッ!!」
鋭く息を吐きながら、全身で円を描き、力の質を変えるべく型を行ない、
肉体による「円の力」と、呼吸法により丹田で練り上げた「氣力」を
合わせ、その螺旋状の力を針の如く細めて、空一点に力を流す。
拳を素早く遠くに突き出すのではない。
力を一点に流すのだ。
一回放つ毎に、彼女の額や掌に汗が吹き出る。
徒手を放った後は、萎えた氣力を呼吸で補い、
構えに戻る。
- 253 名前:第16話 子を護りし者 :02/04/12 14:02
- 初心者は約5回で、床にへたばってしまう。
呼吸法による背筋・腹筋の筋肉痛や、型をする事で
全身の関節を高速回転させた時の関節痛・筋肉痛もあるが、
最も主な疲労原因は、気力の消耗だ。
天地から氣を取り込めれる様になるまでは、自分の氣を
使ってしまい、急激に氣が減り疲れてしまう。
文字通り「氣疲れ」である。
初心者には、型と呼吸法を擦り合わせながら
ゆっくり確実に行なわせる。
型練習中に、ゆっくり風さんの体にナイフを放ちながら、
実際にに基本型を用いて、どの様に攻撃を円捌きし、
どの部位を攻撃するのかを教える。
今練習している型動作の意味を、一つ一つ分かり易く
実演・説明し、より明確な修練意識を抱いて戴く。
- 254 名前:第16話 子を護りし者 :02/04/12 14:04
- ******
寸歩同様に、一歩の型も練習させて小休憩をする。
「疲れたぁぁ」
と力無く声を上げながら、風さんは床にへたり込んだ。
「はい、どうぞ。」
と、私は風さんにスポーツ飲料を注いだコップを渡した。
「あ、有り難う御座います。」
姿勢を正して受け取る彼女を見て、私は少し苦笑した。
「しっかり呼吸を合わせて型を行なうと、かなり良い運動になったでしょう?」
「うううっ・・・。」
風さんは、両手で全身を摩っている。
呼吸法で氣を練り上げると同時に、
型で生み出した円の力と合わせつつ、体内で力の質を変え
幾倍にも増幅し、円と氣の力を合わせて放つのが、
当教室で教えている八極拳に置ける極意の一つである。
しかし、二つの力を増幅させて同時に放つ事は、
心身にかなりの負荷を強いる。
故に初心者には、まず緩やかに呼吸法を行なわせつつ
ゆっくり型を行なわせて、自然の氣を取り入れさせ
自分の氣の消耗を押さえ、徐々に心身を養わせている。
- 255 名前:第16話 子を護りし者 :02/04/12 14:06
- 「ううっ、背中とお腹、それと前太腿が痛くて、
あと体がとてもだるいです・・・。」
二度寝をした猫の様に、彼女は床に崩れている。
「背筋と腹筋が痛いのは、呼吸法を正しく行なった証です。
あと倦怠感があるのは、自分の氣を使い果たしたからですね。」
私は笑顔で返答しつつ、二人で胡座座りし、
一緒に呼吸法を行ない、採氣を行なう。
短い時間だったが、風さんの氣はだいぶ蓄えられた様だ。
練習後半は、彼女が徒手側、私はナイフ側に分かれて
ナイフ対徒手約束組手をする。
彼女には、前半型練習をした「寸歩」「一歩」を駆使させて
私が予め定めた部位にナイフ攻撃し、それを風さんは
片方の手で武器側の手を円捌きしながら、相手の足を砕きつつ、
もう一方の手で攻撃をしてもらう。
しかし、まだナイフの形状をした武具に抵抗がある為、
私は右手を抜き手にし、ナイフに見立て寸止めで行なった。
- 256 名前:第16話 子を護りし者 :02/04/12 14:07
- まずはゆっくりと、顔面・頚部・胸部・下腹部にナイフ攻撃を
行ない、事前に説明した円捌きを行なわせて、基本型で
掌・拳・肘を放たせる。
自宅で日々欠かさず修練された御陰で、何時の間にか
風さんは、両手を同時に使えていた。
私が意外に思ったのは、彼女の心が乱れない事だ。
普通、今まで全く武をされていない女性は、
約束組手とは言え、体重80キロある男から、顔面や心の臓に
寸止めの抜き手を差し出されたら恐怖の余り、身を反らせたり
目を閉じたりする。
しかし風さんは、型動作はかなり甘いが、
上体を微動だにせず、目線を逸らさない。
約束組手が後半に差し掛かった時、
私は風さんの心を知るべく、一計を案じ実行した。
次の抜き手で、
殺気を放とう。
- 257 名前:第16話 子を護りし者 :02/04/12 14:08
- ******
私は、細く長く、息を吐いた。
心を縛る「思い」を、大地に流し出す如く。
そして大氣を舞う風の竜を、体内の丹田へ導く為に息を吸う。
丹田に導いた竜をうねらせ、右手から解き放つべく
風さんの顔面に
右抜き手を放った。
負の感情は一切無く。
ただ無心の赴くままに。
私が抜き手を放つ寸前。
風さんの心が、体を動かした。
- 258 名前:第16話 子を護りし者 :02/04/12 14:09
- ******
それは一瞬の出来事だった。
彼女は私の右手が放たれる寸前に、自ら左前手を繰り出し、
私の右抜き手を外円捌きして、掴み引く。
それと同時に、右崩脚蹴りを私の右足へ放ち、
そのまま私の右足甲を踏み封じつつ、私の左肝臓部へ右横掌底打を放った。
タァン!
一呼吸一挙三撃。
彼女は両眼に穏かな色を湛えて、真っ直ぐ私を見ている。
やがて、
「あ、あははっ、あーっ怖かったぁ・・・。」
と半ば笑いながら、ゆっくりとその場に崩れた。
- 259 名前:第16話 子を護りし者 :02/04/12 14:12
- もしかして、自覚していないのか?
うーん、自覚していれば、とっくの昔に他流で武を習っていたはずだし・・・。
しかしウチの教室は、強烈な個性を持った方が集うけど
まさか生まれつきの不動心者まで来られるとは・・・。
ま、他の生徒さん達同様、これからの成長が楽しみだな。
そう思いつつ、私は彼女の前に屈みながら
声を掛けた。
まだ風さんは放心してボーッとしている。
「ちょっと風さんが、どれ位上達されたか
抜き打ちで試しました。」
「突然だったから、怖かったですよぉ!」
私の声で我に返り、頬をやや膨らませて彼女は抗議する。
「怖かったですか?」
「とおっても怖くて、どうしていいか分かりませんでしたよ!」
「でも、ちゃんと動けてましたよ。」
「えっ?」
- 260 名前:第16話 子を護りし者 :02/04/12 14:13
- 腕組みして考え込む風さんに苦笑しつつ、私は言葉を続けた。
「風さんは、心で動かず体から動けました。
これは素晴らしい事ですよ。」
彼女は複雑な表情をして、暫し考え込む。
「・・・私には良く分かりません。」
素直な風さんの言葉に、私は笑顔で返事をする。
「では、もっと自分を知る為に修練しましょう。」
「はいっ!」
彼女の元気な声が稽古場に響き、私達は再び構え合った。
彼女が我が子を護れる様に、黒い刃先に真心を込めて
私はナイフを放った。
第十六話 完
- 261 名前:第16話 子を護りし者 :02/04/12 14:14
- あとがき
どうも皆さん、更新が遅れてすみませんでした。
もっと面白い話を書こうとしたあまり、迷いが生じて
筆を休ませてましたが、結局私の心赴くままに
書き綴る事となりました。
拙い文ですが、今年もどうぞ宜しくお願いします。
今回は若奥さんの風さんを取り上げました。
女性は母になると心が強くなると聞きましたが、
実際目の当りにして、驚くと同時に感心しました。
殺伐とした今の世の中、我が子を護る為に武術を習う若奥さんがいて、
とても嬉しいです。
当教室が、子を思う親の御役に少しでも立てれば幸いです。
- 262 名前:第17話 詰め組手 :02/04/15 17:35
- 「詰め組手をしませんか」
新年初めの初稽古をした晩、一人稽古場にいる
指導員の上川さんに声を掛けた。
「詰め・・・組手?」
始めて聞く単語に、彼は戸惑いの色を浮かべる。
私は身振りを交えつつ、解りやすい言葉を選んで
「詰め組手」について説明を始めた。
「御互いにゆっくり確実に呼吸法を行ないながら、
緩やかに動き、相手の呼吸に合わせて徒手を交える組手です。」
ちなみに組手の名称は、「詰め将棋」から戴いた。
私の説明を聞いた上川さんは、太い両腕を組んで暫し考えた後
抑揚が無い独特の口調で、一言発する。
「発力する時は?」
「手足が触れた瞬間からです。」
ふむ、と彼は言って、羽織っていたフライトジャケットをロッカーに置いた。
「わかった。」
そう言って、彼はスーパーセーフ面のみ装着して、稽古場の中央に直立する。
「有り難う御座います。」
私も上着を脱いで面を被り、壁に掛けた硬質ラバーナイフを右手に取る。
ホワイトボードに付けていたタイマーをセット。
「まず一分間から始めましょう。」
稽古場の中央で、TシャツGパン姿の男二人が
向き合って礼をする。
「宜しくお願いします。」
ナイフ対徒手の詰め組手が始まった。
- 263 名前:第17話 詰め組手 :02/04/15 17:36
- ******
「「ひゅうぅぅっっっっっ。」」
互いに細く長く息を吐きながら、
左半身を前に構えつつ、
ゆっくりと歩を擦り進める。
ずずっ。
ずずっ。
ウォーキングシューズの靴底と、衝撃吸収マットが擦れ合う。
二歩擦り進む間に、彼の呼吸と自分の呼吸を合わせた瞬間。
体が自然に動いた。
- 264 名前:第17話 詰め組手 :02/04/15 17:37
- 「ひゅうっっ」
私は緩やかに息を吐きながら、左前足で半歩踏み込みつつ、
左掌底を上川さんのコメカミへ、ゆっくりと放った。
パシッ
ゆっくり迫る私の左横掌底を、上川さんは、
左前手で横に円を描く様に外側へ円捌きし、
手首を握ろうとする。
円捌き時に、脱力しきれてなかった性か、
握り込む発力が遅い。
彼が私の手首を掴み掛けた時、
そのまま左腕を折り曲げつつ、
更に半歩擦り進み、鳩尾へ左縦肘をゆっくり放つ。
パシッ
私の左縦肘外側を、彼は右縦掌底でゆっくり
円捌きする。
あまい。
- 265 名前:第17話 詰め組手 :02/04/15 17:38
- ゴリッ
鳩尾からは逸れたが、左下肋骨に肘をゆっくり
めり込ませ発力する。
詰め組手では内臓を揺らされる程度で済むが、
これが実戦時ならば、肋骨が折れて左肺を傷付けている。
ズズッ
そのまま、彼の左前足裏に、
右後足をゆっくり擦り進めながら、
左脇腹にラバーナイフの刃先を、ゆっくり食い込ませ
刃筋を立てて引き斬る。
刃を引いた時、細かい振動がグリップに伝わる。
ああ
上川さん
お腹を斬られて緊張していますね。
そんなに緊張したら
動きにくくなるよ。
******
- 266 名前:第17話 詰め組手 :02/04/15 17:40
- 私は右手のラバーナイフで、上川さんの右脇腹を引き斬ると、
そのまま彼の右大腿部の痛点に、ゆっくり刃先で突く。
実際に、ここを深く刺されると足は動けなくなる。
そしてラバーナイフを手放し、
右横掌を彼の右脇腹に、そっと当てる。
露出させた内臓に、徒手攻撃を放つのは意味がある。
内臓をしっかり掴んで剄を流し込む事により、
確実に内部を圧壊する事が出来る。
あと内臓を掴む事で、相手を逃がさない様にする。
肘撃ちで肋骨を砕いたのも、次撃で骨に護られた重要致命傷部位へ
力を流し込む為である。
「力を多く流し込むには、直接相手の水に触れなさい。」
私に武を教えてくれた師母の教えである。
ヒタッ
私の左側頭部に、上川さんの右縦掌がそっと添えられる。
ちょっと、遅かったね。
私は、やや加減しつつ発力した。
******
- 267 名前:第17話 詰め組手 :02/04/15 17:40
- ピピピッ!
静まり返った稽古場に、タイマーの電子音が木霊する。
一分の詰め組手が終わった。
「実際には十数秒に感じた。」と上川さんは言う。
その後、二分・三分・五分と延長するが、
「ゆっくり動いている筈なのに、時間の流れがとても速く感じる。」と
彼は感慨深く感想を述べていた。
合計20分程、詰め組手を行ない、互いに礼をして締める。
「これは、良いね。」
吊り目の目尻をやや下げつつ、上川さんは笑顔を浮かべた。
御互い通常の組手時よりも、沢山汗を掻いていた。
******
- 268 名前:第17話 詰め組手 :02/04/15 17:42
- 後日、稽古場二階の自室で、
上川さんと詰め組手について、話し合った。
「あの組手で石丸が伝えたかったのは、
相手の呼吸に自分の呼吸を合わせる事で
どんな呼吸の動作にも対応出来る、と言う事か?」
上川さんの言葉に、私は笑顔を浮かべて頷く。
「そうです。逆に言えば、相手がゆっくり呼吸し
緩やかなスピードで攻撃して来ても・・・。」
「呼吸を合わせられなければ対処出来ない、か。」
先日の詰め組手を思い出したのか、彼は深く頷いた。
しっかり呼吸法を行なう事で、無駄な体力の消耗を押さえ、
長時間動く事が出来る。
複数の暴漢を相手にした時、長時間の攻防時に置ける
スタミナ切れを防ぐ為だ。
コーヒーを啜り、再び彼が口を開く。
「相手のゆっくりした攻撃が、素早く感じたのは
自分が止まっているからか?」
「ご名答。」
彼の答えに、私は内心喜んだ。
- 269 名前:第17話 詰め組手 :02/04/15 17:42
- 相手がどんなに遅く動いても、
自分が、どう動いていいか解らず一瞬でも動きを止めたら、
相手の動きが素早く見える。
「あと別の意味で、かなり怖い組手だな。」
「ゆっくり動く分、ナイフから強烈な殺気を
致命傷部位に、長時間放たれますからね。」
それにより、視聴覚器官に頼らず、
肌で殺気等の「氣採り」をする術を体得してもらう。
「しかし改めて痛感したよ。」
茶菓子のチョコを摘みつつ、上川さんが腕組みする。
「何をですか?」
「・・・力は当てのではなく流し込む事を。」
私が教えている八極拳は、型と呼吸法を合わせて行なう事により
体の中でうねり上げた「円の力」と「氣の力」を合わせ、針の如く
細く一点集束させて、相手の体に「流し込み」浸透・爆発させる武術である。
ナイフ武器術も、八極の動作と古流剣術を合わせた型を、
呼吸法と合わせて行ない、刃先に氣を込めて斬る。
- 270 名前:第17話 詰め組手 :02/04/15 17:43
- どちらの武術も、勢いをつけて力まかせに行なう物では無い。
型と呼吸を合わせる事で、初めて真価を発揮出来る。
今まで行なっていた通常の素早い組手では、
本質を失念し、勢いをつけて誤魔化しまいがちになっていた。
「御理解して戴けて嬉しいです。」
体でしっかり理解した彼は、きっと上達するだろう。
「これからも宜しく頼む。」
礼をする彼に、私も笑顔で頭を下げる。
「こちらこそ、どうぞ宜しく。」
生徒さん達に詰め組手を教えたのは、それから間も無くだった。
動いている間は脱力し、触れた瞬間に発力する。
外面は静かに、内面は激しく。
これから詰め組手を通して、皆の心・技・体が成長するか楽しみだ。
第十七話 完
- 271 名前:第17話 詰め組手 :02/04/15 17:44
- あとがき
今回は、新たな試みとして「詰め組手」について書きました。
ゆっくり動くとは言え、相手の武器に見とれていると
徒手攻撃を受けてしまう。
中々奥が深いです。
- 272 名前:第18話 心を伝える :02/04/15 17:47
- 私の母方の祖父は、武人だった。
九州管区警察学校で武道の教授をしつつ、家では柔道場を開いていた。
第2次大戦直後に開いた柔道場には、様々な国籍の人達が門を叩き、
祖父は分け隔てなく、武を学びたい人を快く迎え入れた。
警察・司法関係の道場生に、樽で作った自家製の濁酒を堂々とふるい、
豪快に笑いながら、小柄な体で2メートル近い道場生達相手に稽古をしていた。
私が生まれつき猪首なのは、祖父の遺伝かも知れない。
或る日、道場生の青年が祖父に「警官になりたい。」と相談しに来た。
青年は、自分が異国の人である事を気にしていたが、
祖父は一向に気にせず、職場の警察署に、
「警官になりたい奴がいる。」
と一言だけ言った。
それだけで書類審査・採用試験等一切無く、青年は警官に採用された。
「意志を持った人間がなれば良い。」
後の祖父の言葉である。
- 273 名前:第18話 心を伝える :02/04/15 17:48
- 如何に小柄な体で、巨体で豪腕な相手を倒すか日々研究し、
1962年に一冊の本を出版する。
柔道をされていた指導員さんが、祖父の本を読み見終えた後、
「柔道の教本と言うより、実戦を主眼にした総合格闘だな・・・。」と、
目を細めて感想を漏らした。
武を教える事が、何よりも好きな人だった。
東京の道場から、審判や稽古の依頼があれば
手弁当一つで夜行電車に乗り、移り往く季節を車窓から眺めつつ
俳句を綴っていた。
「旨い酒を飲んで、柔道が出来れば何もいらん!」
そう言って樽から柄杓で濁酒を飲み、
バンバン柔道をしていた祖父は、
60過ぎた或る朝、酔い寝入る如く他界した。
- 274 名前:第18話 心を伝える :02/04/15 17:50
- 祖父の死に様は、窓から降り注ぐ朝日を浴びながら、
両膝を床に着き、体を少し前へ屈め、薄く笑顔を浮かべていたと言う。
その姿は祖父らしい死に様であると同時に、
今までの生き様を表している様に思えてならない。
今でも祖父を偲び、当時の道場生が年1回、同窓会を開いている。
某企業社長・警察上層関係者・検察庁関係者・弁護士・道場館長等に
なられた道場生達が、酒を酌み交わしながら、祖父の事を肴に談笑する。
死しても慕われる故人が、とても羨ましい。
祖父とは全く流派が異なるが、私は「逃げられない時の護身」を主眼にした
対ナイフ専門武術教室を開いている。
これも因果なのだろうか?
教室を開いて、もうすぐ1年経つ。
私は生徒さん達から、どんな先生と思われているだろう?
- 275 名前:第18話 心を伝える :02/04/15 17:51
- 稽古場で、暖かい初春の陽射しを浴びながら、
不意に祖父の事を思い出し、つい考えた。
ま、教えるのが下手な新米先生と思われているだろうな・・・。
「一生懸命遊びながら学べ!」
と、柔道を教えた祖父には、まだまだ程遠い。
内心苦笑した時、稽古場の門がゆっくりと開いた。
「・・・こ゛、ごんにち゛わ・・・。」
擦れ声と、鼻水の啜り音が、室内に低く響く。
風さん
風邪引いたな。
- 276 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :02/04/15 17:57
- ******
当教室での授業は、主に四つの内容で構成している。
まず最初にストレッチを行ない、
当教室に置ける八極拳の練習をし、
次にナイフ武器術を指導してから、
ナイフ側と徒手側に分かれて約束組手を行なった後、
自由に手を交える詰め組手で締める。
八極拳の指導では、専門用語は極力使わず、
理解しやすい言葉・表現を心掛けている。
型動作は、「呼吸法による脱力・発力法」・「呼吸法による発氣・蓄氣」
と連動させて行なうので、混乱させぬ様ホワイトボードで図解しつつ、
型を分解し、幾度も実演しながら、分かり易く憶え易い様に説明する。
- 277 名前:第18話 心を伝える :02/04/15 17:59
- 「型が素早く出来なくても叱りませんから、
ゆっくり、確実に、心を針の如く細めて、型を行ないましょう。」
毎回型練習時に、私が生徒さん達に言っている言葉だ。
まずは呼吸法で脱力し、吸い込んだ「空氣」と「地氣」を
丹田で蓄氣し練り上げ、体内を流れる力を感じ採りながら、
ゆっくり確実に型動作を行い、発力・発氣する。
これにより、肉体的動作と、体内に置ける力の流動感覚を
潜在意識に深く擦り込める。
全神経を針の如く鋭敏化させる事で、
己の「意識」を殺し尽くし、
「無意識」で型練習を行ない、
「無心」で力を流せる様になる。
生徒さん達には、一つでも多く「良いイメージ」を持ち帰って戴きたいので、
決して焦らせず、心体感覚が掴めまで優しく導く。
- 278 名前:第18話 心を伝える :02/04/15 18:00
- 人からよく、「何故先生は怒らないのですか?」と訊かれた事がある。
確かに、今までに生徒さんを叱った事は、一度も無い。
初心者は、型動作が素早く正しく出来なくて当たり前。
生徒さん達は、今までした事が無い武を、
制敵護身のために体得したくて学びに来ている。
自分が未熟である事は、一番本人が知っている。
ただし初心の生徒さんは、何故出来ないのかが分からない。
だから先生である私が、何故出来ないかを理解しやすい様に説明し、
その生徒さんが出来る様に教える。
一つ出来たら誉め、そして次に導く。
技の説明をしている時は、生徒さん達はかなり引いている。
無理も無い。
「武術」であるが故、用い方・動作・効力の説明は、あまりにも殺伐で
血生臭い事極まりない。
しかし、自分達が修練している「武」の自覚を促し、
各自責任を持って戴く為、淡淡と「現実」を説く。
基本型練習の合間に、実際ナイフで襲われた場合、どの様に
型を駆使するのかを、生徒さんに実演させながら説明する。
それを通して、型は膨大な技が結集した一つの集合体であり、
始源である事を認識して戴く。
- 279 名前:第18話 心を伝える :02/04/15 18:01
- ******
今日の風さんは、風邪を引いている。
症状はかなり酷い。
両鼻は詰り、喉は度重なる咳で痛んでいる。
いつも健康的な笑顔を絶やさない顔は、蒼白と化していた。
悪寒で、指先が小刻みに震えている。
高熱で、自我意識が薄らいでいる。
刃物で斬られて出血した際、身体は傷口から入る菌を殺す為に
体温を上げて殺菌する。
今の彼女は、その状態に近い。
病んでいる体を無理矢理推して来た風さんの無謀さに、
私は腹の底から怒声を上げようとしたが、
「・・・毎週、楽しみに、・・・しているんです。」
と言い、私に心配かけまいと、彼女は痛々しい微笑を浮かべた。
- 280 名前:第18話 心を伝える :02/04/15 18:02
- 膨張していた怒気が、風さんの発した言霊により
一瞬で霧散する。
私は改めて彼女を見た。
崩れ掛ける体を、必死に維持している。
身体が危機的状態で、最も効果的な修練法・・・。
「推手」をやってみるか。
- 281 名前:第18話 心を伝える :02/04/15 18:03
- ******
「風さん、右構えになってください。」
「え゛っ、ごうですか?」
ゆらゆらと持ち上がった彼女の右腕に、
私は右上腕をぴったり貼り付ける様に添えた。
「足はその場から動かさず、右腕を私の腕から離さないでください。」
風さんが微かに頷く。
「私の右手はナイフです。
今から風さんの致命傷部位を、ゆっくりナイフで刺突・斬撃します。
風さんは「基本」で捌いて下さい。」
「・・・。」
彼女は無言で頷く。
「宜しいですか?」
穏かな口調で、風さんの意志を最終確認する。
強制や命令による練習は、意味を成さない。
風さんは、薄っすらと笑顔を浮かべつつ頷いた。
「それでは始めます。」
- 282 名前:第18話 心を伝える :02/04/15 18:04
- ******
私の右手刀が、
秒速数センチの速度で
ゆっくり
ゆっくりと
風さんの喉元へ
伸び始める。
風さんは力を込めて
外側へ払おうとする。
しかし
私の右腕は一切動じる事なく
ゆっくり前へ伸びる。
彼女は、やや動揺しつつも
更に力を込めて
下に落とそうとする。
- 283 名前:第18話 心を伝える :02/04/15 18:06
- しかし
私の右腕は下がる事なく
ゆっくり前へ伸びる。
ゆっくり着実に迫る「ナイフ」を模した私の右手刀に、
彼女は初めて恐怖した。
風さんは、己の右腕に全体重を掛けて
ナイフを推し返そうとする。
しかし
私の右腕は、一寸足りとも推し戻される事なく
ゆっくり
ゆっくりと
風さんの喉元へ伸びる。
- 284 名前:第18話 心を伝える :02/04/15 18:06
- 彼女の混乱した意識が、空氣から伝わる。
腕に力を込めても
足を踏ん張っても
腰に力を込めても
雲の様に遅いナイフを
外に払う事も
推し返す事も
留める事すら出来ないなんて。
ああ
喉元まで
あと15センチ
14センチ
13センチ・・・。
・・・・・・殺される。
- 285 名前:第18話 心を伝える :02/04/15 18:07
- 私は茫洋としながら
ナイフに模した右手を伸ばしていた。
力は一切込めていない。
呼吸は普段通り。
体幹筋の捻りや、足等は別段意識していない。
ナイフで斬る部位に、神経を集中させていた。
ナイフを喉元へ伸ばしているが、喉は狙っていない。
「喉」は致命傷確率で言うと低い部位である。
狙いは喉付近にある、最重要致命傷部位。
そこをナイフ武器術で損壊する。
いや
素手を用いた方が損壊させ易いか。
風さんの「意識」を殺し、彼女の「心」を覚醒させる為
ゆっくり、確実に、「逃れられない恐怖」を
差し伸べる。
彼女の喉に、私の右指先が触れた時。
風さんの体から、一切の「力み」が消えた。
床から伝わる微かな「波」を感じ、彼女の眼を見る。
半眼になった風さんの瞳は、深く澄んだ黒色を湛えていた。
ようやく彼女の「心」が起きたようだ。
おはよう。
- 286 名前:第18話 心を伝える :02/04/15 18:08
- ******
ぎっ、ぎりっ、ぎりりっ
喉元まで伸ばした私の右腕が、
ゆっくりと推し戻される。
80キロある男の右腕を、
40キロ代の女性が細腕一本で推し返す。
西洋力学上有り得ない、非現実的な光景が
稽古場で静かに展開されていた。
着実に推し戻されつつ、風さんの動きを観察する。
呼吸法による脱力・発力、良し。
蓄氣・練氣・発氣、良し。
体内・体外に置ける「力」の流動感覚、良し。
型との連動性、良し。
- 287 名前:第18話 心を伝える :02/04/15 18:09
- 今まで教えた基本が、風さんの潜在意識に強く擦り込まれている事を
確認し終わった時には、最初に手を交えた時点まで推し戻されていた。
しかし、風さんの発力は一向に緩む気配は無い。
仕方ない。
軽く「飛んで」もらうか。
私は軽く息を吐きつつ、横に外円を描いて発力する。
その時、風さんの足元から微かな震動が発生した。
彼女の右腕は、先程までの私と同様
真っ直ぐ伸ばした姿勢を保っていた。
そのままゆっくりと
私の鳩尾へ
右横掌底を伸ばし始める。
殺氣は感じられない。
しかし、狙っているのは
心臓だ。
- 288 名前:第18話 心を伝える :02/04/15 18:11
- 腰から地下に「力」を伸ばしたか。
・・・これは面白いな。
もう少し御相手願おう。
この時私の口元は、
笑っていたかも知れない。
細く長く息を吐きつつ、
体内の水をつま先から大地に流し尽くし脱力する。
一気に空氣と地氣を吸い、
丹田に蓄氣し練り上げ
質を変えた力を、
全関節と筋でうねり流そうとした時。
「く゛しゅんっ!!」
風さんが思いっきりクシャミをした。
「・・・あ゛、あ゛でっ?」
ついでに「意識」も戻っている。
私は、何とも言えない虚脱感に耐えつつ
苦笑しながら声を掛けた。
「・・・・・・鼻、かみますか?」
- 289 名前:第18話 心を伝える :02/04/15 18:12
- ******
あの後は、2階の自室にて
暖かいコーヒーとチョコを摘みながら講義をした。
「・・・づまり゛推手は、円捌きや、尺・短・寸・・・零剄の修練に゛、
どても゛・・・有効な゛んです゛ね゛。」
「そうです。一方にラバーナイフを持たせて行なうと
対ナイフ修練にもなりますよ。」
笑顔で相槌を返す。
暫く護身について講義していると、風さんが小さくてを挙げて
質問をした。
質問内容を要約すると、以下の通りだ。
「待ち伏せしているストーカーに、死角から拳銃で狙撃された時
どの様に対処したらいいんでしょうか?」
- 290 名前:第18話 心を伝える :02/04/15 18:14
- 私は目の前にあるショーケースから、一丁のガスブローバックガスガンを
目の前に取り出した。
ドイツH&K社USP。
軍用大型拳銃である。
「拳銃は、刃が長いナイフです。
この武器を使用するには、抜く・狙う・撃つの3動作が必要で、
直線による一点攻撃に限られる分、ナイフより強烈な殺氣を
一点に放射します。
その殺氣を、いち早く氣配採りして身を捌けばいいです。
実際、こんな軍用大型拳銃で狙われる事は滅多にありませんが。」
風さんは暫し考え込んだ後、ゆっくり口を開く。
「・・・マカレフの゛よ゛うに゛、小さい拳銃は、殺氣もぢい゛さい゛のでずか?」
部屋に妙な沈黙が流れる。
妙な事には博識だな、この人は・・・。
ちなみにマカレフとは、ロシア製トカレフの姉妹にあたる小型拳銃である。
「うーん、武器の大小と殺氣は必ずしも比例しませんね。」
またもや小首を傾げて風さんは考え込んだ後、
目の前に置いたガスガンを指差して私に訊く。
「・・・わ゛だしにも゛、氣配採り・・・が、でぎるの゛でしょうが?」
「試しましょうか?」
- 291 名前:第18話 心を伝える :02/04/15 18:15
- 私はそう言って、USPを手に取り
彼女の背後から1メートル程離れて、
風さんの背に銃口を向ける。
居間に座っている女性の背後から、男が拳銃の銃口を向ける。
端から見ると、かなり異様な光景だ。
銃口を風さんの左肩に向け、トリガーに人差し指を掛け様とした時、
彼女の左肩が微かに震えた。
「今、どの部分に殺氣を感じました?」
「・・・背中でず。」
次に右肩へ銃口を向けると、彼女の右肩が微かに震えた。
「今のは?」
「・・・左肩でず。」
最後に、背中を通して、膝の上に添えている
風さんの右手に殺気を絞る。
すると彼女の右指先が、ピクリと反応し、
緩やかに射線上から手をずらした。
「次は?」
「頭です゛っ・・・。」
- 292 名前:第18話 心を伝える :02/04/15 18:17
- 私は、そっと撃鉄を戻しテーブルへ戻った
「・・・あ゛の゛・・・、はずれ゛てま゛したか?」
心配気な表情を浮かべて、彼女が訊いてきた。
「意識的には、全て外れてました。」
事実を伝えると、風さんは「ああ、やっぱり」とがっくり肩を落とした。
「しかし」と、私は言葉を続ける。
「風さんの心は、私の殺氣を全て氣採り出来ましたよ。」
「・・・。」
彼女は、両腕を組んで、またもや悩みはじめた。
分かった様で分からない、と言った所か。
暫くして風さんは、「あ゛っ、思い出しま゛した゛!」と幾分大きな声を上げた。
「へっ?」と思った私に、彼女は鞄から小さなクッキーの箱を取り出し
手元へ差し出した。
「・・・い゛つも゛御茶菓子頂いてい゛る゛、御礼、でず。」
武を教えて、暖かい真心が頂けた。
「ありがとうございます。」
第十九話 完
- 293 名前:第18話 心を伝える :02/04/15 18:18
- あとがき
3月4日発売の九州版ケイコとマナブ4月号に、
「九州初上陸の教室特集」ページの巻頭で、
当教室が紹介されます。
どんな反応があるか、とても楽しみです。
- 294 名前:第19話 流れの源 :02/04/15 18:20
- 心の流れ無き技は無力。
心の流れ無き修練は無意味。
自我で技を放つ者は、自我で己を滅ぼす。
心を軽視し、自我で技を放つ事に執着し、肉体だけの力に酔い痴れている者は、
不意に暴漢からナイフで襲われた時、その強い自我で己の心を縛り、
自ら体を硬直させ自滅する。
何故か?
一般的に、暴漢を目の前にして体が硬直するのは
「強烈な恐怖感で体を縛られるから。」と解釈している方が多いが、実際には違う。
目の前に迫り来る恐怖感で、自我意識が崩壊するのを防ぐ為、
自動的に心が精神防御壁で覆われ、その結果
心に追随している肉体が硬直する。
恐怖感から自我を護るべく働いた精神防壁で、
自らの心と体を縛り、更に身の危険を高めてしまう。
なんとも皮肉な話だ。
- 295 名前:第19話 流れの源 :02/04/15 18:20
- 古の武道で、「己を斬って斬って斬り尽くして忘我し、技と一心同体になれ。」
と言う口伝がある。
「殺し合いの戦で、自我がある故に体を硬直させぬ為、
意識で技を放たず、自我を殺し尽くし忘我の境地で
心から技を放てるように武を修練せよ。」と伝えている様に私は思える。
「力」は、心が流れる事で生み出される。
今まで武術の修練を通して見出した私の答えである。
生徒さん達には、力の源である「心」を見出して戴く為に
「禅」を教えている。
「素速いナイフ攻撃に対して、のったりした禅なんぞ役に立つか!」
と、ご立腹されている方が沢山いると思う。
しかし。
激しく動く凶刃を対処するには、
静かにゆっくりと己の心を知る修練が必要不可欠だと、
今まで真剣組手をして来た経験上、私は信じている。
今日も稽古場では、如何なる状況に関わらず、瞬時に忘我し
針の如く心を細められる様、生徒さん達に「座禅」と「立禅」を
して頂いている。
最初は心で五体の流れを導き、やがて流れが心を導く様、
焦らせず・ゆっくり・確実に行なわせる。
水曜の夕方、紅く生暖かい夕日がガラス壁を通して
稽古場に差し込む中、一人の生徒さんが細く長く息を吐き出す
呼気音だけが響いていた。
生徒の名は、北と言う。
- 296 名前:第19話 流れの源 :02/04/15 18:22
- ******
北君は、大学で臨床心理学を専攻している学生さんだ。
勉学に熱心で、院生まで続けたいと彼は語る。
武の経験は無く、日々ウォーキングを日課としている。
インターネットで当教室ホームページを見つけ、
私の拙い小説を読み、当武術に興味を抱き現在に至る。
何故北君が当教室に興味を抱いたのか?
それは彼が、八極拳を扱った某有名漫画の愛読者だったからである。
ちなみに槍を持って妖怪退治をする漫画の作者が、外伝で書いた
形意拳士の話も好きと言う。
習い始めた当初、彼は私が教える八極拳が、某漫画の八極拳と
あらゆる面で大きく異なる事にかなり戸惑っていたが、
型修練を行なう事で「体験・体感を通して納得出来ます。」と喜び、
毎週楽しみに通われている。
心から武を学ぼうとする生徒達に恵まれ、私は嬉しい。
******
- 297 名前:第19話 流れの源 :02/04/15 18:23
- 練習の始めに必ず、座禅と立禅による腹式呼吸瞑想法を行なっている。
禅の説明をする前に、五体について説明しよう。
五体とは、(肉体・生体・幽体・霊体・意識体)を意味し、
体内には五体のエネルギー変換点が、丹田・チャクラとして存在する。
専門用語を省き、簡潔に解り易く説明すると、
呼吸で氣の流れを調節し、全身に氣を巡らせる事で
心の死角を消し、五体を活性化させ、瞑想で心の乱れを正して精神集中し
針の如く細く一点に、五体の流れから生み出した力を放つ為の修練に行なっている。
一点への精神集中を伴った脱力状態に至る為の修練とも言える。
「体がリラックスし、心が落ち着く。」と女性陣から好評だ。
両足で立った状態で行なう立禅では、つま先まで氣を行き渡らせる修練になると共に、
型動作に必要な下肢の筋肉を強化出来る。
生徒さん達には、瞬時に両つま先で、地面を鋭く踏ん張れるよう
八文字歩形立禅と、型動作中の立禅の2種類を指導している。
禅の後、互いに相対して立ち、両腕を合わせて推手を行なう。
闇雲に手先で相手の腕を、力任せに推すのではなく、
座禅・立禅の呼吸瞑想法を遵守させつつ、全神経を鋭敏化し、
流れてくる力の強弱や向きを感じ採りつつ、
関節の曲がる方向等を留意しながら円捌きをすると同時に、
五体から流れを生み出し、発力する事を教える。
- 298 名前:第19話 流れの源 :02/04/15 18:24
- 次に基本型の練習を行なう。
沢山回数をこなすのでは無く、呼吸で内面の流れを導くよう意識させ、
弓矢を放つ如く、全身全霊を一点に絞らせ、一拳一掌丁寧に型を行なって頂く。
掌・拳・肘等を放つ直前まで、構えの状態のまま暫くの間静止させ、
構えで立禅を行なわせつつ、型練習をして戴く。
ゆっくり確実に型を修練させる事で、魂に深く深く擦り込み、
無心で技を放てる様にする。
針の如く呼気しながら、全関節を急回転させ、筋肉を伸ばした次の瞬間、
高速回転させた関節に急制動を掛け、関節間の伸張筋を更に伸ばし、
五体から流れ生み出した螺旋の力を一点に集束させ、体内に流し込み、敵の五体を同時破壊する。
たくさん力を放つ為に、たくさん力を脱する。
数倍に匹敵する直線の力を螺旋状に圧縮し、針の如く一点に解放する。
より遠くへ手足を伸ばす為に、しっかり体を引く。
当教室で教えている八極拳を、簡潔に説明すると上記の様になる。
柔軟で伸びやかな伸張筋と、高い瞬発力、明瞭な想像力を兼ね備えている
女性には特に向いていると師母が言っていたが、その時は正直実感が湧かなかった。
しかし、入会して僅か3ヶ月の風さんに、胴防具を着た私へ半歩の型を放たせ、
背筋が破れる位の撃ちを戴いた時、あの時言われた師母の言葉に納得した。
「風さん、夫婦喧嘩の時に使っちゃ駄目だよ。」
北君は、型を流れとして捉える才に長けている分、型動作が綺麗だ。
肉体の力は拳頭まで行き渡っているが、残り四体から力を流れ生み出すまでには至っていない。
指先まで五体の力を流せる様に、理解し易い様に教え、
動作の意味を考えさせつつ型修練をして戴き、真意に導く。
- 299 名前:第19話 流れの源 :02/04/15 18:26
- ******
型練習後、休憩を挟んで互いに防具を装着し、
「ナイフ」対「徒手」による約束・詰め組手を行なう。
武器側にナイフ武器術を教え、徒手側の致命傷部位へ
鋭くナイフ攻撃を繰り出させ、徒手側には迎撃法を教え、
ナイフ攻撃を円捌きしつつ武器側の致命傷部位へ、渾身の一撃を放たせる。
互いの命を的にして、武器と徒手を応酬し合い、
忘れていた「死」を心身から知る事を通した上で、
迫り来る死から「生」を見極める。
これが、当護身武術教室に置ける組手の理念である。
上記の理念で組手を行ない、平時から「生きる覚悟」と「死ぬ覚悟」を
して頂く事で、退路無き時に殺人鬼から命懸けで護身する事が出来る。
- 300 名前:第19話 流れの源 :02/04/15 18:26
- 当教室では「試し合い」は無い。
答えは簡単。
古の武術は、敵国の武人を如何に一撃で瞬殺するかを理念に
粋を結集し殺傷力を極限まで高め尽くした「殺人術」である。
「武術はスポーツや格闘技では無く、純粋な殺人術よ。
その事実を決して忘れないで。」
私が武術を習い始める際、師母より頂いた言葉だ。
一度失えば二度と取り戻せない「生」を懸けた「殺し合い」の戦に本来用いる古の武術を、
幾度でも繰り返せる勝ち負けを競う「試し合い」に用いればどうなるか。
詳しく語る迄も無いだろう。
喧嘩や試し合いの勝ち方に興味は無い。
一つしか無い命を、如何に死から命懸けで護り生き延びるか。
私にとっては、その事が重要だ。
- 301 名前:第19話 流れの源 :02/04/15 18:27
- ******
詰め組手の「詰め」には、
「三手先まで読みつつ、確実な一手を放つ。」と言う意味を込めている。
縦横無尽に素早く動くナイフに対し、
無闇に徒手攻撃を数多く放っても意味が無い。
素手同士の喧嘩なら、単なる殴り合いで済むが
ナイフで攻撃された時は、致命傷部位を
1回刺突・斬撃されたら「死」に繋がる。
たった1度の誤りが永遠の死を招く。
ナイフを持った暴漢から殺されない為に、素手の生徒さん達には、
ナイフ武器術と徒手武術を同時に駆使する最悪の天敵、
つまり私を相手に詰め組手をして戴く。
護身上の仮想敵として、これほど忌まわしい奴は、そう滅多に居ないだろう。
私から硬質ラバーナイフで斬られた後、「本当に斬られた感覚が伝わり怖い。」と、
ある生徒さんが感想を漏らしていた。
当然だろう。
過去に刃の付いた本身のナイフで、真剣組手を行ない体を斬られた経験から、
本身のナイフに置ける刃筋の立て方・入れ方、引き・推し斬り動作、柄の握り込み
刃先までの意念・発氣等をラバーナイフで再現しているので、生徒さんは
「本物のナイフで斬られた。」と錯覚する。
- 302 名前:第19話 流れの源 :02/04/15 18:30
- 生徒さんが護身で流す血を少なくする為、私は硬質ラバーナイフと徒手を放ち、
幻の血飛沫を稽古場に舞い散らせる。
命を護る戦いで、生徒さんが生き残れる様、
私は無心で生徒の我を斬る。
******
話が逸れるが、組手をするなら山が最適だ。
木陰等に隠れて、生徒さんを不意討ちする事で
「見えない」暴漢に対処する修練が出来るからである。
何故暴漢が「見えない」のか?
よく世間では、
「暴漢に襲われたら、この護身用具を用いたら絶対大丈夫。」
または、「暴漢が潜んで居そうな所を避ければ、危険な目に遭う事は無い。」
極めつけは「とにかく逃げれば大丈夫!話術を駆使して敵の虚を突け!」
と言う護身の心得が広まっている。
以前、当教室を訪問された武人の方が、上記の事柄を挙げて
「貴方の護身は根本的に間違っている。すぐ改められよ!」と言われた際、
私は一言訊いた。
「何故襲われる前に、見ず知らずの他人を「暴漢」だと断定出来るのですか?」
その方は何も言えず、当教室を後にした。
- 303 名前:第19話 流れの源 :02/04/15 18:32
- 気配採りの修練をしていない一般の人は、暴漢から襲われる前に、
周囲にいる見ず知らずの他人を、「暴漢だ」と事前察知するのは、ほぼ不可能だ。
突然ナイフで刺され、ナイフを握った見ず知らずの人間を見て
ぼんやり暴漢だと認識が湧いたら良い方だろう。
護身用具は「襲われる前」に「敵を認知してから」初めて使用出来るが、
「見えない敵」に使用する事は出来ず、襲われた後では遅い。
「危険そうな所へ行かなければ、危ない目に遭わない。」
はっきり言おう。
全ての場所が、危険であり安全な場所だ。
危険な確率が極めて高い場所へ行くのを避けるのは、
護身の観念上、大いに賛同する。
しかし。
有りもしない「安全な場所」を盲信事は危険だ。
危険の対象である暴漢は「人間」である。
手足を備え高い知能を持った「動く危険」は、
一定の場所に縛られる事無く、向こうから忍び寄って来る。
安全だと信じきっていた場所へ。
- 304 名前:第19話 流れの源 :02/04/15 18:32
- 特に最近の暴漢は、殺人と言う「手段」の為には「目的」を選ばず、
希少な犯罪行為を成就させるべく、襲う相手が警戒・反撃して来る事を予測した上で、
死角から不意を突いて襲い掛かる傾向が増加している。
ストーカー犯罪が、その代表例だ。
最後に「話術を駆使して、暴漢の虚を突き逃げれば良い。」と言う護身の心得だが、
もし暴漢が薬物中毒者または異邦人の場合、言葉が通じるのだろうか?
殺人行為を目的にしている暴漢は、相手と話をすれば理解し合う事で
殺し合いが不成立になるから、敢えて問答を無用としている。
話を詰め組手に戻そう。
- 305 名前:第19話 流れの源 :02/04/15 18:34
- ******
詰め組手は、一戦三分間で行なう。
今、三戦目が始まって二分が経過した。
北君は、全身をナイフで斬り刻まれながらも、必死で円捌きし、
辛うじて致命傷部位を死守している。
動脈・神経・臓器を刃で斬られて居らず、関節・致命傷部位に
徒手攻撃を受けていないので、組手を続行する。
私の視界には、血塗れの北君が映っている。
斬り傷から滴り流れる血で、シャツとカーゴパンツが紅く染まり、濡れて重そうだ。
左下顎は裂けて骨が露出し、左手の小指・薬指の間が縦3センチ程裂けている。
右瞼が斜めに切り裂かれているが、刃先は眼球に食い込んでいなかったので、失明を免れている。
胸部には刺突傷があるが、肋骨に阻まれ、刃は内臓壁を貫通するまで至っていない。
踏み込んだ際に刺されたのか、右大腿前面に数カ所の刺突傷があり、
膝頭が裂かれ、傷口から白い半月板が見える。
金臭い血の匂いが鼻を突く。
ナイフと徒手攻撃を両方駆使する相手に、素手で2分間戦い、
この程度のダメージに押さえた事は充分評価出来る。
北君が最初に組手をした時は、3秒で死んでいたが
4ヶ月後には2分間生き延びられる様になっていた。
私は構え直しつつ、素早くナイフを診断する。
鋭刃は幾度も骨に当たり、かなり欠けている。
刺突は難しいな・・・。
まだ早いかも知れんが、「無月」を試してみるか。
私はナイフを逆手に握った。
- 306 名前:第19話 流れの源 :02/04/15 18:35
- ******
「呼吸や型を忘れて、無闇に機関銃の如く攻撃を放っても
鶏の突付き程度の威力しか無い。
弓矢を射る如く、力を一点に流せ。
心を研ぎ澄ませば、時の流れが緩やかになる。
空氣を通して伝わる殺気を感じ採り、
確実な一矢を相手の命に放て。
それが「詰め組手」だ。」
詰め組手を行なう際、毎回生徒さん達に言っている言葉である。
第三戦の終了まで残り30秒。
互いの前手が触れ合う。
しかし、両者共動かない。
尺・短・寸の間合いを自在に操り、零距離から力を放てる八極拳に対し
何も考えずに間合いを詰めるのは、自殺行為に等しい。
双方共、全感覚を針の如く研ぎ澄ませ、「氣採り法」を駆使し、
相手が発する殺気を無言で探り合う。
- 307 名前:第19話 流れの源 :02/04/15 18:36
- 稽古場に、細く長い吐息音が、風の音の如く響く。
一分が一時間に感じられる中、
北君の右後ろ膝が、衣1枚程揺れた瞬間、
次に踏み込んでくるであろう北君の右足膝に対し、
私は右後ろ足で崩脚を放った。
膝関節または脛を砕きながら踏み込みつつ、ナイフを逆手握りした右手で、
彼の顔面に縦拳打を放つ。
仮に右縦拳を円捌きされても、首を掠めながら右腕を伸ばし
彼の頚椎にナイフを鎌の如く食い込ませ、腰から一気に引き斬る。
相手はナイフの刃を一切見る事無く、体を斬り裂かれる事から、
「無月」と呼ばれている。
- 308 名前:第19話 流れの源 :02/04/15 18:38
- その「無月」を北君は円捌きし、私の致命傷部位へ徒手攻撃を放った。
彼は私の右拳打を、左前手で外円捌きしながら左拳を腰に引きつつ、
左前足を半歩擦り進めて私の崩脚を捌き、つま先で踏ん張った瞬間、
私の鳩尾に左縦拳を放っていた。
「ズンッ!」
鳩尾付近の筋肉は痛くないが、胃袋を引き裂かれる様な激痛が走る。
肺の空気が一気に推し出され、背骨がミシミシと嫌な軋みを上げる。
背中が破れて穴が開きそうだ。
この技は以前、当八極拳に深い関わりがある事を説明する為に
教えた形意拳の崩拳!
良い撃ちだ。
- 309 名前:第19話 流れの源 :02/04/15 18:38
- これで当八極の型に置ける内面の流れも、だいぶ解るだろう。
しかし。
私の右手を封じなかったのは惜しいな。
「ガン!」
私は前屈みになりつつ腰を入れ、斜め下から彼の鼻骨に右縦肘を放った。
スーパーセーフ面のシールドが無ければ、砕けた鼻骨が脳に刺さっていただろう。
ピピピピッ!
クッキングタイマーが、三分間経った事を電子音で告げる。
互いに面を取り、礼をする。
「「有り難う御座いました!」」
- 310 名前:第19話 流れの源 :02/04/15 18:39
- ******
練習後、私は北君を車に乗せ、いつもの餃子飯店に行き、遅い夕食を貪っていた。
「日本人のナイフ犯罪者で、徒手術を併用する者は、そう滅多にいないな。」
先程それをした人間が、他人事の様に言っている。
「「日本人」には?。」
箸で餃子を摘みながら、北君が疑問符を浮かべている。
「不法入国した外国人の多くは、故国で徴兵制度を受けた者が多い。
軍事訓練では、白兵戦闘の基本であるナイフ格闘戦術を
徹底的に叩き込まれている。音を立てず敵兵を瞬殺する為にね。」
レンゲで炒飯を掬いながら、私は言葉を続けた。
- 311 名前:第19話 流れの源 :02/04/15 18:41
- 「この国では、少子高齢化の影響で若年生産労働者が少ないから
幾つかの企業が暗黙に不法入国者を、安い賃金で雇用する傾向が高まっている。
この少子高齢化は、政府の予測より速く加速している。
確実に言えるのは10年後、国内人口に占める不法入国者数の割合が、
必然的に極めて高くなっていると思うよ。」
「じゃあ、自分達が護身する相手は・・・。」
「下は、徒党を組みナイフを見せて強がっている阿呆共から
上は白兵戦闘訓練済みで薬物中毒の不法入国者、って所かな。
ちなみに徴兵制の軍事訓練では、小隊編成の集団戦闘訓練も
行なっているから、かなり手強いね。」
皿に残った最後の餃子を、口に放り込む。
「・・・手強いですか?」
「ああ。彼らは腹を空かせて飢えている。
飢えて死にたくないから、生きる為に人を襲っている。」
私は、ゆっくり店内を見回した。
美味い料理を腹一杯食っている人々が目に映る。
「死ぬ程飢えた事が無く、日々腹を満たしている人間が
飢えた野獣の牙から逃げられるかな?」
第十九話 完
- 312 名前:第19話 流れの源 :02/04/15 18:42
- あとがき
大変長らくお待たせしました。
約2ヶ月振りの更新です。
小説の更新が遅れていましたのは、心無い読者から
不愉快なメールを沢山戴き、執筆を続けるべきか断筆すべきか悩んでいたからです。
そのメールの内容は、
「技を教えろ!」「秘伝を教えろ!」「奥義を教えろ!」「師の名前を教えろ!」
「流派・流儀・系統を教えろ!」「技の有効性を証明しろ!!」等です。
それら全ての差出人は、自称「武術・武道・格闘技」の愛好者で占められていました。
ちなみに「メールで技を教えろ!」と言って来た御方には、
敢えて1割の流れしか教えて居りませんので、頑張って残り9割を見出して下さい。
誹謗・中傷・脅迫行為をされた方は、知人の専門調査機関で身元を調べ
速やかに法的対処を行ない、蛮行の代償をして戴きました。
利己深い人達に嫌気が差し、「断筆しよう」と決心を固め掛けた或る日の事。
その日は遠方から、女性の方が見学に訪れていました。
彼女は、当日出席していた風さんに、「何故この教室に通われているのですか?」と訊き
風さんは以下の様に答えました。
「死にたくないからです。
それと、死を目前にした自分を知りたいから。」
傍で風さんの言葉を聞き、私は断筆する事を止め、
護身を考えている方の為に、暫く執筆を続けようと決意しました。
皆様、拙い文ですが、これからも宜しくお願い致します。
- 313 名前:護身館 :02/04/15 18:46
- 95%ノンフィクション小説「ラバーブレード」
http://homepage1.nifty.com/rubberblade/nobel%20index.htm
取り敢えず全19話収録完了
じっくり堪能してください
- 314 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :02/04/15 21:33
- 護身館(旧称ラバーブレード)ホームページ
http://homepage1.nifty.com/rubberblade/
護身館・秘技の数々(&館長の言い訳付き)
http://homepage1.nifty.com/rubberblade/skill.htm
- 315 名前:護身館 :02/04/22 09:45
- 保全
- 316 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :02/04/27 14:24
- 実はまだ読み終わってません。
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