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流浪の戦士ヘイドレクの物語

1 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2008/12/02(火) 21:01:52
でもまあ、いいんじゃないか?
掃き溜めにも咲く花はあるさ。

そう語るヘイドレクの目には、涙が溢れていた。

2 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2008/12/02(火) 21:02:51
「あっははははは、あはははははは!!」
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  三三三三ノ/  |三三三/〃  \           ヽ }   |


3 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2008/12/02(火) 21:03:49
瓦礫と化した街は、全てを焼き尽くす紅蓮の炎に包まれている。
爛れた肉をまとう血まみれの人々の列が、渇きを癒そうと河へと向かう。

私は体に圧し掛かる瓦礫を跳ね除け、立ち上がった。
目の前には、まさしく地獄そのものの光景が広がっている。

吹き荒ぶ熱風が私の頬を炙る。
死肉の焼け焦げた匂いが辺りを漂い、思わず吐き気を催した。

ここが住み慣れた街だったとは、俄かに信じがたい。
それほどに変貌し、破壊されつくしていた。

一体何故、どうしてこのようなことが?
私は崩れ去った建物を這い出し、かつての大通りを歩き出した。

道端に散らばる死体は、その原型をとどめながらも焼け焦げて消し炭のようだ。
逃げ惑い、炎に舐めつくされて絶命した人々の苦悶の姿を不気味なまでにとどめている。

だが、もはや彼らが何処の誰なのかなど分からない。
それ以前にもはや誰も気に留めないであろう。

体の節々が痛む。
吹き飛ばされ、瓦礫に打ち据えられた己の肉体も、乾きと疲労で憔悴しきっていた。

額の裂傷から垂れる血を袖で拭った。
煤の混じったどす黒い血が、白い袖口を染め上げる。

通りをゆっくりと進む人々は、言葉にならぬ呻き声を上げながら一つの方向へと進む。
全てを失い、絶望に飲み込まれた彼らの求める希望は、ほんの僅かな潤いであった。

私は大通りを、街の外に向かって進む。
幽鬼の如く爛れた人々の列には従わない。
彼らの行き着く先は、死のみ。

私には分かった。今、私がなさねばならぬこと。

4 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2008/12/02(火) 21:04:24
煙に蒸された死体の臓腑が弾け、路上に腸が飛び散る。
大通りに面した商館が、ガラガラと音を立てて崩れ落ちるのを見た。

次々と倒れ伏す人々を横目に、私はひたすら歩いた。
壁へ、街の外へと。

血が滴り、己の服を染める。
焦げた空気が時折通りを吹き抜け、地を這う人々を薙ぎ払う。

通りを飾る柳やアカシアが、その枝葉を燃やしていた。
火の粉が飛び散り、辺りを照らす中を私はひたすら歩いた。

あと少し、あと少しでたどり着く。
そこには、私にたった一つ残された希望があるはずだ。

私にとっての救い。
他の誰の物でもない、私だけの救いの手が。

大通りを抜け、街の外に向かう交差点を曲がった時だった。
急に、雨が降り出した。

低く立ち込める積乱雲から、まるで天が溢れたかのような豪雨が吐き出される。
人々を焼き尽くした煤を含んだ、呪われたような黒い雨だ。

道に散乱する瓦礫を、瞬時に黒く染め上げてゆく。
その黒い雫はかつて街を模った瓦礫たちを伝い、側溝に流れ込み、黒い奔流となって走る。

私はその雨の生温さを感じ取りながら、尚も進んだ。

周りで人々が次々と倒れてゆくのが見える。
彼らは己の希望にたどり着いたのだ。一抹の潤いに。

挙句にそれを受け入れ、満足し、死の帳の中に消えていったのだ。
もはや苦痛もなく、乾きもない永遠の漆黒の中へと。

だが、私は諦めない。
私の望むものは、そんなものではないのだ。

彼らのように、運命を甘んじて受け入れるなど、私は真っ平だった。

5 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2008/12/02(火) 21:04:58
衰弱した私の体を打ち倒さんとばかりに、豪雨が私を叩く。

その漆黒の雨が、街を嘗め尽くした灼熱の炎を次々と消し去ってゆく。
まるで今までの隆盛が嘘であるかのように、炎はその勢いを弱め、小さくなってゆく。

死人の肉を焼く炎もまた、消えてゆく。
僅かに水蒸気を立ち昇らせる湿った音を立てて、その熾き火は消えた。

断罪の炎が消える。
弔いの火が消える。

齎されたのは、死にゆく人々への恩寵だ。
穢れ、汚れた街を清めるように、雨は全てを流し去る。

黒い雨はそのうちに冷たく白い雨に変わっている。
雲間から覗く月明かりを浴び、その雨粒は銀の粒となって街中を覆い尽くす。

私は歩いた。ただひたすら歩いた。

建材の骨格のみを残して、壁も屋根も焼き尽くされた建物が、通りに疎って立ち並ぶ。
林立するそれらは、月の光を受けてまるで白骨のようだ。

透徹とした、死の支配する街だ。
潤いと、冷気と、静寂のみが許された廃墟だ。

かつてここにあった人々の息吹など無かったかのようだ。
破滅が喜びも悲しみも、怒りもすべて飲み込んだのだ。

私は遂に街の外れまで来た。

破壊の爪跡はここにも存在した。
焼かれ打ち砕かれた人々の残骸が、虚しく散らばる広場。
そこに私は今、生ける者としてただ一人、立ち竦んでいる。

目の前には巨大な門があった。
普段は閉ざされているこの門が、今は何故か大きく解き放たれている。

その先に見えるのは、無限の闇。
まるで何も存在しないかのような、虚無の世界だ。

私は躊躇する。

確信はあった。それは確かだ。この先にしか、私の希望はないのだから。
だが、何かが私を押しとどめる。

6 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2008/12/02(火) 21:05:33
恐怖なのだろうか?
それはおそらく違う。恐怖ならば、今さっきまで散々味わい尽くしたのだから。

迷いなのだろうか?
それもおそらく違う。昨日までの世界が消え去った今、迷うものなどあるわけがない。

いつのまにか雨は降り止んでいた。
音一つ無い、死の世界となった街だ。

私自身の息吹だけが、この静けさの中で生々しく耳に届く。
そして己の心臓の鼓動も。

私は間違いなく、今も生きている。その証しだ。

乾いた喉に、唾を送り込む。
ざらついた舌が、口腔の壁に張り付く。

私は歩いた。門の向こうに向かって。
一歩、踏みしめるごとに、その足音は高らかに響く。

巨大な門は、今や私を待ち受けるかのように、大きくその漆黒の口を広げる。
輝きのない、その希望の中へ、私は今、一歩踏み込んだ。

暗路が、闇の奥に向かって伸びているのが見えた。

それ以外、何も見えない。
おそらく見えないのではなく、何も無いのであろう。

もはや迷うことなど無かった。
私は唯一つ残されたこの道を進むしかないのだ。

目を開き、遥か遠くまで続くその暗路を見据える。
希望はおそらく、この先にあるのだ。

確実に、未来に通じる希望が。

私は歩き出した。
迷い無く、力強く。

私の背後で、巨大な門が閉ざされる音が聞こえた。

7 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2008/12/02(火) 21:34:16
流浪の戦士ヘイドレクの物語
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/denpa/1218622888/

8 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2008/12/02(火) 21:37:39
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          ,':::::〉テ!:::l ィ=ミー\{ムイ::P!:|
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           レ!:::|::', :ヽ:ト.、   //'ハ :!
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           /        ヽ  ,ィ´`ヽ /ヘー-┬-ツ
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             /   人.y: :ヽ : : : . }: . : : : jノ  /
         /   / ヽ: : 、 _ヽ; : '`: : : :f:i′ ./
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         /   く     ヽ : : :i : : : : :!lー''
        ヽ、   ヽ、_r=┐ ): : :! : : : : iハ
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             _r、{_/ ノヽ: :.{: : : : : : : : j;イ
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9 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2008/12/02(火) 21:38:53
「ほら、山びこだよ…」
お父さんはマサシくんにそう言い、遠くの八ヶ岳を指差しました。
マサシくんは、お父さんが指を差した方向に耳を済ませます。

するとどうでしょう、遥か八ヶ岳の峰から素敵な声が聞こえます。

「あ、本当だパパ、凄いや!」
マサシ君は嬉しそうに笑います。

「ねえ、どこどこ?私も聞きたいよ!」
マサシ君の妹、マユミちゃんはパパにねだります。
マユミちゃんは今度、エニグマ幼稚園の年長組になりますが、まだまだ甘えん坊さんです。

優しいパパはマユミちゃんを抱き上げ、そして頬に優しくキスをします。
パパはお髭が濃いので、マユミちゃんの頬にはざらざらした感触がします。

「ほらマユミ、あっちの方だよ。耳を済ませてごらん?」
パパはそう言って、再び八ヶ岳を指差しました。
マユミちゃんは目を閉じ、耳を済ませます。
するとどうでしょう、再び甲高い声が響いてきます。

「あ、パパ。私も聞こえたよ!ねえ、あれは何?」
マユミちゃんはパパの首に抱きついて尋ねます。
子供は好奇心がいっぱいです。

見晴らしのよい高台でお弁当にしましょう、とママは言いながらゴザを敷き、お弁当の用意をしています。
良く晴れ、遠くアルプスまで見通せる素敵な場所。
空気も澄んでいて春風がとても気持ちいいです。

優しい陽射しが幸せな家族を照らします。少し眩しいくらいの陽だまりです。

「マサシ、マユミ。あれはね…、」
パパはマサシくんの手を取り、マユミちゃんを抱き寄せました。

「あれはね、ヘイドレクという男の悲鳴なんだよ」
パパはそう言って、遠く八ヶ岳の峰々を見ながら微笑みました。

10 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2008/12/03(水) 06:17:42
               /:.:.:.:.:.:/:.:.:.:.l:.:、:.:|:.:.:.:.:.:.:.、:.:.:.:.:.:.:.:ヽ:.:.ヽ
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              |:|!:.:.:.:.:!:.:.|:/  !:.:|:.:l:.:.:._l:.:.:.:.l:.:.:.:.:.:.||:.:.:ノ|
              |ハ:.:.:.:.:|:.:.|'| ̄ !:.:ト、\:.:.:.|l`ヽ|:.:.:|:.:/l:/ハ
              l! ヽ:.:.:.l:.:.l:|  ヽl  ヽ=≠-、:.l|:.:.:|//彡/:|\
              \:|:.:.|=-‐    トしrハ|:.:ノ|/! |´|:.:|:.:.:ヽ
                 i`:.l     ,     ー‐' ,':.:.:.:トノ:!:.:l:.:|:.|:.l!|
                 |:ノ:.\iヽ ー‐    /:.:.:.:/:|:.:.:.|:.:|:.:lソレ'
               //:.:.:.l「| ト、__,.. ィ/:.:.:.:斗-!:.:.:|:.:.:.:.ヽ
               /:.:/:.:.:./l/ ノ,へ ! /:.:./   \l:.:.:.:.:.:.',
             /:.:.:/:.:.:./|/ 'ー-ri /:.:.:.:/  ,    |ヽ:.:.:.:.:.:',
           /:.:.:.:.ノ!:.:./ !  二j´ /:.:.:.:/ /       l:.:.\:.:.:.:.',
          /:.:.:.:.:.:/ ∨ノ/  ,rノー|:.:/ノ´_,,. -‐  /!:.:.:.:.:ヽ:.:.:l
          !:.:.:.:/_, -‐' .〉 ,ィ´ ̄l:/ '´       /:.|:.:.:.:.:.:.:|:.:.:|


11 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2008/12/31(水) 06:19:34

「スイス政府民間防衛」より。新しい戦争。その名も「乗っ取り戦争」

第一段階「工作員を送り込み、政府上層部の掌握。洗脳」
第二段階「宣伝。メディアの掌握。大衆の扇動。無意識の誘導」
第三段階「教育の掌握。国家意識の破壊。」
第四段階「抵抗意志の破壊。平和や人類愛をプロパガンダとして利用」
第五段階「教育や宣伝メディアなどを利用し自分で考える力を奪う。」

最終段階「国民が無抵抗で腑抜けになった時、大量植民。」 ←今ココ




12 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/01/08(木) 19:17:48
                   ,ii
      .ト、          / |
       | \、 ,. - ' ´ ̄¨ ‐ ト、
      | \, ヽ          \
      U   j ヽ ,'       ヽ \.ヽ
      / L 'i    i ,i l  l   ヽ. ヽ i
     |      FYハ l  ト、   }}__ l |
     |    |.   |   l ト、ヽ.\',⊥},ノ |
     |    |   | ,.‐'ヾ. ヽゝ .{hi >‐ |
     |    |   |'´/゙「`    Y{j 、 |
     |    |   .|,ハヘ_jと    `´ 〉 |
     |    |  |/ヾゞ= '  , -‐ 1 / .| 
     |     |  | ド    ヽ _ ノ/   |
     |     ハ ヽ |i´` ー- .,、.-イl   |
      |     | .|  | |-- 、__{\ ̄:ヽ  |
      |     | ,ハ  l }:.:.:.:.:.:.|「`Y>:.:.l l |
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     〉レ'´   ,入:.:.}:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:\:.:.:.:.:.:.:.:|´ ̄¨7z.、 _
   _,ノ'´    _/   ヽ_\:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:\:.:.:.:.:.:〉  「 _)   `   、
  r「     /     / `「 \:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.\ ,人  | }        ヽ
  }|     /    ,/   .|   ヽ、ー--:.:.:.:.;人:.:.;> | フ             !
 ヽ,ヽ  _/     |    |  `ー`=- 、-イ:.:.:.∨\ | }          l
  ヽ厶'   _,  |    ヽ          \「 ̄ヽ. \ _ __ __.  '
   {.|    ̄     ヽ    \     _,/,ユ  ,ニヽ.\
   '(\   _     |       ` ‐ 、_r{ _r┘ \> .ヽ,>┘
    └、ヽ/,ノ `^ー-- 、 _ ー一 /_」       \
    ,/'´  { '^ーO―O--r┴―ー '‐ '--- ―― - 、 \
   ,〃    ヽ         {               ヽ ヽ  
  //      ) ___      |_                  U
 l ,′    ,厂`´    ̄ ー- '^ ‐ - .._             /
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13 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/01/11(日) 06:00:00
のび太は男子トイレの個室でオナニーをしていた。

手に握りしめ、顔に押し付けてスーハーのしているブツは、しずかちゃんのブルマだ。
体育の授業終わりで汗ばんだしずかちゃんのブルマは、汗の匂いでムンムンしていた。

先ほどまでクラス一の美少女が見につけていた宝物の中に、のび太は鼻先を埋め、思い切り息を吸い込む。
思春期に突入した生娘の放つ、たまらないフェロモンの芳香が、蓄膿ぎみののび太の鼻腔を通して脳髄を刺激する。

(しずかちゃん…ああ、しずかちゃん!)
のび太はそう呟きながら、自らのペニスを固く握り締めた。

…つい先ほど、休み時間開始のチャイムとともに席を立ったのび太。
ジャイアンやスネ夫の呼びかける声を無視し、そのまま教室を脱兎の如く飛び出した。

授業時間中もずっと興奮を抑え切れなかった。
もちろん授業など耳に届いていなかった…そんなのいつものことだが。

先生に指名され、黒板に書かれた非線形微分方程式の応用問題を解くように言われたが、
すこしイラついた態度で「わかりません」と答えたのび太、これで放課後は居残りが決定した。

(ふん、まあいい…。)

ポケットの中には先ほどしずかちゃんから失敬した、脱ぎたてのブルマ。
夏の日差しの下でたっぷり汗をかき、少しムレたしずかちゃんの股間を覆っていたブルマだ。

のび太の鼓動は高鳴る。
もはや五時限目に提出しなきゃならないサンスクリット語のレポートのことなど頭に無かった…。

…たまらなくなったのび太はついに、しずかちゃんのブルマを口にくわえ込んだ。
裾に溜まったしずかちゃんの汗から、少ししょっぱい味がする。

(むう、た、たまらない!)

既に真っ赤に腫れ上がった己のペニスは、小学五年生にしてはサイズはかなりでかい。
大男の疎チン・ジャイアンや、モロの短小包茎のスネ夫に比べると、そのグロテスクな巨大さは群を抜いている。

その灼熱を帯びた巨大なペニスは、今、のび太の手の中で破裂しそうだ。

「…あ、ああっ、し、しずかちゃん!」
脊椎が震えるような感触が伝わり、肛門括約筋が引き絞られる。
そしてその快感は右手で握り締める男根に伝わり、熱く膨張した男根全体が痺れた。

そろそろ出ちゃう、そう思ったのび太は口にくわえ込んでいたしずかちゃんのブルマを取り出す。
そのブルマで自分のペニスを包むと、一気に手の動きを速めた。

しずかちゃんのヴァギナに接した布地が、今、己の亀頭を激しくこすり上げる。
しずかちゃんから染み出した女の汁が、今、己の亀頭のカリに擦り付けられている!

「しずかちゃん、ああっ!!」
一瞬、大きく体を痙攣させたのび太…その直後、のび太のペニスの先端から、夥しい量の精液が放たれた。
熱を帯びた精液はそのまましずかちゃんのブルマの布地に流し込まれ、繊維の隙間にしみこんでゆく。

ちょうどそのとき、授業開始のチャイムが鳴った。

14 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/01/11(日) 06:02:55
(どうせレポート書いてないしさ、五時限目の授業なんてサボっちまおう…)
のび太はしずかちゃんのブルマで自分のペニスを拭い、精液をふき取ると、便座に座ったまま軽く尿をした。

廊下からは、教室に戻る同級生たちのあわただしい足音や、早く教室に戻れと怒鳴る教師の声が聞こえる。
そんな日常の喧騒を遠くに感じながら、のび太はポケットからタバコを取り出して口に咥えた。

(前に俺の吸ったタバコの吸殻のせいで、ジャイアンの奴が停学処分になったな…。)
そう思い出してのび太は微笑んだ。

髑髏のレリーフの刻まれたニッケルシルバーのジッポライター(22世紀製でドラえもんから奪い取ったもの)で、
口に咥えたハイライトに火をつける。

大きく煙を吸い込むと、一瞬軽い目眩が起きた。この瞬間がたまらない。
血液中にニコチンが巡ってゆく快感に浸りながら、のび太は煙を天井に向かって吐き出す。

興奮が収まり、自分の精液で塗れたしずかちゃんを見た。
濃紺の生地に、べったりと自分の精液が染み付いている。

どうすっかな?とのび太は悩んだ。

(このまま持ち帰ってオナニーネタにするって言っても、もう俺のザーメン塗れだしさ。)
なら、いっそのこと誰かに変態行為の罪を擦り付けちゃえ、と思いついたのび太の脳裏に、スネ夫の顔が浮かんだ。

廊下に出たのび太は、見回りの教師に見つからないように注意しながら廊下を進む。
目指すは5年3組のロッカールームだ。

すでにクラス全員のロッカーの合鍵は取ってある。
ドラえもんの未来の道具(名前はなんつったけなあ…まあいいや!)でアッという間だ。

通りかかった理科実験室では6年生のクラスが理科実験実習をやっていた。

なにやら常温核融合の実験らしく、重水素抽出装置やフォトンレーザー共振器などがウンウン唸っている。
特殊バイザーをつけたアホ面の上級生たちが、理論物理学博士号を持つ理科教師の熱弁を熱心に聞いている。

(馬鹿だな…こんなのドラえもんを脅しつければ、ミノフスキー・イヨネスコ型核融合ジェネレーターくらい出してくれるぜ)
嘲笑いながらのび太はそこを通りすがる。

そのときだった。

「のび太くんっ!」
と、呼びかける声がした。

その声に、射抜かれたように立ち竦むのび太。
額に汗がぶわっと浮かぶ…まずい、見つかった!

ツカツカと背後からのび太に近づいて来る足音が響く。
固いヒールがリノリウムの床に当たり、長い西校舎の廊下に響き渡った。
ゴウンゴウンという空調の音と、時折発せられる実験室からの機械音…その中で一際甲高く靴音が響く。

15 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/01/11(日) 06:05:44
「のび太くん、今、授業中でしょ?」
女の声…のび太は恐る恐る振り返る。

そこには鮮やかな白いブラウスを着た、美人英語教師茉莉子先生がいた。

鼻筋の通った端正な面立ち…薫り立つような濃厚な色香がどことなう漂う。
紅のルージュが引かれた口元は僅かに微笑み、刺すような視線でのび太を見つめる。

「こんなところで何をしているの、ダメでしょう、授業をサボったら」
そう言ってのび太の目の前まで歩み寄る茉莉子先生。
細身の体から我儘に隆起した乳房が、のび太の鼻先で揺れる。

たしかにまずいことになった…こんな状況じゃ誤魔化しようがない。
担任の谷口に報告が行けば、こんどこそ間違いなく停学だ…のび太の頭は必死に打開策を探る。

「せ、先生はこんなところで、何をしてるんですか?」
結局そんなことしか言えなかった…見回りに決まってるじゃんかよ!

のび太は「全力疾走で逃げる」という選択肢を思い浮かべ、それを実行しようとした。その瞬間、

「私?…うふっ!私もサボりよ」
茉莉子先生は、そう言って妖しげに微笑み、再びのび太の目を見つめる…熱い瞳だ。

「生理痛だって誤魔化して、5年1組の授業をすっぽかしたの。だからあなたと同罪…黙っててよ、のび太くん!」
そう言いながら茉莉子先生は懐からタバコを取り出した…ヴァージニアスリム。

それを一本取り出し、口に咥えた瞬間、「あ、ここじゃヤバいか!」と言って、振り返って歩き出した。

(生理痛…生理痛って、茉莉子先生は今生理なのか?)
のび太の中で妄想が膨らむ。そして視線は歩き出した茉莉子先生の後姿を無意識に追っていた。

年頃の男子生徒を挑発でもするつもりなのか、切り詰められた短いスカートから長く健康的な美脚だ。
そのグレーのタイトミニの下で、ことのほか肉感的な尻が、歩くたびに躍動するように蠢く。

(生理って…マジすか、茉莉子先生)
先ほどたっぷりと放精したにも関わらず、のび太の股間が疼いた。

窓から差し込む午後の日差しの下で、見事な美脚…。
そして生理…女性のあの部分から、出血するんだよな、確か。

「のび太くんも、来る?」
突然振り返った茉莉子先生は、のび太に向かってそう声を掛けた。
そして自分に向けられるのび太の視線を素早く察し、悪戯に微笑んだ。

その微笑は、差し込む日差しの中でまるで奇跡のような輝きを放っていた。

16 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/01/11(日) 06:06:17
「…茉莉子先生、ボク、もうダメですっ!」
のび太自身を苛める巧みな茉莉子先生の舌技に、のび太は最早限界であった。

机の端に腰掛け、ズボンとパンツを下ろしたのび太。
そののび太の前に跪き、長い黒髪を振り乱しながら茉莉子先生は一心不乱にのび太をくわえ込む。

大きく開かれた胸元から、豊満な乳房が揺れる。
先ほどまでのび太の顔がうずまっていたあの場所だ。

たくし上げられたスカートからは、見事なまでに丸みを帯びた臀部が剥き出しになり、のび太の視界の下で蠢く。
その白い地肌が、窓から差し込む西日を浴びて痛々しいほどに白い。

「ああっ!」
人気の無い北校舎…その狭い教材用具倉庫の中に響き渡る喘ぎ声を上げて、のび太は果てた…。

体中が震えるような快感が駆け抜け、その疼くような快感がのび太のペニスに伝う。
前立腺の奥から湧き出した熱き迸りが、長く太いのび太の男根を伝い、茉莉子先生に向かって噴出した。

「…んんっ、むんんぐっ!」
のび太を口に含みながら、茉莉子先生は唸った。

口腔内にことのほか大量の精液が満ち溢れ、その熱を帯びた奔流が茉莉子の喉に流れ込む。
小学五年生としては考えられないほどに巨大なのび太のペニスが、茉莉子の口の中で痙攣して暴れた。

若草をすり潰したような生臭さが、茉莉子の鼻腔を刺激する。
その若き生命力の逞しさに煽られ、茉莉子は自分の体の芯が熱くなっていくのを感じた。

机の端に腰をかけたまま、のび太は快感に余韻に浸り、大きく喘ぐ。
そののび太の腰に手を回し、茉莉子はさらに彼自身を深くくわえこんだ。

「あうっ!ま、茉莉子先生!」
のび太は腰を引かせる。

茉莉子はそれを押さえ込むように抱きしめ、のび太の太いペニスを吸った。
一滴も残さず彼の雫を吸い出す、彼女の本能がそれを求めていた…。

「…うふっ!ダメでしょ、のび太くん」
体育用のマットの上で横たわる二人。

茉莉子先生はヴァージニアスリムを一本取り出すと、それを口に咥えた。
「あ、ライター…」と言いながら、横たわるのび太の上に身を乗り出し、向こう側にあるバッグを探りはじめた。

のび太の目の前に、無造作に晒された丸い乳房が揺れた。
少し汗ばんだ白い肌が、ホコリ臭いこの用具倉庫の中で一際新鮮に輝く。

目の前のこの女の肉体で、自分は初めての経験をしたのだ、と改めて振り返った。
その瞬間、精を放って萎れたのび太のペニスに、僅かだが疼きが走る。

茉莉子先生はライターを取り出すと、のび太の横に座り、タバコに火をつけた。
少し目を閉じ、煙を味わった後、ルージュが滲んだ唇をすぼめて天井に吐き出す。

のび太はそれを横目で見ていた。
快感の余韻が彼の思考力を奪い去る。力なく横たわる体は、まるで自分のものではないようだ。

そんなのび太を、茉莉子先生はしゃがんだ姿勢のまま見下ろした。
そしてあの悪戯ッ気たっぷりの微笑みで、のび太の目を見つめる。

17 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/01/11(日) 06:06:49
「まったく…こんなことしてるなんて、結構可愛いところあるじゃない」
茉莉子先生はそういいながら、のび太が持っていたしずかちゃんのブルマを手にとって見せた。

のび太は寝そべったまま、恥ずかしさのあまり視線を逸らす。
見られたくなく、知られたくない自分の恥部が、このように晒される。

激しい自己嫌悪と後悔の念が、のび太の中で渦巻く。

「みなもと…しずか、かぁ。ああ、あの娘ね」
茉莉子は指先でつまんでいるブルマを宙で数度振った。
濃紺の生地に、のび太が放った精液がこびり付き、乾いてカピカピになりかけていた。

「のび太くんは、この娘のこと、好きなの?」
顔を背けるのび太の目の前にそれを突き出し、タバコを咥えながら聞いてくる。
その声はどこか楽しんでいるようで、妙に明るい。

「いえ…別に、そういうわけじゃ」
のび太の口は重い。

もちろん大好きだ。

幼馴染であったしずかちゃんが、思春期を向かえ徐々に女の体になってゆく。
そんなしずかちゃんに、抑えられない熱い思いが沸き立つのを、のび太は知っていた。

今まで意識していなかった原始的な衝動が、のび太の中で激しく燃え上がってきている。
その捌け口を求めて日夜苦悶している…その結果が、これだ。

突然、茉莉子先生がのび太にのしかかってきた。

「ひねくれてるのね、のび太くん。…もっと素直にならなくちゃ女の子にモテないわよ」
そう言って微笑むと、茉莉子先生はのび太の唇に己の唇を重ねた。

長い黒髪で視界を奪われた。濃厚すぎる女の薫りが、一気にのび太を包み込む。
茉莉子先生の舌が、のび太の前歯を押し広げた。そのまま中に侵入し、のび太の舌と絡まりあう。
唾液と唾液が交わされる…茉莉子先生の唇から溢れた唾液を、のび太は飲み込んだ。

のび太は思わず先生の首に縋りついた。
夢中になって茉莉子先生の唇を求める。

ああ、たまらない。

だが、のび太の抱擁を面倒くさそうに払うと、茉莉子先生は唇を離した。
のび太の肩を押し、上半身を起こす…長い唾液の糸が、二人の唇の間で光った。

もう一度、二人は見詰め合う。

刺すような視線が、のび太に注がれた。
美しさを越えて、どこか恐ろしい。

無言のまま、ジッと茉莉子先生はのび太を見つめる。
緊張し、唾を飲み込むのび太。

18 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/01/11(日) 16:59:29
すると突然、茉莉子先生の手が、のび太のペニスを握った。

「ううっ!」
まだ勃起しておらず、下腹部で萎れたままの柔らかなペニス。
そのペニスを茉莉子先生の手が揉む…少し冷たい手の指の感覚が、たまらなく心地よい。

「こんなに大きいの、あなたは持ってるじゃない…凄いわ、これ」
茉莉子先生はゆっくりと顔をペニスへと近づける。
「この凄いので、しずかちゃんのことを貫いちゃいなさいよ…男でしょ?のび太くんは」
そのまま肉茎を口に含んだ。肉茎をこすり上げ、陰嚢を丁寧に揉みながら、亀頭に軽くキスをした。

「まだ、時間はあるわ…今度は私を気持ちよくさせてよ、のび太くん」
四つん這いになった茉莉子先生は、のび太のペニスを掴んだ。そのまま己の秘所に導く。

「で、でも…先生もマズいんじゃないですか?」
自分のペニスがゆっくりと茉莉子先生の中に入ってゆく。
熱く濡れた粘膜が、のび太の硬直した肉茎をくわえ込んでゆく。

「忘れたの?私、今日は生理痛で半休なの…うふっ!」
ついにのび太のペニスが、茉莉子先生のヴァギナに埋まった。
茉莉子先生は顔を顰め、小さく唸る…のび太の肉茎の圧力に、少し驚いているようだ。

のび太は茉莉子先生の膣の熱さを感じ取りながら、茉莉子先生の乳房を掴んだ…。

午後の太陽が眩しかった。
思わずのび太は目を手で覆う。

普段通いなれた、いつもと変わらぬ通学路。
しかしその街並みが、前より小さく見える。

春風が優しく吹きぬける通りを、のび太は一人歩いていた。
もちろん担任教師の呼び出しなど、彼の頭にはない。
そんな些事など、もはやのび太にとってはどうでもよかった。

体の節々が疼き、少し気だるさが残るが、それすら今は心地よかった。
下校中の他の同級生たちの卑小さを内心少し嘲笑いながら、のび太はゆっくりと道を進んだ。

「おーい、のび太!」
突然、空き地から叫ぶジャイアンの声が聞こえた。

スネ夫、しずかちゃん、それに珍しく出来杉。
町内少年野球チーム”ジャイアンズ”の面々が空き地に勢ぞろいしていた。
彼らはのび太の方を見ながら、早く来るように手招きしている。

(今日は試合なんかあったか?)
歩みの速度を速めることなく、のび太は彼らの集う方へと進んだ。
別に急ぐわけでもあるまい、どうせ小学生の用事なんてたかが知れている。

19 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/01/11(日) 17:08:52
「早く来いよ、何やってるんだよのび太!」
少しイラついたジャイアンの表情が可笑しい。

しずかちゃんの少し心配そうな表情が見える。
目が合った瞬間、少しだけ心臓の辺りが疼くのを感じた。

表情は変えない…その自分の冷静さにのび太は少し驚きながらも、決して歩みを速めない。
そのような自信が何処からか湧き出てくるのが、自分でもおかしかった。

「遅いよのび太。掃除の時間もサボって何やってたんだよ!」
ジャイアンが目の前で怒鳴る。
そういえば北校舎階段の掃除当番だったよな、と思い出した。

「あの、ちょっと調子が悪くて保健室で寝ていたんだよジャイアン。ゴメンね」
いつも通り、少したじろいだ表情をとってみせる。もちろんこれは演技だ。
自分をこれほどコントロールできることが、ちょっと嬉しかった。

「だいじょうぶのび太さん…?」
しずかちゃんが心配そうに見つめる。その視線が痛い。
僅かに微笑んで頷き、なるべく目を合わせないようにする。

心のどこかにあるやましさが、のび太の心を疼かせる。

「で、どうしたのみんな。勢ぞろいしちゃってさ?」
と言い掛けたところ、ジャイアンがのび太の腕を掴んだ。

「ちょっと来いよ。これからみんなで相談があるんだ…」

「…なあ、おかしいと思うだろ、のび太」
話が終わると、ジャイアンはそうのび太に話しかけた。

いつもはのび太を冷やかしにかかるスネ夫が、今日は珍しく静かだ。
みんなの顔もどこか深刻そうで、笑い声を上げるやつは一人もいない。

馬鹿げている、そうのび太は思った。

てっきりしずかちゃんのブルマが無くなったことを問い詰められるのではないか、と疑ったからだ。
あれは自分の目の前で、茉莉子先生が燃やして捨ててくれたし、ばれる心配はないのだが。

ヒマをもてあまして身勝手な妄想を膨らましてるだけじゃないのか。
そんなヒマがあったら、別にやることがたくさんあるんじゃないのか?

「でもね、のび太さん。私の身の回りでも変なことがあったの…」
と、しずかちゃんは泣きそうな顔で話だした。

そもそも出来杉の話も常軌を逸している。

20 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/01/11(日) 17:11:59

(※以下、事件内容はまだ未定)

「何かあるに違いないよ…」
出来杉くんはみんなに向かって言った。

「ボクはこの事件を少し調べてみたんだ。あまりにもヒドイ事件だったし、何か異常な感じがしたからね」
こればかりはいつもの出来杉くんだ。

「この事件が集中して起きているのはそう、この富士見町を中心とした辺りだったんだよ。」
そう言って出来杉くんは地図を広げた。

地図には赤や青のマジックで方々に丸や三角の印がつけられている。

出来杉くんによれば、それは事件の発生場所だそうだ。
様々な模様に描き分けされた印は、事件の内容と起こった時期を分類したものだという。

それを一つ一つ指差しながら、出来杉くんはご自慢の自説の滔々と説いている。
周りの同級生たちも、食い入るようにその説明を聞いている。皆真剣だ。
見ればしずかちゃんも真剣な眼差しで、出来杉の説明に聞き入っている。

(余計な事を…)
とのび太は思った。

頭が良すぎて宇宙から電波でも受け取ったんじゃないか?アホらしい。
そんなの俺たち小学五年生がどうこうしたところで、どうにかなるわけないだろ。
のび太は一応聞くフリをしながらも、どこか醒めていた。

麗らかな春の日差しの中で、浮かれたように熱心に語り合う少年少女たち…。
そんな中で一人のび太だけは、茉莉子先生との逢瀬を思いだしていた。

「…よし、決めたぞ!」
突然ジャイアンが叫んだ。 びっくりするのび太の目の前で、ジャイアンは土管の上に飛び乗り、みんなの方を向く。

「俺たちでこの事件を解決しようぜ!」
そうジャイアンは宣言した。

みんなを見つめるジャイアンの目は、溢れ出る正義感で漲りキラキラと輝いている。
固く握られたこぶしを天に突き上げ、戦いへの決意を露わにしていた。

そんな姿を澱んだ瞳で見上げながら、のび太は溜め息をついた。

(解決するって何を?戦うって何と?少年探偵団って何の冗談だ?…馬鹿馬鹿しい!)
こんな阿呆なこと、必ず誰かが反対する、そうのび太は期待していた。
というより、この馬鹿げた思いつきを誰か笑えよ、のび太は周りを見渡した。

すると…「そうだ!」「ジャイアンに賛成!」「俺たちが事件を解決しよう!」
のび太の目の前で彼らは口々にそう叫び出す。
拳を振り上げ、口々に戦いを叫ぶ少年少女たち。
その異様な姿は、平和で平凡な日常とは明らかに乖離している。

21 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/01/11(日) 17:13:27
ふと出来杉と目が合う。

彼の目は不思議なほどに爛々と輝き、まるで光を放っているようだ。
普段の知的で冷静な優等生とは思えない、どこか熱を帯びたその表情にのび太はたじろぐ。

真っ直ぐに刺すような視線がのび太の注がれる。
まるで獲物を狙う捕食獣のような、鋭い視線だ。

のび太は思わず目をそらした。何かを見透かされているような、そんな気がしたのだ。

周りの同級生たち…中にはのび太が名前も知らないような、別のクラスの人間まで集まっている。
彼らは土管の上で仁王立ちするジャイアンに、興奮した視線を送る。

何かがおかしい、何かが。
今まで過ごしたありきたりの日常が、どこか狂っているように思えた。

そういう意味では、出来杉は正しいのかもしれない。
午後の授業を抜け出し茉莉子先生と二人で過ごしている間に、のび太の住まう世界は何かが変わったように見えた。

22 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/01/11(日) 17:40:31
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23 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/01/13(火) 19:21:20
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.ノ/!ヽ{  (   :::::::::::      , ~"..... {'| : : : :|_>.   ! !:::::::ノ     .i::::::i ', /": : :|
   ヽ、 _   ::::::        :::::::: |.|: :.:::::i"ヽ   .:::::::.~"     'ー" /i:::::: : |
    !`;~i:::ヽ            / |: :::::::ト、'.   :::::::::      '  :::::: ||::::::: : !
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  {"        ヽ     } `ヽ、    '!:| :! ,.=" `'ヽ..,、 |,ヽ、     !:/|:::/
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 i"       `'ヽ  `ヽ ,/  ,-'"i    /ヽヽ       /"`ヽ   'i '  |!

24 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/01/14(水) 19:39:43
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    !r、――.、〉∠´  _    ̄`,'"          /      /7ヘに)、
     \\ イ/1「二 ̄ _   ___             /       | ./ .//./「`\
     _」>`7 {「 フ ̄,. -   ;´:i ̄:: : .: . . .   /           |∧// .| |_〉_〉
.    / 1「フ/  ∨ /    :::::i::::::::::::::::::: : :./            >ァ'  ヽヽ ̄
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25 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/01/15(木) 01:16:41
『尾崎豊物語番外編 壮絶!アナル開発調教』

「紳士淑女の皆様、お待たせいたしました…これからこの巨大なディルドを、この肉便器男のケツにぶち込みま〜す!」
ガチムチマッチョの女王さま、見城徹がそう叫ぶと、客席は一気に沸いた。
それを一礼して受ける見城…巨大な胸筋がブルルンッ!と弾む。

尾崎の尻に向き直った見城は巨大なディルドを手で掴むと、尾崎の肛門に先端をぴたりと当てた。
同時に「ウリャ!」の掛け声とともに一気に腰を押し出し、尾崎の肛門内にディルドをぶち込む。

「うぎゃああー!」尾崎は絶叫した。
凄まじい激痛が全身を突上げる。

覚醒剤で痛覚神経を沈静させても、括約筋が引き千切れる痛みは想像以上だった。
塗りこんだローションも意味を成さないほど、見城の肛門調教は過酷だった。

ブチブチブチっ!と尾崎の肛門括約筋の筋繊維が引き千切れてゆく。
熱き血潮は腸内を伝い、腿を流れてステージ上に流れてゆく。

しかし気持ちいい! 痛いにも関わらず、尾崎は同時に快感にも目覚めていた。
肛門を虐められると同時に、見城が尾崎のペニスを手コキし始める。

尾崎のペニスは熱を帯びて膨張し、痙攣し始めた。
見城の図太い指の腹が、尾崎の亀頭の縁を巧みにこすり上げる。
その痺れるような快感が尾崎を刺激し、肛門をより引き締めてゆく。

「ああっ…あああっ!」
遂に限界に達した尾崎は、短い喘ぎとともにステージの床に向かって精液を放出した。
しかしそれでも快感は止まなかった。

見城のディルドが肛門をかき回すたびに尾崎は喘ぐ。
尚も手コキを続ける見城の巧みな技に反応し、再び勃起を始めた。

「素敵だな、尾崎…。もう、こんなにしちゃってw」
見城は目の前で喘ぐ尾崎の痴態を見下ろし、嘲るように笑った。
肛門から血を垂れ流し、四つん這いで悶え泣く尾崎…それは完璧に調教されたマゾ奴隷だ。

ここまで尾崎を調教してのけた見城の手際に、客席で自慰をしていた須藤は軽く嫉妬を覚えた。

その須藤の嫉妬を感じ取りながら、見せ付けるように尾崎の肛門をかき回す見城。
そして激痛の快感の波の中で、尾崎は遂に失神し、同時に失禁した。(了)

26 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/01/15(木) 05:06:08
                   _ -─ ¬く  ̄  ‐- 、
                 /    _==-ミァ-─‐-、 \
                /  , ‐''"         \ \
               /  /     /   |      \ ヽ
               / /  /   / /    ||  |  i  ヽ i
              i /  / /  / / /    ||  ||  |│ |ノス
               |//  / /___, -一ァ|  /! |ト、|│ | | く」
                |,-‐¬  ̄---┘'7 |!  ハ! |,、-┼十|! | | |
          , -‐ ''"  し' '´_ /,ィ二l |ト、/!ヽト、\_ヽ!|!l | ハ |
       ,r/      __   ,イ|リ ヾハ! ヽ!  ,ィ⌒ヾミリノ!/リ  |
      / ||ヽ  -'     / ̄ )` __      |ヒノ:} '` ,イ/ |  |
    ,r '   ヾ、  ,-、____ , イ ̄,r==-      ==-'  レ' /|  |
  / ヽ    `ーソ  ' | |ト、,ヘ ′""          "" / / || |
. /    \_  /  | ハ ヽ`゙'ヘ       ' '__. ィ  / / | |  |
           /   / / |  ヽ 川\    ヾ三ニ‐'′//! |  | |  |
        /    / / 八  \川| |`ト- ..  __ , イ‐ァヘ |  | ||  |!
      /    / / /  \  \ 「`ー- 、    /  .〉  ト、|  ヽ、
     ,イ    /-─=¬ニヘ、_  \   厂\ 厂ヽ /!|   | `ー=ヘ
 -‐  ̄ /─ '  ̄     ├- ヽ\  \ノ\ \ 人 ハ!ヽ ||  |-┤ ヽ
      /          /!‐-- | |\   ト、_`ヽ oヽ  ト、!  ||  |‐┤- ヽ
  // 〉      __ /  ├‐-  ||  | 川-‐  | |  厂7! ハ!  ├:┤  ̄ヽ
  / / ー ─    ̄       ├‐- リ  || ハ!ヘ   | |  ト┤|/′ ヾ,┤   ゙i_


27 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/01/15(木) 20:34:22
         ト                 _ハ
        │ `\             /ノ ヽ
        │  ヽ\ _______/ノ  ヽ|
        │  λ \         /ノ   │
        │   」  亅      `/ ノ /   |
       /              ソ ノ /彡  丿',
      /     /  /                   ',
     / /   /   |i   |     ヽ      i  ',
    / /   /   | |   |  |    ',        |  |
    / |   |    | |  i|  |    |        |  |  
    i|  |  イ「「`ト | |  | ィTTナ ト 、_ |   |   |  |
    || | | | |レr=ミ|i  | | | | |__|__| `|   |_」_ |  |
    |i |从 |〈 ト::::::}    i| 「/厂`ト、/|   | - V i |
     W |i| 代_リ      |.{ ::::::}|〉|   |^ヽ | i |
     |   | ゝ‐'       辷ーヅ |   |_ノ.ソ i |  
     | |  i|::::::::  '      ::::::::: |   |イ | /i |
     | i  | \.   、_ _,      /|   // | / レ'
     |\  |厂/ヽ、       , イ /  /∧\|i
     乂 \| /  __ > 、_ . ィ    |/|/从 | |::| ̄ ̄ ¨ ヽ、
      n_ ,,.ム<゚<>゚ヽ ト、  ヽ      _  | |::|      トr― 、____
    r ‐し:::/   }:::::::::/ |  ヽ    r‐ '´  / //      / ト-<: : : : : :入_
    | 、入::::' ,__ム.斗ヤ',            / //    /   トミヽ、` <: : : : :./入_
    ∨ _└、::レ<´ |  ヾ\       / //   /    | \:.:.\  `<: : : : : :\,''"',''"'''"'ヾ
    レ' \ Y  }  ',   ヾ \_i:_/ /  /      ∧  \:.:.\   ∨――へ       '"''ヾ
   / \  |_}  |  ',    `ヾ ニニニ - '   /   /    |     V:.:.ヽ.   ∨: : : : : |\   ゞ     ''"'ヾ
  ヽ、 >ヘ、_}.   |   |\          ./  /      |      |:.|:.:.:|   |―― 、|: : |     丶      '"ヾ
    \   ヽ  |   |  `‐r‐<.._    / ./       |     /.:.::./    |: : : : : :| \\  ゚  ゚         ヾ
     \__,   |二ニi    |___ヾ >、/ー'        |   >'//::.:/    | \: : /: : : :∨\       ゞ     ヾ
      ノ     | /       く_ 入 ヾ ト、         |‐ ¨  /:.:.:/     /: : :.∨\: : : :.',: :/               ヾ
.      /      |       /\: :\.トヾ\_____,/|___//::./    イ: : : : :.|: : :.|: : : :∨=@  ゞ゚           ヾ
     |      /       |: : : : :\/:| \_____/―‐r┴ ' _. ィf: : /: : |: : /: : : :|\/| "'=@              ヾ
     |     /        ∨:./:.く: /      /\__\_ア:.T:√: : :./: : /:./ ∨: : : : :|: : : : |   '=@              '

28 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/01/16(金) 00:29:50
                         ‐-、 ヽ
                  ,..-.;:=:.:.:_:ヽ)ノ__
               ,..-‐./:;.:'..:.:/::.、::、:、:! `ヽ
             /.:::r‐l::;'...:.,.'....:.:.:.:.:.:.:.:.:l
                l.:::::l r.l:.l:::i:.:!.:i.::i.:.::.:..:.::l
          ,.-=‐'、ー-‐l、!:i:;:!::i::l:.ハ:/:l:ノ:.lj 
           l   ヽ',l:l ヽ:lリゝヾ:!,lノノ::.:ノ
            l、   、j l:l  ヽ!::.-‐..l´,!:./ 
          l 〉.  `!.l:l   l:::|. l:|ゝ"
.            l `、  `、:L....」:l,.._」:| l
      ____l :i丶  ..::} ̄「ー=‐-' l
   _ -´{_____',:i `、.  丶 }´{ ノ  l
  {_ -‐i       ,r'... 丶  `、. |´ |   ',
   |   i     ,.'/   l `、   ゝ、_ ', _,..、!
   |   i.    //     l   y'´   '-r'__..、_`〕_
   |   i   /.,'    l __<  _,/´ 、、ヽゝ_、`i
   |   i.   ,' { _,.-‐ 'i.  ,.゙>─` ´゙ー- '`ヽ-..j  
   |   i   j‐/:i: :::i  :i:、/             }  `、
   |   i  /:i :! :i  ::i/         、    l    !
   |   i  / :! i  :i /      __...-j.    l   ,'
   |_ . 」__'ー/__」_ノ  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ l-─‐-、! _  l
     /───────‐‐‐‐‐‐!::::::::::::::l´::::`:l
      |______________.l:::::::::::::::|:::::::::::l
       ',                |:::::::::::::::|:::::::::::!
       ',               |::::::::::::::|:::::::::::!
.         '.,            |:::::::::::::|::::::::::l
            j           |::::::::::::|::::::::::|


29 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/01/16(金) 20:58:48
            // _,.-'"::/:::::::::/、:::::=三::::::::三ミ:::
          /r'゙ //r''"::::::::::::;/:::::ヾ;::::三ミ::::三ミミミ:::
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         |:l::V::/:::::::/;/;;;r----- 、_;;;;;;;;;;;ヾ::::::/:::/::::::::::
         |::|::l::{:::::r'゙:i;;;r', '       ゙ブ;シ::::/::::/;i:::::::::::
       j::::!::l;:i::::{::i:|;;r'  ○  ,.-'";;/::::/::::/V!:::::::::::
       /::ノ:::ノ:}::::レj;;;;!::...  __,/;;/::/:::::/:::l、:i|::::::::::::
       l:/:::;ノ:;ノ//;;/,.-‐'";;;;;/:::::;'゙:::::/::_r;>´゙i;|:::::::::::
      j::l:::/:///;;;;;;;;;_,,r''"::::::::::::::::/__:r゙Y゙lヽト、!i!::::::::::
     ,/:::/::::/:{;;;;;r''"::::::::::::::::::::::/rニv‐Yiヾ!:Vクミi;!::::::::
      /:::::::::::::::`:::::::::::::::::::::_,,.-''" __r‐゙i、|ヽ,|ヽ,,/::::ミミ|:::::::::
    /:::::::::::::::::::::::::___,、-'ニ、__r:v'゙i、.|、Vト、ヽ,./::::::ト、_)|::::::::
   /::::::_,,、-'ニv=v‐v〈`ト、.|、l;ハ|ヽ!`' ト|,ヽ,/::::::、トヽj:/:::::::::
  //´゙ヽ,l, |;、 lヽ|ヽ|ヽトi`'`'`'   、ト、ト、,/:::::::::ト、l,`'ク:::/::::ノ
  ´     ヽ,! ヽ!ヽ!`'      、ト!ヾy'::::::,、ト、゙!`Y/:::::::/
                  ゙i,`;/,、 ト|ヽj゙し'":::::/



30 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/01/16(金) 21:02:12

                          ,. -―‐ `'' 、
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   ┃┃      ┃┃         '{;l!|{i!リ''  _ノ    ;i|!レ'     ┃┗┛┃  ┏┛┃┏━┓
   ┗┛      ┗┛        '゙i!|!;'、,_´__,ノ '″    ┗━━┛  ┗━┛┗━┛




31 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/01/17(土) 19:33:20
                        .. -―‐ -- .
                      / , - z:.:.:.:.:.:.:__.ミ 、
                      / /  / ..  .....  ヽ..\
                     / /...::/ ../:/:.:.:.:.:.:.:.:.:..i:.. 丶
                   /ノ//:.:/ /./:―ト、:.:.:./ }:.:.:.|:.:.:.:.:..ヽ
                      ーイ7':/:.:.i:.イ,ム≦. }イi:.:/ ノ.:./ノ:.:.:.:.|:.小
                  / :./}:.:.イ〃,ィうミiヽ |ル′ }7 ト、:.}:.:|:. ト.!
                 十  / :/ フイ:{ ` 廴.ツ     ァ=ミ}/:/:.リ:.:.| |
                / :人 {| :i   xx       ん`} i}/ィ/:}:. | |
                / / .:.:`l :{         '  廴ツノ/ }:./从|
                 }/ .:...:./| 从      ー 、 ,  xx ムノ/     !
          _人_   ノ:.:, ≦ミ| :{:.:〉、        ノ|:.: |  ___ 人 ___
          `Y´  //   |:lノ `   __ . ≦丁|:. :   `Y´
              /     | {丶.   /:.il:.:.:.:.:|:.:l:.:.|: |      !
             /    _  イ ハ  ` rヽ廴_:.:.:l:.:| :| l
          /     /ヽ/ } :{ \   }| `ヽ:l  :! i| _人_
        /       /{ /  |i| [>i<  {   }|:. . | {  `Y´
        /      /:.:.ノ′  |: l     `′ V  l:|:.. | | 
     , '      /..:./:.:{    }: |        | ,' |:.:.. ハ.{
     、    く/ .:.:/i:.:.:|    ノ:|       ノ i.:.|:.:.: l } !
     \    \:/:.|:./}   , ::/|       /  |:.:|:.: | | l
       \    \{:{:ノ__‐' }./: }       /   l:.:.|:.: | }|
         }ヽ.     /´__,   l  .′     /|  |:.l:.:. l ||
        ノ / >‐<´   ノ} /      /_:ノ  |:.|:.  |l |
         /斗彡/  〉ー-//|/    /     }:.:.|:.|  } l  +
     / / ´   / / /' ノ⌒廴_ /__ ....イ:.:.:.|:.l  | i |十
   /   ノ´  /  / }   /   ヽ ヽ:.:|:.:.:.:}:.:.:.|:.:.:.l:.:| ノ | |
  /   んぅ、___/  / /  ノ      i  V!:.:.:.l:.:.:.:|:.:.:.!:.|:./:/} .
  {〜x、}=== ミ `⌒>' {r〜x___, -r‐x.}   }:.:./|:.:.:.,:.:.:.l:.:lノイ //
  ヽ、 /    \ `〜ー'′   |rー',、_ |V }.:./}:.:./丁: Vイ

32 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/01/19(月) 21:30:09
『ヘイドレクの物語 欠落した部分』
@
「はっ!」
ヘイドレクは起き上がった。まったく見知らぬ風景が、ヘイドレクの周りに広がる。

一面お花畑…芥子の花と食虫植物がたくさん植わった謎の花園だ。
宙を舞う毒虫たちが、ヘイドレクの弛んだ肌を次々と刺し、花に集った毒蝿が食虫植物に食われている。

空は桃色の雲で厚く覆われ、時折そこから黄色っぽく濁った雨粒がパラパラと振り落ちる。
空気全体が硫黄臭く、独特の硫化水素臭がヘイドレクの蓄膿ぎみの鼻を突く。

「ここは一体、どこなの?」
気づけば全裸。というよりも全裸は殆どヘイドレクのユニフォームと言ってよい。
そんな軽犯罪的な格好のまま、ヘイドレクは立ち上がった。

するとどうであろう、遠くから鋭い爆発音が響いた。
同時に爆風のような風が吹き抜け、空を覆う桃色の雲を薙ぎ払った。

「うわっ!」
ヘイドレクは思わず腰を抜かし、地面にへたりこんだ。
少し脱糞してしまったことは秘密だ。

爆発音がした方向から、様々な破片が飛び散ってくる。
人間の臓物や引き千切れた手足が、ヘイドレクがへたり込む辺り一面にも飛び散り、血飛沫を散らした。

赤紫の芥子の花が、どす黒い人間の生血で染まる。

するとどうであろう、地面のあちらこちらから湧き出てきたムカデやヤスデたちが、その肉片に群がった。
長い牙を剥き出しにして、人間の死肉を引き千切って喰らう毒虫たち。

――ここは天国なのか?

困ったときはオナニー。それがヘイドレクの掟だ。

本当にこんなところに来るとはヘイドレク自身も思っても見なかったのだ。
死臭の漂う極彩色の花園で、自らのペニスを至極ヘイドレク。

呆けたようなマヌケ男ごときに、ここに送りこまれた本当の理由など分かりはしない。
そう、それは陰謀…遥かなる神々の仕掛けた、人類の存亡に関わる壮大な陰謀だったのだ。

33 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/01/19(月) 21:31:15
A
ピンク色の雲の切れ間から、黄金色にキラキラと輝く陽射しが差し込む。
するとどうであろう、蕾を硬く閉じた棘だらけの蕾が、ゆっくりとその花弁を押し広げたのだ。

まるで血そのもののような朝露を垂らしながら、毒々しい赤紫色やオレンジ色の花びらが広がる。
生臭く、むせるような芳香が、いきなり周囲に漂った。

その香りはまるで魔法…生きるもの全てを酔わす、魅惑の甘い香。

「ああっ、あううっ!」
ヘイドレクは思わず唸った。貧弱な想像力の中に眠りこける歪んだ官能を呼び覚まされてしまったのだ。

小学校低学年の少女たちへの偏愛や、ホラーやファンタジーの作家になれるとの勘違いも甚だしい思い込み。
腐りかけたヘイドレクの脳髄を、そのような妄想の絵巻が渦巻いてゆく。

まるで地獄絵図…いや、極楽なのか?

そんな中でヘイドレクは、いつしか自らの妄想に酔いしれてゆく。

目の前に、ヘイドレクが憧れた小学五年生の美少女・詩織ちゃんが微笑んでいる…。
詩織ちゃんは、そのままヘイドレクに寄り添い、愛くるしい笑顔を見せた。

もちろん現実には、そんな少女など存在しない。
花の芳香に含まれるアヘンとかヘロインとかに似た成分が、脳神経をチリチリと刺激し生み出した幻覚だ。

だが、それで充分だった。
ヘイドレクのペニスは、もうビンビンだった。

目を瞑ったまま両手でペニスを弄繰り回すヘイドレク。
彼の瞼の裏には、幻覚の中で踊る美少女・詩織の、スカートの裾から覗く素足が映し出される。

興奮のあまりヘイドレクは傍に落ちていた名も知れぬ兵士の死体を抱きしめた。
その死体…腐って腐臭を放ち、腸がはみ出て、そこに無数の芋虫が集っている…を、己の股間にこすりつける。

液化した腐肉が、グチュッと粘液質の音を立てて、ヘイドレクの小さめのペニスを押し包む。
肉に集っていた芋虫たちが、ヘイドレクの肌を這い回り、小さな毒針でチクチクと刺す。

――ああ、最高だ!たまらないよ!

その刺激すら、今のヘイドレクにとっては快感そのものだった。

34 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/01/19(月) 21:31:52
B
ヘイドレクは妄想の中で、この世に存在すらしない美少女のスカートの裾に手を差し入れる。
だが幻覚に過ぎない美少女・詩織は、可憐に恥じらい、少し顔を赤らめて目を背ける。

そのしぐさに、思わずヘイドレクは唸った。
そう、屑の人生を歩み続けたヘイドレクが、長らく憧れ続けた光景だ。

ヘイドレクは微笑んだ。もちろん思い切り気持ち悪い笑顔で。

もう一度、妄想の中の美少女・詩織を抱き寄せた…残念ながらそれは、腐って肉のこそげ落ちた兵士の死体だが。
そのまま詩織ちゃんの頬にキスしたのだ…残念ながら兵士の死体の、剥き出しの尻の肉であるのだが。

ヘイドレクの唇の周りに、腐肉から滴り落ちる粘液がこびり付く。
それを舌で美味しそうに、ヘイドレクは舐めとる。

右手は、もはや己のペニスすら握りつぶしそうだ。

――も、もう逝きそうだよっ!

幻覚の美少女・詩織を組み伏せ、その衣服を手で掴み、そのまま剥ぎ取ろうとして…ああっ!

その瞬間だった。

突然、周囲の花たちは、謎の黄色い粉を吐き出し始めたのだ。

まるでタバコの煙を吐き出すように、全ての花たちがその花弁を僅かにすぼめ、それらを空中に解き放った。
それはピンク色の瘴気と交わり、徐々に虹色の春風の中で渦を巻き始めたのだ。

とたんに辺りの様子が一変した。

大量に漂う花たちの花粉が、いつしか虚空に満ち溢れ、柔らかな日差しを遮った。
地平線の彼方から、鈍い漆黒に染まった積乱雲が立ち昇り、春風を遮る。

と、同時に、まるで肌を掻き毟るような痛みがヘイドレクを襲う。
鼻腔を貫く、吐き気を催すような硫黄の匂い。

脳髄に、焼き火箸でかき混ぜたような激しい痛みが走る。

戦士たちの死肉を喰らっていた虫たちは、突然宙に飛び立った。
明らかに怯え、興奮している毒虫たちは、群れを成して次々と交尾を始める。

一匹のメスに無数のオスが群がり、生殖管を卵管にねじ込もうとする。
ダンゴ状になった虫の群れが無数、宙に舞い、ぶつかり合う。

ブンブン飛び回る肉食の甲虫たちは共食いを始める。
さらに何処からとも無く現れた蝙蝠たちが、その虫たちをバリバリと喰らい始める。

35 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/01/19(月) 21:32:39
C
そんな中で、何とヘイドレクは笑っていた。
鼻の穴や耳の穴から膿を垂れ流し、毛穴という毛穴から血潮を滲み出しながら、ヘイドレクは笑い転げていた。

そう、詩織ちゃんが、ヘイドレクの前で衣服を解き始めたのだ。
覚悟を決めたように、恥じらいながらも、ゆっくりとヘイドレクの目の前で。

上着を脱ぎ払い、スカートをたくし上げ、詩織ちゃんは真っ白の可愛らしいパンティーを抜き取る。
もはやスカートの下には、何もない…そこに存在するのは、詩織ちゃんのあの、あのっ!

スカートの裾から伸びる、硬く閉ざされた、か細く白い少女の両脚。
その奥、恥部が間もなくヘイドレクの目の前に!

――やったっ!遂に、遂に俺はロリロリ美少女の未開発マンコを拝め、犯せるんだ!

泣きながら笑い、笑いながら泣いたヘイドレクは、その少女の股間を血走った目で凝視する。

――間もなくだ、間もなく純粋無垢なマンコを観賞できるんだ。

もはやヘイドレクの股間は爆発寸前…死肉と蛆虫の集った臭い短小チンポが痙攣を始める。

――思う存分観賞し、ナメナメした後は、僕のこのデチ棒を思いっきりぶち込んで!

生理すら始まっていない娘の子宮に、己のザーメンを大量に注ぎ込んでやる、とヘイドレクが思った瞬間だった。
ヘイドレクの網膜に飛び込んできた光景…それを見た瞬間、ヘイドレクは凍りついた。

そのままゆっくりと口を開き、初めは呻くように、そののち天に轟くような声で、ヘイドレクは絶叫した。

「うわあああっー!」
詩織ちゃんの股間から、30センチ近いペニスが悠然とそそり立っていた。

先端部からカウパー氏腺液を滴らせたその赤黒い肉棒。
それはまるでそれ自体が独立した生き物であるかのように悠然と脈打ち、ヘイドレクの頬を叩いたのであった。(了)

36 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/01/22(木) 07:31:48
                                  ,..-―- ._
                              ,r<     / ̄ ̄ ̄/ ̄`ヽ.
                        ____/ ̄ '"´ ̄ ̄ ̄ ̄``'く     / 〉
                          /'´ ̄ ̄/            \  / /
                           ト、   /:.:.: : : :, ::/ :l|          ∨ /⌒;
                        ,r{人__,/:.:.:.: :., :::/ ::/ : :八 ハ ∧::. ハ:  V`ーく
                       ///|\/:.:.:.,.::/ ::/ ::/| : ,'| | }  ハ::. |: |ハ  ハ
                     / //.{ト、_|:.:.:/.:,' ::/ ::/レ' // . ト,ハ、_| l:. |: l: |||| |
                      | ,/く丁}人} / ::j :::|,.ィ'´ |//   |/ |リ `'W /:.:|||| |
                      |//{ |/レr|/{ : :|イ   /     ' ,ィf行_八/:.: 八j「| |
                      | {  ∧: :/辷∨l/,r===     ヒl以 八_>く「|_,ハ リ
                        ∧ ∨ / / ̄ヽ''     ;    '''' l /!!: : 〉|」/ j/
                        ∧ ∨|/j/    ハ、 { ̄`¨ヽ   .イ/ lト、/ :|
                        / ::∨ ' ,'     ∧Y}     V/j/レ小/\|
                    / , ::,'   l        |:: \    V_   ∨:八
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                       / ::| :: |    レ'l      l:: :: :: {___ヽ} _} } ┌ \::ハ
                   | ::ト、|   |: l      l:: :: /    /∧`T=く._   } ::ハ
                   人 ::| \_   | :: l      l:: /    / :: :ハ. | /` ー┤::| l
                     ト、      |:: : l      V   /:: :: : ::} l ト、___/|:.:.l|
                         \   /:: ::.ハ.     l   /:: :: :: ::/|,'   }/イり
                      _/:: :: :: ∧    }  /:: :: :: ::/ .l/    |
       _____           ...':´ :: :: :: :: /::∧     /:: :: :: :: {! /     ,'
     / ___ `丶、  ,.r< : : : : :: :: :: :: :: /::ハ   /:: :: :: ::.:,イ {     /
.   ,イ /    `丶、_)rく :: :: :: :: :: :: :: :: :: :: / /:: :::¨´:: ::/:: ::.:/ ∨   /
   { | |        ,.r<:: :: :: :: :: :: :: :: ::. ::. ::./:: :: :: :: :: :: /::: :: ::/  ∧  /
   l| |     /'"´ ̄``ヽ、:: :: :: :: :: ::/:: :: :: :: :: :: :: / : :: ::/    `ーく
  八! ',.   , ′         ヽ.::、:: ::.::./:: :: :: :: :: :: :: :: :: :: :: :::!
.   ヽ \ /              ∨:` .、: :: :: :: :: :: :: :: :: :: :: :: ::,'
      \,/             lハ:: :: `:..、:: :: :: :: :: :: :: :: :: /
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37 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/01/22(木) 08:02:30
『雨の日』
@
もう終わりだね。そう、今日まで頑張ってきたけど、それももう終わりだ。
間もなく核融合炉は溶解し、この施設は大爆発を始めるよ。
もう、誰も助からないんだ。

エネルギープラントの大爆発で、周囲半径100キロくらいは死の世界になるんだ。
その後は短くて数百年、長ければ数万年も半減期がある放射性物質に汚染された土壌が、果てしなく広がるだけ。

僕は握り締めていたサブマシンガンを、目の前のテーブルの上に置いた。
管制室には、先ほどまで僕らに抵抗を続けたエネルギープラントの職員たちが、血まみれで倒れている。

無駄な抵抗をしなければ、彼らをここまで痛めつけて殺さなかったのに。
命令どおり原子炉から制御棒を抜いて、核反応を暴走させれてくれれば、仕事も早く済んでたのに。
実に馬鹿な奴らだ。

この管制室の中は、けたたましい警報が鳴り響いている。
原子炉の様子をモニターしているモニター画面には、危険を告げる警告の文字が点滅する。

明らかに上昇した炉心温度は、もはや停められない。
ウラニウム235の核融合反応は臨界を越え、大量の中性子をばら撒きながら周囲のイエローケーキを焼いている。

核融合炉にあるカメラは、純水に満たされたプールで不気味に光を放つチェレンコフ光を映し出す。
これは破滅の光だ。全てを終わらす僕らの希望の輝きだ。

あと少しで、この世界は滅ぶんだ。
僕はふと、外部警備用モニターを呼び出し、その画面に目をやった。

降りしきる雨の中、自動通報装置の通報を受理した軍関係者が、門前に殺到しているのが見える。
それと、おそらく特殊部隊員を満載しているであろう武装ヘリが、施設の上空を飛び回っているようだ。

もう遅いのに。

僕らの同士が彼らに対し、密かに施設内に持ち込んだ機関砲で応戦している。
門を突き破り、内部に突入した装甲車にミサイルランチャーを撃ちこんでいるのが見える。

一瞬、オレンジ色の輝きがモニター画面を満たす。
それが消えた途端、装甲車の一つが炎上しているのを映し出す。

そんな虚しい光景を呆然と眺めながら、僕はタバコに火をつけた。
喉をチリチリと刺激するニコチンの刺激を心地よく味わいながら、僕は笑った。

楽しいからではない、そうではないのだ。

核反応が完全に制御不能になり、モニターには総員退去を命じる表示が出た。
だからどうした、いまさら外に出てももう遅い。

全ての安全システムを完全に破壊し、遮断装置も破壊した。
もう誰も止められないのだ。

38 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/01/22(木) 08:03:23
A
唯一、政府安全保障室への回線だけを生かしておいた。
今頃、政府は恐慌状態だろう。

僕はそのままウイスキーを取り出し、同志であり、恋人でもある美弥子に飲ませた。
彼女は先ほどの銃撃戦で腹を撃ち抜かれ、間もなく死ぬ。

既に顔色は真っ青で、目線も虚ろだ。
光を失った瞳で僕を見上げ、美弥子は力なく微笑んだ。

美弥子もまた、分かっているのだ。
これから始まる、素敵なひと時を。

だから愛する女の死を目の前にしても、悲しみは出てこない。
むしろ僕は幸せだと、そう感じている。

どっちにせよ僕だって同じだ。
あと30分もあれば、僕も彼女とともに、この世から消滅するのだ。

ほんのちょっとの時間差に過ぎない。
僕らがたどり着く先は、同じだ。

それは数百万人の人間たちとともに。

美弥子が事切れるのを見た僕は、そのウイスキーボトルに口を付けた。
彼女の口紅が、ウイスキーボトルの壜口に僅かに付着している。

何度も唇を重ね、何度も僕のペニスを愛撫してくれた美弥子の唇の、最後の痕跡だ。
僕はそのボトルの口に、美弥子との最後の口づけを交わした。

そのまま中身を思い切り煽った。
焼けるような刺激が喉に流入する。

僕は少しむせながらも、その火傷しそうな琥珀色の液体を胃袋に流し込んだ。
刺激で少し涙目になったまま、五月蝿く警報を鳴らすモニターに向かって乾杯と一言。

もう終わりだ。
最高だ。

どうやら施設内に特殊部隊員たちが突入したようだ。
決死の覚悟の彼らの勇気に、心からの経緯を表したい。

遠くからだが銃声が聞こえる。
サブマシンガンではなく、明らかに攻撃用のカービン銃の音だ。

甲高いその銃声は、ここが核施設であることを忘れているようだ。
どちらにせよ、もうそんなこと言ってられないのだけど。

制圧ではなく殲滅、その上で核施設の運転停止。
おそらく彼らはその積もりだ、危険を承知の上で。

39 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/01/22(木) 08:04:04
B
受けて立とう、僕はそう呟きながら、テーブルの上にあるサブマシンガンを手に取った。
すぐ傍に転がる美弥子の死体から、サブマシンガンの予備弾倉と手榴弾を取る。

これが最後の戦いかもしれない。
もしかしたら僕は、盛大な花火が炸裂する、その瞬間を見られないのかもしれない。

それが少し残念に思えた。
その瞬間を体で感じて、この世界から消滅したかったのだから。

まあいい。

携帯無線機から、リーダーの村上が呼びかける声がする。
施設管制室に向かう防衛線が危険である、と彼は僕に怒鳴っている。

直後、その無線機のスピーカーから村上の絶叫が響いた。
容赦のない銃声とともに。

まもなく敵が、ここにも来る。

もう遅いのに。
もう停められないのに。

管制室の廊下で同志達が撃ちあいをしている。
その銃声を心地よく聞きながら、僕はモニター画面を見た。

炉心の融解を告げるメッセージか表示された。
これで決まり、間もなく大爆発が起こる。

もう終わりだ。

僕は再び外部カメラに映像を切り替え、外の光景を映し出すモニター画面を見た。
雨に打たれながら、装甲車や軍用車、完全武装の兵士たちが佇むその光景。

僕らの築いた防衛線を、必死になって突破しようと励む、報国の精兵たちだ。
素晴らしき勇者である彼らこそ、この偉大なる場所で共に死ぬに相応しい、僕はそう思った。

直後、凄まじい光と熱線が僕を包み、その一瞬で僕はこの世から消滅した。
最初に放たれた大量の中性子線で、おそらくこの地域数百メートルの人間は即死する。
おそらく僕はこの瞬間、死んだ。

殆ど間をおかずに放たれる、強力な放射能が、数十秒にわたり辺りを焼き払う。
さらに巨大なエネルギーが一気に放たれ、この地域は形ある者全てが破壊し尽くされる。

ああ、なんと素晴らしい。

最後に、きのこ雲によって巻き上げられた大気が、空に雲を作り出す。
そこから大量の放射性物質を含有した黒い雨が降り注ぎ、大地を穢してゆく。

僕もその雨粒の一つとなって、永遠にこの大地を穢してゆくつもりだ。
それが僕の最後の希望だ。 (了)

40 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/02/18(水) 17:46:12
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            ヽ;;;;;;;!:::::;l、.l:::::!          ,. -ヘ,  l             ゙ヽ     ,. -−-、
          ヽ;;;/'ル' `!::i、     ,/   ヽ、,!            _, -'、_, - '´      !
           i;i i/  l::! ` 'ー− ´       i'ト、-、,___,. -−' ´ ,. ‐'´    ..:::::/
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41 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/04(土) 01:42:02
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  !::!'´ノ>∠: :: :||!::::::::::::::::::.!:|:::::::\ヽ .!   | .!:(ヽ:::: ::ヽ|、!|
/:: ̄ソ '´   \::|:l|::::::: ::::::: :|:.!:::::::::::ヽ ヽl   | !::::ヽ:::::::::ヽ:\





42 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/22(水) 19:58:27
【戦争奇譚 〜戦艦長門〜】

現代に大東亜戦争時の日本海軍の軍艦の名前を聞くと真っ先に「大和」が上がると思うが、「大和」は当時、
極秘に建造されていたために国民には存在は知らされておらず、有名になるのはむしろ戦後だろう。逆に
戦前戦中にかけて帝国海軍の軍艦と国民に聞けば間違いなく「長門」と答えたのである。

長門は昭和13年から17年まで連合艦隊の旗艦まで勤めた帝国海軍のシンボルであった。大和が戦中末期に
撃沈されたのに比べ、長門は数々の戦いを潜り抜け終戦時まで残った唯一の巨大戦艦であった。

しかし戦後米軍に接収された長門は原爆実験の標的艦として最後を迎える。一回目の実験でも無傷で残り、
二回目の実験でも僅かに傾いただけで他の米軍戦艦が沈む中で唯一水上の上で悠々と残っていた。これに
米国実験者は驚嘆し、長門の構造を調べ上げようとした。その矢先、長門は忽然と海上から姿を消した。

日本が二発の原爆で降伏したのに対して、長門は二発の原爆にも耐え、アメリカによる解体からをも許さず、
まるで自決するかのように自ら沈んでいった。まさに大日本帝国海軍の最後の意地を見せた最期であった。

【戦争奇譚 〜兄の帰還〜】

ガダルカナルで戦死した兄を供養しようとOさんは、戦争から50年後にガダルカナルで行われた慰霊祭に
参加した。その際島から小石を遺品として持ち帰った。

帰国後、数日経ったある日Oさんは奇妙な夢を見た。兄が裸同然の姿のまま座敷で寝ているのだ、体には
深い傷が有り、「傷が疼いてどうしようもない」と訴え「畳で寝たくて帰って来た、畳が恋しくて」「ばってん、
久しぶりの畳はぶかぶかして寝にくか」そんなことを言う。
そこでOさんが「ベットはどうか」と聞くと「やっぱり畳のほうがよか」というのであった。兄が家でゆっくり寝た
がっているのを知ったOさんは、再度ガダルカナル島へ行き兄を故郷へ連れて帰ろうと考えた。

そんなある日再び兄が夢に現れ、「自分ひとりが島を離れて故郷に帰るのは、皆に申し訳ない」「そこで、
俺一人が写っている写真を持って来てくれ」「それを、みな(戦死した戦友)のため、自分の身代わりとして
島に残してほしい」と頼まれた。

現在Oさんは兄が夢の中で寝ていた座敷に応接台を置き「兄がそこにいるつもり」で暮らしている。無事生還
した兄の戦友がOさん宅を訪れた際は、その応接台を囲み、唄を歌い酒を飲み、ガダルカナル島戦の懐古談
に花を咲かせている。

彼等をいうには「一日でもいいから故郷のたたずまいを見たい。いちどでいいから家に帰りたい。皆、そう思い
ながら死んでいったんです」

43 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/22(水) 20:00:04
【戦争奇譚 〜夜の砂漠にて〜】

北アフリカ戦線にて。イギリス軍の輸送トラックが砂嵐で進路を見失った。視界が利かないため、ドライバーは
停車して砂嵐をやり過ごすことにしたが、砂嵐はなかなか止まず、それが去ったのは日が暮れたあとだった。
結局ドライバーは車中で一泊することにした。

乗せてくれ、と兵士がひとり、不意に闇の中から現れた。話し相手がいないこともあり、ドライバーは快く乗せた。
妙な訛りの英語を話すやつだと思ったが、連邦国のどれかの兵士だろうと思い、気にしなかった。しばらく会話
を楽しんだ後、もう行かなくては、と兵士はトラックから降りた。こんなに遅く何処へ行くのだろうと思い、ウィンドウ
越しに姿を探したが、その兵士の姿はもう見当たらなかった。

夜が明けて、目が覚めると、砂嵐で気付かなかったが、近くにドイツ軍の戦車が擱座していた。それを味方の
兵士たちが調査していた。近づいてみると、壊れた戦車から、戦車兵の死体を引っ張り出しているところだった。
その顔は、昨夜トラックに乗せた兵士と同じものだった。

【戦争奇譚etc】

日本兵の幽霊は他に比べて多かったようだ。兵舎での噂話で、死んだ兵隊さんの手首が、夜な夜な現われ、
「おいで、おいで」と手招きするらしい。日本軍の大陸の戦場(日露?)での怪談話。

戦局が暗転し、南方からの「転進」中にジャングルに迷い込んでしまった部隊が、「巨大な遺跡を発見した。
見たことのない生物がいる。人間に似ている」という通信を最後に消息を絶った。

ジャングルで撃ち合いをしていると、フイにシーンと静まり返る瞬間があるらしい。弾薬の補給や負傷者の
救護などをするタイミングがちょうどお互い合って、まるで休憩時間のようにその間は銃声がしないのだが、
その時間が長いと、必ず発狂するものがあらわれたという。

第一次世界大戦でイギリス軍がトルコ軍の砦を攻略する際に、不思議な雲に包まれて消滅したという記録が
ある。中国でも日中戦争のころ、約3000人の中国兵が不思議な霧に包まれて消滅したという。そのおかげで
日本軍の南京攻略がスムーズに達成できたという話がある。

第二次大戦の北アフリカ戦線で、孤立したドイツ兵達が1人の老人と出会って古い地図を譲って貰った。
そこには水や食料の貯蔵庫が記されていた。それでどうにか助かったドイツ兵達は、どこでこの地図を手に
入れたのかを老人に聞いた。すると老人は、「ナポレオン公から援軍が到着するまで死守するようにと命令を
受けました」と 言って姿を消したという。

先の大戦中の戦車兵の話。真夜中いつものように数十台で隊列を組んで行進していると、付近の森から、
蒼白い鬼火が続々と現れた。狼狽していると、クラッペ(覗き穴)から外を見ていた兵士の頭が吹き飛んだ。
夜が明けて、別の部隊がそこを通った。そこには、切り裂かれたような戦車の残骸と、車内にいたにも関わらず、
射殺された兵士の死体がいくつも転がっていた。その中に混じり、奇妙なランタンを持った、敵の兵隊の死骸が
おびただしい量転がっていた。

44 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/22(水) 20:01:12
【戦争奇譚etc】

南太平洋の、とある島での出来事。孤立した日本軍が駐留しているとみられる島に、米軍が夜間上陸しようとした。
すると突然、島の高台に金色に輝く人の様なものが現れた。その途端、米軍の上陸用舟艇に錆による穴が空き、
次々と浸水した。結局米軍は、その島には上陸しなかった。後に上陸前に撮影されたその島の航空写真を見ると、
島にはどれも錆びた高射砲や輸送機などが写っていた。その島では全ての鉄という鉄が錆びてしまっていた。
米軍の非公式記録より。

硫黄島について。海上自衛隊では、禁忌となっていることがある。硫黄島での演習で上陸し、そこでの記念として
石を持ち帰った所、亡霊が艦内を彷徨い、叫び声や電気系統に異常をきしたという。海上自衛隊の航海日誌に
載るくらいの事実。

日露戦争での話。開戦前、明治天皇は戦争に消極的で、大国ロシアを打ち負かす事など絶望的と思われていた。
が、あるとき公務を終えられた後、明治天皇が、「この戦には神が兵を貸してくださる。必ず勝てる。」と言われ、
結局開戦となった。結果、日本軍は勝利を収め、世界史を塗り替えることとなる。
戦後、捕虜となったロシア兵は口々にある証言を残す。「黒い服を着た日本兵は弾が当れば死んだが、白い服を
着た日本兵にはあらゆる武器が通じなかった。」と。
なお、明治の皇軍兵の軍服は上下黒の詰襟に白いゲートルであり、「白い軍服」の兵士は存在しない。

第一次大戦中のヨーロッパでも似たような話があった。イギリス軍が撤退した陣地から十字の剣を持った謎の
騎兵隊が現れ、銃撃しても倒れる気配を見せなかった。恐れおののいたドイツ軍が敗走。2、3キロ離れた所に
いたイギリス軍は、誰もいない無人の陣地にドイツ軍が必死に銃撃をしている異様な光景を目の当たりにした。

【戦争奇譚etc】

空母「瑞鶴」に乗艦していた見習い尉官の話。戦闘の際、日ごろからお世話のなっていた中尉が敵機の爆弾に
より倒れた。左足を付根からもぎ取られていたが意識があり、「もし呉に帰ったら家族に苦しまずに死んだ、と、
そう伝えてくれ」と言い、息を引き取った。見習い尉官は遺言どうり中尉の家族に手紙を書き送った。
それから二十五年後に行われた瑞鶴戦没者慰霊供養の際に中尉の未亡人と会い、実際の中尉の最期を伝えた。
すると未亡人は「これまで何回となく夢で帰って来てくれましたが、不思議な事にそのたびに左足がないんです。
今、やっと、その訳が解り、ほっとしました」

太平洋戦争中期〜後期、アリューシャン列島での話。偵察を行っていた日本の潜水艦が、日本軍が玉砕した
アッツ島沖を航行していた所、突然アッツ島から光の玉が飛び上がり空中で止まると、こちらの(潜水艦の方向)
へ向かって飛んできた。潜水艦長は「急速潜航!」を発令し、潜水艦はそのまま水中へ潜っていった。その後、
あれはなんだったのか考え、結局、「おそらくアッツ島の英霊でしょう」と言う事になった。

カンボジアでポルポト政権時代に不穏分子が大量に虐殺、遺棄された農場は、今は欧米の果実企業のプラン
テーションで、とても美味なマンゴーやドリアンが採れるとか。ベトナム戦争で多数の戦死者を出したメコン下流
の田園地帯は、今は日本の商社によるエビ養殖池で埋め尽くされていて、美味なエビが育つらしい。

スターリングラードでは、包囲されたドイツ兵の一部が人食い(グールー)化した。それを退治するために貴重な
弾薬を割かなければならなかった。

45 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/22(水) 20:12:30
【戦争奇譚etc】

NHKの沖縄戦の番組。日本軍の犠牲者数に対しアメリカ側は、戦死者数こそ届かないものの、怪我やその他の
要因で本国に返された兵士が、実に日本人死者の4倍もいた。その殆どが夜襲に怯えて、ノイローゼになった為
という。「闇の中から奇声をあげて日本兵が来る!来る!」「撃たれても構わずに突っ込んで来る!」と彼らは
本気で怯えていたという。遠い異国の地で米兵にとっては、日本軍の戦い方は充分にオカルトだったのだろう。

フィリピンでの話。人喰ってる連中は、見れば分かったらしい。みんな敵に追われて食うや食わずで、幽霊みたい
な顔してるのに、人食いの連中だけはつやつやだったそうな。しかも何とも言えない目付きをしているらしい。
「ありゃ獲物を狙う目付きだった」とのこと。戦艦武蔵の生き残りの人(海軍の人)が、相当数やられたらしい。
海軍の船乗り連中は歩き慣れてないから、狩やすかったと。

戦史から離れるけど、遭難者が人を食い合う事例に付いては、「復讐する海−捕鯨船エセックス号の悲劇」と言う
のが参考になる。読み易くて中々良い本だった。

南方の戦線で、どの戦場でも後先考えずに突撃を繰り返す小隊があった。少し狂った小隊長の命令が指揮する
部隊で、部下はそれに従っていたに過ぎなかった。結局その小隊は、とうとう小隊長と二等兵の青年の二人きりに
なってしまった。それでも小隊長は突撃の命令を出すものだから、二等兵の青年は遂に頭に来て、小隊長を後ろ
から銃で撃ち殺してしまう。その後二等兵は、小隊長の死体を解体し、乾し肉を拵えていたところを発見される。
二等兵は銃殺刑になった。

第2次大戦中の凄惨な事件。1945年2月、ベンガル湾のラムリー島のマングローブが生い茂る沼地に、イギリス軍
が1,000人を超える日本軍をおびき寄せていた。すると19日の夜から20日の未明にかけて恐ろしい叫び声が続いた。
負傷者の血の匂いに刺激された無数のイリエワニがこの沼地に集まり、動きのとれなくなっていた日本兵に襲い
かかったのだった。沼地の外側にいたイギリス軍は一晩中すさまじい悲鳴を聞かされた。そして夜が明けてから
彼らが発見した生存者はわずか20名だった。

F−16戦闘機の空気取入口は、前輪の上にあり、いかにも、人を吸込み易い構造になっている。そのため案の定、
その手の事故で何人か死亡している。F100・F110ターボ・ファン・エンジンに粉砕・圧縮・過熱…文字通りのミンチ
状態に。そうした事故に遭った人間のうち、空気取入口の中にあるケタに掴まって助かったのもいるというのだが、
そこは、氷結防止に100度以上の加熱空気が出る場所でもある。さぞかし熱かったことだろう。

第二次世界大戦のヨーロッパの戦場での出来事。1機のP−38ライトニング戦闘機が基地に戻ってきた。しかし
いくら通信で呼びかけてもパイロットは応答せず、そのP−38は管制塔に激突しそうになった。そのとき通信兵が
脱出しろとパイロットに指示を出すと何故か指示通りパイロットは脱出した。しかしその後ある事が判明した。
そのパイロットは既に死んでいたのだ。しかも、何時間も前に。

46 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/22(水) 20:13:30
【戦争奇譚 〜ペリリュー島秘話〜】

太平洋戦争末期、ペリリュー島での出来事。当時その島に駐留した日本兵たちは、島民たちととても親密になった。
島に伝わる歌や、日本兵が歌う歌を教えあって共に歌ったり、島民達も日本語を覚えて兵士たちと会話したりと。

しかし時が進むにつれ、だんだんペリリュー島にもにも戦争が迫ってきた。そんな中で、日本兵たちと親しくなった
島民の青年達は私達も一緒に戦うと日本兵に申し出た。

すると日本兵の上官は怒りを露わにし、その青年を一喝した。
「我々、帝国軍人は貴様等とは違う!」
そう言って島民の青年たちの申し出を退けた。さらに日本軍は2つあった島の一方に陣取り、その島に居た島民
たちを、もう一つの島へ船で逃がした。

最後の船が出る時、それまでいなかった日本兵がバラバラと砂浜に飛び出してきた。砂浜に集った日本兵たちは、
別れの船に向かってみんなで手を振っていた。

その後、ついに米軍との戦が始まり、日本軍が陣取った島は真っ赤に燃え上がった。激しい戦闘が続き、日本軍は
玉砕し、日本兵は皆、死んでしまった。その時、島民たちは「ああ、あの時 日本兵の上官が怒ったのはこういうこと
だったのか」と思い、感涙の涙を流したという。

【戦争奇譚 〜マラッカ海峡の英霊たち〜】

そんなに遠い昔ではない時代の出来事。夜間にマラッカ海峡を航行していた日本の貨物船が、海賊の快速船に
突如襲撃された。相手は強化したエンジンを積んだ快速船、こちらは積み荷を積んだ貨物船、これではいくら
頑張っても如何ともし難く、ついには海賊船がもう夜目にも見えるところまで近づいてきた。
このままでは横付けされ、乗り移られ、積み荷と船は奪われ、乗組員は人質に取られて身代金と引き替えになる
まで虜の生活だ。

船員たちは放水銃(消火用)を放ちながら、なんとか近寄られないように操船をつづけていると、後方からもう一つ
の船影が近づいてくる。急速に近づいてくるその船はどうやら軍艦か沿岸警備隊のものらしく、砲を装備している
のが見える。軍艦は海賊船と貨物船の間に割り込んで海賊船を牽制し始めた。すると海賊船はあきらめて方向
転換し、そのまま消えていった。

そのときにはもう夜明けが近く、その軍艦は貨物船から遠ざかりはじめた。見ると白い制服を着た乗組員達が帽子
を持った手を大きく振っている。船員達がその軍艦を見ると、どうもかなり古い型の軍艦で、普段見かけないもの。
水平線の向うから太陽の光が差しはじめ、遠ざかる船の艦尾にはためいていた旗を照らし出した。旭日旗だった。 
そのまま軍艦の影は朝日の中にとけ込むように薄れて消えていった。後で調べてみるとその軍艦は旧日本海軍の
駆逐艦に似ていたという。

47 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/22(水) 20:22:25
【戦争奇譚 〜八甲田山後日談〜】

明治35年1月、厳冬期の八甲田山中にて、青森五連隊の雪中行軍隊210名が遭難し、199名が死亡するという
事件がありました。それから1〜2ヶ月後の寒い夜、青森五連隊連隊長の所へ、営門の兵士が血相を変えて
報告に来ました。

連隊長が営門に駆けつけると、遠くの闇の中から、大勢が行進する音、軍歌、ラッパの音が近づいて来たそう
です。だんだん近づいて来て、もう少しで闇の中から姿を現すと言う時、連隊長はおもむろに軍刀を抜き、闇に
向かって叫んだそうです。

「雪中行軍隊の諸君、よーく聞け。貴様等は勇戦奮闘し見事な最後を遂げた!今や無情雪山の鬼と化すも、
迷ってはならん!お前達の死は無駄ではなかった!厳冬期の軍装及び戦術については、一大改革がなされる
事となったぞ!来たるべき戦役に於いて、未然に軍の損失を防いだその功績は大きい!貴様等行軍隊員は、
みな靖國神社に合祀される事になったのだ!迷うな!心安く眠れ! ここはお前達の帰って来る所ではない!
帝国軍人として見苦しい振る舞いは、この連隊長が許さん!青森五連隊雪中行軍隊、回れ右! 前へ進め!」

足音はピタリと止まり、八甲田山に向けて進んで行き、二度と戻らなかったそうです。

【戦争奇譚 〜乗員の行方〜】

1943年4月4日、北アフリカ・ベンガジ空港からイタリア・ナポリへ向け2波に分かれて発進した合計25機のB24爆撃機
の編隊は、無事爆撃を終え帰投した。が、ただ1機、後発隊の先導を勤めていたウィリアム・ハットン中尉の操縦する
64号機"レディー・ビー・グッド"だけが帰投しなかった。

行方不明となった64号機は厚い雲のせいで飛行場を見失い海上で墜落したと思われていたが、それから15年後、
ベンガジ基地から南方616kmも離れた砂漠で残骸が発見された。機は飛行場にたどり着けなかったのではなく、
逆に飛行場を遥かに飛び越してしまっていた訳だ。機体は砂漠の乾燥した気候に保護され不時着時そのままの
姿で残されており、驚くべきことに無線機なども完全に作動し、魔法瓶のコーヒーも温かく新鮮なままだった。
しかし、奇妙な事に搭乗員の遺体はどこにも見当たらなかった。

1960年、ニューヨークのTV局でこの事件をドラマ化する企画が立ち上がり、陸空軍も参加して行方不明の乗員の
行方を捜す大掛かりなプロジェクトが開始された。そして、驚くべきことにB24の残骸の発見された地点からさらに
120kmも離れた地点で、ついに7名の乗員の遺体が発見された。

彼らは燃料の残り少ない機体からパラシュートで脱出した後、砂漠の中をベンガジ飛行場へ向けて絶望的な行軍を
行った挙句、ついに力尽きたのだった。副機長トーナー少尉の日誌にはこうある。

1943年4月10日、土曜日、救援を願い集まって祈る。何の兆候も無い。数羽の鳥。良い北風。体中が痛くて死に
                たいと思う。夜非常に寒くて眠れない。
1943年4月11日、日曜日、まだ救出を待ち祈る。目が悪くなった。wgtを全てなくす。いたるところが痛い。もしも
                水があれば、舌の上に落としたい。早く助けてほしい。同じ場所にいて休息は無い。
1943年4月12日、月曜日、助けはまだ無い。すごく寒い夜だ。

                          光人社NF文庫「恐るべき欧州戦」より

48 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/22(水) 20:33:16
【戦争奇譚 〜突然消滅した軍隊〜】

第二次世界大戦中の1939年10月。3000人の中国兵が汽車で南京の近くの広野に運ばれ、夜になり約3qに
渡って、兵士たちは配置された。
兵士の配置も完了し終わって数時間後、司令官が宿舎から再びその前線に戻ってみると、さきほどまでいた
3000人の兵士たちが全て忽然と姿を消していた。野原には、焚き火が燃え続けており、銃は全て投げ出され、
また地平線に至るまで、一つの足跡も発見出来なかった。

第一次世界大戦中の1915年8月21日。トルコのアンザックの近くにあるサル・ベイ丘。この日、341名のイギリス
陸軍・ノーフォーク連隊がその丘の方へ向かって行進していた。すると不思議なことに、連隊が進んでいくにつれ、
丘の上にかかっていた灰色の雲がだんだんと下へ降り始めてきた。
その雲はやがて丘を完全に覆い尽くし、ノーフォーク連隊の数百名はその雲の中へ向かって行進しているかの
ようにも見えた。だが、雲の中へ入り込んだイギリス兵は、それから一人も姿を現さないのである。
この出来事はイギリス軍側のニュージーランド兵22名が一部始終を見ていた。一時間ほど後、その辺り一帯に
風が吹き始め、先程まで丘を覆っていた雲はまた段々と上昇し始めた。暫くして辺りが見渡せる状態になった。
だが、確かにその丘に向かって行進していたイギリス兵は、一人もいなくなっていたのである。
ニュージーランド兵が見ていた場所は数十q四方が広々と見渡すことができる場所であり、その付近に隠れる
ような場所など何もない。
連隊の341名全てが行方不明になったという通報を受けたイギリス軍はただちに調査隊を送り、ノーフォーク連隊
の行方を探したが、全く手がかりがなく、一人の死体さえ見つけることが出来なかった。
3年後の1918年、戦争が終結した時に、イギリス軍はノーフォーク連隊が、あの時トルコ軍の捕虜になったのでは
ないかと思い、厳しく追及したが、やはりそのような事実はなかった。あの時、雲の中へ消えた341名の兵士は
いまだに行方不明のままで、帰ってきた者も、また死体が発見された者もいないのである。

「消えたノーフォーク大隊」
ttp://page.freett.com/Umania/norf.html

【戦争奇譚 〜青い煙事件〜】

1945年3月、アメリカ軍の爆撃機12機がドイツ上空で撃墜された。しかしそれは、普通の撃墜のされ方では
なかったのだ。元イタリア空軍技術情報部の責任者であったレナト・ヴェスコはその著『インターセプト・バット
ドント・シュート』の中でこの撃墜についてふれている。
「翼や方向舵のない円盤型のドイツ戦闘機が突然アメリカの爆撃機に近づき、彼らの飛行路の前をものすごい
スピードで通過した。通過した時、それは『青い煙』を数度発射した。
数秒後、アメリカの爆撃機は火を噴き始め、次々と空中で爆発した。この時、ドイツの戦闘機はすでに地平線の
かなたに消えていた。
空飛ぶ砦と呼ばれるアメリカ軍の爆撃機と超最新の要撃機の戦闘(もしこれがそう呼ばれるものならば)は、
ヴルテンベルグ上空で起こった。爆撃機は主力グループから別れ、南バヴァリアへ向っているところだった。」

(青い煙事件)
http://inri.client.jp/hexagon/floorB1F_hss/b1fha777.html

49 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/22(水) 20:48:27
【戦争奇譚 〜妖怪化した英霊たち〜】

ある夜、日本軍が野営していた時、その日以前の戦闘で確実に戦死したはずの兵士がぞろぞろと集まってきた。
彼らはまるで生きているかの様に振舞い始めた。食料はバクバクと食べ、そのうちに顔付きが餓鬼のように変わり、
腕がありえないぐらいに伸び始め、風貌が妖怪じみて来る始末。
最初は、寺の坊主や神社あがりの兵士が、祈祷やら、御祓いとかしたが効果が無い。するとその部隊の上官が、
その死者たちを集め、「お前たちは既に死んでいる。安らかに成仏しろ。これは命令である」と、号を発した。
その途端、その者達は号泣し始め、体がボロボロと崩れ始めた。彼らが崩れ去ったあとには、土くれだけが残った。

【戦争奇譚 〜生まれついての殺し屋〜】

最前線で戦う全ての兵士達は60日以内になんらかの精神異常が発生する。だがその中でも、3%ほどの兵士は
全く精神的な影響が出ないという。さらにそ3%の兵士達は、どんなに戦闘が長引いても精神異常は発生しない。
これはこの兵士達が生まれついての殺し屋だからだといわれる。そしてこの生まれついての殺し屋が倒す敵兵は、
軍全体の倒す敵兵の実に約50%を占めるという。
ちなみに彼らは、人を殺す事によって性的興奮を覚える快楽殺人者とはまったく違うタイプである。生まれついての
殺し屋かどうかは、実際に戦場に行くまで分からない。

【戦争奇譚 〜硫黄島〜】

海上自衛隊ではかなり多くの噂がある。硫黄島は周辺海域を航行すると、不思議な出来事に遭遇し易いという。
本土に帰りたい御霊が、帰還の為の船を捜して彷徨っているらしい。そうした御霊は潜水艦にさえも乗り込んで
来るという。
潜水艦は浮上の時は前後の重量を一定にする必要があり、そうなるように隊員のいる場所もあらかた決められて
いるのだが、あるとき後方側だけ不自然に重かったことがあった。調査しても乗組員の位置は決められたとおりで、
特に異常は見られない。浮上してその海域を離れると、後方の不自然な重さはなくなった、という。
他にも軍艦の沈んだ場所付近の海上で、変な光を見たりとか、サイパン帰りの観光客の背後に、軍人とおぼしき
霊が見えたという話もある。

【戦争奇譚 〜全日空機雫石衝突事故〜】

岩手県雫石での民航機と航空自衛隊機であるF86の空中接触事故があった。死者が実に162人という痛ましい
航空事故であった。
だがその後、事故現場周辺の国道には、夜な夜なその事故の被害者がわらわらと出てきたという。彼らは通る車を
取り囲み、手でバンバン叩いて止めたりしたそうだ。彼らは生者のままでは無く、事故当時そのままの欠損した体の
ままだったり、鬼火に取り囲まれた格好で出たりと、ひと目見てこの世のものではない、と分かるほどだったそうだ。
時にはこうした霊が昼間でも平然と現れた。中には、そのショックで気がおかしくなったタクシーの運転手もいたとか。
その後、御祓いや慰霊祭で年々出なくなったが、国道を別のルートにしたころから、話は聞かなくなった。
なお供養塔が建っている場所は、現在「慰霊の森」と呼ばれている。
岩手のオカルト好き、心霊スポット巡りが好きな人間の間でも、あそこだけは洒落にならないと言う事で、現在でも
完全にタブー扱いになっている。

【戦争奇譚 〜衝撃リポート!!世界の怪奇現象・大追跡スペシャルIIIで放送された兵士の霊〜】
http://jp.youtube.com/watch?v=PVIif58v3dw

50 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/22(水) 20:49:17
【戦争奇譚etc】

作ってる最中から、最後の最後まで味方を死なせまくったドイツ艦シャルンホルスト。製作中に胴体の鉄板が倒れ、
職工を多数潰し、浸水式では転倒して多数の人を下敷きにし、大砲打てば暴発で射手が死に、艦撃沈後に逃げた
兵が携帯ストーブの爆発で死ぬ。他にも色々あるらしいが、味方のみで何人死んでるのか。詳しくはここで。
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Keyaki/9384/Liblary/C02/C02.html

プラモデルメーカーのタミヤの現社長の回想録。静岡の山の中に小学校があったのだけど、ある日飛行機が
飛んできた。滅多に飛行機など目にもしない山の中だったもので皆はしゃいでいたらクラスメートに一人、機種に
詳しいのがいて一言「グラマンだ…」
すんでのところで敵も小学校だと気が付いたらしく、機銃掃射もせずに飛び去った。とにかく人が大勢いる建物は
掃射するように言われていたので間違えて小学校を掃射したパイロットもいたという。ちなみに12.7mm機銃弾の
実物は万年筆ぐらいあるもので、子供に当たると靴脱ぎ場一面に内臓や脳漿が散乱したとか証言がある。

第二次世界大戦が日本の決定的敗北によって終結した後、昭和20年9月から東南アジアの戦場で戦っていた
兵士が日本に復員してくるようになった。
当時の横須賀線(東京←→横須賀)にも、任務を解かれた帰還兵が大勢乗り合わせる姿がよく見られたという。
だが復員兵の帰還が一段落した昭和25年あたりから、逗子や横須賀でそうした復員兵にまつわる奇怪な話が
噂されるようになった。逗子と鎌倉の中間に当たる名越トンネルで、軍服姿の復員兵がぎっしりと乗った真っ黒な
古びた省線電車が明かりもつけずに通過するのを大勢の人々が目撃したというのだ。
車両内には青白くぼやっとした復員兵がたくさん乗っており、みな視点の定まらない目つきで、やせこけた体、
ボロボロの軍服、疲れ切った表情の軍人たちがぎゅう詰めで揺られていたという。

「第二次世界大戦中に日本人が捕虜収容所の看守に朝鮮人を使ったのはなぜだと思う?朝鮮人は世界一
残忍だからだ。日本人はそれをよく知っていたんだ。」――イアン・フレミング

大和級戦艦は五番艦まで建造計画があった。一番艦は言うまでも無く戦艦大和であり、二番艦が武蔵であり、
三番艦は建造途中で急遽空母に改造されて信濃となり、進水してわずか半月で撃沈された。
新造艦は大和の46センチ砲を上回る50センチ砲を六門搭載するという素晴らしい計画であったという。

1951年8月4日の朝4時頃、フランスのドーバー海峡に面した町ディエップに住むドロシー・ノートン夫人は、
夜中の突然の騒がしい物音で目を覚ました。その音は機関銃や大砲を撃ったり、爆弾が爆発したり、飛行機が
急降下するような音だったという。
それを聞いた夫人は恐ろしくなってパリに住む伯父に電話を掛けた。伯父も電話を通してその怪音を聞いたが、
やがて三時間程するとその音は消え、夫人が外に出てみると、町は普段と全く変わりがなかった。
このディエップという町は第二次大戦中の1942年8月に、カナダ軍が戦車やコマンド部隊で無謀な上陸作戦を
行い、ドイツ軍相手に激戦となった町だった。

51 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/22(水) 21:01:10
【戦争奇譚etc】

ナチス・ドイツの幻の空母、ツェッペリンが発見された。ナチスの科学の粋を集めて、9割まで完成していたにも
かかわらず、終戦でロシア軍に接収後行方不明になっていた空母だ。
ドイツ人には、日本で言えば戦艦大和に相当する思い入れが有るそうだが、発見された場所がポーランド領海
内で水深80メートル地点で、引き揚げにはポーランド政府が難色を示しているとの事。

B-29が地肌丸出しで夜でも灯火で輝いて見えた理由について。
サイパンを確保し東京空襲の足固めをしたアメリカ軍だが、カーチス・ルメイ将軍はB-29の防弾装甲をはがし、
内部の仕切や机や椅子も取り除き、塗料も全て落とし、機銃の大半を外し、弾丸も減らし、燃料も往復ギリギリに
して、重量を極限まで軽くして、爆弾を目一杯積むように指令した。B-29の乗組員はこんな爆撃機に乗ったら
帰ってこれないと覚悟して乗ったという。
また別の説だが、導入初期のB-29には米陸軍航空部隊の標準迷彩塗装(ニュートラルグレイ+オリーブドラブ)
が施されていた。対日戦に実戦投入された機体はほとんどが無塗装だが、これは重量軽減のためと、制空権を
完全に掌握しているため迷彩にする必要がなかったというのが主な理由。ただし、編隊の先導機は識別帯を機体
各所に塗装していた。

1943年6月8日、広島湾沖柱島泊地に停泊していた戦艦陸奥での話。その陸奥の主砲塔の上で、兵士が哄笑する
口裂け女のような謎の女を目撃したという。目撃したその兵士は、すぐに艦から下ろされて入院した。
翌日、陸奥は爆破事故を引き起こし沈没してしまった。有名な怪談。

第二次大戦時のドイツの戦車長シュタウデッカーSS軍曹の話。
中隊に合流しようと夜中単独で行軍していたら、途中で戦車が道を塞いでいた。戦車から降りて、「何をやっている
んだ」と言いに行ったら、それは何と敵軍ソ連の戦車だった。
こちらも驚いたが、向こうも随分驚いている。暗闇のせいで互いに気付かなかったのだ。ここで軍曹、驚きはしたが
慌てず騒がず、手榴弾を敵戦車の開いているハッチに放り込み撃破。さらに、そばにいたもう一両の敵戦車も同様
に撃破。危難を脱した軍曹は行軍を続け、無事、味方中隊に合流した。

第二次大戦の最中、シベリアの収容所に抑留されていたポーランドの将校三人が脱走を決行。ユーラシア大陸
を縦断し、ブータンからインドへ達するという途方もない計画で、これだけでもある意味驚きの逸話だが、彼らは
途中のヒマラヤでイエティを見てしまったという。

52 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/22(水) 21:09:32
【戦争奇譚 〜硫黄島について〜】

硫黄島勤務になった自衛官に、霊感が強い人がいた。ある夜、彼がむくっ!と起き上がり、フラフラと外へ向かった。
同室の方が声をかけるも反応無し、まるで夢遊病者のように歩き続け、あるところで突然、ばったり!と倒れた。
意識が回復してから、何があったのか尋ねると、「誰かに呼ばれた気がする」。
彼の霊感ぶりは有名だったこともあり、倒れた場所を掘ったところ、遺骨が見つかった。なお、こういう霊感が強く、
そのために英霊に「呼ばれた」隊員によって、何柱かのご遺骨が見つかっている。

黄島外来宿舎に、金縛りやポルターガイスト等、必ず怪現象が起こる部屋がある。私たちが行った時、人数の
都合で、自分ともう一人がその部屋に泊まることになった。
怖いのが嫌、というより、亡くなってまで苦しんでいるのではと思い、詳しい作法などは知らなかったが、きっと喉が
乾いただろうな、甘いものが欲しかったかな、お酒が飲みたかった人もいたかな、と思い、本土からミニボトルの
日本酒、六甲水のペットボトル、飴玉を持っていき、窓の下に盛り塩と一緒に供えた。
そして「暫くこのお部屋をお貸しください。もしも、本土に戻られたい御魂がいらっしゃったら、窮屈かと思いますが、
この中にお入りください。皆様の故郷にお返しすることはできませんが、この半分を○○県の△川に流します、
半分は、こちらに置いていきます。」と、念じました。
結局、心配されていた私の部屋では何も起こらなかったが、夜中、隣の部屋から悲鳴とガターン!という騒音が。
聞くと、ベッドを下から蹴られたような感触があり、一瞬浮いたようだったとか。明かりをつけると、ベッドの位置が、
引きずった跡もなく、思い切りずれていた。それから後、夜は何事もなかった。

硫黄島医務科壕という、傷病者を治療するための壕に案内された時のことです。入り口にポトスが自生する、
一見のほほんとした場所なのですが、硫黄島戦では、足の踏み場もないほどに傷病者が寝かされ、本土からの
援助も絶え、満足な治療も受けられず亡くなっていった方が多かったそうです。
医務科壕は天井が比較的高めでT字型に掘られており、他の塹壕よりも少し開放的な雰囲気がありました。(他の
塹壕の殆どは地中に掘られており、地熱でサウナ状態です)「ここから雨水を取り、ドラム缶に貯めていた」等の
説明を受けていた時、足元の方から、苦しいような、熱いような、閉塞的な感覚が伝わってきました。
「ここ、地下があった、なんてこと、ないですよね?」試しに尋ねてみたところ、説明係の海曹がぎょっとした顔で
「地下があったらしいと聞いています。」と。だが、下に降りる階段が見つからないのだそうです。今も。
他の壕では「平成○年○月、調査ここまで」と書かれた紙が貼られていて、その先が落盤している場所などを目に
しました。遺骨収拾も、まだまだ進まないようです。

横須賀の教育隊に行たとき、所属していた隊の分隊士が語ってくれた話。
分隊士の同期の人が硫黄島に行ったとき、お供え物の一品としてタバコが置かれてあった。そのタバコを失敬して
しまったという。まだ硫黄島に着隊したばっかで間もなく、おそらく軽々しく考えてたんだろう。
その夜、その同期と一緒の部屋で寝ていた隊員は、隣から聞こえる呻き声がうるさくて目をさました。
案の定、タバコを失敬した同期がうなされてる。そいつを起こして何があったか聞いたところ、「寝ていたら急に胸が
重くなって、目を覚ました。そしたら、軍服を着た日本兵が『俺のタバコを返せ』って口の中に手を入れてきた」と
真っ青な顔で答えたとのこと。
戦地とは比べ物にならないが、私も山にこもって数ヶ月訓練してたから分かる。異性の居ない山奥で、自由を剥奪
されて体を酷使する毎日。嗜好品は唯一の慰めだね。甘いもの、水分、本や写真。人によってそれぞれ。
私は吸わなかったけど、煙草の一服を心の糧にしてた班員も居たのだから。

53 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/22(水) 21:10:43
【戦争奇譚 〜狙撃手の話〜】

狙撃兵の任務は対狙撃兵任務である。その任務の時間も戦闘と戦闘の合間である。また狙撃兵は単独で行動
することはない。一般的には歩兵大隊に8人程度の狙撃兵からなるチームが編制され、二人一組で行動する。
一人が監視、偵察。もう一人が射撃という訳である。
現代戦では狙撃兵が発砲するのは止むに止まれずか、重要なターゲットを発見した場合のみである。
さらに狙撃兵は800メートル以遠のターゲットにライフルを使用するのは稀である。遠距離射撃には不確定要素が
多過ぎるし、自らの存在を暴露するリスクが多すぎるからだ。
このことから、狙撃兵の任務は偵察に限られるため、旧軍の槍のようなライフルは要らないと判断できる。
もっとも日本陸軍の使用していた38式歩兵銃は銃身が長く、弾が銃口から出るまでに火薬ガスが充分に膨張
できる為、この銃で弱装弾(発射薬が少ない弾薬)を使うと、米軍の恐れた発射音も発射時の閃光も発射時の
煙も出ない”マジックバレット”になったそうだ。

【戦争奇譚 〜嗚呼、八甲田山!陸軍第八師団歩兵第5連隊〜】

八甲田雪中行軍のラッパ手は、部隊を鼓舞するため、極寒の中でラッパ吹こうとして真鍮製の吹き口に唇を当て
たために、発見された死体は、唇が全部無くなっていた。

春日林太夫二等卒、宮城県登米郡宝江村字田沼出身、33年12月徴集。
行軍3日目(25日)、午前10時頃、鳴沢付近に於て「救援隊が来た!」と叫ぶ者がいた。皆は躍起となり西方を
見ると前方高地より向かって来る者達がおり、感極まって落涙する者もいた。
倉石大尉は喇叭手を呼び「早速集合ラッパを吹奏せよ」と命じた。その時呼応したのが春日二等卒だった。しかし
喇叭は唇に凍着して吹けない。更に気力も衰え号音は断続出来なかった。またこともあろうに皆の目に映った
救援隊の姿は樹木の切株だった。集団幻覚だったのである。
彼の唇肉は喇叭の為に剥奪され、遂に26日に至り凍死してしまった。
4月3日、賽の河原にて捜索隊が彼を発見した時には、喇叭を身辺に置き瞑目していたという…。

54 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/22(水) 21:14:07
【戦争奇譚etc】

戦時中、とある田舎の話。その日、子供達は寺の本堂に集まって勉強していた。すると突然、空襲警報が鳴り響く。
防空壕に逃げてる暇はない。子供達はとっさに、仏像の前に置いてあったお供え物を置く卓の下に隠れた。
やがて敵機は去り、子供達は卓の下から出てきた。
しかし、そこで不思議なことに気付いたという。
とっさの事で気付かなかっのたが、卓は小さくてとても子供達全員が隠れる事は出来ない大きさだった。実際に
試したが、無理だった。しかし、空襲の時には、確かに子供達全員が卓の下にいたと記憶している。
不思議だが、仏様が子供達を匿ったのだろう。そう、村人は伝えあったという。

ホラー漫画家の日野日出志は、父と母が満州から日本へ帰ってくる道すがら生まれた。
周りに「不吉だから殺せ」と言われたけど、母親は必死にかばった。
その母親は後に精神的におかしくなってしまった。父親は日本に帰還後、養豚場営み、毎日ブタ殺していた。
結局、喧嘩の挙句に殺される。日野日出志の弟も父親と似た運命で、喧嘩の果てに、身体不随になり死亡した。

宇宙空間ではボールペンが使えないことを発見したアメリカが巨額の費用を費やして、いかなる空間でも使える
ボールペンを開発した。一方ソビエトは鉛筆を使った。

55 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/22(水) 21:23:06
【戦争奇譚 〜冷戦時代の外交術。田中角栄の失敗と民主党〜】

キッシンジャーは冷戦時代、中ソ離反を図るために中国に接近した。結託してアメリカに対抗するのを防ぐという、
分割統治外交が基本を第一目的であった。もちろんキッシンジャー自身が親中で同時に反日でもあるのだが。

だが、その空気が読めなかった某国の総理大臣がいた。その空気の読めない利権政治屋の名は田中角栄だ。
当時内閣総理大臣だった田中角栄は、キッシンジャーが中国に行ったんだから、俺もいいだろうと中国に行った。

かつて韓国やインドネシアでの賠償ビジネスやったのと同じようなことやって、利権でガッポガポ。ウシシシッ!
しかもあの国土の広い中国だ、どれだけの利権の甘みを吸えるだろねえ、ガハハハッ!
そう甘い考えでパンダを連れて帰ってきた田中角栄。

だが、この田中角栄の勝手な行動にキッシンジャーは激怒した。

それから暫くして、田中角栄はロッキード事件で首相の座を追われる。
国内であれだけ土建屋利権を貪ったのにも関わらず、僅か5億円という、田中角栄からすればはした金の問題で。
しかも出所はアメリカ…

空気の読めない馬鹿な利権政治屋は、それからも暫くは自民党外からキングメーカーっぷりを発揮していた。
しかし田中角栄から甘い汁の吸い方をマスターした不肖の弟子、竹下と金丸に三行半を突きつけられてあぼーん。

金丸は自宅の床下に無銘の金の延棒を隠してるのをバレて、東京地検に挙げられた。
もちろん無銘の金の延棒を制作しているのは北朝鮮。なお金丸は西松建設の幹部と縁戚関係にある。

その後、旧経世会の金丸組は党を飛び出し、今や民主党で土建屋利権の甘い汁を吸う。
そう、小沢一郎をはじめ旧経世会七奉行の生き残りは、今は全員民主党にいるのだ。
彼らが特亜にお近づきなのは、日本の援助なるマネーで多額の利権を貪ること。

旧社会党と、旧経世会金丸組という戦後の不良債権の集ったのが、今の民主党さ!

56 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/22(水) 21:29:57
【戦争奇譚etc】

京都時代にある隊士が見回り中に武士の幽霊を見たと報告したら、新撰組副長・土方歳三は激怒して
「武士ともあろうものが、この世に未練を残して化けて出るとは許せん、俺が斬ってやる」と叫び、
幽霊の出る場所に一晩中幽霊が出るのを待っていたそうだ。

今も酒処として有名な伏見の、ここで昭和初期まで蔵元だった家の話。地元では知る人ぞ知る話でもあるそうだ。
鳥羽伏見の戦いの時、この家に懇意にしていた新撰組隊士の一人深手を負って落ち延びてきた。
知っての通り、この戦いは幕府軍のボロ負け、将軍が江戸へ逃げてしまう始末。
それで、密かに匿われていた隊士は、家人に頼んで迷惑にならないようにその家の庭で切腹。
家人はその隊士の言うとおり、薩長に庭で新撰組が勝手に切腹しておりましたと届け出でた。
しかし、薩長はその切腹した隊士の遺体を、わざわざ四条河原まで運んで晒した挙句、首を刎ねた。
それ以来、しばしばその蔵元の庭には無念の形相すさまじい隊士の幽霊が出るようになったという。

中島三郎助親子の話。中島三郎助は浦賀与力でペリー来航の時に、一番最初に黒船に乗り込み交渉した
気骨あふれる人物でした。長崎海軍伝習所第一期生として機関術、砲術を学び勝海舟とは同期生です。
また、俳人としても知られ「ほととぎす われも血を吐く 思いかな」の句がある。
箱館戦争では箱館奉行並に推され、千代ヶ岡陣屋を守り、最後まで降伏せずに戦いました。
しかし、明治2年5月16日、胸を撃たれ戦死。その後、長男の中島恒太郎が敵陣に斬り込み、次男の中島
英次郎とともに銃で撃たれて親子ともども壮絶な戦死をとげました。
戦死した場所は彼ら親子の名前を取って「中島町」と名付けられました。
三男の与曽八は、父の意思を受け継ぎ、のちに海軍機関中将になりました。

57 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/22(水) 21:45:52
【戦争奇譚 〜日本兵〜】

硫黄島の戦友腹を切り裂き、そこから取り出した内臓を体に巻き付けて死体に偽装し、突然攻撃してくる日本兵。
アメリカ兵からすれば想像を越えた存在だったのだろう。
また硫黄島では「メディーック!」と叫ぶとしばしば「イエァー!」と叫ぶ、米軍の軍服を着て偽装した日本兵が
爆弾抱えて突っ込んできたらしい。

【戦争奇譚 〜死してなおも…〜】

ある歩兵小隊が、敵の盛んな銃撃を受けて、竦んでいた。背後に自軍の砲兵隊の陣地があるが、敵の砲撃に
比べその活動はどうみても活発ではない。さらに自軍の砲兵陣地に敵弾が落ち、沈黙した。
砲の援護もなく、最後かと思った歩兵小隊の背後から、ただ一門の野砲だけが必死の援護射撃を開始した。
感動を勇気に、小隊は突撃し、敵を撃退した。その最後まで、ただ一門きりのその砲は吼え続けていた。
敵の退却を確認した後、小隊長は、礼を言おうと、たった一門の砲兵陣地に向かった。
砲の横で、最後の砲兵が敬礼をしていた。背の低い兵だった。
小隊長は、まだ遠かったが、敬礼を返しつつ、砲に向かった。だが、近づくにつれ、怪訝になった。
砲兵の背が低すぎるのだ。そして、最後の硝煙が晴れたとき、小隊長はようやく、あることに気づいた。
よくみると、その砲兵には、下半身が無かった。

【戦争奇譚 〜白虎隊隊員たちの渇き〜】

会津若松飯盛山には有名な白虎隊の墓地がある。
その墓地から歩いていける範囲に、建築好きなら知っているサザエ堂という、二重螺旋構造の珍しいお堂がある。
そこから下へ行ける石段を下ると、猪苗代湖から引かれている用水の出口があるが、そこの話だ。
戊辰戦争当時、この付近では奥州列藩同盟の雄、会津藩と官軍の激戦が行われた。
ここは街道の要所で、戦略的に重要な地点。劣勢ながらも会津藩士たちは必死の防戦を試みた。
その激しさはこの地に残る旧滝沢本陣の弾痕や刀傷の数々からも想像に難くない。しかし、装備兵力ともに勝る
官軍には敵わず、会津藩士達は多くの死傷者を残し会津若松城内に撤退、以後篭城することになる。
当時、官軍の布告により、近くの農民達は賊軍である会津藩士達の遺体に手を出すことはできず、負傷者も
そのまま捨て置かれ、そのうめき声は3町先からも聞こえるほどの凄まじいものだったという。
やがてその声も聞こえなくなり、近隣の農民は家の中で密かに成仏を祈念した。
それから数週間を過ぎたころ、夜半密かに数名の農民が様子を見に出かけた。
滝沢峠へ続く街道やその周囲には幾人もの会津藩士の遺体が打ち捨てられ、悲惨きわまる状態だった。
彼等が旧正宗寺の用水近くまで来ると、そこには末期の水を求めたのか、用水に首を入れたり、用水の中に
倒れ伏す数多くの会津藩士の遺体があった。
しかし、あったのは遺体だけではない。周囲からはあるはずのない灯火や戦の物音、凄まじいうめき声が…。
必死の思いで逃げ出した農民達は後日、密かに、そして丁重に藩士達を弔ったということだ。

58 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/22(水) 21:51:40
【戦争奇譚 〜軍隊狸〜】

軍隊狸の話、1。愛媛県周桑郡壬生川町、松谷みよ子氏より。
伊予の喜左衛門狸は日露戦争に出征した。
小豆に化けて大陸を渡り、上陸するとすぐ豆をまくようにパラパラと全軍に散り、赤い服を着て戦った。
敵将クロパトキンの手記には「日本軍の中にはときどき赤い服を着た兵隊が現れて、この兵隊はいくら射撃
してもいっこう平気で進んでくる。この兵隊を撃つと目がくらむという。
赤い服には、○に喜の字のしるしがついていた」と書かれている。

軍隊狸の話、2。香川県高松市 室津源太郎氏より。
日露戦争の時、高松のじょうがん寺の狸の総指揮の元、狸たちが出征した。
兵隊に化けて山を作り、ロシア兵が登るなり山をひっくり返したりした。
凱旋の時には狸までが提灯行列をしたという。

軍隊狸の話、3。中国上海中支派遣軍八一〇一部隊 松谷みよ子氏より。
昭和十五年冬。柳橋という場所で友軍の一個小隊が敵軍に包囲されて全滅に瀕しているという報告が入り、
K氏所属の一個小隊は待機を命じられた。
その後Kさんと戦友三名が偵察の命を受けた。小高い丘で動き回っている敵軍を発見し、報告に引き返そうと
した途端に銃撃を受け、気がついた時には大陸の広野の果てしない暗闇の中に震えていた。
その時、一人の戦友が「あっ提灯」と叫んだ。
Kさんが振り向くと、目の前には懐かしい大三島神社の定紋入りの提灯の明かりがあった。
「五六だぬきや、五六さんが氏神さんの提灯持って迎えにきてくれたか」そういって提灯の後をついて走り、
無事に帰りつくことができた。

いずれも『現代民話考(松谷みよ子 立風書房)』より

【戦争奇譚 〜妖怪となった戦死者たち〜】

ニューギニアのある戦場でのこと。大規模な戦闘をした部隊の前線基地に、戦闘後、夜な夜な死んだ兵隊たちが
現われるようになった。彼らはいずれも、足がちゃんとあり、懐かしそうに「よおっ!」と言いながら現われるのだ。
現れたのはいずれも確かに戦死した連中ばかり。神主の息子の兵士がまじないをやったり、お経をよめる兵士が
お経を詠んだりしても、まったく効き目無し。
そのうち、ズカズカと兵舎にまで上がり込んできて、貴重な飯をバクバク食う始末。しかも、いきなり手がスルスル
っと伸びて、木の実を取ったりと、明らかに化け物化している様子だった。
怖いやら迷惑やらで困っていたのだが、なんとも手の施しようが無い。見るに見かねた中尉か大尉の隊長さんが、
幽霊たちが集まっているところへ、ツカツカと歩いていって、いきなり大声で、「全員、整列!」と叫んだ。
すると彼らは全員素直に整列した。そして、隊長は「貴様らは、全員戦死した兵隊である。よってこの世にいては
ならん。全員あの世へ行って成仏するように。これは命令である!」と叫んだ。
隊長が涙を流しながらこの命令を下すと、幽霊たちはしばし呆然とした顔で佇んでいたが、そのうち全員が泣き始め、
やがてボロボロと土人形のように崩れていった。あとにはその土だけが残り、彼らは二度と現われることはなかった。
兵隊たちはその土の大部分は現地に埋め、残りを少しづつ日本に持って帰って、供養した。

59 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/23(木) 01:11:47
【戦争奇譚 〜英霊たちの帰還〜】

第二次世界大戦が激しさを増してきた時のこと。陸軍が硫黄島に増援部隊を送るために、若き兵士たちを船に
乗せて出発させた。次の日の夜、彼らが去った後の兵舍に残っていた別の兵士たちが、軍靴の音を聞いて
目を覚ます。こんな遅くになんだろうと窓を開け、外を見ると、昨日出撃した部隊が、自分の兵舍に向かって
行進している。が、その顔は悲しみに満ち溢れ、ほとんどの兵が俯きながら歩いていたという。
翌日、現場を見た兵は上官に昨晩自分が目にした光景のことを話した。すると上官は「ここに帰ってから、
靖国にむかったのか」と溜息をついた。
上官の話によると、港を出発した部隊は、すぐに米軍の潜水艦に発見され撃沈。部隊の生存者はいなかった。
その時間は、ちょうど兵が恐るべき現場を目の当りにした時間とほぼ同時だった。

【戦争奇譚 〜閉ざされた塹壕での出来事〜】

第一次世界大戦フランス戦線での話。イギリス軍の塹壕がドイツ軍の集中砲撃を受けて、そのほとんどが
埋まってしまった。その場所はドイツ軍の占領されていたが、数ヵ月後イギリス軍が奪還に成功した。
イギリス軍は塹壕を使うために掘り起こしてみると、退避壕(中が部屋のようになっている)に生きている兵士
たちがいたのである。兵士たちはすでに狂っており、退避壕の中には食い荒らされた死体が多数残っていた。
壕を掘り起こしていた部隊の指揮官は、狂った兵士たちに食事を与え、その後彼らを銃殺した。

【戦争奇譚 〜今なお彷徨う英霊たち〜】

ビルマ奥地にはインパールがらみで未だに彷徨ってる兵隊さんがいると。奥地の原住民が夜中に足音や声を
よく聞くらしい。原住民にどんな声聞くのか聞いてみたところ、「ガンバレガンバレ」「モウスコシダ」「グンソウドノ」
「ミズ、ミズ」などと、日本語知らないはずの原住民が答えた、という。

【戦争奇譚 〜食べられなかった米〜】

差し入れてもらったおにぎりを食べられなかった日本人兵士の話。そのうちの一人の兵隊がなぜか憑かれた
ように立ち上がり、傍に建てられた粗末な墓に握り飯を添えて、全身をふるわせながら「オレにはこの握り飯は
食えない」と慟哭するのである。
「どうしたのですか?」福島報道班員はきいた。傍の兵隊が、それを説明した。「あの墓には、Bという高砂義勇
隊員が眠っているのです。ニューギニアの作戦の当初から、われわれはBとともに戦ってきました。
食料のない日が何日も続きました。ある日、Bはずっと後方の兵站基地にさがって、食料を運ぶことになりました。
ところが、その次にBに出会った時には、Bは死んでいました。五十キロの米をかついだまま、Bはジャングルの
中で飢え死にしていたのです。背中の米には一指もつけずに!」

60 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/23(木) 01:12:49
【戦争奇譚 〜戦艦長門の最期〜】

大戦後、日本海軍連合艦隊で唯一生き残った戦艦である長門は米軍に徴用され、核実験の標的鑑として
沈められるされる運命にあった。昭和21年7月1日、マーシャル諸島ビキニ環礁第一回の空中核実験が
行われたが、長門は殆ど無傷であった。7月25日第二回の水中核実験が長門の至近距離で行われたが、
約5度の傾斜を生じたのみであった。
その「長門、沈まず」の報を聞き元艦長の未亡人曰く「幾万もの英霊たちが水底をささえているのですよ」
その後長門は、29日夜間に誰にも見取られる事なく静か、静かに沈んでいった。
日本海軍が最後の最後で米軍の度肝をぬいた瞬間であった。核の直撃を受け傾斜したものの未だ浮いて
いる長門に驚嘆した米海軍の被害調査隊の一人は、長門の艦橋にこう書き残したという。
"Old Navy Never Die!(海の古強者は死なず!)"

【戦争奇譚 〜硫黄島の英霊たち〜】

施設関係の仕事で、自衛隊の航空機に乗って硫黄島に渡り、1週間ほど滞在したことがある。
島内には自衛隊しか居らず、寝泊りしたのも自衛隊の施設内だったが、そこの一室がいわゆる開かずの間だった。
他の隊員から聞いた話によると、そこは「出る」らしい。
部屋の中にはコップが置かれていて、毎日、新鮮なお水をお供えしているそうだ。
その部屋だけでなく、色々なところにコップに入った水が置かれているのだけど、ちゃんとコップの水係りを決めて、
毎日新鮮な水をお供えしているのだという。
案内してくれた隊員曰く、日米関係なく先の大戦で亡くなった多くの兵士のための供養だそうだ。
それを聞いて、水不足で苦しんだのは日本の兵隊さんだけだよな、と思いつつ、自衛隊のその心に感動した。
ちなみに、コップの水はエライ勢いで減るという。
なお島内には娯楽施設はなく、非番の隊員さんたちが何をしているのかというと、海で釣りをしたり、時には遺骨
収集をしたりもすると言っていた。
島内には自然の間欠泉があり、隊員さん達で作った自然のサウナがある。
そこに案内されて一緒に天然サウナを楽しんでいたときに年配の隊員さんから聞いたのだが、その天然サウナ
(洞窟)には兵隊さんの幽霊が出るらしい。
その話を聞いて驚いていると、その隊員さんが、「大丈夫!怖がる必要はないよ。同じ日本人なんだから。出たら
頭を下げて、ご苦労様でした!と労ってあげればいいんだよ」と言っていた。その通りだと思った。

【戦争奇譚 〜日本兵たちのサバイバル〜】

米軍から奪ったトンプソンで戦った元日本兵の方の手記より。
当時フィリピン戦線では銃も弾も不足し、彼らは米軍の偵察兵を襲撃して奪って使っていた。
そのうちに、彼のいた分隊の生き残り全員がトンプソンを持つようになったという。
終戦になり現地の武装勢力に投降した時、銃や装備が米軍の物では処刑されると指摘され、武装勢力の持って
いた日本の小銃や装備と交換して米軍に投降した。

61 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/23(木) 01:13:39
【戦争奇譚 〜フィクション、その後の土方歳三〜】

昔、谷口ジローの単行本に、原作者の関川夏央が函館戦争以後も生き残った土方歳三の話を書いていた。
以下がその要約である。勿論この話はフィクションである。

択捉に日本政府から北方調査のために派遣された軍人の白瀬一行は、択捉で一人の年老いた武士に遭遇する。
彼の顔面の半分にはひどい焼けどの痕があった。どうやらその老人は旧幕臣のようだった。

そしてこの老人のたっての願いで白瀬一行は彼を同行させることにした。
この老武士は薬に関する知識が豊富であり、壊血病で苦しむ隊員達に、ビタミンの的確な補給法を教えたりする。

ある日のこと、彼ら一行は同じく択捉の探査にやって来たロシアの軍人達と鉢合わせしてしまう。
彼らと小競り合いとなったが、辺りは見渡す限りの荒野で遮蔽物は何処にも無い。
もしここで銃撃戦を起せば、仮に運良く勝てたとしても甚大な被害を出してしまうような状況であった。

その時、この老武士が紛争の解決案を白瀬に提案する。
その案とは、お互い一人ずつ選んだ代表者同士で戦って雌雄を決し、それで事を収めようと。
さらにその老武士は、自らその役を買って出た。

彼は白瀬に借りた軍刀を抜いて2、3度素振りをくれて鞘に収めた。
そのままサーベルを持った熊のように大きなロシア人につつと歩み寄る。

ロシア人はパイプをくわえたままで、この老武士を侮りの目で見下ろしていた。
その刹那、抜く手も見せずに鞘ばしった軍刀が閃き、ロシア人が口に咥えていたパイプが綺麗に切り落とされた。

一瞬の出来事に唖然とし、驚くロシア兵。
結局、この老武士の手練の技に感心したしたロシア人達は、事を丸く治める事を快く承諾し、解決した。

その後、老武士は白瀬に、「ワシは死ぬまでに1度でいいから、メリケン国をこの目で見てみたい」といい、
米国籍の船に渡りをつけて欲しいとねだる。

彼はこの老武士の願いを聞きいれ、乗船の手配をしてやった。この老武士が米国籍の船に乗り、日本を発った。
老武士は、向こうへ到着したら必ず手紙を出すと約束した。

だがその後、この老武士行方は遥として判らなくなってしまった。
果たして、この老武士は土方歳三だったのだろうか?

62 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/23(木) 01:17:45
【戦争奇譚 〜米軍を攪乱させた幻の艦隊と幽霊部隊・一兵も残さなかった奇跡のキスカ島撤収作戦〜(1/2)】
@
太平洋戦争で最初の玉砕の場所、アリューシャン列島のアッツ、キスカ島玉砕での話。

太平洋戦争中の昭和17年6月、日本軍はミッドウェー海戦と併行して、アリューシャン列島のアッツ、キスカ両島の
占領作戦を敢行した。このうち、ミッドウェー海戦は惨憺たる敗北に終わったが、アッツ、キスカ作戦の方は上手く
いき、殆ど抵抗らしい抵抗もないまま両島を占領した。

ところがいざ占領してみると、これが大変な島。夏は濃霧に閉じ込められ、冬は暴風雨が荒れ狂って、とても軍事
作戦を展開するどころではない。米軍の方もそのことを知ってか知らずか、奪回に来るわけでもなく、日本軍の
なすがままにまかせていた。

しかし、1年も居座られると、さすがに米軍の方でも面白くない。それないばかりか「ひょっとして日本の狙いは
アラスカにあるのではないか?」という憶測がアメリカ国民の間に流れるようになった。
地図を見ればひと目でわかるとおり、アリューシャン列島は千島列島からアラスカへ連なる島である。
南太平洋での戦況が思わしくなくなった日本が、矛先を北に転じてアラスカを襲わないともかぎらない。
つまりアッツ、キスカ島の日本軍は、アメリカにとっては喉もとに突きつけられた短刀に等しかったのだ。

そこで米軍は、昭和18年5月、1万1000人の兵をもってアッツ島を攻撃することにした。これに対して日本軍の兵力
はわずか約2600人。司令官のブラウン少将は、攻撃に先立ち「赤子の手をひねるようなものだ」と豪語した。

ところが、日本軍が水際での戦いをさけ、山岳部にこもって抵抗する戦法をとったため、米軍は予想外の苦戦を
強いられることになった。加えて寒さは聞いていた以上の厳しさ。カリフォルニアの緑野で訓練を受けてきた兵士は、
ヒヨコのようにふるえあがり、凍傷による戦闘不能者が続出した。

しかし、それでも戦力の差は歴然としている。日本軍はじりじりと山地に圧迫され、5月30日、29人の捕虜を除いて、
ついに全員が戦死した。太平洋戦争における最初の玉砕である。

アッツ島を制圧した米軍の次の目標は、当然、キスカ島に向けられた。
けれどもアッツ島での思わぬ苦戦に懲りた彼らは、すぐに上陸攻撃をかけることをせず、暫くはキスカ島近海を
艦隊で固めて日本軍の補給路を断ち、様子を見守ることにした。そして兵力を3万に増強し、さらに耐寒訓練を
受けたカナダ兵5000人を加えて上陸にそなえた。

これに対し、日本軍の参謀本部は、意外にもキスカ島の全兵力5639人を撤退させる方針をとった。
キスカ島の死守はむだな消耗戦になると読んだからである。

この命令はただちにキスカ島の守備隊にも打電され、これを聞いた将兵は踊りあがって喜んだ。
但し島の周囲には米艦隊が目を光らせている。その間隙をどうぬって撤退するのか、見通しは決して明るくなかった。

事実、当初こころみた潜水艦による撤退作戦は効率が悪く、一度に運べるのは80人が限度で、とても5000余人を
一度に撤退させ帰還させるのは無理であった。

そこで7月12日、駆逐艦を中心とする14隻の救援艦隊を派遣し、濃霧に隠れてキスカ湾に接岸、一気に撤収を
図る作戦に出た。ところが皮肉にも、その日にかぎって島を覆うはずの霧がすっかり晴れて、作戦は延期となった。

63 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/23(木) 01:18:36
【戦争奇譚 〜米軍を攪乱させた幻の艦隊と幽霊部隊・一兵も残さなかった奇跡のキスカ島撤収作戦〜(2/2)】
A
キスカ島の将兵は深い絶望の沈んだ。彼らの脳裏にあるのは、アッツ島で玉砕した戦友たちの姿だった。
そこへ再び朗報が入った。救援艦隊が再度島をめざしているというのだ。

一方、米軍のほうも、着々と上陸の準備を整えていた。
補給路を断ってあるから、守備隊の食料はそろそろ底をつくはずである。
それを待って一気に攻撃をかけるというのが彼らの算段だった。

7月26日、米艦隊のレーダーは、霧の彼方に日本艦隊らしき船団を捉えた。
そこでひとまず島の監視を解き、全艦をもって敵艦を追跡、いっせいに砲撃を開始した。
当時、日本軍にはレーダーがなく、霧に中の戦いとなれば米軍の有利はいうまでもない。

ところが、ここで不思議なことが起きた。どんなに撃ちまくっても、レーダーから日本軍の艦影が消えないのだ。
海上を見ても、艦船が炎上している気配はまったくなく、ただ味方の曳光弾だけがむなしく霧の中へ消えていく。

「これはどういうことだ?」「まるで幽霊艦隊じゃないか」
砲撃と追跡は29日まで続き、燃料を消耗しつくした米艦隊は何がなんだかわからないまま、給油のために
いったん戦場を離脱しなければならないはめになった。

この幻ともいうべき艦隊がなんであったのかは、今もって謎とされているが、キスカ島をめざしていた日本の
救援艦隊でなかったことだけは確かだといってよい。
というのも、ちょうどそのころ、キスカ湾には日本の救援艦隊が到着し、撤収作業のまっただなかだったからだ。
しかもこのときは、海上全体が霧に包まれれていたにも関わらず、キスカ湾のみが50メートルの高さでポッカリと
霧の穴が開くという好条件に恵まれた。おかげで、撤収はわずか1時間で一兵の残もなく完了した。

しかし、もちろん米軍はそんなことは知らない。
再度艦隊を組んでキスカに戻った彼らは、今度こそ守備隊の息の根をとめてやろうと、まず航空機をもって40日に
わたる空爆を続けた。霧のため、成果は確認しがたがったが、出撃のたびに搭乗員は、「地上からの対空砲火を
受けた」と報告した。これもまた不思議なことで、当時、島は既に無人、対空砲火など上がるはずもない。

が、米軍は、それを日本軍健在の証拠だと判断した。
業を煮やした米軍は、8月15日、91隻の艦艇の支援の下に、ついにキスカ上陸を開始した。

だが、予想された日本軍の反撃は全くなかった。恐る恐る前進した将兵たちが霧の中に発見したのは、ゴースト
タウンのように放棄された兵舎と3匹の子犬だけであった。

”奇跡の撤退”として、戦後まで語り草となったこの作戦は、米軍を翻弄した幽霊艦隊と、年に一度あるかなきかの
霧の穴という気象の妙の上に成立したわけだが、おまけとして謎の対空砲火という怪奇まで生んだのである。

あるいはこの対空砲火は、島にとりついた日本軍将兵の魂魄が幽霊となって打ち上げていたのかもしれない。
ちなみに、幽霊艦隊については、ミッドウェー海戦に敗れて沈んだ日本の機動部隊の亡霊ではないかとの噂が
流れたことがある。(学研ムーブックス『奇譚集』より)

64 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/23(木) 02:07:02
【戦争奇譚 〜恋瀬丸と恋瀬町〜】

昭和20年6月のこと。運送船「恋瀬丸」が便乗の乗客16名と荷物を積んで航行中、突如現れたP-51戦闘機2機に
機銃掃射を受けた。雨と降り注ぐ機関砲弾に、たちまち船内は阿鼻叫喚図となった。弾丸が薄い鋼板を貫通して
乗客たちを粉砕する。肉片が飛び散る…。大穴の開いた船底からはドッと水が溢れ、瞬く間に船は沈下。
そのうち機関が射抜かれたらしく缶が破裂。船体は真っ二つに折れ、高熱の蒸気が船内に充満する。
視界を妨げる大量の蒸気と大混乱、沈没速度のあまりの早さに脱出も思うように行かなかった。
結局恋瀬丸は沈没し、便乗中の水兵一人を含む乗員乗客18名が戦死。生き残りも殆どが重傷を負った。
同日には常磐線や各地の学校、航空隊 歩行者も攻撃を受け多数の死傷者を出している。
(ちなみに恋瀬は茨城県石岡市の町)
その後、毎年6月頃の夜になると、恋瀬丸沈没地点付近で巨大な青白い光球が走り回ったり、湖面上をびしょ濡れ
の人々がぞろぞろと歩き回ったり、誰もいないのに夜の湖面からすすり泣く声が聞こえたり、様々な現象が発生
するようになった。今現在でも現れる事があるそうだ。

【戦争奇譚 〜水戸歩兵第2連隊〜】

昭和19年11月14日の夜のこと。水戸歩兵第2連隊で突如営門が真一文字に開き、同時に進軍ラッパが遠くから
響いてきた。衛兵が警戒して見ていると、一個連隊ほどの部隊が行進してくる。
その先頭で連隊長の中川大佐が馬に乗り抜刀し、それに兵士が無言でついて来る衛兵司令は直感的に「捧げ銃」
を命令。衛兵が不動の姿勢で出迎えると、営庭の途中で部隊の姿が掻き消すように見えなくなった。
その日は村井少将と中川大佐が自決。生き残りが最後の突撃を敢行、玉砕した日だった。
この時点で玉砕は誰も知らされていなかった。
アッツ島で玉砕した山崎大佐の留守部隊である旭川師団でも似たような事があった。
(行進ラッパの音が近づいてくるが、部隊営門近くになるとかき消すように聞こえなくなる)。
最初は上官も「ウソつくな!」と衛兵司令を叱っていたらしいが、念のため将校を歩哨につけたところ、やっぱり
聞こえたため、上官も信じるようになった。

【戦争奇譚 〜ガダルカナル島〜】

ガダルカナル島も凄まじい戦いがあった。そこでは日本兵3000人が救援物資が来るのを信じて待っていた。
しかし待てども救援部隊はおろか日本軍の船も見えない。その内にとうとうアメリカ軍が島に侵攻してきた。
この時置き去りの日本兵3000人に対してアメリカ兵70000人。圧倒的な戦力の差は明らかだった。
だがこの圧倒的な兵力差にも関わらず、日本兵は必死で戦った。
この戦いの凄さは、戦闘により精神異常となって本国に帰されたアメリカ兵が30000人以上いたということから
みても、いかに日本兵が凄まじい戦い方をしたかって事が伝わってくる。
以下はガダルカナル島で生き残ったアメリカ兵の証言である。
「日本兵は正確に弾を撃ってくる」「動きも速いし狙いが定まらない(戦い方が上手かったとも言っている)」
「火炎放射器のバックパックに弾が直撃して爆発炎上。周りの仲間も燃えた」
「浜辺から上陸した戦車が砲塔を日本兵の方に向けたら、全速力で突進してきたかと思うと砲塔の中に銃を
向けて弾を放った。途端に主砲の中の大弾に触れたのか中で爆発を起こして熱気が凄かった。中にいた
搭乗員は皆オレンジ色のスライム状になって中から溢れてきた。それを見た周りの仲間も嘔吐をもよおしたり
して気が狂った人達もいた。もし砲塔に向かって撃つ時に先に我々が撃っていたら日本兵は死ぬ。
日本兵は死を覚悟して尋常ならざる決意で戦っていた事がそこで解かる。」

65 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/23(木) 02:07:45
【戦争奇譚 〜ビルマにて。死の予感〜】

ビルマのメイミョウ 昭和19年1月26日のことだった。
敵の攻撃が激しくなったので偕行社(将校サロン)を後方のキョウセに移転する事になった。
若い女性たちがいたからである。別れの宴が行われた日、女性の一人上野山さんは南少尉に手のひらを見せ、
「私はもう間もなく死にそうだ。遺品と思って受け取ってください」と、母から貰ったという木のふちの四角い手鏡と、
赤い縁飾りをした手作りの白いハンカチをくれた。
偕行社が移って何日目かの真夜中、南少尉は何気なく手鏡を取り出し、今頃彼女たちはどうしてるだろうと思った。
その時、何か赤い影がすうっと後をよぎる気配がした 振向いたが誰もいない。ドアを開けてみても誰もいない。
不思議に思いながらハンカチを開くと、真っ白なハンカチに赤いしみが広がっていた。
少尉は胸をつかれた。一体何が起こったのだろうか。
その時キョウセにいた偕行社の娘たちは全員爆弾で木っ端微塵に吹き飛ばされていたのである。
報せが入り遺体収容のため南少尉らはキョウセに車を飛ばした。しかし建物も娘たちもすっかり吹き砕かれ、
どこに遺体があるのかも分からない。
呆然として見回すと、赤い靴を履いた女の片足だけがころがっていた。上野山さんの足であった。

【戦争奇譚 〜地下室に潜むもの〜】

第二次世界大戦ヨーロッパ戦線での話。電撃作戦によってフランス軍を散々打ち負かして進撃を続けるドイツ軍。
そんな折、あるドイツ軍の歩兵中隊が小村を占領した。
暫くして1人の兵士が、ある農家に立派なワイン貯蔵庫があるのを発見。上官に報告すると、「そのワインを持って
来い」と言うので、彼は地下にあるワイン倉に入っいった。
だが、いくら経ってもその兵士はワイン倉から戻ってこない。
しびれを切らした上官は別の部下2人に様子を見てくるように命令した。しかし、今度はその2人も戻って来ない。
上官は更に別の部下2人を行かせましたが結果は同じだった。
上官は「ならば俺が見に行く!」と言って残りの部下(何人かは不明)を従え、地下室に降りていった。地下室は
ごく普通のワイン倉で、別に変った所も無い。彼は先に送り込んだ部下5人を探したが、どこにも見当たらない。
しかし彼はその地下室に降りた時から、言いようの無い不安と恐怖に襲われていた。
「ここには人間以外の何かが居る」直感的にそう判断した彼は、捜索を打ち切り早々に地下室を後にした。
彼は戦争を生き延び、何十年後かに再びその小村へ行く機会を得た。恐る恐る地下室に降りた彼は、違和感を
覚えた。「この地下室、こんなに床が高かったか…?」以前見た時に比べ、確実に数十センチ程床が高くなっていた。
しかし彼は敢えてその事には言及せず、その場を去った。「人間以外の何か」とはどういうモノだったか?

【戦争奇譚 〜白馬の騎士〜】

第一次大戦勃発直後のお話。ドイツ軍の猛攻にさらされ、追い詰められたイギリス軍の部隊が、
「聖ゲオルギウスよ、イギリスを守りたまえ!」と叫びながら突撃し、孤立状態から脱出することに成功した。
そのとき、士官の一人は弓矢を持って敵軍の塹壕へと自軍を導く人々がいるのに気付いた。
戦闘が終わってドイツ人捕虜を尋問していると、捕虜がこう尋ねた。
「あの大きな白馬に乗った士官は誰なんだ?誰もあいつを撃てなかった」
どうやら、その白馬に乗った士官が謎の弓兵部隊を指揮していたらしいのだが、イギリス軍では誰一人として、
その士官を見ることは出来なかった。
また、別の戦場では、ドイツ軍の大部隊が突撃してきた直後に黄色がかった霞が立ち上り、それが晴れると
金髪で黄金の甲冑を纏った白馬の騎士が立っていたと言う。
白馬の騎士は剣を振りかざしてイギリス軍を駆り立て、結果としてドイツ軍は押され始め撤退したという。

66 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/23(木) 03:32:27
【戦争奇譚 〜U65、謎の爆発〜】

第一次世界大戦の戦時中、大西洋を作戦にて航行していたアメリカ海軍の潜水艦が、波間に漂うドイツ海軍の
Uボートを発見しました。時は1918年7月10日。

「良い得物を見つけた。しかし妙だな。無人なのか、あの船は?」アメリカ潜水艦側の艦長は不審に思いつつも、
魚雷装填を部下に命じます。そして正に魚雷をドイツ潜水艦に発射しようとしたその時、当の目標が大爆発を
起こして、あっという間に沈んでしまいました。

呆気に取られてその有様を見ていた米潜水艦の艦長。「どうしたことだ、誰かが俺の得物を横取りしたのか?
それにしても爆発の直前、独潜水艦の舳先に誰かが立っていたような?」

この爆発沈没した潜水艦こそ、第一次世界大戦で「呪われたUボート」として知られる、「U-65」最後の姿でした。
実はこのU65、建造当時より「曰くつきの艦」として噂になっていました。

まず、建造中に5人もの死者を出しています。最初の死者は潜水艦の部品の下敷きになり、死亡。続いて機関
の点検をした際には有毒ガスが発生、その上の機関室の扉が何故か開かず、中に居た人間は逃げられずに
全員死んでしまいます。

それでも一応完成したU65は、初の潜航試験に臨みます。ところが浮上できずに沈み続け、海底に着底して
動かなくなりました。乗組員が必死に復旧作業をしましたがビクともしません。誰もが諦めかけた12時間後。
今度は突然浮上を始め、乗員は辛くも一命を取り留めます。

このように問題が多い艦など、平和な時代であれば流石に使われる事も無かったのでしょうが、当時のドイツは
戦争の真っ最中。出撃することになました。

出撃後最初の事故はベルギーで起きました。ベルギーの港へ寄港した際一発の魚雷が爆発、この事故で中尉
1人と下士官5人が死亡します。

そして整備の為にU65がドッグに入れられた夜の事です。艦の舳先に誰かが、じっと立っているのを2名の乗員が
目撃しました。一体誰だ、あんな所に突っ立ってるのは?そう思って注意しようとした時、見覚えのある顔である
ことに気付きます。「そうだ、あいつはこの前の魚雷爆発事故で死んだ中尉じゃないか!」

2人は艦長に対して見たままを報告しました。しかし彼は幽霊など居る筈は無い、馬鹿馬鹿しいと言い放ち、取り
合いません(その後、幽霊を目撃したうちの1人は、艦から逃亡した)。そうこうするうちに艦の整備も終了し、
再度出撃することになりました。

航海中、U65は何隻かのイギリス船を撃沈して立派に任務を遂行、帰港します。第二の事件はこの時起こりました。
帰港した港がある日、イギリス軍の爆撃を受けて艦長が死亡。U65には後任の艦長がやって来ます。

彼は自分の新しい部下の大多数が精神的に追い詰められてるのを見て「これは只事では無い」と直感します。
新任の艦長は部下達に「幽霊などは絶対に居ない」と訓示し、一応念の為とでも思ったのか、従軍司祭にU65の
お払いをさせました。

しかし、その後の経過を見るとお払いの効果は無かったようです。まず、数日して砲手が発狂して自殺。同日に士官
が足の骨を骨折。更に翌朝、下士官の1人が突然海に飛び込み、そのまま行方不明に。

立て続けに起きる事故に、新艦長も何かを感じたのでしょう。本来なら敵を追いまわす立場である筈のU65は極力
敵との交戦を避けるようになりました。また、恐慌状態にある乗組員を少しずつ楽な部署へと移動させる努力も
しました。そうすることで、少しでも負の力を逸らそうとしたのでしょうか。ですが、事態は悪化の一途を辿りました。

そして運命の1918年7月10日を迎えるのです。恐怖に耐えられなかった乗組員が艦を自爆させたのでしょうか?
それとも味方潜水艦に誤射されたのでしょうか?今となっては真相は闇の中です。

67 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/23(木) 03:53:07
【戦争奇譚 〜遠き南の島に伝わる日本の歌〜】

遠い南の島に、日本の歌を歌う老人がいた。
「あそこでみんな死んでいったんだ」沖に浮かぶ島を指差しながら老人はつぶやいた。
太平洋戦争のとき、その島には日本軍が進駐し陣地が作られた。老人は村の若者達と共にその作業に参加した。
日本兵とは仲良くなって、日本の歌を一緒に歌ったりしたという。
やがて戦況は日本に不利となり、いつ米軍が上陸してもおかしくない状況になった。
仲間達と話し合った彼は代表数人と共に日本の守備隊長のもとを訪れた。自分達も一緒に戦わせて欲しい、と。
それを聞くなり隊長は激高し叫んだという。「帝国軍人が、貴様ら土人と一緒に戦えるか!」
日本人は仲間だと思っていたのに、みせかけだったのか?裏切られた想いで、みな悔し涙を流した。
船に乗って島を去る日、日本兵は誰一人見送りに来ない。
村の若者達は、悄然と船に乗り込んだ。しかし船が島を離れた瞬間、日本兵全員が浜に走り出てきた。
一緒に歌った日本の歌を歌いながら、手を振って彼らを見送った。
先頭には笑顔で手を振るあの隊長の姿が。その瞬間、彼は悟ったという。
あの言葉は、自分達を救うためのものだったのだと。
その後、彼ら日本兵はアメリカ軍との戦闘で、全員が玉砕して果てたという。 (>>46

【戦争奇譚 〜英霊達への敬意を忘れるなかれ。八甲田山の雪中行軍供養塔〜】

八甲田山・死の雪中行軍は多くの方がご存知かと思います。
この悲劇は長く語り継がれ、それと共に心霊話も多くあります。
時は現代。ある学生グループが「肝試し」と称して悲劇の舞台となった八甲田山へやって来ました。
最初はただ騒いでいただけの彼等ですが、そのうち悪戯心が出てきたのか、雪中行軍の犠牲者を慰める
供養塔などに対して不敬な行為を働きました。しばらくして学生達は帰途に着きました。
だがその日の晩、彼等が寝ていると、外から大勢が足並みを揃えて行進する音が聞こえてきました。
それは徐々に学生達の方へと近づいてくる。とうとう、彼等の寝室にまでドカドカと入って来ました。
恐怖で動けない学生達を上から眺める多くの兵士達。
やがて1人の兵士が「ワシはこの手が欲しい」と言い出しました。すると別の兵士が「俺はこの目が」「ワシは足だ」。
その後半年ぐらいで、この学生グループは兵士達が言った手や目、足などを事故等で次々と負傷したとの事です。
この話が本当か嘘かは別として、八甲田の兵士達も国の為に自らの命を捧げた人々。
敬意を持って接したいものです。

68 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/23(木) 03:53:53
【戦争奇譚 〜ジーカート大尉のメッサーシュミット〜】

20世紀中頃。当時のドイツは知っての通り、1939年からヨーロッパ中を相手に戦争を繰り広げていました。
特に1941年から始まった対ソ戦は日に日に泥沼の様相を呈していました。
1942年の或る日の事。旧ソ連領内にあるドイツ軍飛行場からメッサーシュミット(ドイツ軍の戦闘機)の一隊が
飛び立ちました。暫くしてメッサー部隊は作戦行動を終えて基地に帰還したのですが、「ジーカート大尉」の
操縦するメッサーシュミットだけが帰還しませんでした。
エンジン不調によるものか、対空砲火や敵戦闘機に撃墜されたのか?その後も彼の消息は掴めませんでした。
時は過ぎ去り、1989年。旧ソ連の空港に、管制塔と一切交信しないばかりか、着陸許可も無しにいきなり単発の
飛行機が滑走路に降りてきました。
空港職員が急いで駆けつけてみると、その飛行機はなんとメッサーシュミット戦闘機。尾翼にはナチスドイツの
象徴、「鍵十字」のマークが。職員が操縦席を覗いてみると、そこには白骨化した搭乗員が座っていました。
その後の調査で、この白骨化した搭乗員は1942年、東部戦線で消息を断ったジーカート大尉と判明しました。
一体大尉はどうやって半世紀近くもの時間を超えて突然現れたのか。その間は何処に居たのか。何故白骨化
してしまったのか。全ては謎です。
ただ、この話は「メッサーシュミット版」の他に「スツーカ版」(同じくドイツの急降下爆撃機)や「スピットファイア版」
「ハリケーン版」(共にイギリスの戦闘機)まであります。

【戦争奇譚 〜深夜に遭遇した謎の船〜】

私が乗務する潜水艦が八丈島南西を行動中だったときのことです。
潜水艦というとずっと潜っていると思われがちですが、実際は原潜でないかぎり水上を航走する場合も多いのです。
そのような場合、舷側の低い潜水艦では行き交う船と互いに識別しあうのが難しく、両目を使っての目視での監視が
非常に重要な役割を担います。
ある夜、私は見張りの士長たちともども司令塔の上に立ち、双眼鏡で周囲を警戒しておりました。
士長が左舷前方に船影を発見し、私はそのことを発令所に伝えました。
が、ほどなく「見間違えじゃないか?」と聞き返されました。同時に回していたレーダーには感度が無いというのです。
士長の報告した概位からすればごく近いと思われ、ありえないことです。
「そんなバカな。まだ見えてますよ」
と士長が言うので、私は夜でも良く見えるという彼の私物の双眼鏡を借り向けて見ました。
確かに船影はあります。それも思ったより大きく見えます。しかし妙なことに気づきました。
その夜は月が明るく、結構遠くの船影でも細かい部分までくっきり見えていたものです。
ところがその船影に限ってのっぺりと真っ黒く、細部がまるで見えないのです。
それでも、シルエットから判断して、こちらと反航しつつあるように見えます。
辛抱強く見つづけていると、ようやくその船が軍艦らしいことに気づきました。
あちこちから艦砲と思しき細いものが伸びているのです。
しかし艦砲主体のこのような大型艦は、自衛隊はおろか、米海軍にも、近隣諸国にももう在籍していないはずです。
私は当然の連想をしてしまい、思わず士長に双眼鏡を返してしまいました。
士長によれば、その船影は10分ほどで視界から消えたそうです。しかし彼はこういいました。
「一番近づいたとき、舷側にずらりと並んだ人影が、こっちに帽振れやってるように見えて仕方なかったですよ」

69 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/23(木) 03:54:41
【戦争奇譚 〜イギリス海軍砲艦アヴァランシュ号の遭遇した謎の生物〜】

1897年7月。ベトナムのアロン湾を航行していた「イギリス砲艦アヴァランシュ号」が、体長20メートル程の生物2頭が
泳いでいるのを発見。これを攻撃した(命中したかどうかは不明)。
年が変って1898年2月15日。アヴァランシュ号は再びアロン湾にて謎の生物と1時間半に渡り遭遇。攻撃したところ、
今度は見事命中。しかし、取り逃がしてしまう。
更に同年同月25日。アヴァランシュ号はやはりアロン湾で未確認生物と3度目の遭遇をします。この時現れたのは
2頭で、頭部はアザラシに似ていたとの事。

【戦争奇譚 〜ドイツ帝国海軍潜水艦U28の見た謎の未確認生物〜】

第一次大戦中の1915年7月30日。「ドイツ海軍潜水艦U28」はイギリスの汽船「イベリアン号」号を雷撃、これを撃沈。
沈み行くイベリアン号は25秒後に海中100メートル付近で爆発しました。
その時、「ワニの様な体をし、頭が細長く水かきが付いた」体長20メートル前後の未確認生物」が爆発の衝撃で海面
に吹き上げられたのです。この様子はU28の艦長ともう1人の兵士によって、潜水艦艦橋から目撃されました。
ちなみにU28の艦長はこの出来事をつぶさに航海日誌に記録したそうです。流石は生真面目で知られるドイツ人、と
いったところでしょうか。

【戦争奇譚 〜洞窟の中のオオトカゲ〜】

第二次大戦中、タイ近辺での話らしいです。その地で日本軍は、昼の間捕虜を土木工事に従事させ、夜は洞窟で
休ませていました。そのうち、妙な事が起きるようになります。朝、捕虜を点呼すると何人か消えてしまっている。
最初は「脱走か?!」と思われたのですが、よくよく事情を聞けば、洞窟の中にオオトカゲが居て、そいつが夜に
なると捕虜を襲って食ってしまう、とのこと。 最終的に手榴弾で始末したという。

70 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/23(木) 03:55:27
【戦争奇譚 〜新耳袋・第一夜より〜】

新耳袋・第一夜にこんな話があった。
太平洋戦争中のある夜、ふと目が覚めてなぜか仏間へ行かなければならない気がして仏間に行く。
すると他の家族もなぜか目が覚めて仏間に集まっている。家族全員揃ったので、わけは分からないけどせっかく
だから念仏でも唱えようと皆で念仏を唱える。明け方になりそろそろ寝床に戻ろうかと襖を開けて驚いた。
隣りの部屋が消えていたのだ。夜中に空襲に遭い、焼夷弾が落ちたらしく、あたり一面焼けている。
不思議なことにそんな音は全く聞いていないし、仏間の襖は爆風さえ受けていない。
おかげで家族は全員無事だったという。

【戦争奇譚 〜夜、陣地を覗き込む兵士たち〜】

第二次世界大戦でのこと、1944年にビルマ(現ミャンマー)にて日英両軍が互いに陣を構え、睨み合っていました。
戦況の方は正直な話、日本軍に対して不利。ですが「最後の一兵まで戦う」と頑張る日本軍。そんな中、イギリス軍
の一部隊が突然降伏を申し入れてきたのです。
「有利な筈のイギリス軍が何故?」日本側の質問に対し、イギリス側は以下の様に答えました。
「夜中になると、日本兵が我が軍の陣地をうろついたり、中を覗き込んだりする。それがどう見ても生きている人間
では無い。しかも、日本軍が突撃してきたので反撃すると煙のように消えてしまったり。もう耐えられない」
それを聞いた日本軍は「ああ、死んだ仲間がしてくれたんだ」と言って、別段驚かなかった、との事。

【戦争奇譚 〜消えたノーフォーク連隊について〜】

第一次世界大戦中の話です。1915年8月21日の事。トルコのアンザックの近くにある、サル・ベイ丘に向かって
イギリス陸軍ノーフォーク連隊341名が進軍していました。
その日、サル・ベイの丘の上には霧がかかっていたのですが、連隊が進軍するにつれてその雲は徐々に下へ
下りて来ました。やがてノーフォーク連隊はその雲に隠れて完全に見えなくなりました。
この様子は別の場所からニュージーランド兵22名が眺めていました。
問題はここからです。そのうち風が吹いて丘の雲を一掃したのですが、連隊兵士の姿が何処にも見えない。
ニュージーランド兵の居る場所からは数十キロ四方が見渡せるのですが、何処にも見当たらなかったそうです。
その後、イギリス軍では調査を開始したものの手がかりは無し。
戦後の捕虜返還でも、ノーフォーク連隊の兵士は1人として居ませんでした。
と、ここまでは良く知られる話なんですが、別の所で聞いた話ですと、何名かの遺体は発見されているとの事。
ただ、全員の遺体が見つかったわけではないので、やはり真相は闇の中。

【戦争奇譚 〜尚も成仏できぬ英霊たちの嘆き〜】

戦時中ではなく、戦後の話です。ビルマ(現ミャンマー)の現地の方々によれば、夜のジャングルから聞き慣れない
言葉(日本語)が聞こえてくるそうです。そのどれもが、苦しそうな声だとか。きっと、インパール作戦で散った兵士
なのでしょう。現地の人々からすれば言葉も分からないでしょうし不気味かも知れませんが、我々日本人にとって
は涙を誘う話です。

71 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/23(木) 06:07:36
【戦争奇譚 〜幽霊飛行機〜】

1942年7月、イギリスのスコットランドで起きた話です。
その日、イギリス空軍士官のJ・デブリンはいつものように管制任務に就いていました。その日は特に予定らしい
予定も無く、のんびりしていたそうです。が、その時緊急連絡が入りました。

「敵味方不明機がモントローズ基地へ接近中!」デブリンは仲間と共に外へ駆け出すと、空を見上げました。
暫くして南東方向から飛行機の爆音が。やがてその飛行機は基地上空へ現れました。

「なんだ、あれは!時代錯誤もいいところじゃないか」
無理もありません。
彼等の前に現れたのは、第一次大戦で使われていたと思われるような、布張りの複葉機だったのです。

色はライトブルー、星型エンジン搭載のそれは、第一次大戦で使用され、かの「レッドバロン」撃墜にも一役買ったと
言われる、『ソッピースキャメル』戦闘機と思われました。複葉機はコース変更もせず真っ直ぐに飛び続けると、
そのまま雲の中へ消えて行きました。この謎の複葉機は数日後にも全く同じようにして現れたのです。

このあまりにも不可解な出来事に関心を持ったデブリンは早速調査を開始しました。
そしてデブリンは基地周辺に古くから住む、サンディ老人から次のような話を聞きだします。

数ヶ月前の事。羊飼いのジョンという少年が迷子になった羊を探すうち、大きな岩場へ出た。
暫く岩場を彷徨っていると、連れてきていた犬が何かを見つけたらしい。

そこは大きな岩の裂け目で、ジョンが中を覗き込むと中にはかなり古い複葉機の残骸と人骨が散らばっていた。
デブリンは確信します。自分が見た謎の複葉機はきっとジョンが見つけた複葉機であり、事故の日と同じコースで
数十年経った今でも空を飛び続けているのだ、と。

【戦争奇譚 〜幽霊飛行機2〜】

時は現代のイギリス、年が明けて間もない1月の出来事です。

ある夫婦が旅行中、バーノルズウィックという町に差し掛かりました。その日はイギリス特有の霧が発生していました。
そろそろ休む場所でも、と考えていた夫婦の目の前に、突然巨大な飛行機が現れたのです。

その航空機は周囲の建物や車にぶつかりそうな位の低空飛行をした後、現れた時と同じように、忽然と消えました。
夫婦の話によれば、その飛行機は第二次大戦中に活躍した『ランカスター爆撃機』で、機体は灰色、プロペラが
回転していたのにも関わらず、全くの無音であったとのこと。

その後、新聞でこの出来事が報道されると様々な人々から数十件の目撃情報が寄せられました。それによると、
色は灰色、特に国籍マーク等は付いておらず、プロペラは回転しているが音は全く無し。そして誰もが口をそろえて
「あれはランカスター爆撃機だ」と証言しました。

ある老人によれば、昔この付近には飛行場があったとか。
現在は戦時中、バーノルズウィックに不時着したランカスター爆撃機があったかどうかを調査中、との事。
戦後数十年経った現在。このランカスターは、今も帰るべき飛行場を探しているのでしょうか?

72 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/23(木) 06:15:31
【戦争奇譚 〜帰ってきた戦闘機〜】

第二次大戦中、独・伊軍と英・米軍は北アフリカ及び地中海に於いても戦いを繰り広げておりました。
そんな中、アメリカ軍のP-38(戦闘機)の一隊が、ドイツ軍基地の偵察へ向かいます。
当然の如く反撃してくるドイツ軍。地中海上では、激しい空中戦が繰り広げられました。
やがて戦闘は終わり、P-38は再び編隊を組み直します。

ですが、一機足りない。空中戦でやられたのか、いや、パラシュートで脱出したのではないか。
仲間は低空飛行で海の上を探し回ります。が、懸命の捜索にも関わらず機体の残骸すら見つかりません。
燃料も乏しくなり、後ろ髪引かれる思いでその場を後にしました。

パイロット達は基地へ帰り着くと、僅かな希望を頼りに周辺基地へ問い合わせます。
「誰も奴が撃墜されているところを見たわけじゃないんだ、きっと戻ってくるに違いない。
もしかしたらエンジン不調か何かで、別の基地に着陸した可能性だってあるじゃないか」

ですが、全ての問い合わせも無駄に終わります。「やはり奴は戦死してしまったのだろうか?」
誰もがそう思った時、けたたましい空襲警報のサイレンが。

「敵味方不明機、接近中!」基地内は騒然となり、各員戦闘配置へ。
その間にも正体不明の飛行機は基地へ近づいてきます。
やがて、それは目視できるだけの距離までやってきました。

「あれはP-38だ!味方だ!」空を見れば確かに味方戦闘機P-38が低空飛行でこちらへやってきます。
地上から無線でP-38へ呼びかけます。ですが、反応がありません。
やがてそのP-38は無線を無視したまま、着陸態勢へ入ります。しかし、速度が速すぎる。
「危ないぞ、あんな速度で着陸なんて!」誰かが呟くと同時に機体は大きくバランスを崩し、そのまま空中分解。

その時です。「人だ!脱出したぞ!」空中分解寸前の機体から、搭乗員が脱出するのが見えました。
脱出した彼はパラシュートを開き、そのまま地上へ降りてきます。

「やったぞ、助かった!やっぱり奴は生きていたんだ!」
救急車輌と共に仲間のパイロット達も現場へ駆けつけました。それから数分後。
唖然として立ち尽くす衛生兵を、他の人々が遠巻きにしていました。

「こんな事ってあり得るのか?」「どうやってここまで?」「でも、確かに脱出していたが。お前も見ただろ?」
取り囲んだ人々はパラシュート降下してきた人物を見ながら、口々に囁きました。

パラシュートで脱出した人物は死亡していました。
ですが、パラシュート降下に失敗して死んだわけではありません。頭を撃ち抜かれて、即死の状態でした。
後の検分では、P-38の燃料タンクはすっかり空になっていました。

これは別に不思議な事ではありません。
帰還する時間を大幅に越えていたわけですし、燃料は無くなって当然なのです。
ですが、空中分解する寸前まで、飛行機のプロペラが勢い良く回転していたのは全員が見ています。
更に、頭を撃ち抜かれ、数時間前には死んでいる筈の人間が脱出し、パラシュートを開いて降下する姿も。

このあまりにも不可解な出来事は、前線指揮官が事件を目撃した全ての将校・下士官に証言を記録させ、
認識番号・官姓名・サイン付きで書類を提出させたとの事です。

73 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/23(木) 06:16:26
【戦争奇譚 〜フーファイター…砂漠の遭難〜】

これも戦後の話です。
1958年の事、サハラ砂漠のカランシオ台地上空を飛行していた飛行機が、砂漠に胴体着陸 したまま放置されて
いる一機の爆撃機を発見しました。見たところアメリカ軍の爆撃機B-24と見られ、発見者は直ぐに米軍へ報告した
のですが、「該当機は無し」との返答。不時着着はそのまま半年放置されます。

その後地上からの捜索が始まり、問題の爆撃機は再発見されました。B24自体に大した損傷が無いばかりか、
機体の中にはチューインガムや煙草、ポットに入ったコーヒーなども残されていたのです。

調査員は首を捻りました。「機体はほぼ完全、中には食料も残されている。乗員は何処へ?」
更に機体の中からは飛行日誌も見つかりました。
日誌の最後は「1944年4月4日ナポリ港爆撃」の項で終了していました。

この事件は「空のマリー・セレスト号事件」として長らく語られたのですが、その後真実が徐々に明らかになります。
問題の1944年4月4日、ナポリ港爆撃は深夜に行われた夜間爆撃でした。
その後B24は帰投しようとしたのですが、どこをどう間違えたかサハラ砂漠へ。
夜間なので海と砂漠の見分けも付きません。

その後も必死に帰るべき空港を探しますが結局見つからず、燃料も尽きて全員(9人)パラシュートで脱出。
その時点で1人が行方不明になり、残り8人は地中海を目指して北へ歩き出します。
ですが砂漠の過酷な気候に耐えられず5人がダウン。残された3人は更に北へ。
結局この3人も途中で力尽きてしまうのですが、これらの事実は遺体に残された日記から明らかになったものです。

B24は彼等の脱出地点からすぐ南に不時着しており、更に南を目指してればオアシスもあったとの事。
搭乗員達が北ではなく、南を目指していたら、あるいは助かっていたのかも知れません。

こうして事実は明らかになったのですが、それでも疑問は残ります。
クルーの記した飛行日誌には、次の一文が書かれていました。
「火の玉、赤い火の玉…」。

これは戦時中、日本やドイツ上空に現れた「フー・ファイター」の事ではないでしょうか。
この「フーファイター」は敵味方関係無く、戦場で多くの人間によって目撃されています。

「フー・ファイター」に攻撃されたという事実は今のところ無いようですが、B24のクルー達がこの「火の玉」に惑わされ、
砂漠に迷い込んでしまったとしたら?

74 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/23(木) 06:17:15
【戦争奇譚 〜村上忠良中尉の話〜】

戦闘中ふと横を見ると、なんと自分の母親が手招きしてるのが見える。
幻覚かと不審がったが、一緒にいた部下も見えるというので、匍匐でそっちに行ってみた。
その直後今までいた場所で敵砲弾が炸裂。大穴が開いた。
一方、母親の姿はいつの間にか見えなくなっていた。
戦後帰還してから母親にそのことを話すと、母親は非常に驚いた顔をした。
母親はその日、仏壇で武運長久を祈っている最中倒れ、戦場で苦戦してる息子の夢を見たというのだ。

【戦争奇譚 〜遊女の櫛〜】

時は1945年。日本中が巨人爆撃機B29により焦土と化していた頃です。その当時、Aさんは中学生でした。
ある日の深夜の事。彼の住む町がB29による爆撃を受けたのです。
家族とも散り散りになり、Aさんは必死の思いで近くの防空壕に駆け込みました。

「助かった…」ほっと一息付いたAさんは変な事に気付きました。
いつもなら他の人で息をするのすら大変な程に混雑する壕内なのに、居るのは自分1人だけなのです。
いや、よく目を凝らせば、もう1人壕内に居る。女性でした。

自分より年上の、17,8歳位でしょうか。しかし妙なのです。
ご存知の通り、当時一般の女性は全員モンペ姿です。しかし、彼女はなぜか派手な着物を身に纏っていました。
今考えればあれは遊女だったとの事ですが、当時はまだ純粋な中学生だったAさん。当然そんな事は知りません。

女性はAさんを見ると笑いかけました。それは決して不気味な笑い方とかではなく、見ていて心安らぐような笑い方。
きっと、世間の底辺を這いずってきた人間だからこそできる顔だったのでしょう。

爆撃の恐怖で今だ震えの止まらないAさんを見て、その女性はそっと彼の手を取り、自分の胸にAさんを抱きました。
まるで姉に抱かれているような安心感を得た彼は、そのまま眠ってしまいました。

次にAさんが気づいた時には、すっかり日が昇っていました。
爆撃から生き残った嬉しさと共に防空壕を駆け出そうとした彼ですが、ふと足が止まりました。
自分の足下にはボロボロになった着物と女性物の櫛が落ちているのです。

見たところ何年も使われていなさそうな感じでした。
汚くなっているとはいえ、この着物の柄は間違いなくあの女性が着ていた物・・・彼女は一体誰?

Aさんはその後大人になって某企業を定年まで勤め上げ、日本を「奇跡の復興」に導く一員となりました。
戦後数十年経った現在。彼は未だにその女性の笑顔を忘れられないそうです。

【戦争奇譚 〜ポケット戦艦グラフシュペー号〜】

グラフシュペーは、商船狩りに特化したポケット戦艦(豆戦艦・装甲艦)です。イギリス海軍の巡洋艦三隻と砲戦を
交え、損傷したグラフシュペーは中立国であるウルグアイのモンテビデオ港に停泊。つまり南米。
ここでは交戦は行われず、外交的駆け引きの後に、グラフシュペーはイギリス海軍の待ち受ける海へと出航します。
このとき、沿岸には80万人もの見物人が集まり、固唾を呑んで見ていたと言います。
だが、洋上では英国海軍が待ちうけ、逃げられないと判断したラングスドルフ艦長は、グラフシュペーを自沈させます。
乗員は商船に退避し、艦長は後に自決しました。これが世界的に有名なラ・プラタ沖海戦のあらましで、小説や映画
にもなった有名な海戦(船)です。

75 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/23(木) 06:22:11
【戦争奇譚 〜米軍上陸前の硫黄島〜】

硫黄島は太平洋上の小島にすぎないため、川などが存在せず水の確保が非常に難しかった。
旧島民が使っていた雨水をためる貯水庫は一部の上層部のために使われ、2万人近い一般兵水は火山の蒸気を
冷やしたものが使われた。火山の蒸気だからたっぷりと硫黄等の重金属が含まれており、兵士の殆が身体を壊し
酷い下痢になった。一日に何十回もトイレに行かねばならず、それ以前にトイレに間に合えば『かなり健康な状態』
だとされた。大部分がトイレに間に合わず垂れ流し状態だった。因みにこの硫黄島の水で米を炊くと、硫黄でご飯が
黄色く染まったらしい。

また、硫黄島での敵が来るまでの任務は、敵が来てもしばらくは耐えれるように、蒸気噴出す熱い大地に穴を掘って
洞窟陣地を構築することだった。だが、活火山だけに洞窟内部の気温は非常に高く、低いところでも40度を越えて
いたとか。当然そんなところで長時間作業できるはずもなく、5分〜10分掘ったら身体を冷ますために外に出なくて
はならなかった。

また、殆どの者が身体を壊していたため倒れる者が続出。
病院もあるにはあったが、病人の数の多さから手のつけようの無い重病者が殆どだった。しかしそれでも尚手が
足りなかった。軍医が寝ている病人の間を歩きながら一瞥するのが通常の診察であり、手当てらしい手当てを受ける
者は見られなかった。そこはさながら死の待合室だったと生還者は語っている。

その後の米軍の上陸前の事前砲爆撃も凄まじく、発射された砲弾の数こそ沖縄よりも少なかったが、発射された
砲弾のトン数は沖縄と同じかそれ以上だった。なぜなら、沖縄はロケット弾や駆逐艦等の12.7cm程度の小口径砲が
主体だったが、硫黄島は戦艦による38cm〜40cmの大口径が主体となっていたからである。
硫黄島に発射された砲弾は推定5000トンに及び、これは一坪当たり700キロの爆弾を使った計算になる。
日本の一般的な爆撃機、一式陸上攻撃機の搭載量が800キロだったことを考えれば、砲撃の激しさが分かるだろう。
この砲撃により島の南端にある擂鉢山という山の形が変わったという人もいる。こんな状態でも人は生きていられる
ことがかなりの驚きといえよう。

【戦争奇譚 〜村田経芳〜】

日本人で特に有名な狙撃手は、明治時代の村田経芳。
明治8年の欧米視察で、ドイツ・フランス・イギリス・スイスの各射撃場及び大会で全部優勝。
腕試しでも全て勝ち、射撃協会から「世界一の射撃手」の称号を受ける。
また戊辰戦争と西南戦争でも官軍側にとして参加しており、当時のスコープ無し軍用銃で狙撃し、薩摩兵を何人も
仕留めている。薩軍の篠原国幹を狙撃戦死させたのもこの人。

【戦争奇譚 〜たった一発の弾で…〜】

戦闘中いつも寝そべって、足だけを塹壕の外に出している古参兵がいた。
「足負傷くらいで死なないし、負傷すれば誉傷扱いで内地に帰れる」と常々言っていた。
ある日、相当な長距離で敵と遭遇し、小競り合い程度の戦闘があった。
双方戦死者・負傷者もなく、戦闘が終結しかけたころ、「もう大丈夫か?」と古参兵が頭を上げた。
と、その瞬間に、たった1発の流れ弾が古参兵の頭を撃ち抜いた。この日の損害はこの古参兵1人だけだったという。

似たような話がベトナム戦争の戦記本で米兵の証言として載っている。
その兵士の小隊長は大変用心深く、夜は常に敵の襲撃に備え、屋根にも土嚢をのせた壕の中にこもり、ヘルメットと
防弾ベストまで身に付けて寝ていたのだが、ある日の夜、敵が、基地で就寝している兵士を叩き起こす為(一種の
心理戦)に嫌がらせで撃った、たった一発の砲弾の、それもその破片のひとつが小隊長の壕の小銃射撃用の狭い
開口部から入り、寝ていた小隊長の、防弾ベストに覆われていない首すじに命中し、あえなく戦死してしまった。

76 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/23(木) 06:42:31
【戦争奇譚 〜レニングラードの悲劇〜】

1941年6月22日、ナチスドイツはソ連に侵攻し、8月にはレニングラードが包囲された。
ドイツ軍の空爆や地上よりの砲撃に苛まれ、寒さと飢えに苦しめられつつ900日の間市民は侵入者を拒み、
ついにソ連軍の巻き返しで包囲は破られた。しかしこの抵抗には広島原爆の二十倍もの犠牲が払われた。
1941年当時レニングラード市の人口は250万あまり。包囲が解かれた1943年末には人口は60万に減っていた。
少なく見積もっても、80万もの市民が餓死したことになる。
詩人のルクニツキーの証言では、1942年から1943年にかけては毎日六千から一万の市民が餓死もしくは凍死
していったという。そのため死体は袋小路、空き地、地下室を埋め尽くした。

死体回収のトラックはガソリンの欠乏で動かない。そこで人力で引きずって共同墓地に運び、前線から戻った
工兵がダイナマイトで凍った地面を砕き、埋葬用の塹壕に似た穴を掘った。
墓地に向かう道の両側には塀のように凍った死体が積み上げられ、車がすれ違うことも出来ないほどだった。
当然、食糧を求めての窃盗、殺人が横行する。殺して配給証を奪い取る。
しかしやがて食糧そのものが無く、配給証は無用の長物となっていった。
やがて墓掘り人夫がおかしな事に気が付いた。体の一部分が欠けている死体が頻繁に見つかるようになったと
言うのだ。特に腿、尻、腕、肩の肉が無い。墓地の前ではバラバラ死体すら発見されている。何者かが死体を
切り取り、肉を喰らっているのは明らかだった。
やがて生きた人間までもが殺されて喰われた。凍った死体は解体の前に解凍する必要がある。
生きた人を殺して即座に解体すれば手間がかからない。特に女と兵士が襲われた。女は脂肪が多く、柔らかいから。
兵士は、一般人よりも栄養状態が多いから。

1942年1月19日、物不足に悩むディミトリとタマラは大切に保存しておいたパン600gを携えて「干草市場」に向かった。
毛皮のブーツを買うためである。そこで二人は大男に出会った。身なりもよく、栄養状態も良いようだ。
彼は女物のブーツを持っていたので商談を持ちかける。値切った結果商談は成立。
ブーツがもう一足、数百m先の男の家にあるという。ディミトリは行くことにしたが、タマラはそこで待っていた。
男についていったディミトリは途中、妙な胸騒ぎがした。食人鬼の近づき方の噂を聞いていたからだ。
男は「ちょっと待ってろ」と言い、ドアに向かって 「生きたのを連れてきた」と囁いた。
ドアが開いた。中からなま暖かくきつい臭いが漏れだした。
蝋燭の光が揺らめき、炎に照らされて白い肉塊がいくつか、男の脚や女の血管の浮いた腕が照らし出された。
ディミトリが必死になって階段を駆け下りる。男が後を追う。運良く軍用トラックが外を通りかかった。
「助けてくれ、人食いだ!」ディミトリはトラックにすがりついた。トラックは停車、兵士が建物に乗り込む。銃声。
十五分後、戻ってきた兵士が「五人分の肉塊を発見した」と発表した。

レニングラードの食人は極悪非道の殺人鬼のみの仕業ではない。
「アパートの壁の裏で何が行われていたかは 神のみが知る」と、住民は証言する。
この証人は妻を食べた男、我が子を喰った親もいると断言する。
同じアパートの住民が妻を殺し、首を鍋で煮たという。この類の証言は際限がない。

77 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/23(木) 07:12:42
【戦争奇譚 〜フーファイターについて〜】

1944年頃の第二次世界大戦末期に、超スピードで飛びまわる不思議な飛行物体が目撃されていた。
それは、直径1メートル前後の、赤色、黄色やオレンジ色の光り輝く球体で、アメリカ、イギリス、日本、ドイツ軍など、
敵味方や連合国・枢軸国の区別無く、パイロットたちによって目撃されていた。アメリカ空軍は、これらの不思議な
物体を、「フーファイター=炎の戦闘機」と呼称した。

フーファイターは高速で、編隊を組んで飛行し、レシプロ機をたやすく追い抜き、急降下や急上昇を繰り返したり、
光を発しながら機体の翼の下に急接近したりして、からかうように回り込んだりもしたという。
但しフーファーター側から攻撃する事はなく、フーファイターによる被害の例の殆んどは撃墜に転じたパイロットの
操縦ミスや偶然の接触などで墜落したものと考えられる。
このフーファイターは、絶対に攻撃をしてくることはなく、ニアミスしても機体に衝突することがない。
だがまるで何者かによってコントロールされているような動きをしていたのが特徴である。
なお、第二次世界大戦終結後は、何故か姿を消し、目撃されなくなった。

大戦中は特にドーバー海峡のバトル・オブ・ブリテンの頃から多数のフーファイターの目撃情報が出始めた。
向こうから攻撃してこないという特徴から、フーファイターのことを実験機・試験機などの新型秘密兵器の試験飛行
ではないかと想定し、連合軍とドイツ軍の双方の諜報員が情報を巡って暗躍した。
連合軍の方では、時期がドイツ軍のジェット推進エンジンを持つメッサーシュミットが配備される時期でもあったので、
フーファイターの正体は新型戦闘機でジェット又はロケット推進の機体ではないかと推測していたらしい。
D-day後の戦略爆撃の際も、特定地方でフーファイターが多数目撃されることから、連合軍はその地域を異常な
警戒ぶりで戦略爆撃を行ったこともあった。

一方ドイツ側でもフーファイターは多数目撃されている。
メッサーシュミットなどのジェット機の情報が連合軍側に漏れていると疑ったドイツ軍は、連合軍側がそれらの情報を
元に設計、改良してテスト飛行させていた機体なのではないかと推測していたらしい。
また天候の安定しないドイツ地方を飛ぶ第一級の戦闘機・爆撃機のプロに多数目撃、報告されていることから、
空電・球電・プラズマ等の自然要因とは異なる何らかの実体を持った人工の飛行物体が戦闘空域を飛行していた
可能性が高い、とも分析していた。

とにかくこれらの不思議な現象は、謎の戦闘機として「フーファイター」「ゴーストファイター」とも呼ばれている。

余談:ロケット推進器説は長く尾を引く噴煙を持ったロケット状の推進物体が戦略爆撃を行っていた爆撃機から
目撃されている。V2とは違う物らしい。

78 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/23(木) 07:16:08
【戦争奇譚 〜栗田艦隊、謎の反転〜】

レイテ上陸するアメリカ軍に対して、日本軍は戦艦大和、武蔵を主力とする栗田艦隊を出撃させた。
しかし、途中の海峡(サン・ベルナルジ)にはハルゼーの大機動部隊(空母16隻、搭載機約1200)がいる。
日本軍は囮の小沢艦隊を出して、ハルゼーを海峡から退かせることに成功した。
囮の小沢は全滅直前に「作戦の成功をいのる」と打電。
だが、この電文は日本本土の艦隊司令部には届いたが、何故かより近くにいる栗田艦隊には届かなかった。
一方、電文を受けた日本の艦隊司令部は「成功に向けて努力せよ」と打電するが、この電文もまた小沢艦隊には
届いたが栗田艦隊にだけは届かなかった。

そして栗田艦隊にだけ届いた謎の電文がある。それは南西艦隊司令部発、宛第二艦隊(栗田艦隊)とするものだ。
「スルワン島北西、500マイル、敵機動部隊見ゆ。」先の二通の電文を受け取れなかった栗田艦隊は囮部隊の
成功を知らずに、この「幻の敵機動部隊」に向けて反転してしまった。
この反転によってレイテ突入は永久に失われ、日本の敗戦は確実に早まった。
これがかの有名な、「栗田艦隊、謎の反転」だ。

まず、先の二通の電文はなぜ栗田艦隊にだけ、届かなかったのか。栗田艦隊には大和以下、戦艦5隻がいたのだ。
有力な敵信傍受班もあり、マストも低い空母が主力の小沢艦隊に届くなら、栗田艦隊にも当然届くはず。
次は謎の電文は何故、栗田艦隊にだけ届いたのか。この電文は、もちろん南西艦隊司令部は作成していない。
アメリカ軍の諜報機関(スパイ)情報部にも関与の形跡がない。発信方向から日本本土方向だったことはわかる。
では、いつ、だれが、どこで作成した電文だったのか。今のところ、誰なのかは全くの謎。

なお、このレイテ上陸は極東版「史上最大の作戦」だった。
もし、アメリカ上陸部隊に大和以下の戦艦部隊(この頃は3隻)が突入して上陸部隊を粉砕してたら、アメリカ極東
陸軍の主力は瓦解。兵力バランスは大きくくずれ、沖縄侵攻ができたかどうか怪しい。
戦争終盤のターニング・ポイントであったのは確かだ。

79 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/23(木) 07:24:26
【戦争奇譚 〜防空頭巾の集団亡霊〜】

三重県津市の海岸には、海の守りの女神の像が立っている。
ここは、昭和三〇年七月二十八日に市立橋北中学一年生の女子三六人が水死した所だが、当時の生き残りの
一人だった梅川弘子さん(二一)は、週刊誌「女性自身」(昭和三八年)に、その時の恐ろしかった手記をサイン、
写真入りで寄せている。

いっしょに泳いでいた同級生が、「弘子ちゃん、あれ見てー」と、しがみついてきたので、二,三〇メートル沖を見ると、
その辺で泳いでいた同級生が、つぎつぎと波間に姿を消していくところだった。
すると、そこで弘子さんは「水面をひたひたとゆすりながら、黒いかたまりがこちらに向かって泳いでくる」のを見た。
それは何十人もの女の姿で、ぐっしょり水を吸い込んだ防空頭巾をかぶり、もんぺをはいていた。
逃げようとする弘子さんの足をつかんだ力は物凄く、水中に引きこまれていったが、薄れゆく意識の中でも足に
まとわりついて離れない防空頭巾をかぶった無表情な白い顔を、はっきり見続けていたという。
弘子さんは助けあげられはしたが肺炎を併発し、二十日間も入院した。
その間中、「亡霊が来る、亡霊が来る」と、よくうわごとを言っていたという。

「防空頭巾にもんぺ姿の集団亡霊」というのには因縁話がある。
津市郊外の高宮の郵便局長・山本剛良氏によると、この海岸には、この集団溺死事件の起こったちょうど十年前の
月日も同じ七月二八日に米軍大編隊の焼打ちで市民二五〇余人が殺されている。
その際火葬しきれない死骸は、この海岸に穴を掘って埋めたという。
山本氏からこの話を聞かされた弘子さんは、手記の中で「ああ、やっぱり私の見たのは幻影でも夢でもなかった。
あれは空襲で死んだ人たちの悲しい姿だったんだわ」と納得している。

なお山本氏が聞いて回ったところによると、この亡霊は、弘子さんを含めて助かった九人のうち五人までが見て
いるばかりが、その時浜辺にいた生徒たちの内にも、何人かが見たと語っているそうだと、弘子さんは伝えている。
また、その後、こうした体験をした弘子さんは、卒業してガソリンスタンドの事務員に就職したが、自分でも積極的
に調べてみると、次つぎに怪異な事件が起こっていいることを知ったと次のような報告を併記している。

1.溺死事件の前日、大きな火の玉が浜辺の某家の屋根に落ちたのを釣りをしていた何人もが見たが、
  その家の娘も弘子さんといっしょに遭難水死した。
2.腰まで海水に浸って釣っていた人が、突然何かに憑かれたように沖へ沖へと歩いていってそのまま
  海中に姿を消し、死体も揚がらぬ事件が四年間も続いている。
3.渡辺小三郎という人は、幸い救われたが、病院で「亡霊を見た」とうなされ続け、意識不明のまま
  二〇日後に死去している。

※editor注:この海辺は現在は遊泳禁止。

なお、この元の文は教養文庫の今野圓輔「日本怪談集(幽霊篇)」に載ってます。

80 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/23(木) 07:30:35
【戦争奇譚 〜アッツ島で目撃されたフーファイター〜】

「基地を出てから一ヶ月余り、昭和18年11月14日の夜半の事です。
ちょうどキスカとアッツの間でアッツ島寄りを哨戒していたところ、その夜は珍しく海上は平穏で、漣一つないんです。
空には月さえ出ていました。こういう夜の襲撃は理想的なんだがな、と思ったりしたもんです。
アッツ島が墨絵のように浮き出ていました。しかし、相当な寒さで防寒外套を着ていても、寒さが骨身にしみましたね。
その時です。突然アッツ島のほぼ中央と思われる所から、青白い炎のような塊が上空に舞い上がったんです。
何だろうと目を見張っているうちに、炎の塊は次第に膨らんでくる。
それが橙色に変わりながら、相当なスピードでこちらに飛んで来るんですよ。
その不気味さは言いようがありませんね。冷水を浴びたように、ゾッとしました。
何やらわからんが、とにかく、「両舷停止、潜航急げ」を下令して、大急ぎで潜航したんですがね。
潜入後しばらくして、航海長と信号兵が、
「艦長、あれはアッツ島の英霊です。それに間違いありません」と、異口同音に言っとったですがね。
あの火の玉が砲弾とか信号弾でなかった事は確かです。爆発音はしませんでしたしね。
オーロラとかも考えたのですが、火の玉となって飛んできますかねえ、オーロラが。
何であったかは今なおわからない。とにかく不思議なものでしたなあ。」
(「伊二潜」艦長(当時) 板倉光馬少佐の証言 佐藤和正著 「艦長たちの太平洋戦争」より)

【戦争奇譚 〜戦争被災者たちの亡霊〜>>79

夏の海辺での話。ふと沖を見ると子供たちが溺れてる。
これは大変だ、と大人が助けに行くと、子供の足でも立てる浅瀬だった。
波も穏やかだし、溺れるシチュエーションではない。しかし、助け出された子供たちは、恐怖のためか顔が真っ白。
不思議に思った大人たちは、子供たちに「なぜ溺れたのか?」と聞いてみた。
すると「一番始めに、えっちゃんが「わー」と言ってバタバタしたのね。最初はふざけてるのかな、と思った。
でもみんなも溺れ始まって大変だって思ったら、誰かがボクの足を冷たい手でギュッと握って引っ張ったの。
そしたら、海の中に変な格好の人がいたんだ。頭から座布団を被って着物みたいな服を着てたよ」と、
足についた手形の痣をさすりながら、ポツポツと答えた。
現場は終戦直前に空襲の被災者の死体が流れ着いた場所でもある。
焼夷弾の炎から逃れようと大勢の市民が川に飛び込んだ。が、酸欠のために次から次へ絶命。
そんな彼らの死体が海まで流され、ここに放置されてたと言う。
当時を知る漁民の1人は、重い口を開けてこう語る。
「当時は生きるんで精一杯だった。土佐衛門が大量に出ても、別に何も感じんかった。むしろ、エビやシャコや
タコが豊漁になって喜んでおったよ。供養が足りんかった…」。
この「事故」がきっかけとなって、現場に戦災者供養塔が建立された。
しかし現在でも、空襲の日が近づくと、夜の海を飛び回る人魂を見かけることもあるという。

81 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/23(木) 07:32:22
【戦争奇譚 〜漢とローマ軍の戦い〜】

前漢の西域の司令官で会った張騫が匈奴との戦闘のおり、西域の奥深くで見たことが無い重騎兵装備をした
一軍と交戦をしている。漢では見られない陣形をとって張騫を苦しめましたが、是を破って漢に帰順させ、定住させた。
長い間、この一軍が何者なのか不明だったが、どうもローマ帝国の1隊がパルティアなどの中東にいる敵対勢力との
戦争の折に敗れて逃げてきたところを匈奴に拾われて参加していたものらしい。
その結果、図らずも漢とローマ帝国の兵の戦闘になったという見方がある。

【戦争奇譚 〜もし大戦前にテレビがあったら〜】

ルーズベルトは就任当時から車椅子の重病人であり、頭に大きな腫瘍を抱えていたという。
つまり、いつ死んでもおかしくなかった大統領というわけ。
何かのジョークで、「もしあの時代にテレビがあったら、合衆国国民は車椅子の候補者など選ばなかった」
というものがある。

【戦争奇譚 〜ミッドウェーの敗戦〜】

大東亜戦争の天目山であるミッドウェー海戦での噂話。
その時宇宙人が、アメリカ艦隊の存在していた方面の捜索を受け持っていた巡洋艦「利根」のカタパルトを故障させ、
そのために日本側はアメリカ艦隊の発見が遅れてしまい、この海戦で敗北したというものがある。
実際、その時に巡洋艦のカタパルトに故障がおき、偵察機である零式水上偵察機の発進が遅れてしまっている。
またミッドウエイには逆の逸話もある。
6月5日の第二次策敵時、エンタープライズの策敵機(SBD)が上空に銀色の不審な球体を発見。
これを距離をおいて追跡。見失ってふと雲の下をみると日本軍の南雲機動部隊の真上。
結果として米軍は、日本海軍の大航跡を発見したと言う。
まともな本ではあまり聞いたことない話だが、当時のアメリカ海軍の兵達の間でまことしやかに流れていた噂らしい。
それだけ当時は米軍がミッドウエイで勝利したことが奇跡的と考えられていたのだろう。
この時の日本軍の敗因として、策敵競争での遅れも確かだが、大きくは作戦指導の誤り。
賛否が分かれるが、陸用爆弾から雷装への変換の時間のロスがあり、これが「運命の5分」と言われている。
もちろん策敵機の遅れも大きい。これを含めた敗北というのが正しい見方ではないか?

82 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/23(木) 17:24:42
【戦争奇譚 〜日露戦争時の美談〜】

旅順陥落の20日程前のこと、二龍山保塁から第九師団の工兵隊陣地前にハンカチで包まれた石が落ちてきた。
「敵の罠かもしれないが、そんな卑怯な真似もせんだろう。」
ということで拾って見ると、5ルーブル金貨二枚とロシア語で書かれた手紙があった。
司令部で翻訳してみるとそこにはこのような内容の事が書かれていた。
「包囲軍将校に懇願する。次の電報をたった一人の母に発信していただきたい。
本文:私は元気です。どうか安心してくださいませ。ピョートル。費用は同封の金貨でお願いします。」
これを見た大島師団長は「母親を安心させてやろう。」と指示をする。
費用は足りなかったものの上海経由で発信し、その旨を石にしばって保塁に投げ入れさせた。
すると、また返信が届いた。「わが母とともに厚く感謝する。」

【戦争奇譚 〜平将門の祟り〜】

戦後、進駐してきたGHQが平将門の祟りにあったという話。モータープールを作ろうとして将門公の首塚を壊そうと
したら、ブルドーザーが横転したり、関係者に事故、関係者に病気がついて回ったりと、怪異が続いた。
また同様の話は、羽田の鳥居にもあった。滑走路を拡張しようとして鳥居を壊そうとしたら、やっぱり怪異が続発。
このときはアメリカ軍の戦闘機が、金色に光るキツネに追跡されたとか。


【戦争奇譚 〜早すぎた埋葬〜】

第二次世界大戦でヨーロッパで戦死した人たちを集団埋葬して、その後、死体調査の為にもう一回掘り起こした。
するとその棺桶の内側に引っ掻いたり、かじったような跡があったという。
それらは生きたまま埋葬されてしまった模様。

また日本には、人間魚雷「回天」は特攻用の小型潜水艦というのがあった。
だがこれは作動不良も多く、出撃しても沈んでしまうとも少なくなかったという。
その場合は、海底で酸欠で死ぬのを待つだけになる。

イ33号潜水艦の話も有名である。この潜水艦は、戦時中に訓練中の事故で沈没してしまった。
戦後になり引き揚げた時、何と一区画だけ浸水を免れてたことが分かった。
だから、沈んでから絶命するまでのシチュエーションが、そっくりそのまま潜水艦内に残っていた。
その区画では、乗員がベッドで眠るように死んでいた。
酸素の消費を抑えるために、恐怖心と静かに戦った末に、そのまま絶命したらしい。
1人だけ首吊り自殺。1人だけ残って耐えられなくなったのかもしれない。
死体の状況は、死後も爪と髪の毛が伸びた痕跡があった。髪は5pほど、爪は1pも伸びていた。
皮膚は真っ白で口の中は真っ赤だった。酸欠状態だから菌の活動もあまりなかった。
だから、こんな法医学の常識に反するようなことになったのだろう。

83 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/23(木) 17:26:29
【戦争奇譚 〜富士樹海の怪異。レンジャー部隊員が遭遇したもの〜】

自衛隊にも精鋭部隊がある。常設部隊ではないのだが、それはレンジャー部隊で、訓練は実にハードで有名だ。
その中でも一番に過酷な訓練は、富士の樹海の突破だ。最低限の食料と休憩であの樹海を歩いて突破するのだ。
ところでこの訓練だが、「出る」ので有名だという。
訓練の途中、いきなり雰囲気が張りつめたものになり、隊長が最後尾の新任隊員に
「絶対に後ろを振り向くんじゃないぞ」と釘を刺した。
だが、そう言われると、どうしても後ろが気になってしまう。
結局、誘惑に負けて後ろを見ると、疲れた表情の背広姿の男がついて来ていたというのだ。
現場は、その手の装備と類い希なる体力があって初めて歩くことのできる過酷な環境だ。
背広姿の、それも疲れきった男がついてこれるはずがない。なのに、いつまでもピッタリとついてくる。
だが隊員が森を出る頃には、その背広の男もいつの間にか消えていたそうだ。
またレンジャー部隊の訓練では、途中で自殺者の死体に会うことも珍しくないという。
富士の樹海とはそういう場所なのだろう。


【戦争奇譚 〜八甲田山の怪異〜】

「新耳袋 第四夜」の146ページに載ってる話。大学生4人が八甲田山をドライブしていた。
すると、調子のよかったエンジンが、突然にエンストを起こしてしまう。
何だ、と首を傾げてると、「ザッ、ザッ、ザッ、ザッ」と大勢の男たちが、闇の中から現れた。
全身黒ずくめで帽子を被ってるようで、顔だけしか見えない。
大学生4人は、アクセルを何度も踏み込んで、やっと脱出できた。
ようやく下宿にたどり着いて4人で震えてると、またしても足音が聞こえてきた。
足音は下宿の扉の前で止まったかと思うと、ぬぅっと男の顔が通り抜けて現れた。
男は6人。黒い明治時代の軍服を着ている。彼らは4人を取り囲み
「わしは、この男の右腕が欲しい」「俺は足が欲しい」「わしは左手」と話し始めた。
4人は、あまりの恐怖にその場で気を失ってしまった。
そして次の朝。起きると、泥靴の跡が、彼らを取り巻くように残っていた。(>>67


【戦争奇譚 〜残された母は…〜】

ある小さな村で、ひとりの青年に召集令状がきた。青年は年老いた母と二人きりで暮らしていた。
老婆は足が不自由で、ほとんど青年の働きだけで食べているような状態だった。
老いた母を置いてはいけないと青年は泣いた。
だが、逆らうわけにもいかず、南方に向かう輸送船に乗り込み、土を踏むこともなく船ごと撃沈された。
数年が過ぎ、戦争が終わった。村人たちのあいだで、あの老婆はどうなったのだろうという話がでた。
いまさら様子を見に行くのは怖いのだが、放っておくわけにもいかないだろうということで、代表してある村人が、
村はずれにある老婆の家に訪ねていった。
なんと老婆は生きていた。痩せこけて、目とあばら骨が飛び出たような姿で生きていた。
一歩も家の外にでる事もできず、床を剥いで、赤土をけずりとってそれを食べていきていたという。

84 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/23(木) 17:28:13
【戦争奇譚 〜アテルイの怨霊は何故存在しなかったのか?遷都と怨霊について〜】

民俗学者の小松和彦氏「鬼の造った国日本」より。
791年の平安遷都が何故行われたか、その前の長岡京が建設途中で何故、廃棄されたかは諸説あるが、
早良親王(さわらしんのう)の怨霊を恐れた、という点では諸説とも一致している。
つまり、怨霊を恐れて遷都した、というのだ。

当時の日本では、無念の思いを残して死んだ人は怨霊になるというに考えが存在していた。
その怨霊への恐れが遷都を行わせ、平安京を造らせた(だから都の名を『平安』としたという説もある)ということになる。
ちなみにこうした怨霊への恐れから、平安時代は保元の頃まで(武士が台頭するまで)死刑は行われなかったそうだ。

しかし平安京を造った桓武天皇は、このように早良親王の怨霊におびえながらも蝦夷(東北)征伐も行っている。
その際、降伏すれば助命は約束すると騙して蝦夷の首長「アテルイ」を捕虜にし、だまし討ち同然に死刑にした。

ここで疑問が一つ出る。「アテルイ」は怨霊にならないのか、という疑問だ。
桓武天皇は、早良親王の怨霊を恐れて平安京をつくった程に怨霊を恐れていたのだ。
それなのに桓武は自分が死刑にしたアテルイが怨霊になるとは考えていなかったのだろうか。

結論から言えば、桓武はアテルイが怨霊となるとは考えていなかった模様だ。
当時、蝦夷(東北)は日本とは考えられておらず、すなわち外国だった。
当然アテルイは桓武たちから見れば外国人となる。
また当時の考えでは、外国人は怨霊にならない、もしくはあるいはなりにくいと考えられていたのだ。
これはちょうど、キリスト教徒には『奇跡』は起こるが、異教徒には『奇跡』は起こらないというのと似た発想である。

ある民俗学者は、日本の文化や思想のことを、怨霊を恐れる「怨霊教」である、と言う。
キリスト教徒だけが悪魔を恐れるように、日本の文化や思想では怨霊をおそれるのではないか、と。
日本は長い歴史の中で、様々な宗教を自国に取り入れてきたが、これら仏教や道教、キリスト教など渡来の宗教は、
結局のところ怨霊を防ぐための「技術」として導入したのではないか、と見られている。

85 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/23(木) 17:30:06
【戦争奇譚 〜彼岸の祖父母の声〜】

太平洋戦争の南方戦線での話。
部隊からはぐれ、道に迷った兵士がジャングルを彷徨ってると、懐かしい声が聞こえてきた。
耳をすませると、亡くなった祖父母や親族の声ではないか。
喜んで声の方向を目指すと、はたして彼らの姿が見えてきた。
なぜかジャングルの中なのに、一角だけ日本家屋の部屋のようになっている。
そこで車座になって、懐かしい面々が団らんしてるのだ。
「オレも仲間に入れてくれ」と兵士は喜んで言った。
すると、彼らは話をピタリと止めて、こちらに怪訝な表情を向けた。
そして「お前がここに来るのは、まだ早い。日本に戻れ」と言う。
兵士が「嫌だ。オレもそこに行く」と我を張ると、祖父が「駄目だ。帰れ!」と一喝。
そして、彼らの姿は、ジャングルの闇の中に消えてしまった。
その元兵士は。「あのとき、団欒に加わってたら、今頃、どうなってたんでしょうね」と言っていた。


【戦争奇譚 〜船霊(ふなだま)〜】

阿川弘幸の「暗い波涛」という小説より。船には「船霊(ふなだま)」っていうのが住んでいるという。
そして住んでいる船が沈む直前になると、船霊は船から抜け出す。
トラック諸島で日本海軍が壊滅的打撃を受けた後、
「そういえば、ゆうべ白い着物を着た女が船から出て行くのを見た」と証言する乗組員が、あちこちの船で続出した。
なお、このことは同氏の「軍艦長門の生涯」でも、この船霊信仰は紹介されている。
船霊信仰では、木をくりぬいて作った舟型の中に、船霊をかたどった紙の人形と五穣をはじめ供物を詰めて密封し、
船室に祀る。これは現在でも一般的な慣習である。


【戦争奇譚 〜航空母艦USSホーネットに出現する幽霊たち〜】

カリフォルニア州アラメダでの話。
第2次世界大戦やベトナム戦争で活躍し、現在は米カリフォルニア州アラメダで博物館として係留されている
空母「USSホーネット」に亡霊がすみついているといううわさが後を断たない。
「ドアが目の前でバタンと閉まった」、「冷たい一陣の風がどこからともなく吹いてきた」、
「奇妙な音や、第2次世界大戦中のユニホームを着た歩哨を見た」など、6年前に「退役」したUSSホーネット内で
働く職員やボランティアらによる「亡霊目撃」通報は、これまでに約数百件を数えるという。
この幽霊話を全く信じていなかった博物館の運営を監督するボブ・フォーラーさん自身も、船中で働くようになってから、
カーキーの軍服を着た兵士を数回見かけたと話している。
関係者によると、戦中にUSSホーネットで死亡した兵士の数は約300人という。


【御巣鷹山日航機123便墜落事故】

日航機が墜落したときに、現場に死体回収のために派遣された自衛官たちの話。
現場捜索に出動した自衛官がそこでキャンプを張ることになったのだが、山の中であり斜面だから寝る場所がない。
仕方ないので、近場の木に体を縛り付けて寝たという。すると、彼らは不思議な夢を見た。
飛行機が墜落した場所から大勢の人が山を降りてこちらに向かってくる、というものだ。
次の日の朝、仲間に「昨夜、不思議な夢を見たんだけど」と話したら、「実は俺も見た」という奴が続出したという。
みんな、そろって同じ夢を見てたいたそうだ。
結局、乗客のみんなが、山を降りて自分の家に帰って行ったんだろう、と妙に納得してしまったのだという。

86 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/23(木) 17:38:36
【戦時奇譚 〜戦時下の菓子メーカー〜】

戦時中は覚醒剤入りのキャラメルを配布していたというが、覚醒剤の錠剤その物を配ってたこともある。
本土の臨時軍需工場になった町工場や学校は女子工員達が仮眠数時間で飛行機の部品作っており、
そこにバケツ一杯の白い錠剤が在って「眠気が出てきたらり疲れが出てきた場合はこの錠剤を服用するように」
と言われて作業をさせいてた。
だが、女子工員たちは、この覚醒剤が全然効かないってぼやいてた。
グリコが戦時下覚醒剤入りキャラメル製造したなんて大騒ぎするほど珍しい事ではない。アメリカではコカコーラ
工場がその物ズバリ、「コーク(麻薬の方)」の製造工場になっていた。
ディズニーはプロパガンダ映画・アニメを堂々と製作し、徴兵逃れやっていたのは有名だ。
子供に夢を与える菓子メーカーやディズニーも、戦争の影響からは逃れ得なかったわけだ。


【戦争奇譚 〜「幻の虎(ティーガー)」〜】

1945年4月20日の濃い霧が立ち込めたある朝の出来事。
敗色濃いナチス・ドイツの重戦車が妙なかたちでアメリカ戦車隊に襲いかかった話について。
あるフランスの小村にさしかかったアメリカM4戦車隊のまえの家の物陰にティーガー2が隠れているのを発見した。
すぐさま航空支援を無線でたのみ、M4たちは扇状態に展開し、テーィガー2の側面を攻撃しようとした。
だが68トンの重戦車のまえにM4はつぎつぎと撃破されていった。
濃い霧のため航空支援もままならず、戦闘爆撃機がきたころにはM4は全滅していた。
かろうじて脱出したM4の乗員は、その重戦車のコマンダーズ・キューポラに子供が一瞬、顔をだしたのを目撃した。
その子供は14、5くらいだったという。また弾薬輸送車のsdk251には老人がいたという。
ティーガー2は貴重な戦車であり、この戦略的に、なんの価値もない村になど配備したことはない。
ただ、この村がアメリカ軍の空襲で壊滅したことは事実だった。
この交戦記録はアメリカ軍の記録にはあり、ドイツ側には、もちろん無い。
そのためこのティーガー2については「幻の虎(ティーガー)」と呼ばれた。
空襲で死んだ人々の霊ではないかといわれている。
新谷かおる「戦場ロマンシリーズ」に、これと似たような話が掲載されている。


【戦争奇譚 〜戦場のグールー〜】

スターリングラードでは、包囲されたドイツ兵の一部が人食い(グールー)化した。
それを退治するために貴重な弾薬を割かなければならなかった。
またフィリピンでの話。人喰ってる連中は、見れば分かったらしい。
みんな敵に追われて食うや食わずで、幽霊みたいな顔してるのに、人食いの連中だけはつやつやだったという。
しかも何とも言えない目付きをしているらしい。「ありゃ獲物を狙う目付きだった」とのこと。
戦艦武蔵の生き残りの人(海軍の人)が、相当数やられたらしい。
海軍の船乗り連中は歩き慣れてないから、狩やすかった。
なお、戦史から離れるが、遭難者が人を食い合う事例に付いては、
「復讐する海−捕鯨船エセックス号の悲劇」と言うのが参考になる。(>>44


【戦争奇譚 〜狂気の戦場とグールー〜】

南方の戦線で、どの戦場でも後先考えずに突撃を繰り返す小隊があった。
その小隊は、少し狂った小隊長の命令が指揮する部隊で、部下たちはそれに従っていたに過ぎなかった。
結局その小隊は、とうとう小隊長と二等兵の青年の二人きりになってしまった。
それでも小隊長は突撃の命令を出すものだから、二等兵の青年は遂に頭に来てしまった。
彼は小隊長を後ろから銃で撃ち殺してしまう。
その後二等兵は、小隊長の死体を解体し、乾し肉を拵えていたところを発見された。
この二等兵は銃殺刑になった。

87 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/23(木) 18:28:45
【戦争奇譚 〜最期に成し遂げた夢〜】

撃墜王として知られる坂井氏の著書で若い爆撃機パイロットの話があった。
このパイロットは、日頃から「俺は宙返りがしたい」って言ってた。
だが皆から「爆撃機で宙返り出来る筈ない」と言われてた。
ある日の作戦で、この若いパイロットの乗る爆撃機が攻撃を受けて火だるまになってしまった。
後は墜落か爆発するのみ。「もう駄目だ、助からない」と、皆がそう思ったその時だった。
火だるまの爆撃機は突然機首を上げるや、やや斜めながらも見事な宙返りを成し遂げた。
宙返りした爆撃機は、直後に爆発四散。若いパイロットは愛機と共に空へ散った…。


【戦争奇譚 〜不時着しても…〜】

ある日本軍機が攻撃を受けて海に不時着した。偶然、それを味方の偵察機が発見。不時着機の上空を旋回した。
不時着機のパイロットは最初、元気に手を振ってたのだが、そのうち必死に海面を軍刀で突き始めた。
「なんだなんだ?」と偵察機のパイロットは不思議に思って海面を見ると、海には沢山のサメが泳いでいたという。
その後改めてパイロットを助けに行ったものの、海には油が浮いてるだけだった。


【戦争奇譚 〜バロン西とウラヌス号〜】

硫黄島で力戦した第26連隊の「バロン西」ことロス五輪の馬術障害の金メダリスト西竹一と愛馬ウラヌスの話。
西竹一は硫黄島に着任するとき、年老いた愛馬ウラヌスの尻尾の毛を切り取り、ずっと胸に入れていた。
その後、硫黄島は玉砕し、西竹一は戦死。その死から3日後、ウラヌスも後を追うように死んだ。


【戦争奇譚 〜謝罪〜】

ある日、戦闘のために空母から戦闘機が何十機も発進していき、その殆どが撃墜されてしまったことがあった。
それから数日後の夜のこと、突然空母の格納庫に何人ものパイロットがやって来た。

整備兵たちは「御苦労さま」と思って声をかけようとすると、パイロット達はどうしたことか、みんなズブ濡れだった。
「あ、これはイカン!」と思い、整備兵たちは毛布や手拭を持っていこうとした。
すると整備兵の班長が「おまえら待て、なにもするな!」と叫んだ。
そのまま班長は直立不動の姿勢をとり、そのパイロットたちに向かって最敬礼をする。

整備兵たちは訳もわからず班長をみると、班長は敬礼したままボロボロと大粒の涙をこぼしていた。
「どうしたんですか?班長」と、ある兵隊が聞くと、
「お前たちわからんか?あの方達はXX少尉とその小隊の方達だ!」と言う。

「!」それを聞いて整備兵たちも、すぐさま全員整列をして敬礼をし、そのまま動かなかった。
そう、そのパイロット達は先日出撃して、みな撃墜された小隊の人達だったのだ。
整備兵たちが全員並んで敬礼しているのに気づいたパイロット達は、只だまって深々と頭を下げた。
そのまま格納庫からゆっくりと消えていったという。

「班長、今のはいったい?」と、兵隊がきくと、班長はあふれる涙をぬぐいもせず、
「無念だったのだろう、敵艦隊に攻撃する前にみな撃ち落とされ、死んでも死にきれんのだろう。
大事な機を壊し、一生懸命整備をした俺達に謝りに来たのだろう。」と言った。
パイロット達はみな18から25才くらいの若者だった。

88 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/23(木) 18:30:02
【戦争奇譚 〜あるフィクション〜】

前線の粗末な基地にたどりつくと、すでに連隊の姿はなく、残された日記には以下の内容のことが書かれていた。

 今日とうとう軍医が発症した。軍医を射殺後、我々はここを放棄する。
 今や我々は日本軍からでなく悪魔の仲間から身を守らなければならなくなった。
 運よく味方に巡り合えばいいが、たとえ日本兵でも、人間からの攻撃で死ねるのなら幸せかもしれない。
 ジョニーとロニーの家族に遺品を渡したいが、彼らの最後の姿をどう話せばいいのか?
 とにかくここを出よう。海沿いの道を行けば友軍に会えるかもしれない。

ベッドには軍医らしき遺体が残されていた。
だが、奇妙なことに頭を撃ちぬかれた後、体をベッドに括り付けられていたのである。
死者が蘇るとでも言うのであろうか?
あたりには銃弾の散らばった跡と、何かに火をつけた跡が残されていた。
その後、他に3体ほどの死体を確認。名称は不明であったが、体じゅうに銃弾を撃ち込まれた後に焼却されていた。
もはや味方同士で殺し合いを行ったことは明らかである。
さらに不思議なのは、なぜ彼らはわざわざ死体を焼却したのだろうか、ということだ。
最前線では、ガソリンは大変な貴重品である、にも関わらずそれを用いてまで焼却する理由が分からない。
もし死体が出たのなら、遺品を預かった後に土に埋めるのが自然なやり方である。
日本兵と戦っているうちに、彼らの火葬の風習に感化されたというのであろうか?


【戦争奇譚 〜母の執念〜】

沖縄地上戦での話。ある母子が連合軍の艦砲射撃から必死で逃げていた。
そのときどかからか砲弾の破片が飛んできて、一瞬で母親の首から上を吹き飛ばしてしまった。
だがその母親は、赤子をおぶったままで、首のない状態で1分ほどその場に立っていたそうだ。実話。


【戦争奇譚 〜九死に一生〜】

英戦艦P.O.Wとレパルス攻撃に参加したある爆撃機操縦手について。
彼には危機一髪のところで死線を乗り越えてきたエピソードがいくつもあった。
ある任務で飛行中に突然エンジントラブルに見舞われるも、すぐに正常な状態に戻った。
しかし速度が落ちてしまったので味方の一式陸攻が自機を追い越すかたちとなった。
だがその直後、前方に出た味方機は米戦闘機に撃墜されてしまった。
もしエンジン不調がなければ、自分が撃墜される側になっていたとのこと。
また台湾に向けて夜間飛行中、不時着をすることになってしまった。
そこで砂浜らしき場所に勘をたよりに接地すると同時に機体は反回転して停止した。
一瞬、意識を失ったが気がついて地面に降りて周囲を見ると、そこは「コ」の形に断崖絶壁のような場所であった。
しかも乗っていた飛行機がギリギリ入れるくらいの砂浜だったのでしばらく呆然となった話など。

零戦パイロットでは岩本徹三氏が敵弾を操縦席に受けた話があり、中国戦線では真正面の照準器に命中し、
数ミリの差で即死をまぬがれた話がある。また台湾沖航空戦で背部からの射弾が座席をつきぬけたが、
落下傘の金具で留まっていたおかげで負傷をまぬがれたエピソードがある。
(加藤隼戦闘隊のパイロットにも落下傘の金具で助かってる人がいた)

89 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/23(木) 18:30:50
【戦争奇譚 〜ニューギニアに棲むUMAたち〜】

ニューギニアから生還した陸軍兵の話。
ニューギニアに駐留中、食料とすべく魚を捕る時に手榴弾を海に投げ込んで爆発させ、捕らえていたという。
その時、手足がヒレで、体がスベスベした大きいワニがたまに捕れ、焼いて食べたら、大変美味しかったそうだ。
どういうわけかニューギニア方面に派遣された兵士の体験談の中には、こうした怪物、怪獣の目撃談が他戦線と
比較してかなり多く含まれているのだ。
戦後、部隊史などをまとめるために行われた聞き取り調査や、新聞社などが発行したドキュメントなど、
ある程度公式な性格を持つ資料の中にも、似たような体験が多く記録されている。
その中でも特に多いのは、爪と長いくちばしを持つ大コウモリ、足が鰭化している巨大ワニだ。
当時、古代の爬虫類の外観がどのくらい普遍的な知識だったのかは不明だ。
だが申し合わせたように、この二種の目撃談は頻出する。
中には、実際に被害が出て任務として退治しに行ったなんて話もある。
それが未知の動物かどうかはともかく、そこには何かがいたのかもしれない。
ちなみにこの手の話は現地の人たちも良く語るのだが、彼らは渡来した人々が持ち込んだ話や戦争の風景も、
神話や実体験として扱ってしまうので、参考にはならない。


【戦争奇譚 〜伝えてほしい〜】

戦時中、陸軍歩兵だったAさんの話。Aさんが南方の島に居た時、部隊からはぐれてしまったことがある。
周囲は密林で方向なんてまるで分からない。焦って仲間を探すも、人の気配は皆無。
それどころか、歩けば歩く程、密林の奥へと進んで行っている錯覚に陥ってゆく。
やがてAさんは歩き疲れて大木の根本に腰掛けた。

「このまま俺は死んでしまうのか」と、そんな事を考えてると、大木の反対側で、何やら人の気配がする。
おそるおそる暗闇に目を凝らしてみると、そこには味方の兵士がいた。聞けば、その兵士も道に迷ったらしい。
とにかくAさんは味方の兵士が居る事にホッとし、同時に心強く感じたそうだ。

Aさんは、その兵士と身の上話などをしたのだが、その兵士はしきりに
「俺は帰れそうにないから、俺の家族に宜しく伝えて下さい」と言う。
Aさんは「何を馬鹿な、一緒に帰ろう」と返すが、相手は「伝えて下さい、お願いします、お願いします…」と繰り返すだけ。
とうとうAさんも折れ、「じゃあ、帰ったらお互いの家を訪ねよう」という条件で住所を交換した。

さて、それから暫くして彼は、運良く通りかかった味方の一団と合流出来た。
助かった、と思ったAさんが、ずっと話し相手をしてくれていたその兵士に声を掛けようとした。
だが、大木の後ろにはどういうわけかあの兵士は居なかった。

結局終戦になって引き揚げてきたAさんは、何年か経ってから約束を守るべく相手の言ってた住所へ出向いた。
その住所には、確かに密林で話した味方兵士の家族が居た。
けれど家族によれば、Aさんと話した人物はAさんと話すよりかなり前に、戦死した事になっていた。
結局、何故彼が縁もゆかりも無いAさんに「宜しく伝えて欲しい」と言ってきたのかは不明だった。

90 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/23(木) 18:32:09
【戦争奇譚 〜佐久間大尉の遺書〜】

日本軍の潜水艦を引き上げたら、乗員は取り乱さず眠るように亡くなっていたという話。雑誌『丸』より。
そこには艦長の遺書が遺されていて、そこには以下のような文章が書かれていたという。
「大事な御国の艦を沈没させて申し訳ない。しかし、部下たちを責めないでいただきたい。
総員全てが沈着冷静に行動し、一切乱れることなく任務を全うした。
沈没における全ての責任は艦長である私にある。部下たちの遺族には、どうか手厚い保護をしていただけますよう」
潜水艦乗りの鑑としか言いようのない最期に、日本国内の軍人たちが敬意を表したのはもちろん、
世界中の軍人たちからも讃えられている、とありました。(おそらく佐久間大尉のこと)


【戦争奇譚 〜生き残った艦長、船員たち〜】

戦艦霧島の艦長である岩淵三次。戦艦霧島は第三次ソロモン海戦にて損傷を受け、霧島は自沈処分された。
だが艦が沈んでも生き残った艦長というレッテルを貼られた岩淵は、日本に帰っても内地勤務という監禁状態だった。
一方戦艦武蔵の生き残った乗員はフィリピンの山奥に監禁された。
最後は上陸してきた米軍戦車相手に爆弾背負って特攻させられたという。
武蔵乗員の生き残りが殆どいないというのはこのせい。


【戦争奇譚 〜水戸歩兵第二連隊〜】

昭和19年11月14日の夜のことだった。
水戸歩兵第2連隊で突如営門が真一文字に開き、同時に進軍ラッパが遠くから響いてきた。
衛兵が警戒して見ていると、一個連隊ほどの部隊が行進してくる。
その先頭で連隊長の中川大佐が馬に乗り抜刀。
それに兵士が無言でついて来る衛兵司令は直感的に「捧げ銃」を命令。
衛兵が不動の姿勢で出迎えると、営庭の途中で部隊の姿が掻き消すように見えなくなった。
その日はペリリュー島の戦いで村井少将と中川大佐が自決。
生き残りが最後の突撃を敢行、玉砕した日だった。
この時点で玉砕は誰も知らされていなかった。なお水戸の連隊は士気が高かったという。(>>64


【戦争奇譚 〜硫黄島への天皇陛下の行幸〜】

硫黄島は「幽霊話」が多いという。
だが、平成の世になり、天皇皇后両陛下が平成6年2月、硫黄島に行幸してから幽霊出没激減したという。
それもそのはず、天皇皇后両陛下の短歌は栗林中将、市丸少将への返歌となっている。

 ・天皇陛下 御製
  精根を 込め戦ひし 人未だ 地下に眠りて 島は悲しき
 
 →・栗林忠道 陸軍中将
  国の為 重き勤めを果たし得で 矢弾尽き果て 散るぞ悲しき

 ・皇后陛下 御歌
  慰霊地は 今安らかに 水をたたふ 如何ばかり 君ら水を欲りけむ
 
 →・市丸利之助 海軍少将の硫黄島での短歌
  スコールは 命の水ぞ 雲を待つ 島の心を 余人は知らじ

91 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/23(木) 18:34:09
【戦争奇譚 〜偵察機〜】

偵察機で米艦隊の偵察を行った海軍航空隊の少尉の話。
少尉はこのとき、敵船団を発見したが、自分も見つかってしまい、敵艦艇から集中砲火を浴びた。
激しい砲火の中で、これは駄目だと思った時だった。
突然友軍機が一機傍らから現れ、敵艦に向かって機銃掃射をしながら突っ込んでいったという。
その友軍機はどこのものかは、そのときの少尉には分からなかった。
だがとにかく少尉はその友軍機のおかげで集中砲火を上手く免れることができ、帰還することができたという。
さて、少尉が無事帰還すると、艦には少尉が搭乗した偵察機の他に別に偵察機が一機あったのだが、
その偵察機が命令なく発艦したらしく騒ぎになっていた。
後に乗員点呼を行っても誰も欠員がいないという。結局その偵察機に誰が搭乗したのかはわからずじまいとなった。
ともかく少尉はそのおかげで命拾いしたが、少尉本人も含め、後々までみんな不思議がっていたという。
結局もう一機の偵察機は、その後も帰ってこなかった。

当然であるが、偵察機は敵に見つかると徹底的に狙われる。
相手に自分の艦隊の位置を知られるのを防ぐためだ。
万が一艦砲射撃から逃げられても、その直後に発進した敵機の猛追跡を受けて狙われるという。
また敵に発見されて逃げるときも、下手に自分の搭乗艦の方に真っ直ぐ逃げてしまうと、
逆に敵に友軍の位置情報を教えてしまうことになる。
そのため偵察機は敵機に発見されると、元々速度を優先で殆ど弾薬を積んでないこともあり、
とにかく燃料ぎりぎりまで、追跡を避けるのにコースを変えながら逃げるように帰艦することになる。
そのため偵察任務はストレスによる体力消耗が激しく、一度の出撃で体重が3Kgも減ることがあるらしい。


【戦争奇譚 〜人間魚雷「回天」〜】

回天とは、あまり知られていないが人間魚雷だ。
中に人が乗り込んで操縦し、敵艦に体当たりして自爆するための特攻兵器である。
ある夜中、潜水艦のドックにて人の気配がした。
年輩の整備兵が「誰だ?」と誰何すると、そこには回天で特攻したはずの少年兵がいた。
驚く警備兵に対し、「今度は見事敵艦に体当たりしてみせます」と告げる彼。
そんな彼に整備兵が「もういいんだ。二度も死ぬ必用はない」と答えると、姿を消してしまった。
なお、回天はその構造と米軍のレーダー技術の発展などで目立った戦果を上げることができず、
120本程が実践投入されたが、戦果はわずか撃沈4隻撃破5隻と非常に少なかったという。


【戦争奇譚 〜白骨の精霊〜】

南方の原住民調査のためにN氏は、かつての激戦地ニューギニアの山中に入った。
原住民と仲良くなり一緒に生活しているうちに、日没後は彼らが山の中に決して入ろうとしないことに気づいた。
「なぜ、夜は山に入らない?危険な野獣とかいるのか?」
とのN氏の問いに、原住民は、
「野獣はともかく、とにかく気味が悪い。姿は見えないけど、あちこちから意味不明の人の言葉が聞こえる。
でも人の姿はやっぱり見えない。白骨はいっぱいあるから、あれはその白骨の精霊だと思う。
夜の山は生きた人が入る場所ではない」と答えた。
「意味不明の言葉ってどんな?」とN氏が問うたところ、原住民は
「『ガヌバレ』『シカリシロ』と聞こえる。私たちの言葉ではない」と答えた。
N氏は「さもありなん」と感じ入ったそうな。

92 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/23(木) 19:28:02
【戦争奇譚 〜女の船霊(ふなだま)〜】

太平洋戦争中、日本海軍の海防艦2隻が台湾海峡付近を航行していた。
ある晩、片方の海防艦の乗組員が僚艦の甲板の上を松明を持った巫女が走り回っているのを目撃した。
しばらくすると、その巫女は海の中に飛び込むようにして姿を消した。
目撃した乗組員は「何かの見間違いだろう」ということで僚艦へは連絡をしなかった。
夜が明けると、昨晩巫女さんが走り回っていた海防艦の姿が見えなくなっていた。
無線で呼びかけても応答がなく、夜のうちに何らかの原因で沈没したのだろうと言うことになった。
古来から、船には女性を乗せてはいけないという話はある。
船は女であるため、船に女性を乗せると嫉妬するという説明や、船魂が女性だからという説明のされ方をされている。
現実には男性だらけの船の中で、船員たちの風紀が乱れるから、と言われている。


【戦争奇譚 〜消えた一個大体〜】

1943年にニューギニア戦線で、米軍を上陸時に迎撃するため作戦行動中の日本軍一個大隊(1000人以上)が
忽然と消えてしまった。未だに遺品の一つも出て来ない。


【戦争奇譚 〜原爆投下機を監視していた謎の物体〜】

広島に原爆を落としたB−29を観察していた謎の物体の話。
8月6日、前1時27分、Mk-1核爆弾リトルボーイを搭載したエノラ・ゲイがタキシングを開始し、
1時45分にA滑走路の端から離陸した。
午前6時30分、四国上空においてエノラ・ゲイのレーダー迎撃士官ジェイコブ・ビーザー陸軍中尉が
レーダースコープに正体不明の輝点を発見。
通信士リチャード・ネルソン陸軍上等兵はこのブリップが敵味方識別装置に応答しないと報告した。
エノラ・ゲイは回避行動をとり、高度2,000m前後の低空飛行から急上昇し、午前7時30分に8,700mまで高度を上げた。


【戦争奇譚 〜艦砲射撃の凄まじさ^】

主砲の爆風で機銃員がふっ飛ばされたという話。大岡昇平氏の「レイテ戦記」から引用してみる。
「対空戦闘のため、主砲も三式弾という対空焼夷弾を発射する。
合図のブザーが鳴ると共に甲板上に増設された高角機関銃の射手たちは、適当な遮蔽物を見付けて
避難しなければならないのだが、戦闘中でブザーの音が聞こえなかったり、実際鳴らなかったりするから、
多くの者が海上に吹き飛ばされた。」
「空から降って来る人間の四肢、壁に張りついた肉片、階段から滝のように流れ落ちる血、
艦底における出口のない死、などなど、地上戦闘では見られない悲惨な情景が生れる。」

ちなみに大和を旗艦とする連合艦隊の沖縄特攻の際、連合軍側作戦機の損失は13機(空母帰還後破棄も含む)。
このときの沖縄特攻で大和は、斉射三回で計27発の三式弾を発射していた。
ちなみに航空機相手だと、照準が合わせられなくなるほど接近されると主砲の撃ちようがないから、
打ちまくるということは基本的に不可能だったのだ。
また、艦砲射撃の自艦の防空能力に干渉するので好ましくない。
例を挙げると、シブヤン海では武蔵が退避警報を出さずに主砲を発射したため、機銃員が大変悲惨なことになった。
(菊水作戦の時の大和では一応対策はされていた模様)

93 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/23(木) 19:28:49
【戦争奇譚 〜日本を戦争に導いた松岡洋祐〜】

毎年終戦記念日の時期になりますと、天皇家と靖国神社の問題が再燃します。
何故、昭和天皇は靖国神社参拝を辞めたか、この理由を知ると、今後も今上天皇陛下の靖国参拝は有り得ません。

まず、観えて来た光景は、終戦直後の昭和天皇とマッカーサー元帥との会見の模様でした。
おそらく、2回目か3回目の会談だと感じます。その時、マッカーサーから昭和天皇に明かされた情報がありました。
日本の大臣と大使の計2名と軍属の1名が、武器商社から超大金をスイス銀行に貰う見返りに
日本を戦争へ導くように誘導した事を教えられました。
ある一人の大臣が外国からの命を受けて、金銭により懐柔した他の2名を使用し、日本を戦争の舞台へ導いたのです。

これを聞かされた昭和天皇は深い衝撃を受けられました。
でもその時の昭和天皇にはまだ、その重臣達を信じたい気持ちが半分ありました。
その話を聞かされた後、マッカーサーとの記念写真を撮られたと感じます。
その時の陛下の目はショックの余り虚ろでした。

しかし、後年、色々な外国の経済界の重鎮や、戦争とは表面的には無縁な外国の貴族達から得た情報が
マッカーサーが伝えた内容を裏打ちする事が重なるに連れ、陛下は段々と確信を深められました。
また、戦前戦中に交わした、その重臣達との会話、その時の彼らの表情を思いだされては、裏切られた悲しみと、
任命した御自身の責任を感じ、国民と国土への深い慙愧の念に苦しまれたのでした。
この3名が合祀された靖国神社に、今上天皇が参拝する事は今後も無いでしょう。
昭和天皇の思いを聞かされているからです。

そもそもの始まりは、この大臣が若い頃にアメリカの大学へ留学した時に始っています。
その時ユダヤ系財閥の子息と知り合っています。
その後、彼はユダヤ財閥から学費の支援に始まり、官僚時代の出世の為の工作資金、
政治活動資金の全面的支援を受けて順調に出世したのでした。

時は流れ、ジュネーブ特別総会において日本の代表者として交渉を一任され、日本に有利に譲歩された
オフレコ案件を黙って一存で握りつぶして、逆に啖呵を切って国際連盟から日本を脱退させました。
これが後の太平洋戦争への布石と成っています。

戦後の昭和天皇の思いは、国民への謝罪だけでした。
敗戦後、直ぐにでも自害して責任を取ろうとされましたが、その度に明治天皇が現れて思い留まった様です。
「そんな楽な道を選んでは駄目だ」と。そして天照太御神の日輪を拝した時、自らの命と引き換えにして、
日本を再興させてから死ぬ決意をされました。それから日本全国を励ます旅に出られたのです。

日本が順調に復興を始めて、最後の願いが沖縄の返還でした。
戦争当時の沖縄国民の事を思うと、申し訳なさで昭和天皇の胸が裂ける様な痛みを感じられたとの事です。
沖縄返還の為なら、皇室の全財産を無くしても良いと考えられた様です。
この沖縄への思いは、今上陛下にも何度も伝えたとのことです。

また昭和天皇が取られた行動は、イギリスとオランダ訪問でした。
この時に昭和天皇は、世界には伏せられている、影の支配者に面会して、沖縄返還を願われたのです。
この時、皇室の保有する隠された金融財産の大半が無くなったと感じます。
その翌年、アメリカから沖縄が返還されました。その数年後にアメリカへは、御礼の旅に行かれました。
この時、ロックフェラー私邸に御夫婦で宿泊されたと感じます。
現在、影の支配者は、ドイツと近隣小国へ窓口を移動させているようです。

http://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/e/14f8cfe7ac5ee7ad3e3ea7d96fffd355

94 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/23(木) 19:30:34
【戦争奇譚 〜日本の敗戦が世界を救った?〜】

当時ヨーロッパのとある場所にいた一人の修道僧には予知能力があったという。
第二次世界大戦の勃発や国内のインフレなどことごとく的中させていたが、戦争終結以前に病没してしまった。
しかし、彼は最後に、第二次世界大戦後、すぐに第三次世界大戦がヨーロッパで始まり、
それまでの戦争とは比べ物にならないような災禍が訪れる、という予言を残していた。
それを生前に聞いていた者が、終戦後になっても戦々恐々と暮していたが、ついには戦争は起こらなかった。
もし修道僧の予言が本物ならば、どこかで歴史が変わったことになる。

そう仮定してみると、それは太平洋戦域の推移によるのではないだろうか?
例えハワイ作戦において真珠湾の燃料タンクを破壊し、ミッドウェーでの惨状もなく、レイテで栗田艦隊が反転せずに
マッカーサーもろとも輸送船団を壊滅させていたとしても、日本が最終的に連合国に勝利することはなかっただろう。
それどころか北と南から侵攻され、米ソによる分割統治が行われていた可能性もある。
だが広島と長崎に原爆が投下されたことで日本は無条件降伏を受諾した。
それは言い方を変えれば、玉砕戦術と神風をはじめとする特別攻撃による遅滞作戦で、
本土決戦の準備を整える構えが、米国に原爆投下の口実と決断を与えたことになる。
現にソ連の先制核攻撃による欧州進攻は実際に計画案まであったのだ。

つまり、日本国民の徹底抗戦の決意と多大な犠牲によって世界の歴史の流れは変わり、
結果人類は全面核戦争から救われた、と言ったら言い過ぎであろうか?

95 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/23(木) 19:43:46
【戦争奇譚 〜軍紀の乱れ〜】

戦争末期のビルマでは、ある二等兵が将校の制服盗み、それを着込んで軍需物資をだまし取って横流しし、
大儲けしたという話あった。一方捕虜収容所では、チェンジマスターと呼ばれる者が存在し、職人経験ある兵に
彫刻させたり、監視兵から嗜好品などを得て、捕虜の支給品との物々交換を仲介して儲けた人もいた。
後方の補給所では普通に物資を横流しして私腹を肥やした連中が多く、こういう輩は上級者に対しても態度が
大きく、制服どころか派手な格好にサングラスだったらしい。
前線で戦った人の手記には、これらの物資が正常に部隊に補給されていれば、戦局も大きく変化したであろうと
記されていた。


【戦争奇譚 〜特攻攻撃の成功率〜】

かつて特攻隊関係の本では、特攻攻撃の成功率は約16%だったと記されていた。
その本によると、初期の頃には20%以上成功していたのだが、終戦間近には8%程度まで落ちていたという。
だがそれはGHQ側による情報操作であったというのが、最近の見方である。
特攻攻撃の実際の成功率は56%という高いものであったということが、最近公開されたアメリカ公文書館の
資料で明らかになった。
http://www.heiwaboke.net/html/2006/11/15-02.dat.html


【戦争奇譚 〜戦死通知〜】

終戦まもなくのニュース映画から。最初は戦死通知を受け取っておいおいと泣く遺族。
するとそこに二通目の戦死通知が届いた。さらに遺族の元には三通目の戦死通知が届き、遺族も流石に困惑。
いい加減にしろよ思っていたところに、今度は戦死したはずの当の本人が帰ってきた。
ニュース映像の最後は、その本人が笑顔で自分の墓に立てられた卒塔婆を引き抜くものだった。

96 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/23(木) 19:45:00
【戦争奇譚 〜突然、敵と出会うと…〜】

夜、日本軍の偵察隊がパトロールしていると道に迷って見慣れない場所に出てしまった。
位置を確認しようと隊員が集まって地図を見ていたら、前方から数人の兵士が歩いて来た。
暗くて良く分からないがシルエットから米軍兵士だとわかった。
偵察隊は物資不足でこちらの武器は錆びた軍刀と小銃だけである。
相手はトンプソンやガーランドライフルなど高性能の武器でとても太刀打ちできるわけがない。
そのため偵察隊は何も出来ずじっとしていると、何故か米軍兵士も何もせず近付いてきた。
お互い敵同士だと分かっており顔は強張って偵察隊を睨んでいる。
しかし結局何ごともなくお互いに顔を見合わせたまま通りすぎていった。
しゃがんでいた隊長の尻に米軍兵士の足が当たった時、相手は「ソーリー、サー」とまで言ったという。

似たような話が西部戦線でもあり、後方に空挺降下した米軍部隊がドイツ軍と出くわした時、
お互いに全く戦う事なく道を譲り合ってしまったという話や、
戦闘中逃げ込んだ穴に敵兵士が入っていて無言のまま何時間も過ごした話などがある。
大きな戦争で徴兵された人間というは、当然普段から戦闘に慣れておらず、
特に初めて戦場に立つ時など過度の緊張状態に置かれいるために、こういう事が起きるらしい。
斥候なら班長が攻撃をさせない場合もあるが、夜間だと気づくのが遅れ、
見つけた瞬間ギョッとなって思考が停止したまま足は歩くのをやめない状態だったのか、
「自分が動けば相手も動く=殺される(良くて相打ち)」という心理が働いたのか。

一方マレー戦での出来事。
前線を偵察していた日本軍の斥候5名が、その帰り道に英軍兵士3名とバッタ リ鉢合わせしてしまった。
しかも相手は全員ステンMkUやブレン軽機を構え引鉄に指を掛けた状態だったのに対し、
こちら日本軍の方は持っていたのは全員小銃のみ。
しかも肩に担いでいた為すぐには応戦できる状態ではなかった。
そんな状態にで暫く睨み合った後、日本側の隊長が「ゴルァ!」っと一括した途端、
有利な状態だったにもかかわらず英軍兵は全員持っていた武器を捨て手を上げて降伏したんだとか。

97 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/23(木) 20:29:00
【戦争奇譚 〜カール・グスタフ・フォン・ローゼン伯爵 Carl Gustaf von Rosen(1909-1977)〜(1/4)】
@
青いスワスチカ。スワスチカとは早い話鈎十字、→「卍」のことである。
およそ60年ほど前に、挫折した画家志望のチョビ髭オーストリア人がいろいろと余計なコトをしてくれたお陰で、
今やろくでもないイメージのマークになり果てていることは、皆さんご存知の通り。お陰で今や「卍」マークが
ついているだけで規制の対象。ドイツ空軍機のプラモですら、現在では尾翼に描かれているマークが目立たない
ように構図に注意が払われている有様だ。最近では、「ナルト」の日向ネジの額のマークが、本来無関係である
のにアニメではただのクロスに差し替えられてしまったことが記憶に新しい。

しかしこの青いスワスチカは実はフィンランド空軍の識別マークであり、かの国においては国の独立を維持した
シンボルとして、格別の意味を持っている。
だが、昨今の規制のせいで目にする機会も少なく、このマークの背景にある物語も、日本では殆ど知られていない。
なんとも残念なことだ。そもそもなんでフィンランドはこの「卍」マークを識別マークにしていたのか?
これにはあるスウェーデン貴族が大きく関わってくる。予め断っておくが、実在の人物である。

時に1916年。ロシア革命をによりロマノフ王朝は倒れ、レーニン率いるボルシェビキが取って代わったものの、
国内戦やら諸外国の干渉戦におおわれまくっていた時期のこと。旧帝政ロシア領であったフィンランドは
悲願であった独立を果たすべく、名将グスタフ・マンネルハイム将軍率いる白衛軍が共産軍と熾烈な独立戦争を
戦っていた。
しかし、戦いはフィンランド側の劣勢。スウェーデンをはじめとする北欧各国は隣国の窮状を座視するに忍びず、
武器弾薬や義勇兵を送り込むなど援助を惜しまなかった。

その一方、もはや辛抱溜まらず、個人の資格・私費でフィンランド軍の戦列に加わった人々もいた。
その中に血気盛んなスウェーデンの貴族がいた。
彼の名は、エリック・フォン・ローゼン伯爵。十字軍騎士の流れを汲み、スウェーデン王室との繋がりも深い彼は、
「騎士は自ら馬を駆って、窮地にある人々を救うものだ!」と、当時まだ実用化からさほど時間の経っていなかった
飛行機・ツーリンDを私費で購入、自ら操縦して戦場に現れたのだ。

その時に彼が翼に識別マークとして描いたのが、この「青いスワスチカ」だったのだ。
エリック曰く「これはローゼン伯爵家に伝わる、幸運のシンボルなのだ」ということだった。
なにしろ当時のフィンランドのこと。他に飛行機などあるわけもなく、エリックは偵察やら銃撃やらまさに獅子奮迅の
働きぶりで前線にあり続けたらしい。そして地上のフィンランド軍兵士達は、翼に鮮やかに描かれた青いスワスチカを
見上げるたびに大いに勇気づけられたという。「おう、見ろ!また伯爵が飛んでるぜ!!」

そうして長い戦いの末に1918年5月内戦は終了。
ソ連邦は1920年12月14日、やむなくフィンランドの独立を認めて平和条約を締結ることとなる。
エリック・フォン・ローゼン伯爵は祖国に帰っていったが、フィンランドは常に前線で戦い続けた彼の功績を忘れず、
感謝と敬意をこめて彼の幸運のシンボル・「青いスワスチカ」を全軍の識別マーキングとして制定したのであった。
とまあそうしたわけで、ナチス党がかのマークを採用する以前からフィンランド軍はこのマークを使っていたわけだ。
しかし、ローゼン伯爵家のフィンランドとの関わりはまだ終わらない。

98 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/23(木) 20:29:51
【戦争奇譚 〜カール・グスタフ・フォン・ローゼン伯爵 Carl Gustaf von Rosen(1909-1977)〜(2/4)】
A
1939年、ソ連邦はフィンランド独立によって失った領土を取り戻すべく、国境付近に共産主義者による傀儡政権を
作りフィンランドに戦争を仕掛けてきた。一般に「冬戦争」として知られる戦いの始まりだ。
あきらかなソ連の侵略に対し国際世論は沸き立ったものの英米などの大国の姿勢は煮え切らず、
国際連盟がソ連に対し警告を発するもののスターリンが耳を貸す筈もない。
フィンランド軍総兵力を遙かに上回る兵員に機械化部隊に強大な空軍まで動員したソビエトに対し、
フィンランド軍は明らかに劣勢であった。

そんな状況にまたもや血を沸き立たせたスウェーデンの貴族がいた。
エリック・フォン・ローゼン伯爵のあとを継いだ息子、カルル・グスタフ・ローゼン伯爵である。
フィンランド独立のために自ら飛行機を駆って戦った父の勇気に倣い、
彼もまたフィンランドの窮地に駆けつけようと考えた。

しかし、父がフィンランドに出撃してからはや20年。さすがにただ飛行機で行けば良いというものでもない。
飛行機の性能もあがっているし、前回のツーリンDなんて複葉水上機ではただの足手まといだろう。
かといって最新鋭の戦闘機なぞ、いかに伯爵の威光をもってしても手に入るものではない。

そこでローゼン伯爵はどうしたのか?
「民間機に武装させて飛んでいこう」伯爵はアメリカのダグラス社の旅客機DC-2を購入、天井をぶち抜いて
旋回機銃座をつけ、座席を全部撤去。主翼と胴体に爆弾架をとりつけてしまった。
これでロシア人達にちょっとした爆弾の雨を一発お見舞いしてやろう、と言うわけ。

更に伯爵は怪しげな手管を駆使し戦闘機を二機購入。これで戦爆連合一丁あがり。
ロスケの戦闘機が出てきても怖くない。ただその戦闘機というのが、オランダ空軍で不採用になり長らく倉庫に
埋もれていた複座複葉戦闘機・オランダのコールホーフェンFK-52という、聞いたことのない戦闘機。
ハッキリ言って性能はゴニョゴニュであり、そもそもこの世に存在する機体はこの2機ポッキリという、
絶滅危惧種みたいなシロモノなのであった。ホントに大丈夫なのか伯爵?

そうして編成したものの、伯爵のDC-2は改造に手間取り、2機のKF-52が先に前線に送り込まれる形となり、
早くも伯爵の戦爆連合計画はほころびを見せ始める。
いよいよと伯爵がDC-2と共にフィンランドに到着したときにはすでにFK-52はどこぞの前線へ張り付けられていて
護衛戦闘機ナシ。鈍足の旅客機のみで白昼攻撃をかけるなど単なる自殺行為であろう。

それでも勇気と血液の温度に不足が無い伯爵、いささかも戦意を萎えさせない。
「戦闘機がいないなら、払暁攻撃をかけちゃる」まるであきらめないのであった
(ナンだか宮崎駿の『雑想ノート』に出てくる安松丸のもの狂いオヤジみたいだ)。

1940年2月夜、伯爵のDC-2は単機で出撃離陸する。
素人にしてはうまい具合にソ連基地上空に到達、低空から爆弾投下。
改造もムリヤリな上に(爆撃用の照準装置が無い)、操縦しているのも素人。何を爆撃したのやらさっぱりわからない。
しかし、タイミングが良かったのかまったくの奇襲となり、ソ連軍の迎撃機は1機もあがってこず、
しかも追撃機に捕捉されることもなく、伯爵のDC-2は無事に帰還。
成果は、まぁアレだったが、無事爆撃行を終えたのである。
この時も伯爵のDC-2の翼には「青いスワスチカ」が描かれていた。
結局、フィンランド対ソ連の冬戦争自体は第二次世界大戦の終結に伴い両国の間で講和条約が結ばれることとなる。

99 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/23(木) 20:31:46
【戦争奇譚 〜カール・グスタフ・フォン・ローゼン伯爵 Carl Gustaf von Rosen(1909-1977)〜(3/4)】
B
しかし、ローゼン伯爵の戦いは終わらなかった。
戦後彼はエチオピア皇帝ハイレ・セラシエの招きで空軍の近代化の任務についたあと、
スウェーデンの民間航空会社「トランスエア」で長く旅客機のパイロットとして勤務していた。
もう、DC-2で爆撃行などは若き日の思い出となり果てようとしていた(と思う)1967年、
またもやローゼン伯爵の血を滾らせる事件が起こる。

ナイジェリア内戦、俗に言う「ビアフラ独立戦争」の勃発である。
この内戦の勃発に至る経緯はあまりにも長くなるので詳述は省かせていただくが、北部部族を中心とする
ナイジェリア連邦軍のビアフラに対する封鎖と飢餓戦術は凄まじく、ビアフラ側に多数の餓死者が発生していた。

そんな光景を見て黙っている伯爵ではなかった。
彼はスカンディナビア教会派の組織した救援団に上級パイロットとして参加。
飢餓に苦しむビアフラへの食料と医薬品の空輸作戦の責任者となる。

この時既に60歳だった(この時孫もいた)のだが、伯爵の血はなお熱い。
自ら操縦桿を握り地面すれすれの低高度でDC-7を飛ばし、
ナイジェリア軍のレーダー網をすり抜けてビアフラへの食糧輸送に尽力する。
そんな無茶な飛行をしていたのは彼くらいのものだったが、
そうでもしなければビアフラに食糧を届けることが出来なかったのだ。

しかし、そんな食糧空輸を続けても連日餓死者が増え続けるビアフラの惨状。
一度に運べる量も人口に比べて圧倒的に足りない。
ごく一部、陸路で国際赤十字が送り込んでくる支援食糧が入って来ることがあるが、
途中ナイジェリア連邦軍の手が加わるために、ビアフラ側は警戒して口にする者はいなかった
(ナイジェリア連邦軍側は支援用の小児用粉ミルクにまで毒を混ぜていたと言う証言がある)。

遂に伯爵は決断した。「もはやこの惨状から人々を救うためには、ナイジェリア側の空軍戦力を片づけるしかない!」
考える人はいくらもいるとは思う。だが、ローゼン伯爵はそれを素晴らしいバイタリティで本当に実行に移してしまう。

だが無論スウェーデン王室と関係の深い由緒正しい貴族と言っても、
さすがに最新鋭の戦闘機なぞ手に入れられるはずもない。
しかし伯爵にはかつて民間機を改造して実戦参加させた実績があり、その経験は今回も活かされることとなった。
今回はサーブ社のプロペラスポーツ機、MF1-9Bに目をつけた。これはスポーツ機といっても小国での軍事利用を
想定した機体で、翼下に300キロ用のパイロンやロケットランチャーも装備可能なのだ。

本来、国際的に承認されていないビアフラに飛行機を売ってくれる国は無いのだが、伯爵はまたもや怪しげな
手管を発揮。ストックホルムにあったタンザニア大使館を窓口に、
「タンザニアにパイロット養成学校を設立するためにMF1-9B5機を購入したい」と、輸出交渉を開始。
本来軍用機ではないのでスンナリ輸出許可が下りると、今度はその機体をフランス空軍基地に空輸して
武装を搭載する小改造を施した上でタンザニアへ…向かうはずだったが、途中でローゼン伯爵は、
「実はタンザニアの養成学校は一時的にガボンに移転するので機体はそちらに運んでくれ」と輸送業者に連絡。
そこで降ろされた機体を「テスト飛行」と称してローゼン伯爵とその同志達が操縦し、
そのままビアフラへ持ち去ってしまったのだという。

なんちゅーか、マッコイじいさんを彷彿とさせる手際の良さだ。
前回のコールホーフェン戦闘機の時と言い、貴族を廃業しても多分ブローカーとして喰っていけそうな気がするなぁ。

100 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/23(木) 20:32:43
【戦争奇譚 〜カール・グスタフ・フォン・ローゼン伯爵 Carl Gustaf von Rosen(1909-1977)〜(4/4)】
C
伯爵らは1969年5月22日に最初の襲撃を敢行。
レーダーに写らない地面すれすれを飛んでナイジェリア空軍基地に到達、
ミグやらイリューシンやらを ロケット弾で破壊して気勢をあげる。
更に同じ日にもう一度襲撃を行うという熱の入れっぷりであった。

…もしかしたら、かつての「冬戦争」での経験が活かされていたのかもしれない。
しかし、5回ほど襲撃しただけで伯爵は参加をとりやめることになってしまう…本国にバレたのだ。
やむなく伯爵は帰国。その後もMF1-9B編隊は僅かな戦力で善戦敢闘を続けるものの、
秘密基地が発見されてしまい、ビアフラ空軍は再び泡と消えたのであった。

かくの如く、フィンランドでビアフラで、民間機をムリヤリ改造しては個人の資格で勝手に戦闘に加入し
「義を見てせざるは勇なきなり!騎士にも非ず!」を実践して世界を巡り続けたカルル・グスタフ・フォン・ローゼン伯爵。
彼はその後も信念を変えることなく縦横無尽に世界を駆けめぐったらしい。

そんな彼の戦いが終わりを告げたのは1977年11月13日のことであった。
彼は当時酸鼻を極めていたエチオピア内戦において、
軽飛行機による飢餓民への食料投下「エチオピアの爆撃」に従事していた。
そのために飛来したゴーデの街で、たまたまその町を襲撃したソマリア人ゲリラに襲われて死亡したという。享年67歳。

いざ彼の一生をかなり大雑把であるが振り返ってみると、なんだか出来の悪い娯楽小説の正義の味方のようだ。
しかも彼はどんな戦いでも無給のボランティアであったということも付け加えておく。
私は、彼のような人物はもっと多くの人々に記憶されるべき人物であると思う。
彼の翼を守った「幸運の青いスワスチカ」と共に。
http://anchoku.hp.infoseek.co.jp/vonlusen.html


【戦争奇譚 〜空を翔る伯爵、カール・グスタフ・フォン・ローゼン伯〜】

義勇兵で、天駆けるドン・キホーテこと、カール・グスタフ・フォン・ローゼン伯という人物がいた。
ソ連のフィンランド侵略に憤り、自費で戦闘機とDC-2改造爆撃機を買い込み、戦線に馳せ参じた空の騎士。
戦後は戦後で、救援機パイロットをやっていたビアフラ内戦で、ナイジェリアの飢餓戦略に再び憤り、
これまた自費で買い込んだ地面スレスレに飛ぶプロペラ練習機にロケットポッドを装着し、
Mig-21を地上撃破してのけた。

101 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/23(木) 20:33:48
【戦争奇譚 〜シュタウデッカーSS軍曹〜】

クルスク戦の時の話。シュタウデッカーSS軍曹のティーガーは中隊に合流すべく夜中に単独行軍していた。
その時、彼の真正面で小さな火花がちらついていたので、彼は即座に操縦手に停止を命じた。
そこには戦車がいる、と輪郭でわかった。相手の排気管から出た火の粉でどうにか衝突を免れたのだ。
シュタウデッカーか砲塔から飛び降り、その戦車に向かって、どうして真夜中にこんな所で、
のんびり構えて道を塞いでいるのかを怒鳴りつけようと詰め寄った。
一方、相手の戦車長は砲塔に立ってタバコをふかしていた。
シュタウデッカーの姿を見るなり、相手は物凄い驚く。
どうやらその戦車長は、自分の車両のエンジン音でティーガーの接近に気づかなかったらしい。
驚いたままその戦車長は、シュタウデッカーに向かって、気は確かか?と聞いた。
何とその言葉はロシア語だった。今度は逆にシュタウデッカーが驚き焦った。
自分は今、敵戦車の目の前でただ一人立っているのだ。
しかし彼は焦らず、恐怖心を抑えて、ベルトに付けていた手榴弾を取り出した。
それをソ連戦車の開いたハッチに投げ込み、自分は遮蔽物を求めて身を翻した。
そうしながらも彼は数メートル先に別のソビエト軍の戦車がいる事を確認した。
その直後、爆発音がして、最初の戦車の巨体が揺れた。
シュタウデッカーは自分のティーガーに警告しようと思ったが、指示する間もなく二つ目の戦車に飛び乗り、
同時にその戦車のハッチが開いた瞬間、また手榴弾を投げ込んだ。この戦車もまた戦闘不能になった。
その後行軍を続け、見事中隊を合流した。
こうして計2輌を撃破した功績を称えられてシュタウデッカーSS軍曹は第一級鉄十字章を受賞した。

【戦争奇譚 〜シュタウデッカーSS軍曹について〜】

クルスク戦で「ドイッチュラント連隊」の危機を救うために、シュタウデッカー軍曹はティーガー1両で
敵の戦車T−34を60両相手にするという無謀な事をした。
だがシュタウデッカーのティーガーは、戦線突破してきたT−34を瞬く間に撃破、2時間の砲撃戦のすえ17両撃破し、
ティーガーには損害なし。
敵は突破の術なしとして後退したが、軍曹はこれを追跡し、逃走したT−34を撃破し続けた。
徹甲弾を使い尽くした後は榴弾で射撃を続けた。
最終戦果は22両(「ドイッチュラント連隊」が斥候班出して確認をとらせた)。
そして彼は「ライプシュタンダルテ」師団の最初の騎士十字章授章の第一号となる。


【戦争奇譚 〜残された母は…〜】

戦艦武蔵の最期を書いた渡辺さんの回想で一つ。
渡辺さんが旧制中学の時に、村で戦死者がでた。母一人、子一人の貧しい家庭の一人息子が戦死してしまったのだ。
村人達が恒例通りさっそくその家に行き、おめでとうございますと祝辞を述べる。
始めは挨拶に答えていた母親だが、終いに耐え切れなくなり、
「何がオメデトウございますだ!可愛そうだと虫さえ殺せぬ五郎を無理矢理ツツ持たせて、
戦地さ連れてって、挙句殺しおって、何がオメデトウじゃー!」と絶叫。
これに色をなした在郷軍人会のオッサンが空気読まず反論。
「恐れ多くも陛下の赤子であるからには戦場で死ぬ事こそ誉であり…」
しかし母親には通じない。
「何が赤子じゃ!五郎はわしの子じゃ!今度の戦争で天皇息子が一人でも死んだか!」
これにはオッサン反論できず、赤面したまま黙ってしまった。
現場は微妙な空気になり村人は解散。この母親は、以後狂人のようになってしまい、数年後に亡くなったとか。

102 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/23(木) 21:11:26
【戦争奇譚 〜ドイツ第27SS戦争猟兵大隊第3中隊所属レミ・シュライネンSS一等兵〜】

6月26日、ソ連軍の戦車部隊が跨乗兵を乗車させて前線を突破し、
戦闘団の第27SS戦車猟兵大隊第3中隊の陣地へ殺到した。
ここでレミ・シュライネンSS一等兵は対戦車砲によりT34を6両を撃破して、敵を食い止めることができた。
4日後に再び敵の攻勢が発起された時、すでにシュライネンを除いて彼の分隊は全員死傷しており、
彼は撤退命令が出ているにもかかわらず、その場に踏みとどまってたった一人で照準・装填を行って砲撃を続けた。
しばらくしてソ連軍の歩兵部隊の大軍が押し寄せて来て絶体絶命となったが、海軍出身の無線手が死ぬ直前に
味方砲兵へ自軍陣地への砲撃を依頼していたため、敵歩兵部隊は壊滅状態に陥った。
しかしながら、その後方から敵は新型JS戦車を含む戦車30両が続いており、
ここにシュライネンとの劇的な一騎打ちが行われた。
ここでもシュライネンの神業的砲撃が勝り、JS戦車4両とT34 4両が撃破されたが、
最後のJS戦車は彼の対戦車砲の僅か30m手前で討ち取られたものであった。
彼は敵の砲撃で負傷して倒れたものの、その後の味方の反撃により擲弾兵の手で救い出された。
6月26日にT34を5両、30日にスターリン戦車とT34を各4両撃破。
http://yakouhai.seesaa.net/article/27319001.html


【戦争奇譚 〜逆に人生を楽しんで過ごした駄目軍人〜】

逆の意味で英雄といえば、よりによってD-Day当日の朝にパリの愛人宅にしけこんでいたという豪の者がいる。
第21装甲師団長のエドガー・フォイヒティンガー少将である。
彼は後に中将に昇進して騎士十字章までもらっているが、その後にD-Dayだけではなく、バルジの戦いの時も
作戦中に勝手に自宅に帰っていたのが発覚してしまった。
彼は逮捕され、兵卒に降格の上死刑宣告を受け、その後減刑されて砲兵として前線勤務を命じられる。
が、移送途中に脱走し、終戦まで隠れるのに成功している。
短期間の捕虜生活を送った後、戦後は軍需品メーカーのセールスマンになるが、
彼はここでも扱っていた物資を密かに東ドイツに横流ししていた。
最後にはその打ち合わせで東ドイツの情報機関員と会食中に心臓発作で死んだ。
軍人としては実戦経験がほとんどなかった彼。
党に取り入って出世したが、部下にオッペルン=ブロニコウスキーのような本当の勇者がいたために、
なんとかボロを出さずにいられたのだろう。
師団参謀にさえ回想録で、「あの人は人生を楽しむ事には熱意を燃やすタイプだった。軍人としてはダメだったけど」
と評価されてるくらいだ。

103 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/23(木) 21:13:41
【戦争奇譚 〜カール・グスタフ・フォン・ローゼン伯爵の武勇伝〜(1/2)】
@
カール・グスタフ・エリクソン・フォン・ローゼン伯爵(1909-1977)は、スウェーデンの初期の航空士である。
フィンランド独立戦争の際に自前の航空機で独立軍を支援したエリック・フォン・ローゼン伯爵(1879-1948)の
息子であり、ヘルマン・ゲーリングの妻であるカリン・ゲーリングの従兄弟でもある。

義勇航空兵としての活躍で知られる人物であるが、特筆すべきは、彼が参戦した戦いの大方において、
戦闘用の航空機材を自前の資金で用意した上で義勇兵として参戦している事である。

フォン・ローゼンは幼い頃から機械に興味を示し、ヘルマン・ゲーリングの影響もいくばくか受けて、
飛行機械に執り付かれたようになった。
ゲーリングは第一次世界大戦のエースであり、戦後の短い期間、
スウェーデンのスヴェンスカ・ルフトトラフィク社でタクシー・パイロットとして勤務した後、
ナチス党の指導者としてドイツ空軍総司令官に至るまでのの経歴を積み始めている。

フォン・ローゼン自身の航空機にまつわる経歴は整備士として始まり、
次いで旅回りの航空サーカスの操縦士となったが、
ここで身につけた曲技飛行の技量は、彼の後の人生で大いに助けになった。

ムッソリーニの下、イタリアが独立帝国であるエチオピアを侵略し始めると、
フォン・ローゼンは救援飛行に加わり、食料や赤十字のための補給物資を搭載して飛行した。
この間、過酷な地面状況に加え、イタリア空軍のたびたびの攻撃から生き延びている。

エチオピアの戦争から帰還した彼は、世界最初の商業航空路であるKLMに入社し、
世界初の定期便操縦士たちの一人となった。
オランダ人の妻を娶ったが、彼らの幸福は第二次世界大戦の勃発により破られた。

ソヴィエトが冬戦争の際にフィンランドに侵攻すると、フォン・ローゼンはKLMを辞職して父の顰に従い
フィンランドへ馳せ参じ、自前で用意したDC-2改造爆撃機ハンシン・ユッカ号でソヴィエト軍に対し爆撃を行っている。

一年後、ドイツがオランダを侵略すると、フォン・ローゼンは英国に渡航して英空軍に志願したが、
ヘルマン・ゲーリングとの家族関係が考慮に入れられた結果却下された。
フォン・ローゼンのオランダ人の妻は抵抗運動に加わって、戦争の間に殺害され、
その間フォン・ローゼンはKLMでの勤務を継続し、危険なロンドン―リスボン空路を飛んでいた。

104 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/23(木) 21:14:44
【戦争奇譚 〜カール・グスタフ・フォン・ローゼン伯爵の武勇伝〜(2/2)】
A
戦後、フォン・ローゼンはエチオピア帝国空軍において訓練教官を数年務め、
第二代国連事務総長ダグ・ハマーショルド(1905-1961)の就任に伴い、
その操縦士を務めるためにエチオピアを離れた。

運命の皮肉というべきか、コンゴ危機の調停に赴いていたハマーショルドが専用機の事故で死亡したとき
(おそらく撃墜されたものと思われる)フォン・ローゼンは病を得て地面に釘付けだった。

フォン・ローゼンのアフリカとの関わり合いはコンゴ危機では終わらなかった。
七年後、ナイジェリアからの分離独立を図っていたビアフラ共和国への救援飛行の最中、
彼は国際的な名声を獲得することになる。

ナイジェリア政府のビアフラ人に対するあまりの横暴振りと、
ナイジェリア空軍による救援飛行へのたびたびの妨害に心底激怒した彼は、
フランス秘密情報機関と協力して報復の一手を編み出した。

彼は、サーブ社が開発した小さな単発のMFI-9B民需用練習機を五機密輸した。
この機体は元々、実は戦時には対地攻撃任務に使えるよう設計されているのを知っていたからだ。

航空機に迷彩塗装を施し、無誘導ロケット弾を取り付けて、
「ビアフラのベイビ−たち」と称される飛行隊の隊員たちが飛行資格を取ると、
ナイジェリア連邦空軍がビアフラの民間人に対して攻撃を繰り返している空軍基地を叩く準備が整った。

1969年5月22日にはじまる数日間、フォン・ローゼンが率いる5機の航空隊は、
ポート・ハーコートとエヌグの主要基地と他のいくつかの小規模な空港を襲った。
レーダーに映らない超低空飛行で接近し、ロケット弾を一斉射撃して逃走する航空ゲリラ戦術に
ナイジェリア軍は不意を撃たれて、数機のMig-17と、6機しかないイリューシンIl-28のうち実に3機を含む、
多数の高価なジェット機を破壊されてしまった。

フォン・ローゼン伯爵最後の活躍は、1977年のまたもやアフリカで、
エチオピアとソマリアが争ったオグデン紛争の折だった。
再び難民救援飛行を行っていたのだが、1977年7月13日、
ゴーデの近くでソマリ族のゲリラに突然の銃撃を受け、墜落死した。(>>97-100

105 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/23(木) 21:17:32
【戦争奇譚 〜フーファイターの正体〜】

これについては米軍の公式報告書が残っている。
フーファイターの目撃者の証言を集めて目撃日時・座標等の統計を取ったという。
するとフーファイターは一定範囲の時刻に出現し、同じ方位に存在するという明確な傾向を示した。
これは早い話が金星だったのだ。
もちろん例外ケースも存在する。誤認要因は他にも沢山あるからだ。
雲に反射したサーチライトの光は円形に見える。
サーチライトの反射光ならば当然、重力も慣性も関係無く自在に超高速移動し、突然直角に曲がりも反転もする。
太平洋戦域と違って欧州上空は夜間戦闘機の跋扈する修羅場だった。
排気炎暗闇で明るく光り、目にはサーチライトの残像が焼き付くことも多かった。
飛行機がバンクを取ったり位置関係が変われば、パイロットからサーチライトは突然見えなくなったり、
突然現れたりする。そうしたことも影響している可能性が高い。
また第二次世界大戦中、ドイツ軍は多種多様なロケット兵器を開発し、一部は実戦運用や実用試験を行った。
こうしたロケット兵器の発したジェットエンジンの噴射炎の残像も、要因としてありうる。
これについてはベトナム戦争での米軍パイロットの貴重な証言がある。
撃墜されながら生還した彼は、激しい衝撃を感じて操縦不能に陥る一瞬前、自機に向かって猛スピードで
接近してくる「オレンジ色に光るドーナツ型の物体」を目撃した。
このときの「オレンジ色の光」はロケットモーターの噴射炎、「ドーナツの穴」はミサイル本体のシルエット。
つまり今まさに自機に命中しようとする地対空ミサイルを正面から見て生還した極めて珍しいケースだったのだ。
フーファイターのいくつかもこうした類似の例かも知れない。
いつものごとくUFOビリーバーはこれら全てを「米軍上層部による隠蔽工作」と否定するだろうが。
>>73 >>77 >>80


【戦争奇譚 〜ある撃墜王〜】

P47サンダーボルトに乗って撃墜王だった米陸軍航空隊のカブレスキー大尉が、撃墜されて捕虜になり、
監視兵付きで普通列車に乗って収容所まで移送されるときに友軍である米軍戦闘機に襲われた。
そのとき向かいの席に座っていたドイツ人少女の頭に12.7ミリ機銃弾が命中して、
その少女の脳味噌が座っていたカブレスキーの膝に砕け散った。
そのときにカブレスキーがどう思ったのかは自伝には書かれていない。


【戦争奇譚 〜捕虜たちの運命〜】

ベトナム戦争中捕虜にされた米軍兵士達の多くは、ベトナムが市場開放するまで抑留されその後処刑された。
ラオスもベトナム戦争終了後に米軍捕虜を処刑した。
また、北ベトナム軍の捕虜になった者の中(主に特殊部隊隊員)には、ソ連や北朝鮮に連行された者もいた。

北ベトナム軍は捕らえた韓国軍兵士に対し、北朝鮮への亡命を積極的に奨めたりもした。
ベトナム戦争終戦から一ヶ月後に、カンボジアのコータン島で起きたカンボジア軍守備隊と米海兵隊との戦闘では、
米軍がヘリで撤収する際に、脱出する味方を援護する為に発着場の森の両側に二名の海兵隊が陣取って戦った。
そして、この二名の兵士を迎えに来るヘリは無かった。
カンボジア軍守備隊はこの二名の兵士を捕らえて、悪名高いトゥールスレン刑務所に送って処刑した。

106 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/23(木) 21:18:39
【戦争奇譚 〜宇宙時代を切り開いたのはドイツ人〜】

地上から約100km以上の上空を宇宙空間って呼ぶ。
人類が最初にロケットを宇宙空間に飛ばして宇宙から地球を撮影したのが、昭和21年つまり終戦の翌年だった。
これをやったのは、その頃すでにアメリカに移住していたブラウン博士のチームで、
そのロケットはV2号を改造した物だった。
つまりドイツの科学力は終戦の翌年には宇宙ロケットを飛ばせる位の凄いレベルだった。
こうした旧ドイツの科学者が第二次世界大戦後に米ソに流れて、冷戦時代の核開発や宇宙開発の研究を行っていた。


【戦争奇譚 〜出家の理由〜】

下士官が新兵数名を伴って夜間行動中に敵を発見したので、班長は着剣を命じて間合いに入ると突撃を開始した。
最後方にいた新兵は、命令のまま暗闇の中を銃剣を突き刺した。
と同時に、激しい衝撃を受けて気絶したらしく、気がついたときには夜が明けていた。
あたりを見回すと敵兵数人が味方と刺し違えて死んでいる。
そして自分の銃剣は同期兵の後ろから肩のあたりに深々と刺さって戦友は息絶えていた。
すこし離れた場所では命令した班長がピストルで自決しており、ただ一人生き残った新兵だけが部隊に戻って来た。
しかし、その新兵が暗い場所などに行くたびに自分が刺殺した戦友の霊が現れたという。
苦悩した挙句その人は戦後、出家の道を選んだそうだ。


【戦争奇譚 〜三度目の朝食〜】

1940年のバトルオブブリテンで撃墜されたドイツ軍パイロットの話。
落下傘で田園地帯に降りたところを現地人に通報され、パイロットは警官に逮捕された。
その連れて行かれた先の警察署で朝食を食わせて貰う。
しかし敵兵なので軍のほうがいいだろうと、すぐに地元の陸軍基地に移送される。
パイロットがそこに連れて行かれると、腹が減ってるだろう、と二度目の朝飯を食わせてもらう。
そのうちに、こいつは空軍兵なので空軍に引き渡そうという事になり、すぐに英空軍基地に移送される。
パイロットがそこに着くと応対に出てきた将校がパイロットに向かって、こう言った。
「まったく陸軍は野蛮で困ります。貴官は何か乱暴されませんでしたか?
お腹が空いているでしょう、すぐに朝食を持ってきます」


【戦争奇譚 〜『戦場における「人殺し」の心理学』より。〜】

戦争において英雄とされるような人物の典型的プロファイルでは、彼らは犯罪者とは似て非なる者だが、
義務の為なら平気で割り切って自らを脱感作できるような「異常者」。
兵士というのは意外と敵に向かって撃たない・撃てないもので、古来からそうであった。
(仮に撃っている場合でも、故意に頭上を撃って外すケースも多い)
その場合こうした兵士は、銃を撃つ代わりに発砲以外の不可欠な役目
(弾薬運搬や負傷者救護・輸送など)にふける傾向がある。
敵に対する発砲率が飛躍的な上昇をみせるのは、
脱感作やプログラミングの手法が訓練に定着したベトナム戦争のころから。

107 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/23(木) 21:44:17
【戦争奇譚 〜ある怪談〜】

時は数年前の今頃、亜米利加人教授と博物館に行きました。
丁度太平洋戦争記念らしく、当時の米軍の将軍や飛行機の写真が所狭しと展示されていました。
教授はルメイ氏の写真等で満足している様でしたが、私は内心気違い空襲野郎等と思い不機嫌に。
教授がB29等の飛行機の写真を見ている時には、もう明後日の方向を見ておりました。

ふとその時、奥の方小さな部屋を発見。中を覗いて見ると、日本側の写真が。
殆んどが民間人の写真で、兵器の写真はありませんでしたが中々興味深く、今まで見た事の無い写真も在ります。
之は儲け物と十分ほど一人で堪能していた所、奇妙な視線を感じます。

教授は亜米利加の飛行機の方で忙しく、この部屋には私以外人っ子一人居ないはずなのに、
其の視線は無くなりません。妙だなあと思い、気配を感じる方を見れば一枚の写真が見えます。
出兵前の家族の集合写真らしく、正装した人達が軍服を着た青年が中央に整列して居り、
説明文には、この青年は中国東北部に行くとか何とか書かれて居ります。

他の写真と比べても特におかしい所は内容に見えましたが凝視してみると、一瞬写真の中の人が瞬きをしました。
一瞬の事でしたので見間違えかと思い、其のまま見続けると一斉に写真の中の人が笑いはじめました。
之はヤバイと思い、慌てて眼を背け部屋から出ようとすると足首を何者かに掴まれました。
見てみると、写真に写っていた青年の母らしき人が必死な形相で、私の足首を掴んでいました。
私は其のまま倒れこんでしまい、助けを呼ぼうとしましたが声が出ません。

「返してくれ。」男の物かも女の物かも分からない声が私の頭の中に響きました。
幸い体は動きましたので、相手の額辺りに思いっきり蹴りを入れたのですが、相手には全然効かない様なので、
其のまま這居ながら部屋の外に向かいますが、今度はもう片方の足にも何者かが。

「返してくれ。」後ろを見ると発狂しそうなので、完璧に無視して其のまま這って出口に向かいますが、
相手は一人や二人ではないらしく次々と体中にしがみ付いてきます。
「返してくれ。」の声がはんば合唱に為った時に何とか部屋を出ることが出来ました。
部屋を出た途端体が軽くなったので、ああ助っかたんだなと思い部屋の中に目を移すと、
先ほどの写真の中の人物達が部屋の中央で全員正座をして、恨めしそうに私を見ていました。

急いで教授の元に向かい、事のあらましを伝えたのですが聞き入れてもらえず。
貴様はそれでも武士の国の子孫かと
叱られました。どうせなら、亜米利加人に化けて出ろよと思った、そんな夏の一日。

108 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/23(木) 21:45:15
【戦争奇譚 〜板付飛行場〜】

朝鮮戦争時、朝鮮で戦死した米兵は、福岡空港に併設されている板付飛行場を経由して本国へ無言の帰還をしたが、
その板付飛行場では、なぜか戦死したはずの米兵が廊下を彷徨っていたと言う。
と言うわけで、板付飛行場勤務は、みんな嫌がった。


【戦争奇譚 〜未だ戦い続ける英霊たち〜】

昭和30年代の「天声人語」を調べていたら、フィリピン政府から、「大戦中の日本軍の高射砲の残骸に、未だに日本兵
の幽霊が取り付いて、夜な夜な『ウテ!ウテ!』と叫んでいる。その村の住民がおびえて仕方がないので、
なんとか日本に引き取ってはもらえまいか?」そんな要請があった、と記されている。


【戦争奇譚 〜神々すら苦しんだ先の大戦〜】

大戦末期のこと。鹿島神宮に深夜突然海軍将校(の格好をした男)が現れ、
夜分申し訳ないがどうしても今参拝したいと言うので、宮司さんが先に立って案内した。
拝殿の扉を開けたその瞬間、ぼたり、と大きな音が背後でして、びっくりして振り向くと、
先ほどの海軍さんの姿がなく、代わりに彼の立っていたところに、大きな血の塊が幾つか落ちていた。
どこかの戦場に応援に出かけた神様の眷属が、深手を負ってやっとの思いで帰ってきた
に違いない、そして、おそらくこのいくさは負け戦であろう、と。
その話を聞いた関係者らはそう思ったそうだ。

109 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/23(木) 21:50:27
【戦争奇譚 〜ナポレオンの手紙〜】

1915年、第一次世界大戦中のシナイ砂漠。イギリスのある部隊は敵のアラブ兵に完全に包囲されていた。
水も食料も底を尽きかけ、このまま餓死するか全滅覚悟の突入しかない状況に追い込まれていた。
指揮をとっていたケイザル大尉が考えあぐねていた時、一人の老人が部下に連れられて大尉の前に現れた。

「大尉、この老人がどうしても大尉に手紙を渡したいと言ってるんですが。」
「私に手紙を・・? 誰からのものだ?そして君は一体誰なんだね?」大尉は老人に尋ねた。
「私はずっと以前、ある方からあなた宛の手紙を預かっている、この村のものです。
あなたは確かにケイザル大尉様でいらっしゃいますね?」
「確かに私はケイザルだが・・。それでその手紙というのは何なのだ?」

「はい、これでございます。」老人は手紙を差し出した。
「差出人はナポレオンだって?! あの、大ナポレオンからの手紙?
君、ナポレオンのエジプト遠征といえば100年以上前…116年前のことじゃないか!
からかうのもいい加減にしろ!私は忙しいんだ!さっさと帰ってくれ!」

「でも私は確かに、あの大ナポレオン様から手紙を預かったのです!
あなた様以外には決して見せてはならないと言われて…
それ以来、私はこの手紙をずーっと大切に保管してまいりました。これは本当なのです!」
老人があんまり真剣に訴えるので、ケイザル大尉も一応見るだけみてやるか、
といった感じでくしゃくしゃになった手紙の封をあけてみた。

手紙にはこう書かれていた。
「親愛なるケイザル。私は現地人の、この子供に手紙をあずける。この陣地の下には弾薬と食料が埋めてある。
すぐにそれを掘り出し、エジプトとの国境に向かうのだ。
国境へ向かうには3つのルートがあるが、その中の砂漠を通る中央のルートを使え。
同封の地図に飲み水が得られる水穴の場所を示しておく。
無事脱出することを祈っている。ナポレオン・ボナパルト」

それは確かにナポレオンからケイザル大尉に宛てた手紙に間違いはなかった。
だがなぜ、116年前にナポレオンはこの手紙を書いたのだろう?

その時、ケイザル大尉はハッと気づいた。
そういえば、自分のひいじいさんも自分と同じケイザルという名前だった。
幼いころに聞いたことがある、ひいじいさんはナポレオンと一緒にエジプト遠征に行ったと。
ひいおじいちゃんはその時に戦死してしまったが、
ひょっとしてこの手紙は、ナポレオンからひいおじいちゃんに宛てた手紙だったのでは…?

全て理解出来たケイザル大尉は、ワラにもすがる気持ちで手紙に記されていた場所を部下に掘らせてみた。
部下たちも、もうこの手紙にすがるしかなかった。
掘ってみると本当に弾薬と食料が出てきた。
だが不思議なことに100年以上前に埋められたもののはずなのに弾薬も食料も全く傷んでいないのだ。
まるで昨日、埋められたかのような状態である。

「こんな不思議なことがあるんだろうか?」
部下も半信半疑である。食料と弾薬を補給し、元気になった一隊は翌日敵兵に攻撃をしかけ、
一瞬のスキをついて包囲網を突破し、地図に沿って砂漠を横断した。
100年以上前の地図であったが、水穴の場所はそのままだった。
途中で飲み水を補給しながら一隊は無事援軍と合流できたのである。

あの手紙を持ってきた老人であるが、詳しく話を聞くと、手紙を受け取ったのは老人が15歳の時だったという。
すぐに当時のケイザルのところへ持っていったのだが、
すでに隊は出発してしまった後で、結局手紙を渡すことは出来なかった。

それ以来、ずっと心の中に引っかかっていたというのだ。
そしてそれから116年が経ち、ケイザルという名を聞いて今度こそと思い、面会に来たらしい。
この手紙を渡すまでは死ねないと思っていたのだろうか。老人は130歳になっていた。(>>43

110 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/23(木) 21:54:18
【戦争奇譚 〜兄〜】

当時、私は小学校六年で、学童疎開も二十年三月で終わり、甲府から東京・高円寺に帰って間もない時でした。
幸い、兄はほど近い調布の飛行隊に所属しており、私が帰って来てからも月に二、三回、
家に戦友の方々を連れてきました。

その日は雲ひとつない青空でした。いつもの空襲とは違ってB29は戦闘機援護のもとに、
高度は今までの一万メートルの成層圏ではなく、ぐっと低く侵入してきました。
私は下の兄たちといっしょにおそるおそる防空壕からはい出して空を見あげると、
何かキラキラ光る物体が上下している様子が目に入りました。
その時はまだ上空で空中戦が行われているとはまったく思いませんでした。

その直後、B29の一機が白い煙を尾から引き始めたと思うと、
いまキラキラ光っていた小さな物体からも煙が出て、それこそまっさかさまに落下し、
見る見るうちにそれが小さな戦闘機だとわかるほど、私たちの肉眼にせまってきたのでとっさに身を隠しました。

空はまだゴウゴウとうなりをあげるようにして後続敵機が通過していましたが、
どうやら市内での空襲ではなさそうだと、再び壕から飛び出して空を見ると、
米粒のような戦闘機同士が空中戦を交え、上下するごとに太陽の光にキラキラと反射していました。

初めて見た空中戦に、その時は、
「兄もおそらく出撃していたのではないだろうか?」「いや戦闘に出ていても兄は決して死ぬことはない」
と、いわば願望に近い気持で打消していました。

私がこの日、この目で見た空中戦はB29が二機、煙を吐いたのと、
戦闘機が三機、煙を吐いたり、落ちていったのです。

翌八日夜の八時頃、玄関の床をコツコツと軍刀でたたく音がしました。
下の兄二人といっしょに玄関をのぞきますと、暗い中にボヤーッと兄の軍服姿がうつりました。
「あっ、お帰りなさい」
声をかけるなり、昨日の戦闘でも無事だったんだという安心感も手伝い、玄関の電気をつけました。
ところが、今いたはずの兄の姿はそこになく、
不思議に思って家の外を一周してもどこにも兄は見当たりませんでした。
それから一時間後、こんどは「ドンドン」という玄関のドアを強くたたく音に、
二番目の兄が玄関に行き、しばらくして何か紙キレを持ってきたのです。

「何だったの、だれが来たの?」兄はしばらく無言でした。
暗い灯火管制下の電灯で、三番目の兄と顔を合わせ、読むと
「セウイ カウノタカシ 四ツキ七ヒ テイトフキンニオケルヨウゲキセントウニオイテ
ソウレツナルセンシヲトグ。トウブ一〇八ブタイテウ」

私を妹というより、自分の娘のように可愛がってくれた、あのやさしい兄が死んだなんて━━。
この世には神も仏もいないのかしら…きっとだれかと間違えたに違いない。
でも、もしあの電報が本当だとしたら、昨日見た、あの空中戦で落ちた戦闘機の一機が兄だったのでは。

それから一週間ぐらいして隊から使いの将校が見え、
兄は敵のP51戦闘機と調布上空で空中戦を交えながらB29に近づき、攻撃をしつつ、
最後に体当たりをして、埼玉県の川口上空で戦死、B29も焔を吐きながら林の中に墜落したそうです。

それにしても七日に見た空中戦の一機はたしか兄に間違いなく、死んで幸運というのも妙な表現ですが、
他に戦死された方々から見れば、本人も家族も戦時下では考えられない最後の出会いでした。
三十四年たった今もあの時の光景は脳裏にやきついています。

111 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/23(木) 22:01:55
【戦争奇譚 〜戦艦陸奥の最後〜】

乗っていた戦艦が瀬戸内海に停泊していた時のこと。
真夜中、夜衛の当番が見まわり時間を待っていたら、前に見まわりに出ていった新兵がガタガタと駆け込んでくる。
すわ、なにごとかと思い聞いてみると、新兵は震えながら
「班長、出ました出ました!」と繰り返すばかり。
やっとのこと聞き出してみれば、三番砲塔に女が立っているという。
何を馬鹿なことを言っているのかと思い、小銃を持って三番砲塔へ向かうが、特に異状なし。
何かの間違いだったのだろうと戻ろうとしたその時、背後からけたたましい笑い声が降りかかってきた。
驚いて降りかえると、三番砲塔の上に女が立っている。
真っ白な浴衣のような着物、真っ赤な洗い髪を振り乱し、大きな口を開けて笑っている。
角度から考えて、身長は3mはあろうかという怪物。誰何する気も起きず、わっと叫ぶとまっしぐらに逃げた。
翌朝からひどい熱を出し、艦内医の手にも負えず呉の病院へ搬送された。
その日の正午過ぎに乗っていた戦艦は不審火で爆発、沈没してしまったとのこと。
「爆沈の当日に艦を降りてるから憲兵に目をつけられて、そっちの方が怖かった」と当人は語る。(>>51 >>85


【戦争奇譚 〜奇跡の生還。駆逐艦「谷風」〜】

何波にも渡る米艦載機の猛攻撃を受けながら一発も被弾せず、
至近弾の破片で6名が死傷したものの、無事に生還した日本の駆逐艦の話。
駆逐艦谷風は、「飛龍(空母)がまだ浮いており、生存者がいる」という情報に基づき、
既に撤退中の南雲艦隊から1隻だけ派遣された。
米軍もまだ浮いている日本空母(飛龍)を目標に、エンタープライズから32機、ホーネットから26機の
ドーントレス艦爆が、ミッドウェイ島から12機のB17が出撃した。
谷風が到着したとき、既に飛龍は沈没していた。
そのためこれらの爆撃機は谷風を発見して次々と襲いかかり、爆弾の雨を降らせることとなったが、
谷風は必死の操艦でこれを回避。至近弾により6名の戦死者を出したものの逃げ切った。
この時投下された爆弾は合計137発と言われる。詳しくは秋田書店の『壮烈!水雷戦隊』。


【戦争奇譚 〜もう一度、出撃を…〜】

近寄った中野は、兵曹長の数メートル先に立っている一人の兵士を見つけた。
飛行服をつけ、飛行帽をつけた搭乗員である。腕の階級章は兵長であった。
彼は零戦の前にじっと立っていたが、石川や中野の気配に気づくとゆっくりこちらを向いた。
「おい、お前は明日の直掩機に乗るのか?」石川がそう尋ねると、
兵長は「いえ、私は爆装で攻撃にゆきます」と答えた。細い声であった。
「おい元気を出せ。明日はもう爆装の零戦はない。直掩用の零戦が八機残っているだけじゃ、しっかりせんかい」
兵曹長は、搭乗員の兵長が何か勘違いをしていると考え、肩でも叩いて激励してやろうと一歩前進した。
すると兵長はすーっと後退し、「いえ、私は今日の爆撃に行って来たのです」と答えた。
「なに? 今日の爆撃?今日出撃した機は一機も本艦には帰って来ていない筈だぞ」
兵曹長と中野は口々に言った。すると兵長は微笑した。少年らしい笑顔であったが、頬のあたりが蒼ざめていた。
兵士は低い声で呟くように言った。「私は今日爆撃に行きましたが、爆弾を落とす前に撃墜されてしまいました。
それでもう一度出撃させて貰おうと思い、本艦に戻ってきたのです」(空母瑞鶴の生涯/豊田穣)

112 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/23(木) 23:31:19
【戦争奇譚 〜機械化時代に騎兵突撃したイタリア騎兵連隊〜】

1942年夏、東部戦線での伊軍騎兵。サヴォイア竜騎兵連隊の600騎が、ソ連軍背側よりサーベル突撃を敢行した。
手始めに1個大隊を潰走させ、続けて反撃を受けつつもさらに1個大隊を撃破。
火砲十数門・機銃50を鹵獲、捕虜600を得た。一方、損害も大きかったようだが。以下そのあらまし。

東部戦線に2回目の夏がきた。
ドイツ軍の進撃は留まる所を知らず、ヒトラーは最終的な勝利に向けた次の強烈な一手を計画していた。
しかしそれは終わりの始まりとなった。スターリングラードだ。
この任務を成功させる為には、利用可能なあらゆる精鋭部隊が必要となった。
全戦線から多くの師団が引き抜かれ、新兵とは言わないまでも平均的な部隊、
つまりルーマニア、イタリア、その他の弱小枢軸国軍が入れ替わりに配備された。

しかしソ連軍はこの動きに素早く反応し、このドイツ軍の弱点に対して積極的な攻勢を開始した。
7月から8月にかけて、ソ連歩兵部隊はドン河西方の橋頭堡を拡大しようと何度も攻撃を重ねていた。
イタリア軍部隊の一部は、この試みを打ち砕くために交戦に巻き込まれた。

このソ連軍を撃退することを目的とした反攻の間この地域にいた2つのイタリア軍騎兵部隊の一つ
「サヴォイア連隊」はドン河畔に向けて北方に移動するよう命じられた。
連隊はIsbuscenskij市付近の"213.5高地"として知られる地域に到達し、夜の間そこに野営した。

翌早朝、キャンプと陣地をたたむ前に、騎兵斥候はいつも通り連隊の進路のパトロールに向かった。
その過程で斥候隊は広大なヒマワリ畑を調べるために入っていた。向日葵畑の偵察が終わり掛けた時だった。
「あれはなんだ?赤い星のついたヘルメットが地面を這ってるぞ?」
斥候隊は不意をつかれたが、そのソ連兵に銃撃を浴びせて適切に対処した。
しかし数秒後、斥候隊は地獄の真っ只中に取り残されていた。
彼らをとりまくヒマワリ畑のあらゆる地点から数百のソ連兵が一斉に叫びながら発砲を開始したのだ。

夜間、82mm迫撃砲の支援を受けたソ連軍歩兵2個大隊がこっそりと河を渡り、
イタリア軍野営地から数百メートルの地点に塹壕を掘り、待ち伏せ準備を整えていたのだ。
野営地に据え付けられた機関銃の機敏な反応と連隊付属の馬載砲兵の速射砲撃は、
押し寄せるソ連兵の波を一時的に食い止めはしたものの、時間が経つにつれて敵の圧力は激しくなっていった。

イタリア軍指揮官は今こそ訓練の成果を発揮すべき時だと判断した。「騎兵突撃だ!」
第2騎兵中隊は敵正面からではなく側面から突入する為、大きく迂回して敵左翼に突撃するよう命じられた。
この迂回機動は完璧に成功しソ連軍は完全な不意打ちを食らった。ソ連軍は再照準する暇もなく騎兵に蹂躙された。
ソ連兵の多くが強烈な剣の一撃によって頭を真っ二つに割られ、その他大勢は即座に降伏するか逃げ去った。

騎兵中隊は前進を続けると、抵抗は次第に強力になり損害が大きくなっていった。
その為、第4騎兵中隊が下馬して敵正面に向かう事になった。
これにより第2騎兵中隊への圧力はやや弱まり、彼らは再結集して反転し、
敵の右翼から左翼にかけて再び突撃する事が出来た。

その直後、中央への攻撃を援護するため第3騎兵中隊が同じ命令を受けた。「突撃せよ!」
第3騎兵中隊の指揮官が最初の突撃と同じ接近方法を採らず敵中に真直ぐ突っ込んだのは疑問の残る決定で、
この所為で必要以上の犠牲が生じる事になった。
にも関わらずこの二回目の突撃で敵は完全に崩壊し、ソ連軍は第二線陣地も捨てて退却した。
ソ連軍の損害は死傷450名で、500名が捕虜になった。

戦いが終わると、こんな展開になるとは思っていなかったイタリア騎兵たちは一様に同じ言葉を口にした。
「サヴォイアが突撃したんだ、サヴォイアが突撃したんだ!」
完全に機械化された戦争においては夢でしかなかった事が実現したのだ。

なお、騎兵を語る上で外せないのは史上最後の騎兵たち。
1945年大陸戦線での帝国陸軍騎兵騎兵第二十六連隊による予鄂・老河口作戦。
敵陸上部隊は勿論、機銃掃射してくる敵機相手に挺身斬込、目標の飛行場を見事占領。
「世界騎兵戦史ニ恥ヂヌ有終ノ美ナリ」

113 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/23(木) 23:32:26
【戦争奇譚 〜誰が戦車を操縦していたのか〜】

太平洋戦争、初頭のマレー戦にて発生したとある戦車戦。敵戦車隊と日本戦車隊が遭遇。
戦闘になるも、日本側は正攻法では敵わず、一台の軽戦車を背後から奇襲させる戦法をとった。
結果的に勝利し、本隊は集結地点で軽戦車の帰投を待った。
やがてジャングルの中からキャタピラの音が近づいてきた。
しかし、特有のディーゼルエンジン音は聞こえず。
見ると軽戦車が戻ってきたが、正面装甲板には大穴が開き、中は血の海、生存者なし。
太平洋戦争当時に語られた怪談。


【戦争奇譚 〜壮絶な最期〜】

ぺリリュー島で米軍陣地に突撃した95式軽戦車17両。
当然の如くバズーカ 戦車砲 各種火砲に滅多打ちにされたものの、3両が辛うじて陣地に帰還できた。
掲げられた日の丸には弾丸で蜂の巣のようになり、車体と砲塔には大小無数の貫通孔。
機銃は基部から跡形もなく吹っ飛ばされ、戦車砲も至近弾によりひん曲がってしまっていた。
何より凄惨なのは、首を飛ばされた車長が日本刀と拳銃を握り締めたまま、
だらりとハッチから身を乗り出した格好のまま戦死していた。
陣地の兵たちはその光景を見て感動の余り皆号泣したという。


【戦争奇譚 〜死しても帰還を果たしたパイロット〜】

昭和20年2月16日の関東地区艦載機大迎撃戦の際、
当然ながら厚木の302空も迎撃に当たった302空零夜戦隊の荒木俊士大尉は直ちに出動、
一度帰還したがまたすぐ二度目の出撃になった。
だが、過熱のためエンジンの筒温が上がり、離陸は難しい 予備機は部下が乗ってしまってもう無い。
仕方なく無理矢理筒温を下げるためカウリングを外して強行離陸した。
その不調機を駆って神奈川県丹沢上空でF6Fを見事1機撃墜 2機目を捕捉したところで敵弾を受けた。
荒木機は藤沢基地までたどり着いたものの、姿勢を崩して格納庫に接触 墜落した。
大尉を救い出そうと駆け寄った基地隊員たちは驚愕した。荒木大尉の頭部に貫通銃創があったのだ。
12.7ミリ機関砲弾に頭を射抜かれて、どのようにして藤沢まで飛行できたのだろうか。


【戦争奇譚 〜報せ〜】

宮野(善次郎)大尉が戦死した昭和十八年六月十六日、実家の神棚にあった護符が風もないのにパタリと落ち、
母が、「善次郎の飛行機が落ちた」と言ったという。
そのため、のちに戦死の公報が入った時には、すでに心の準備ができていた。
人は死ぬ時、その魂は愛する人のもとへ帰るのだろうか。
「零戦最後の証言U」(光人社)あとがきより抜粋。

114 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/23(木) 23:34:15
【戦争奇譚 〜現代の海に現れた海竜〜】

第一次大戦の時、ドイツのUボートが英国の輸送船を雷撃した。
魚雷は命中、潜水艦は浮上し、輸送管が沈んでゆくのを司令塔から艦長以下、水雷長と副長が見ていた。
輸送管が海面下に沈んだとき、輸送船は大爆発を起こし。水柱が上がった。
その時、Uボート艦長たちの目に映ったのは…水柱と一緒に中高く吹き上げられた、
見慣れぬ怪物の姿であった。その怪物は――百科事典などで見る恐竜、海竜のそれに余りにも酷似していたという。
輸送船沈没後、その海竜の姿も消え失せたが――。
流石、ドイツ人。艦長たちは、自分たちが見たものをそのまま、報告書に書き記したという。


【戦争奇譚 〜尚も海底で眠り続ける潜水艦〜】

昭和30年中頃だったか、豊後水道の真ん中で漁師が海中からケーブルを引いてるブイを発見したそうだ。
それには以下のような文章がしるされてあった。
「帝国海軍伊xx号潜水艦、コノ真下ニ沈座シアリ。大至急、最寄ノ官公社、鎮守府宛ニ連絡乞フ。報奨金アリ。」
これは潜水艦が海底で浮上不能になった際に浮かべる防水電話付きの非常連絡ブイだそうだ。
その漁師はブイの指示通りに電話機を使ったがむろん返事は無い。
既に潜水艦沈没から10年以上経っており、腐蝕して洩れ始めた海水が澱む暗黒の艦内、
そこここに白骨化して横たわる乗組員の死体の上で、
最後の瞬間まで彼等が待ち焦がれて鳴らなかった電話のベルが空しく鳴っている。
その光景を想像するともう、恐いやら悲しいやら。ちなみに深すぎて引揚げもできず、
艦は今もそこに横たわっているそうだ。


【戦争奇譚 〜沖縄の米軍基地での怪談〜】

本土復帰前、軍属の従業員の人が日も暮れて帰り支度をしていると、
向こうの方から米兵2人が歩いてきて英語でタバコくれないかと言ったそうだ。
従業員の人が何か違和感を感じつつもタバコをやると、うまそうに一服し何処かへと歩いていったそうだ。
そしてしばらくすると従業員は感じていた違和感の原因が分かった。
彼ら2人の姿が現在の米兵の軍装ではなく第二次世界大戦当時の姿だったのだ。
ちなみに、近隣住民の多くが米兵の幽霊を目撃しており、
調査を行ったら実際に米兵の死体(2体)が洞窟の中から発見されたそうだ。
聞き込みの結果、レイプなど、粗暴な米兵2人組だったらしく、
沖縄住民に闇討ちされ洞窟に打ち捨てられていたという。


【戦争奇譚 〜帰ってきた兄の人魂〜】

戦時中のある日、家の裏口の所で家事をしていると、突然人魂が出てきたそうだ。
腰をぬかしたが、その人魂は悪さをするわけでもなく、そのうちいなくなってしまった。
暫く立った後、家に戦死公報が届いた。前線に行っていた兄が戦死したとの事。
驚いたのは、兄が戦死した日が、ちょうど人魂の出た日だったという事だ。
きっと家が懐かしくて帰ってきたんだろうねぇ、とのこと。


【戦争奇譚 〜帰ってきた戦友〜】

ある朝、兵舎の脇の水道で顔を洗っていたら、誰かが隣の蛇口を使い始めた。
「おはよう」と言おうとして顔を上げて驚いた。
そこには昨日の戦闘で顔に銃弾を受けて戦死したはずの仲間が血まみれの顔を洗っていたからだ。
驚いて声も出せない中、戦友はタオルで顔を拭きながら兵舎へと入っていった。
その後、当然の事ながら兵舎のどこを探して も彼の姿は見つからなかったそうだ。

115 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/23(木) 23:35:36
【戦争奇譚 〜大空のサムライ、坂井三郎の生還とその後日談〜】

大空のサムライ、日本海軍のエース、坂井三郎氏。
昭和17年8月、ガタルカナル上空で、SBDドーントレス艦上爆撃機を戦闘機と誤認、
旋回機銃の集中砲火を浴び、被弾し、右頭部と右目に重傷負いつつも、意識を失いかけながら、
それでも彼はラバウルまで見事に生還した。

あまりにも、有名なエピソードなのでご存じの方が多いだろうが、これには後日談がある。
数ヶ月後、氏が治療のため内地に帰還し、実家に戻り、留守を預かる母親と再会を果たした。
しばらく会わなかった母との再会を喜びつつも、母の様子が、何やらおかしいことに気付いた。
怪訝に思った氏が尋ねてみると、右目の具合が悪いという。
いつ頃からおかしいかと、更に尋ねると、昭和17年8月頃からだという。
氏は愕然としたそうだ。昭和17年8月頃といえば、自分が空戦で負傷した時期とピタリと合うからだ。
しかも、自身が負傷したのと同じ右目。単なる偶然とはとても思えず、
氏は母親が身代わりになってくれたものと、確信したそうだ。


【戦争奇譚 〜成仏できぬ首なしの死者たち〜】

ベトナム戦争中の頃の話。
あるベトナム軍の基地で、歩哨に立っていた兵士が基地の中の広場を見ると、
誰もいないはずなのにそこにはいくつもの人影が立っている。
こんな時間に誰かいるなんておかしいな?それともあいつら何か極秘の任務でも受けているのかな?
そう思いつつ、その兵士に近付いて見ると、その兵士達には首が無い。
しかも彼らは自分たちベトナム軍の制服とは明らかに違う軍服を身に付けていました。
その歩哨は驚きのあまり腰を抜かしかけて兵舎に戻り、当直の下士官達に事の次第を報告しました。
その下士官が言うには、
「ああ、あそこには昔のフランスと戦争をしていた頃に処刑した捕虜の幽霊が出ると言われてんだよ。
ほら、我が国では首を切られ、そのまま胴と頭を別々に葬られた死人は成仏できないって言うだろ。
あの捕虜達はそうやって処刑されたのさ。だから、あいつらはフランスとの戦争が終わってずいぶん経つのに、
未だに成仏も出来ずに死体の埋められたあの辺をさまよっているらしいぜ。」と言ったとか。


【戦争奇譚 〜帰宅した提督〜】

1893年6月22日15時34分、英国海軍旗艦ビクトリアがトリポリ沖で衝突事故後、沈没した。
その衝突事故があったのとちょうど同じ頃、ロンドンにある艦長のサー・ジョージ・トライオン提督の自宅では、
トライオン夫人が友人たちを招いてティーパーティを開いていた。
午後三時をまわったころ、一人の客が提督が居間を通りぬけていくのを目撃した。
「おや、ご主人がおいででしたか。これは結構ですこと」と話しかけてきたというその客。
それに対して夫人は訝しげに「そんなことはございません。夫は軍艦に乗って演習中ですのよ」と答えた。
しかし、他の客も「いえ、確かにいらっしゃいましたわ。私が立ちあがって会釈をしようとしましたら、
ご主人は手で「そのまま、そのまま」というようにして、あちらへいらっしゃいましたもの」と証言したのである。
だが、提督は二度とその家に戻ることはなかった。

116 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/23(木) 23:41:52
【海洋奇譚 〜第六箕郷丸の遭遇したもの〜】

昭和三十六年のこと。漁船第六箕郷丸(三十二トン)が漁を行っていた。
海は穏やかで空は晴れ、薄暮が迫る海面は不気味なほど静かだった。
いつものように箕郷丸が航走していると、前方から単独航行してくる船が見える。
かなりの大型だ最初は別段気にも留めなかったが、双眼鏡で確認すると何かおかしい。
異様である。明らかに船形がおかしいのだ。薄暗い海上だがそのおかしさは歴然としている。
高く幾本も横木の張り出した三本マストは明治の軍艦を思わせる。
ラムのある帆船様の船体、そしてやたら装備の多い雑然とした甲板、二本煙突、
近年見かけないほど、非常に古めかしい外観である。煙も吐かず帆も張っていない。
なのに結構な快速だ。それにこの薄暗いのに、舷灯どころか警戒灯ひとつ点いていない。
さらにその船が近付き、そして乗員たちは新たな事実に気付き、戦慄した船首に波が立っていないのだ。
波一つ、音一つたてずスルスルと接近する大型船。
乗員たちは慌てて握り飯を作って海に投げ込んだり、念仏を唱えたりした。
船長は必死に方角を変え、全力で逃れようとした。
この行動が功を奏したのか、その大型船は箕郷丸の横をやはり音も波もなくスルスルと通り過ぎ、
夕闇の中へと消えていった。
すれ違い時に甲板上を見た船員もいたが、人っ子一人も見えなかったという。
ところが、箕郷丸は無事には済まなかった。その夜半、俄かに海が荒れだしたかと思うと、突然の暴風雨に遭遇。
その嵐の中を必死に航行したもののついに座礁。船体は大破。
真っ二つに折れ、乗員二名が波に飲まれ行方不明となった。


【海洋奇譚 〜ウミガメのスープ〜】

長い航海から帰ってきた水兵がレストランで“ウミガメのスープ”を注文しました。
料理を運んできたウェイターに対し、彼は海での思い出話を語ります。
彼の乗った船は嵐に遭って遭難し、長い間海の上をさまよっていました。
飢えと渇きで仲間たちが次々に死んでいく中、彼も絶望に打ちひしがれてただ死を待つばかりだったという。
そんなある日、船のコックが“ウミガメのスープ”を作り、生き残っていた水兵たちに食べさせました。
その時のスープのおいしかった事。
その後他の船に発見され無事に生還した彼らだったのですが、
この水兵は自分の命を救ったスープの味が忘れられず、レストランに入ると“ウミガメのスープ”を注文したのでした。
ところが次の日、この水兵は誰に知られるともなく自殺してしまいました。
さて、なぜ自殺してしまったのでしょうか?

117 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/24(金) 00:18:01
【海洋奇譚 〜ミイラ船「良栄丸」〜(1/3)】
@
1927年10月31日、カナダ西海岸バンクーバー島でのこと。
ワシントンのシアトル港への帰路についていたアメリカの貨物船「マーガレット・ダラー」号は、
行方不明になっていた小型漁船「良栄丸」を発見した。

ボロボロに朽ち果てた船体、ミイラの転がる甲板、激しい死臭、白骨体、足の無い死体。
船室には、頭蓋骨を砕かれた白骨体とミイラがあった。
船室奥の部屋には、おびただしい血痕が染み付いていた。
船尾の司厨室では、海鳥の白い羽が至るところに散らばっており、
コンロの上にあった石油缶の中には、人の腕が入っていた。

船内には食物も飲料水も無く、エンジン機関部は全て破損していた。
ところが、船長室から見つかった3冊のノートには、信じられない惨状が書かれていたのだった。
そのノートによると、良栄丸の情報は以下の通りだ。

重量は19tで1本マスト/船主は和歌山県の藤井三四郎/船長は三鬼時蔵/機関長は細井伝次郎/乗組員は12名

神奈川県の三崎港を出港したのは1926年12月5日。この船は約1年間漂流していたのだ。
ここで疑問が浮かぶ。発見された死体は9体、記録には12名とある。3名はどうなったのだろうか。

1926年12月5日、神奈川県の三崎港を出港した良栄丸は、千葉県銚子沖にマグロを求めて進んでいた。
天候も思わしくなく、エンジンが調子の悪い排気音を立てていたため、翌12月6日に銚子港に寄港した。
しかし、エンジンに故障はなく、銚子の沖合いで大量のマグロを水揚げした。
が、暴風に見舞われて航行不能に陥ってしまった。

そして12月15日、銚子の東方沖合い1000マイルほど流された時、紀州船によく似た船が現れたので、
信号を送ったり船員が叫んだりしたが、応答も無く船は通り過ぎてしまったという。
三鬼船長は漂流を決意、記録には「4ヶ月間は食べられる」と書いてあった。

12月16日にも「東洋汽船」と書かれた船が近くを通ったが、応答はなかったという。
なんとか日本へ戻ろうと努力したが、どうやっても逆に流されていった。記録にはこう書かれている。
「どう工夫しても西北へ船は走らず絶望。ただ汽船を待つばかり。反対にアメリカへ漂着することに決定。
帆に風を七三にうけて北東に進む。しかし漁船で米国にたどりつこうとするは、
コロンブスのアメリカ大陸発見より困難なりと心得るべし」

118 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/24(金) 00:18:44
【海洋奇譚 〜ミイラ船「良栄丸」〜(2/3)】
A
ここからは説明は要らないだろう。記録文のみで充分に迫力が伝わってくる。

「12月27日。カツオ10本つる」
「1月27日。外国船を発見。応答なし。雨が降るとオケに雨水をため、これを飲料水とした」
「2月17日。いよいよ食料少なし」
「3月6日。魚一匹もとれず。食料はひとつのこらず底をついた。恐ろしい飢えと死神がじょじょにやってきた」

「3月7日。最初の犠牲者がでた。機関長・細井伝次郎は、「ひとめ見たい。日本の土を一足ふみたい」と
うめきながら死んでいった。全員で水葬にする」
「3月9日。サメの大きなやつが一本つれたが、直江常次は食べる気力もなく、やせおとろえて死亡。水葬に処す」

「3月15日。それまで航海日誌をつけていた井沢捨次が病死。かわって松本源之助が筆をとる。
井沢の遺体を水葬にするのに、やっとのありさま。全員、顔は青白くヤマアラシのごとくヒゲがのび、
ふらふらと亡霊そっくりの歩きざまは悲し」

「3月27日。寺田初造と横田良之助のふたりは、突然うわごとを発し、「おーい富士山だ。アメリカにつきやがった。
ああ、にじが見える。」などと狂気を発して、左舷の板にがりがりと歯をくいこませて悶死する。いよいよ地獄の底も近い」

「3月29日。メバチ一匹を吉田藤吉がつりあげたるを見て三谷寅吉は突然として逆上し、オノを振りあげるや、
吉田藤吉の頭をめった打ちにする。その恐ろしき光景にも、みな立ち上がる気力もなくしばしぼう然。
のこる者は野菜の不足から、壊血病となりて歯という歯から血液したたるは、
みな妖怪変化のすさまじき様相となる。ああ、仏様よ」

「4月4日。三鬼船長は甲板上を低く飛びかすめる大鳥を、ヘビのごとき速さで手づかみにとらえる。
全員、人食いアリのごとくむらがり、羽をむしりとって、生きたままの大鳥をむさぼる。
血がしたたる生肉をくらうはこれほどの美味なるものはなしと心得たい。これもみな、餓鬼畜生となせる業か」

「4月6日。辻門良治、血へどを吐きて死亡」
「4月14日。沢山勘十郎、船室にて不意に狂暴と化して発狂し死骸を切り刻む姿は地獄か。
人肉食べる気力あれば、まだ救いあり」

「4月19日。富山和男、沢村勘十郎の二名、料理室にて人肉を争う。
地獄の鬼と化すも、ただ、ただ生きて日本に帰りたき一心のみなり。同夜、二名とも血だるまにて、ころげまわり死亡」

「5月6日。三鬼船長、ついに一歩も動けず。乗組員十二名のうち残るは船長と日記記録係の私のみ。
ふたりとも重いカッケ病で小便、大便にも動けず、そのままたれ流すはしかたなし」

「5月11日。曇り。北西の風やや強し。南に西に、船はただ風のままに流れる。山影も見えず、陸地も見えず。
船影はなし。あまいサトウ粒ひとつなめて死にたし。
友の死骸は肉がどろどろに腐り、溶けて流れた血肉の死臭のみがあり。白骨のぞきて、この世の終わりとするや」

119 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/24(金) 00:19:29
【海洋奇譚 〜ミイラ船「良栄丸」〜(3/3)】
B
日記はここで切れている。だが三鬼船長は、杉板に鉛筆で、以下のような家族宛ての遺書を残していた。

「とうさんのいうことをヨクヨク聞きなされ。
もし大きくなっても、ケッシテリョウシニナッテハナラヌ。私はシアワセノワルイコトデス。
ふたりの子どもたのみます。カナラズカナラズ、リョウシニダケハサセヌヨウニ、タノミマス。
いつまで書いてもおなじこと。でも私の好きなのは、ソウメンとモチガシでしたが、帰レナクナッテ、モウシワケナイ。
ユルシテクダサイ」

しかし、記録を調べるうちに、奇怪な事実が浮かびあがった。
数十回に渡って他の船にであっていながら、救助に応答する船は一隻としてなかったことだ。
そして、吉栄丸は太平洋横断の途中、たった一つの島さえも発見できなかったのである。
しかし、アメリカの貨物船「ウエスト・アイソン」号のリチャード・ヒーリィ船長は、次のように述べている。

「1926年12月23日、シアトルから約1000キロの太平洋上で波間に漂う木造船を発見したが、
救助信号を送っても返事が無いので近づきました。
しかし、吉栄丸の船窓や甲板に立ってこっちを見ていた10人ほどの船員は、誰一人として応えず、
馬鹿らしくなって引き上げたのです」

だが吉栄丸の記録にこのことは書かれていない。一体、彼らにはなにが起こっていたというのだろうか。
http://www.kdn.gr.jp/~takion/no2.htm

120 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/24(金) 00:20:46
【戦争奇譚 〜児童文学家が書いた戦争の物語 ロバート・ウェストール〜】

ロバート・ウェストール 1929年〜1993年没 イギリス生まれ。
第二次世界大戦を舞台にした少年の成長物語を多く書いてる小説家。
戦争という暗く陰鬱とし時代ではあった。
が、厳しい現実をものともせず、クスリとしてしまう笑いを盛り込みながら兵士やその家族、
戦火に逃げ惑う人々、そして子供と動物たちが生きて行く姿を書いた小説を多く残した。
現代イギリス児童文学を代表する作家。
「ブラッカムの爆撃機」「かかし」「海辺の王国」「猫の帰還」など。
この内「ブラッカム〜」「かかし」が戦争にまつわる怪談の本。
「ブラッカム〜」は爆撃機と無線とそれに紛れ込む「死んだはずの兵士たち」の声の話。
「かかし」は戦争での英雄とされている父(死亡)を親愛する少年と、母親の再婚、
母親の再婚相手への反発とその増悪に引き寄せられるように日増しに家に迫り来る「怪」の話。
少年は家族を守るために父の形見の銃を持ってそれを撃退しようと試みるが…。
この人の本は日本にはそれほど翻訳されて無い。おそらく戦争小説が多いからであろう。
だが、あさのあつこ(小説家)宮崎駿などファンの方はいる。
「海辺の王国」はイギリスの戦時中の日常風景を子供の視点で書いている名作。

121 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/24(金) 00:21:37
【戦争奇譚 〜幽霊軍艦「志自岐丸」〜】

大正八年八月、志自岐丸という軍艦が種子島沖で沈んだことがあったが、
その船幽霊が何度も出て、みな青くなって帰ってきた。
向井町の漁師たちは、ひとりかふたり、小船にガス灯をつけて夜釣りに行くと、
何百という電気をともした軍艦が、かねて浅瀬であるところを通っていく。
そんなときは、二人で乗っていても口ではいえないので、
手で「こんにょう(今夜)、大変な晩じゃからもどろう」と合図して帰るのである。
(日本怪談集 幽霊篇 教養文庫)
ttp://www.asahi-net.or.jp/~UN3K-MN/nan-siziki.htm


【戦争奇譚 〜深夜覗き込む血まみれの日本兵たち〜】

コヒマ攻防戦の最中に投降してきたインド兵が、
「毎夜深夜になると、血だらけの日本兵が物凄い形相で、銃眼を次々に覗きこんでは消える」
と言っていたそうな(幽霊が恐ろしくなって投降してきたとの事)。

別に捕らえられたグルカ兵も、
「三叉路高地には、日本軍撤退後に毎晩、日本軍の幽霊が出た。
夜中になると、どこからともなく喊声がわいて、鉄兜をしっかりと締めた日本軍が、阿修羅のように突撃してきた。
われわれが夢中になって撃つと、スーッと影のように陣前に消えていくのだ」語っていた。
(「インパール」上村喜代治著)

122 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/24(金) 00:48:06
【戦争奇譚 〜朝鮮半島に渡った紀州斎賀党〜】

秀吉の朝鮮出兵の時、元々、反秀吉派であった紀州の斎賀党は戦いの最中に、
当時朝鮮にも中国にも普及していなかった鉄砲を朝鮮側に伝え朝鮮兵と一緒に秀吉軍と戦った。
朝鮮の古文書は彼らをサヤカと読んでいる。
戦いの後、斎賀党は日本に帰国せず朝鮮に残った。
彼らの伝えた文化は韓国に伝わった。
戦中、朝鮮の斎賀党の村出身の朝鮮人は非国民扱いを日本政府から受けた。
今でも斎賀党の一族は韓国に現存している。


【戦争奇譚 〜北朝鮮金王朝のルーツは大日本帝国陸軍?〜】

帝国陸軍は本土決戦で破れたら満州で亡命政権をつくり、ソ連と組んで英米に対抗するという計画を持っていた。
そのため三種の神器を奉天にもっていくつもりでいた。ソ連の裏切りでこの計画が崩壊したので終戦になった。
それでも「満州の残滓」は、朝鮮半島の北部に別の国家を作り、戦後もチャンネルは生きていた。
彼らはまだ「あの戦争」を継続している。
属州と成り果てた「日本」ではなく、本来「あるべき日本」を妄想しながら。
そもそも北朝鮮は、奉天特務機関とか中野学校、上海同文書院系の「スリーパー残置諜者」が
建国に大きな役割を果たしたといわれている。


【戦争奇譚 〜北条義時と覚園寺〜】

鎌倉幕府二代執権の北条義時は、ある日、日頃の多忙な職務の疲れが一気に出てうつらうつらと眠ってしまった。
すると… 夢の中に十二神将が現れて義時にこう告げる。
「来年の鶴岡八幡宮の儀式に出ると大変なことがあるので出ちゃダメ」
義時は神仏のお告げということでありがたく思い、その年の暮に御堂を建てる(後の覚園寺)。
翌年の八幡宮の儀式にて義時は、さすがに執権が欠席するわけにはいかんと思い出席していたが、
お告げを思い出して、体調不良ということで他の人に役目をパスして退席する。
その直後、公暁が源実朝と義時に役目をパスされた人を暗殺という事件が発生。
義時はあやうく難を逃れた。以降、覚園寺は歴代北条家によって保護されていく。


【戦争奇譚 〜百年前の恨み、未だ晴れず〜】

会津藩主の子孫の福島県知事、明治百年を機に恩讐を忘れて仲良くしようという鹿児島県の提案を蹴る。
曰く、「100年も前の事というが、アラブとイスラエルは4000年前の恨みで対立している」


【戦争奇譚 〜変わった治療法〜】

極東の某国の兵隊はいんきんや水虫を治すためにわざとマラリアにかかった。
梅毒治療にわざとマラリアに感染して高熱を発する、というのがあるのだそうだ。

123 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/24(金) 00:50:04
・貴種流離譚

『高貴の血脈に生まれ、本来ならば王子や王弟などの高い身分にあるべき者が、「忌子として捨てられた双子の弟」
「王位継承を望まれない(あるいはできない)王子」などといった不幸の境遇に置かれ、
しかし、その恵まれない境遇の中で旅や冒険をしたり巷間で正義を発揮する」という話型を持つ。
文芸作品についてもこの概念に含めるという考え方も存在するなど、決して狭小な範囲に限定された概念ではない。
しかし、「生まれの良い人間が結局すぐれている」といった価値観が根底にあるのは否定できず、
子供の教育上、問題視される場合もある。

・異類婚姻譚

人間と違った種類の存在と人間とが結婚する説話の総称。
世界的に分布し、日本においても多く見られる説話類型である。
なお、神婚と異類(神以外)婚姻とに分離できるとする見方や、
逆に異常誕生譚をも広く同類型としてとらえる考え方もある。
よく知られている例としては、ギリシア神話ではキューピッドとプシケーの物語や
ゼウスが乙女の元に白鳥や水滴と化して訪れる話、グリム童話では『かえるの王さま (KHM001)』、
日本でいうと鶴女房などが挙げられる。
これらは古代の族外結婚による信仰、生活様式の違いに起源を求める説がある。

124 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/24(金) 00:51:17
【戦争奇譚 〜文化の違い〜】

香港攻略戦で、市街戦の最中、ある建物の中に突入した部隊がゾロゾロ外へ出てきた。
不思議に思った後詰の兵隊たちが聞いたら「中に入ったら急に寒くなったので気味が悪くなった」
彼らはクーラーを知らなかったのだ。
首尾良く占領後、現地のホテルを兵舎として接収。部隊ごとに部屋を割り当てて分宿したものの…

1、オートロックを知らず、部屋から締め出されて廊下をうろうろする兵隊が 続出。
2、スコッチの味を覚えた兵が、凝ったデザインの瓶に入った琥珀色の液体を飲んで下痢続出。
  「シャネルの5番」なんかを一気飲みすればそうなる(それとも「夜間飛行」?「プワゾン」だったりして)。
3、「西洋の石鹸は質が悪い。泡が立たん」と文句を言いながらチーズで体を洗うヤツ続出。
  ちなみに浴槽は当然日本式じゃない。
  そこへ一杯にお湯をはって4人5人と一斉に入ったものだからあふれてカーペットは全滅、
  更に下の階までダダ漏れ。

1968年のチェコ『プラハの春』弾圧で首都制圧に乗り込んできたロシア兵の田舎者ぶりとどっちがひどいだろう?


【戦争奇譚 〜カミカゼ特攻隊員は女?〜】

カミカゼ特攻で被害を受けた米艦のなかには、パイロットの遺体のあまりの小ささに
(遺体が損傷が酷いってのもあるんでしょうが)「カミカゼパイロットは女だった。」と本気で報告したとか。


【戦争奇譚 〜工事の際にはご注意を〜】

横須賀の老人ホーム建設現場から出た円柱形の鉄クズ7個をスクラップ業者が解体したところ大爆発。
100トンプレスが全壊、鉄塊が数百メートルの範囲に飛び散るも死者なし。
旧海軍の廃棄した機雷を掘り出したため。


【戦争奇譚 〜女性スナイパー〜】

ペリリュー島やグアム島では日本軍に女性狙撃手がいたらしい。秦郁彦「日本人の捕虜観」上下に記述有り。
玉砕の島への転身が決まった中隊長となじみなっていた元慰安婦だった、という説があります。


【戦争奇譚 〜潜水艦を沈没させたトマト〜】

太平洋戦争の時、米駆逐艦の真横に日本潜水艦が浮上。
あまりに至近過ぎて火器の俯角が取れず、
あわてて手近にあったトマトを投げつけたところ手榴弾と勘違いしたのかあわてて潜航。
ただハッチを閉め忘れていたらしく、二度と浮上しなかったことがあったそうな。

125 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/24(金) 00:52:25
【戦争奇譚 〜排泄物〜】

糞尿博士世界の旅 中村浩著「クロレラの創始者」より。
日本軍のさる南洋の宿舎へ突撃をかけるため、アメリカ軍が夜中に偵察隊を送った。
何人くらいがそこに泊まっているかを調べるために、偵察隊はトイレの汲み取り場(?)へ向い、
そこに溜まっている糞尿の量を調べたところ、大量の糞尿がそこにあった。
「これは相当の兵隊を動員しなければ」と考えたアメリカ軍は、
実際100人程度しかいなかったその日本軍の宿舎へおよそ三倍の兵隊で持って攻め込み、
あはれ日本軍は全滅になった。
ちなみに草食は肉食の3倍は出るそうで、
当時の日本兵は草木まで食べてたのでさらに大量であった可能性有。

それとは逆パターンの話。
戦国時代、太い竹筒にウ○コを充填して超極太の○ンコを造り、
敵が偵察に来そうな所に設置した。
それを見た敵側は「こんなデカいウン○をするのだから大変な巨人がいる」と思い、引き下がったそうな。
同じ方法を、倭寇が大陸沿岸の住民をびびらせるのに使っていた。


【戦争奇譚 〜必死〜】

ソロモン方面の戦闘で、敵機の攻撃を燃料タンクに受けて、燃料が漏れ出した。
幸い、火はつかなかったものの、このままでは燃料が流出して基地まで帰れない。
窮した搭乗員は、なんと被弾した穴を手で塞いで、燃料漏れを防いで帰還したそうだ。


【戦争奇譚 〜神のご加護?〜】

秋水部隊として知られる332空は別名「神様部隊」と言われていた。
司令の柴田大佐や有名な犬塚大尉が某新興宗教を信じており、
巫女さんが「ひかーりーひかーりー」と踊りながらお告げを聞いて指揮を取る。
部下は教団本部に連れてこられホーリーネームを付けられていた。
「修龍」「健龍」「根龍」「使龍」・・・。追浜での初飛行もお告げで行われた。


【戦争奇譚 〜ブッシュ元大統領の命拾い〜】

戦争中、小笠原列島の父島で日本軍守備隊が撃墜した米軍パイロットを食べていた。
島の食糧事情は悪くなかったのに、異常な指揮官と副官たちが先頭にたって食人をおこなっていた。
戦後、守備隊の指揮官ほか、首謀者は戦犯として死刑になった。
なお現大統領の父ジョージ・ブッシュは戦争中、海軍のパイロットで、父島付近で撃墜され、
パラシュートで脱出し海上で味方の潜水艦に救助された。
(記録フィルムに潜水艦に救助されるブッシュ氏の映像がある)
もし、風の関係で父島に降りていれば、ブッシュ氏は…
(参考 秦郁彦著 「昭和史の謎を追う 下巻」”人肉事件の父島から生還したブッシュ”より)

126 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/24(金) 00:53:15
【戦争奇譚 〜大日本帝国のあれこれ〜】

某・極東にある無資源国は、東南アジアの石油資源を確保すべく開戦に踏み切ったのだが、
その国の海軍は船舶護衛兵力を事実上保有していなかった。ので、手遅れになってから慌てて護衛艦を量産した。
また、開戦前の戦争終結の見通しについて「ドイツ軍がイギリスを屈服させる」
「アメリカは民主主義国家なので厭戦世論が起きて負ける」と、本気で結論づけた国があった。
もっとも「アメリカは民主主義国家なので厭戦世論が起きて負ける」というのは約三十年後、
ヴェトナム戦争でその正しさが証明されることになった。

日米の国力比較を開戦前につくって提出したら、「これでは戦争が出来ないから書きなおせ」と上から言われた。
その時に提出したレポートでの日米の総合力比較の結論が1対1,000。確かに戦争なんぞ出来る数値ではない。
現在、世に流布している日米の国力比較の1対10というのは修正後の最も良い数字。
日本がアメリカに負けた原因は軍部官僚の現状認識の甘さと無責任にあったのはこれで明白といえる。
ちなみに資料は国会図書館と防衛庁に保存されているため、異論のある方は御覧になられてはいかがか?。
1対1,000じゃ仮想戦記も書けないけれど本当です。

本土決戦での話。天皇が千葉県の海岸線の守りは大丈夫か、と質問したら、
鉄壁の砦が出来ている、と陸軍の参謀が答えた。
その当時の軍事力を信用していなかったのか、天皇は、直属の部隊に調査をさせたら、
砦等何も出来ていない事が判明、という事があったそうだ。
戦争末期の陸軍上層部は作る予定が何時の間にやら頭の中では出来ているという、
観念の世界の人になっていたみたい。

岡本太郎は撃墜されて落ちてくる日本機を見て、日本の飛行機がやられた、と言ったが、
周りの兵隊は全員、あれはアメリカの飛行機だった!岡本を怒鳴りつけ、あやうくリンチされそうになったそうな。

日本軍の捕虜収容所で食料が少なかったので、連合軍の捕虜に収容所長が工夫してごぼうを食事に出して
食べさせていたら、戦後「木の根っこを食べさせた、捕虜虐待だ」として戦犯で裁かれた。なお、懲役30年の実刑。
また腰痛に悩むアメリカ人捕虜にお灸治療して直してやったら、火あぶりにかけて虐待した、として、死刑になった。


【戦争奇譚 〜九十九里浜の防衛陣地〜】

終戦直前の1945年春、とある憲兵伍長は千葉県の九十九里の部隊に上等兵としてもぐり込んだ。
本土決戦に備え、陣地の構築の様子や地雷の敷設工事状況など、正確な情報を報告するのが任務だった。
軍隊というのは都合の悪いところは書きずらい。そこで『慰安婦を利用しろ』と憲兵隊上層部から指令が出た。
一帯には慰安所が3ケ所あり、合わせて約60人いた。殆どが日本人で、朝鮮人も少しいた。
その中から8人を選び、客を装って接触した。
料金が2〜3円だった当時、50円近く握らせ、軍事情報を聞き出してもらうように頼んだ。
約70人の確度の高い情報を得ることができた。慰安婦は結果的に国家機関の手足となった。

この元憲兵の証言によれば、6月8日の御前会議の直前に、
侍従武官が九十九里の陣地構築状況の現状視察に来るので、
それまでに戦闘能力や各部隊の陣地構築状況をつかむのがその任務であったという。
6月8日の御前会議では、「今採るべき戦争指導の大綱」で本土決戦方針が再確認された。
支配者層の戦争継続の意志を一挙に打砕いたのは、8月9日のソ連参戦であった。
その日の深夜より始まった御前会議において、
昭和天皇は、九十九里浜の築城が未だ出来上がっていないことを理由に、
本土決戦を主張する軍を切り捨てていった。

127 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/24(金) 01:37:28
【戦争奇譚 〜徴兵検査と性道徳〜】

明治期の性道徳教育には、徴兵検査の際に性病感染率が高いことが原因だった。(明治42年で1000人中23.48人)
ちなみに検査時に引っかかる感染者は減ったものの、検査後入営までに感染する香具師の数はかえって増加した。
これは徴兵検査=大人へのイニシエーションといった受け止め方が有ったため。
ただ、昭和2年の段階で徴兵検査時までに童貞破った者の割合は34.1%。
これでも明治期と比べれば減少したらしい。(「日本の軍隊」岩波新書より)


【戦争奇譚 〜フクちゃんの著作権料〜】

戦争末期、米軍機が日本に爆弾を落とした帰り道、プロパガンダ用の日本語のビラを蒔いていた。
そのビラには、漫画のフクちゃんが掲載されていた。
戦後(最近だけど)、アメリカ大使館からフクちゃんの原作者に著作権料を支払った。
金額はたしか350円程度。


【戦争奇譚 〜まるでアルキメデス?〜】

昭和18年、元軍人(予備役少佐)で考古学者の大山柏氏は再び赤紙で招集され、
室蘭市に設けられた警備隊の隊長に着任した。

戦局の悪化に伴い、「1トン爆弾に耐えられる防空壕を作れ」という命令が警備隊にもまわってきた。
大山氏は歩兵出身でこの手の任務は苦手のはずだったが、
考古学者でもあったのでどの工兵隊よりも迅速に完成させてしまった。

そうすると「海岸に陣地を構築せよ」と工兵隊がするような任務がまわってきた。
鉄がなかなか入手できないので、大手牛乳会社の牧場に赴き重機関銃を牛の群れに向け、
有刺鉄線を提供してくれるよう依頼し提供を受けた。
大量の鉄を手に入れた大山氏は釘を製造する工場を造りその釘を使って陣地を完成させた。

次に問題になったのは米軍戦車への対抗手段。
司令部からの情報では敵戦車を行動不能にするには20キロの爆薬が必要とのこと。
これを人力で投擲するのは不可能。そこで大山氏は図書館から西洋古代史の書物を借り、
挿し絵に描かれた古代ローマの「カタプルカ」という投石機を3面図に書き起こし、
車の板バネを使って構想3日、制作7日で完成させた。
これで20キロの砂を詰めた木箱を投げると50メートルほど飛んだという。

米軍の北海道上陸作戦の可能性があったからきた任務だったが、幸い米軍は艦砲射撃だけで去っていった。

128 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/24(金) 01:38:36
【戦争奇譚】

第二次世界大戦中、日本では刑務所の受刑囚が1番栄養状態が良かった
終戦時まで規定量の食料をちゃんと与えていた。
これには理由があり、刑務所の職員も次々と戦地へ出征し、人手不足が深刻な問題だった。
そこで、脱獄を防ぐため食事だけは決して質を落とさなかったという。
TVで網走監獄の紹介をやってて、そこで元職員の証言として言っていた。
受刑者が良い物食べてたと言うのは↓で紹介されている。

網走監獄博物館
http://www.ryuhyo.com/kangoku/siryo/data8.html

このことは吉村昭の本でも、紹介されていた。
内務省に泣きついて米を分けてもらったとか、囚人ごときが美味い飯を喰ってると暴動が起きかねないので
世間には秘密にしてたとか、そんなことが書かれていた。
屈強の体格の看守はみな出兵。残った看守は、ひ弱なお年寄りばかり。
仕方なく模範囚を看守として現地採用したはいいが、逆に看守が囚人に見張られるような事態になった。


【戦争奇譚 〜アメリカ軍の落し物〜】

昭和20年の春。瀬戸内海のある島のでのこと。
漁業と造船、ミカン栽培などが産業の島では戦時中にもかわわらずのどかな毎日が続いていた。
しかし、そんな島にも戦争の影は忍び寄っていた。
島が直接攻撃されることはなかったが、毎日のように呉を攻撃する米軍機が島の上空を飛行して行った。
そんなある日、急激に高度を落とし、島の上空を旋回する一つの機影があった。
飛行機が珍しかった島民達の見上げる目に銀色に光る機体に描かれた星のマークが見えた。
「アメリカ軍だ!」呆然と見上げる島民達。国籍マークが見えるほどの低空のまま米軍機は島の小学校上空を通過。
その時米軍機のキャノピーが開けられ何かがほうり投げられた。
そして、米軍機は高度を上げ四国の方へと消えていった。
小学校の校庭に落下した物を確かめるべく島民達は恐る恐る校庭に集まった。
そこにはヒモで縛られた小さなボール箱があった。
「爆弾ではないか?」
一人しかいない島の警察官と軍属、そして代々島の庄屋で村長も勤めているY氏立ち会いの元、
Y家で下働きをする男達がその箱を開いた。
中に入っていたのは1枚のハンカチーフとウンコだった。


【戦争奇譚 〜ちゃんと報告は聞くべき〜】

明治時代、西南戦争後の論功行賞に不満を持った近衛兵の反乱、「竹橋事件」の際、
その決起打ち合わせの場所は厠だった。
下痢に悩んでいた下級官吏が、たまたまその話を立ち聞きして上司に御注進に及んだが、
上司に一笑に付され、 結果、事件が勃発してしまったのである。

129 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/24(金) 01:44:33
【戦争奇譚 〜お雇い外国人のお気に入り〜】

大正から昭和に掛けて、日本の航空界は多数のお雇い外国人技師を招聘した。
この時、三菱の外国人技師が気に入ったのは、日本のハンコであった。
一○式を設計したスミスは「酢味噌」、ハイランドは「高国」、
ジョウダンは「冗談」と言うハンコを作り書類に押していたそうな。


【戦争奇譚 〜日本人は人間以下?〜】

アメリカ軍が最も嫌ったのが日本軍であった。
生意気にも彼等は直接真珠湾に卑怯な奇襲攻撃を仕掛けてきたのである。
ハルゼー提督は「凶暴な猿」とあだ名を付け、
「太平洋の全域で我が軍は奴等を沈め、焼き尽くしている。沈めるのもさることながら、
焼き尽くすのは無上の喜びである」と言っている。

ガダルカナルに上陸したある海兵隊員は日本兵が動物にしか見えなかった。
「奴らは山猫のように木立に隠れます。時々攻撃を仕掛けてくるときの声は、屠殺場の怯えた牛のようです」と語り、
別の海兵隊員は「戦う相手がドイツ軍ならよかったのに。ドイツ軍はわれわれと同じ人間だ。
しかし、日本兵は動物みたいな物で、まるでジャングルで生まれたみたいに自由に歩き回るし、
それに、お目にかかるのは死体になった奴ばかり、というのも動物と同じだ」と言っている。
黄色い猿は人間扱いされないのだ。

従ってモンキーハンティングとなり、狩りのトロフィーとして頭骨などを磨き上げて、
お土産として本国に送られることになる。
特に人気なのが金歯で、まだ生きて呻きをあげる口に銃剣をさし込み無理矢理引き抜いたりしていた。
彼等はバターン死の行進は知っていたが、
それと同じ民族がプリンス・オブ・ウェールズを撃沈した後に花輪を投じた事は知らなかったのである。

日本降服の時にハルゼー提督の言った発言はこう「正義と品位が勝利を収めたのである」。
さすが、「猿のバーベキューを楽しんでくるぜ」という素敵な発言で知られる提督の、粋なコメントである。


【戦争奇譚 〜戦争における保険〜】

1942年、我が国には一般火災保険の目的である建物とその付属物と内外に設置された工作物、
(起重機、ガスタンク、溶鉱炉など)一定場所にある動産、運送品、車輌、航空機、船舶を保険する
戦争保険臨時措置法というものが施行された。

これは、担保すべき保険事故は戦闘行為に基づく火災や、損壊に限定されたが、
その契約は被保険者が保険金を添えて申し込んだ時に成立するものであった。

保険料、運送品は1000円に付1円、倉庫保管の不特定物は1ヶ月で1000円につき0.8円、それ以外は6ヶ月で4円。
保険料受け取りは、一部(3000〜5000円)が現金、それ以上は特殊預金か特殊金銭信託となった。
更に、1944年には火災保険を掛けると漏れなく戦争保険が付いてくるようになった。
ちなみに、これには地震保険も付帯してくるものである。
また、これとは別に戦争死亡傷害保険と言うのもあったりする。

戦争保険の保険料収入は、6.4億円、支払額は当然の事ながら、462.8億円の巨額に上り、
地震保険は収入1.1億円、 支払は2.4億円、
戦争死亡傷害保険も、収入1.6億円、支払7.7億に達した。

130 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/24(金) 01:48:28
【戦争奇譚 〜英彦山の大爆発〜】

昭和20数年、戦後まもない頃の事故。西日本のとある村に進駐軍が武装解除のため訪れた。
村のはずれに山があり、山の中腹に掘られたトンネルの中から、
本土決戦に備えた大量の武器弾薬が備蓄されているのを発見した。
すると司令官は武器輸送をためらい、トンネルに火をつけて破壊する事を命じた。
結果、大量の弾薬が大爆発を起こし、山を吹き飛ばして村は壊滅した。
この事件は佐木隆三が小説にしている。

もう少し正確に書くと以下。
敗戦直後の昭和20年11月12日午後5時15分、英彦山駅から500mの二又トンネル内で火薬が爆発した。
この火薬は、米軍の空襲を避けて陸軍がトンネル内に隠していたもので、
敗戦になって火薬の処理に来た米軍将校の軽率な行為で引火した。
長さ100mのトンネルを埋め尽くした火薬の量は532トン。
死者147名、負傷者149名、倒壊家屋131戸、田畑の被害範囲は2キロに及び、
爆発音は遠く福岡や別府まで聞こえた。
532トンもの火薬の爆発となると、さすがに被害が凄いことになる。殆ど戦術核並の破壊力だからだ。


【戦争奇譚 〜第二次世界大戦とブルドーザー〜】

戦時中にアメリカはブルドーザーで飛行場をすぐ整地していたが、日本の場合はこれを人力で行っていた。
あるとき南方戦線(おそらくはウェーキ島かグアム島)で日本軍はアメリカ軍のブルドーザーを鹵獲して、
ある大学の研究室に送られてきた。研究者たちは「凄いものだな」と感心していた。
だが実は日本には既にブルドーザーは存在していたのだ。
戦前から京都大学にブルドーザーは輸入されたが、予算の関係で放置されていたままになっていた。
と言うのも、戦前の土木工事は、世界恐慌の余波を受けた日本での失業対策と意味合いが大きかったために、
ブルドーザーなどという労働者の仕事を奪うものを政府が推進して開発は出来なかったとの事。

一方、イタリヤやドイツでは分業化が進むから農民が地主にブルドーザーやトラクターの導入を求めた。
ドイツ軍の戦車の多くは元々は農耕用に開発された物を転用したもの。
またドイツではヒトラー政権下で軍需産業や土木産業に人手を取られてしまい、農業人口が不足してしまった。
そのため安価な化学肥料の開発による収穫増と治水、開墾による耕地面積の拡大にも後押しされて
農業の大規模化、機械化がある程度まで進む。この機械化のブルドーザーやトラクターの導入要求もそれの一環だ。
なおドイツの場合は第一次世界大戦の影響でその当時の若年層、
つまりヒトラー政権時の熟練労働者層が薄いという問題もあり、
農業人口だけでなく軍需産業も土木産業も、投下された資本やその成果に比べて就業人口は多くない。
再軍備で軍が増員された影響もあったかもしれない。

131 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/24(金) 01:49:40
【戦争奇譚 〜葉巻箱の正体〜】

明治37年の12月。児玉満州軍参謀総長は、在大連の遼東守備軍司令官の某大将を訪問した。
某司令官は、部屋の隅にある箱の中から煙草を取りだして児玉参謀総長に勧めたが、
児玉参謀総長はそれをのまず、歓談を続けた。
帰り道、児玉参謀総長は従者田中少佐に言った。
「田中、A(司令官名)という奴は何も分からぬが、あの箱は西洋夫人の便器の台だぞ!
西洋人が来た時あんなことをAがして見せると困る、貴様Aに言っておけ」


【戦争奇譚 〜さすがに鹿児島弁までは…〜】

第2次大戦中、ベルリンの日本大使館が東京の外務省と連絡をとるときに、
暗号機が壊れていたため電話で連絡をとらなければいけない事態となった。
そこでベルリンの大使館には、たまたま鹿児島県出身の書記官がいたため、
外務省の同じく鹿児島県出身の事務官との間で鹿児島弁で会話したという。
傍受した米軍もなかなか解読できなかった。


【戦争奇譚 〜日本占領軍兵士たちへの手当て〜】

日本占領軍として送り込まれた米軍の第1陣将兵には、日本を”未開の地”とみなして、
瘴癘(しょうれい)地手当、熱帯の発展途上国に行くときと同じ、一種の危険手当が支給されていた。
なお現在でも東京駐在の外資系企業の本社社員には「熱帯手当」がつく。


【戦争奇譚 〜そんなことやってる場合かね?〜】

東京のとあるビアホールでの話。
ビールの泡が多すぎる、と客が文句を言い出し、「ビールの泡はビールか否か」という馬鹿馬鹿しい裁判があった。
結局「泡にはビール以上の濃度のアルコールがある」と、ある博士が熱弁をふるったこともあって「泡はビール」と結審。
問題は、この裁判の判決が出たのが1944年の10月ということである。
もう、戦況絶望的で特攻機出撃していた時期。北九州にはB-29が何度も空襲していたころだ。


【戦争奇譚 〜時代が下って、劣化した帝国陸軍〜】

米軍包囲下のウォッゼ島では輸送が途絶え、その上爆撃で滅茶苦茶になっていたので極度の飢餓状態にあった。
あろうことか食料分配をめぐって日本兵同士で銃撃戦をして、戦死者を出す有様だったそうだ。
一方日清戦争の頃、荷物の輸送が1日遅れた責任を感じて、指揮官の将校が切腹する事件がおきている。


【戦争奇譚 〜NHKのミス〜】

真珠湾攻撃成功で太平洋戦争が始まった時、NHK鹿児島支局はラジオニュースで景気の良いBGMと供に放送した。
そのBGMの曲名は「星条旗を永遠に」だった。当然ながら、物凄く怒られた。

132 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/24(金) 02:47:33
【戦争奇譚 〜ロシア革命とレーニン〜】

マルクスは、金持ちの親友エンゲルスに寄生し、金持ちの娘と結婚。
大英図書館で資本主義国の自由な学問環境をエンジョイしながら資本論を書き上げた。 ご立派なことだ。
ついでに、マルクスは娘を貧乏人のところに嫁にやる気は毛頭無かった。

レーニンは、聡明な兄がアレクサンドル三世の暗殺に連座して刑死。
そのため帝国政府の役人になる道を閉ざされた。それで職業革命家になった。

愛すべきアナーキストの兄と違って、レーニンは自分がのし上がるための革命運動だから、
セクショナリズム満開で、党内で何があっても絶対に自分の派閥を解消しなかった。

レーニン派は、ロシア社会民主党内では、常に絶対少数派であるにもかかわらず、
ボルシェビキ(多数派)と名乗り、絶対多数派をメンシェビキ(少数派)と呼び続けた。
世間では、こういう奴を 嘘つきとか、詐欺師とか呼ぶ。

第一次大戦中、ロシア国内でアナーキストや社会革命党左派がオルグした兵士が反乱を起こし、
さらにマフノ農民運動が盛り上がって、ロマノフ王朝の帝政が揺らいだ。
するとドイツ帝国参謀本部の知恵者がロシア帝国弱体化工作の一環として、
封印列車でレーニンをロシアへ送り込んだ。

それまでレーニンは亡命先のスイスで「私の目の黒いうちはロシアに革命は無い」とか言っていたが、
それをコロッと忘れて、他人の起こした革命運動に乗っかった。

結果、成立した各党派相乗りの臨時革命政府では、ボルシェビキはごく少数派だったが、
それでは我慢ならず、10月革命たらいうクーデターを起こして、臨時革命政府を倒し独裁権力を握った。
それがロシア共産党だ。

これが20世紀の大虐殺の始まりだった。 合掌。

133 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/24(金) 02:52:45
【戦争奇譚 〜どっちなんだよ〜】

1940年末、食堂車は贅沢だから止めろと政府、軍部から強硬に鉄道省の旅客課に圧力を掛けてきた。
当時の旅客課長は列車内で食糧を得る術がないから、残置すべしと主張したが、結局は廃止した。
しかし、廃止した直後から、軍・財界・高級官吏の一群から復活要求が殺到した。
今度は旅客課長、逆に強硬にその復活要求を跳ね付けたが、
復活の議が閣議に持ち出される様になり、結局復活したと言う。


【戦争奇譚 〜後楽園球場〜】

東京ドームになる前の後楽園球場は戦時中、東部軍の対空陣地だった。
スタンド二階には、機関砲の他、電探、観測器なども備えられた。
その電探の感度を維持するため、震動による故障を避けるために都電は速度を落として通過し、
ネットの網は電波を吸収するというので、大きな布を貼られたりした。


【戦争奇譚 〜皮肉にも〜】

丸の内には本来、鉄筋などを用いた不燃性のビルの建設が望ましかったが、
戦時中の物不足でそれが望めず、木造事務所を建設せざるを得なかった。
最初の木造事務所に入居したのは、皮肉なことに鉄鋼連盟と日本製鐵だった。


【戦争奇譚 〜化粧品大量発注の理由〜】

太平洋戦争末期、もう化粧品など作れなくなった時代、
資生堂にいきなり政府から大量の化粧品原料が、容器に至るまで送られた。
政府の命令によって、資生堂は大量の化粧品、香水、ローションを製造することになった。
当然、社内では様々な説が流れたが、一番有力だったのは、ソ連に講和を斡旋してもらうため、
ソ連高官婦人に贈呈するお土産品だというもの。
しかし、実際は、大陸でタングステン、銅などの戦略物資を買い付けるために、
小さくて軽く、そして高価である見返り物資を、と言うことで、
高級香水など化粧品類をその物資に充てたものであった。


【戦争奇譚 〜第二次世界大戦時の戦費、日本はイタリアよりも少なかった〜】

アメリカ 3410億ドル
ドイツ 2720億ドル
ソ連 1920億ドル
イギリス 1200億ドル
イタリア 940億ドル
日本 560億ドル

欧米から見れば第二次世界大戦における太平洋の戦いなんて付録みたいなもの。

134 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/24(金) 02:53:32
【戦争奇譚 〜台湾における植民地経営〜】

1884年に結ばれたユエ条約によりベトナムを保護国としたフランスは以後この地に積極的に資本を投下し、
約20年で本国からの補助金に依存しない独立した植民地経営を達成するに至った。
この成果に対しては、当時植民地拡大競争で敵対関係にあったイギリスのタイムズ紙ですら
フランスの植民地経営能力を天才的と評価するほどであった。

一方1895年(明治28年)の日清戦争の結果台湾を領有した日本は、不可避となった日露戦に備えるため、
という外的要因があったとはいえ、わずか9年後の1904年に国庫の支援から独立した。

白人のみが統治能力を持っている、などという人種観が普通に存在していた時代、
独立してから半世紀も経過していない極東の黄色いサルどもの国が猿真似で植民地を持った、
と思っていたらたった10年で経営を軌道に乗せてしまったという事実は、
当時の列強諸国にとっては脅威どころか恐怖に近いものがあったのではなかろうか。

もっとも、これを成し遂げた台湾総督の後藤新平は、帝国政府からは大変評判が悪かったという。
「キチガイを僻地に放り出したつもりが、無茶なゴリ押しで莫大な国費を湯水の如く台湾なんぞへ注ぎ込んだ」から。


【戦争奇譚 〜用心深い奴は生き延びる〜】

広島部隊に所属していた松本喜太郎は、大正3年に脱走を決行し、
昭和20年の終戦で軍隊が解体されるまでの実に31年のあいだ、
当局必死の捜索にもかかわらず逃亡生活を続けた。
戦争が終わってきっと大手を振って歩いたのだろうと考えたいところだが、
用心深い彼は、さらにプラス15年間も身を隠していたのだという。


【戦争奇譚 〜時代錯誤〜】

第二次大戦末期も末期、本土決戦か、ポツダム宣言受諾かで、揉めていた時のこと。
「本土決戦をするにしても、武器も無いではないか」と言う内務省の人に対し、
「武器ならある」と陸軍軍人は言う。他の省の人も、あるというのなら見せてくれ、と言うことになった。
翌日、陸軍から、武器を見に来てくれ。と連絡が有ったので、彼らは陸軍省へと向かった。
何か資料か、どこぞにある武器庫でも見せてくれるのかな?と思っていると、彼らはとある一室に通された。
その上には、槍、弓、猟銃、竹竿の先に包丁をくくりつけた物、などが置いてある。
軍人は、その中から弓を手に取り「至近距離から、音も無く、敵兵を倒せる、必殺の武器である。」
槍を取り「山がちな、わが国の地形では、この手の接近戦用武器が有効であり、また繰り返し使える云々」
これらは民家などの土蔵に有るものを徴発。なき家は竹さおの先に包丁をつけ代用とする、と説明したと言う。
この軍人はおそらく迫水久常。その場に居合わせた鈴木貫太郎は、こりゃ駄目だって腹をくくった。

135 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/24(金) 03:25:34
【戦争奇譚 〜徴兵回避のために行われた様々な努力の数々〜】

都会に住んでいるもの場合、本籍を地方に移す。
頑強な田舎の成年に混じって華奢な都会人がいれば、自動的に甲種をすべり乙種になれる。
明治時代に、夏目漱石が徴兵逃れのために北海道に籍を移していたのはこのため。
当時北海道は、開拓地ということで徴兵の対象でなかったため。ちなみに籍を移した町にはその事を記した碑がある。

役場に行き、徴兵検査のときの担当医を調べ上げる。
事前にその医者のところに行き、胸が苦しい、体がだるい、食欲が無いと訴えておく。
うまくこの伏線に、引っかかると、病気認定され、丙種として落とされる。

生醤油を毎日コップ一杯飲む。これで結核、心臓病になるという噂があった。

徴兵検査1週間前から飲まず食わずで、虫下しを大量に飲む。
ひまし油など、下剤効果のあるものを大量に飲み、食事を取らない。
水とワカメ、水と寒天、水とコンニャクだけで一ヶ月過ごす。
タバコを1日に何箱も吸い、食事を極端に減らす。
これらは体重が減るだけに留まらず、貧血・栄養失調に陥り、脈が規則正しく打たなくなる。

昔、ある神社があった。その神社は"徴兵逃れ"の霊験がある神社として有名だった。
神社の近くの沼を渡った男たちが、その後の徴兵検査で「病気のため不適格」となる者が少なくなかったからだ。
その神社には徴兵を逃れるために多くの人が訪れ、沼を渡った。
戦争が終り、米軍がその神社を訪れた。彼らは「日本住吸血虫」がその沼に発生しているのを確認し、
その沼を"即刻"立ち入り禁止にした。


【戦争奇譚 〜失笑された大本営発表〜】

日本の大本営発表は、世界に向けて外電経由で発信されていた。
台湾沖航空戦の大戦果や、ブーゲンビル島沖航空戦の大戦果も海外に打電された。
この大戦果に各国は驚愕し、早速その報道を検証してみたところ、余りにも実態とかけ離れていたことに失笑し、
以後、「日本の大本営発表は信用出来ない」ということで世界に大恥をさらしてしまったという。
このとき台湾沖航空戦の大本営発表を聞いたニミッツが、
『我が機動部隊主力は海底に沈降した後、日本方面へ向かって逃走中』
という冗談丸出しの電文を司令部に打電した。


【戦争奇譚 〜日本とマリファナ、覚醒剤〜】

日本でマリファナが非合法とされている根拠の「大麻取締法」が制定されたのは1948年。
進駐軍が、アメリカ自国の「麻薬コード」をそのまま日本に持ち込んだものであり、
それ以前は全く非合法の存在ではなかった。
なおヒロポンが戦後しばらく合法だったのは、軍部が兵士用に作りすぎた分の「在庫一掃セール」の為であった。
しばらくして在庫が捌けたら、今度は「中毒者が増えた」という理由で非合法化した。

酒や煙草に高額の税金がかけられたのはそもそも戦費の調達のため。
一部で知られている台湾などでの薬物の許可販売でも、監督官庁は相当潤った。
ただ台湾総督府がアヘンに課税する際、一斉に使用を禁止すると現地人が暴動を起こす可能性が有りと判断し、
段階的使用制限として課税し金額を年々引き上げた。こうして昭和初期には台湾でのアヘン常飲者は0になった。
また関東軍の傀儡、冀東防共自治政府では、大々的に麻薬の製造と密売を行い、大きな活動資金を得ていた。
この活動のおかげで、中国東北部では日の丸はアヘンの会社の商標だと思われてしまったという。

136 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/24(金) 03:30:45
【戦争奇譚 〜豆ゴハンと麦飯〜】

関東軍や満州在住の日本人は、日本本土の臣民の苦楽を共にするため、
週に一度、豆ゴハンや麦飯を喰うことが義務つけられていた。
だが、これが酷く不評で、中の豆をつまみ出して喰ったり麦がほんの少ししか入れなかったりしたそうだ。
また、森繁久彌が日本に引き上げてきたとき、あまりにもメシがマズくて
「なんて祖国は貧しいんだろう」とコボし、東北出身の由利徹にタコ殴りにされたという。


【戦争奇譚 〜鉄資源確保のための努力〜】

鉄道車両はブレーキをかけると、レールと車輪が擦れて、鉄粉が飛び散る。
その鉄粉はレール周りの石にこびり付き、赤くなる。この鉄粉自体は、東京だけで4,000t/年に上るという。
太平洋戦争中、中央線沿線に住む植木職人は考えた。
「鉄がない、鉄がないと言いながら、線路脇に一杯鉄鉱石が転がってるじゃねぇか」
彼はそれを国鉄幹部に進言し、その進言はまともに取り上げられ、
これを集めて再資源化する研究が行われたのだが…。
砂利、土などの不純物が多くて、鉄分そのものは少なく、貧鉱で採算ベースに合わないことがわかり、
結局、研究は打ち切られた。


【戦争奇譚 〜指切り〜】

戦争中、兵役拒否のために利き手の人差し指を切断する若者が続発したが、指は三本残っていれば徴兵された。


【戦争奇譚 〜食糧自給率の向上〜】

戦時中のラバウル島において、自給自足率向上の為の絶え間ない努力の結果、
食料自給率は右肩上がりで上昇し、45年8月には全兵員の85%の食料の自給が可能となった。

137 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/24(金) 04:59:34
【戦争奇譚 〜トラック運転手〜】

旧日本軍で運転免許を取るには、運転操典を丸暗記しないと車にも触らせてもらえなかった。
そのため陸軍でトラックを運転できる兵は非常に少なかった。


【戦争奇譚 〜砂糖の窮乏〜】

大東亜戦争末期、台湾と日本の海上交通路が米潜水艦により危機的状況になると、
日本内地では払底していた砂糖が、台湾では船積みできないために余ってしまった。
内地に帰投する艦艇乗員に、タダどころか持ち帰るよう命令が下った。
無事に持ち帰れれば、の話ではあったが。


【戦争奇譚 〜敬礼!〜】

敗戦後、日本は連合国に占領された。1945年11月1日、連合国軍最高司令部は日本帝国政府に対して、
「連合軍将兵に対する警察官の敬礼」と言う覚え書きを発した。
それは、「日本帝国政府は警察官全員に対し、合衆国進駐軍凡ての将校に対し敬礼を行なうべき事、
特に、星章を附したる陸海軍将官の凡ての乗用車に対し、敬礼を行なうべき事を指令せよ」というものであった。
と言う訳で、街で進駐軍将校に出逢った場合、日本の警官は必ず敬礼をすることが義務づけられた。
銀座を警邏していた場合、そこは進駐軍将兵の溜まり場のような有様だったから、
敬礼の為に腕を上げ続けなければ成らず、凄く苦痛だったと言う。
そんな時代、銀座のとある交差点で交通整理をしていた警官が居た。
そして、彼はMacArthur元帥命令で、一階級上がった。その昇進の理由は、「彼の敬礼する態度がよい」。


【戦争奇譚 〜「大東亜共栄圏」って何?〜】

大東亜共栄圏建設を謳って南方に進軍した皇軍の宣撫工作担当者は、
その土地の言葉で大東亜共栄圏を何と表現すればいいかがわからず途方にくれたという。


【戦争奇譚 〜大逆事件の真相〜】

1910年の大逆事件は爆弾テロなどハナから計画されていなかったという。
彼らは「天皇の血は赤いか否か」という話をしていただけだったそうだ。

138 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/24(金) 05:01:12
【戦争奇譚 〜沖縄戦の沈没艦船は…〜】

沖縄は、あれだけの激戦地であるにも関わらず、海中に沈む艦船、航空機が非常に少ない。
多くの艦船が海底に沈んでいる他の太平洋の島々とは対照的である。
現在あるうち有名なのは伊江島沖に眠るエモンズ、その他少々。
これは朝鮮戦争当時にクズ鉄材が高騰したので、海人(うみんちゅ、漁師)が引き上げてしまったから。
そのやり方も凄い。水中溶断でバラし、大物は発破でドッカン。
弾薬満載の軍艦を爆破するのだから危険極まりなく慶良間沖で大爆発があり約40名が死亡している。
この時は大波が那覇まで押し寄せている。この手の事故の総犠牲者数は6〜800名とも。
なお水中解体から引き上げ作業は全て素潜りで行われている。信じられないほどの技術である。
(「沖縄ウミンチュ」仲村善栄著 河出書房新書刊)


【戦争奇譚 〜ディーゼル機関車の導入、アメリカ軍の各種パーツの互換性の高さ〜】

進駐軍が戦後持ち込んだものの中に、日本の鉄道の荒廃を見越して準備した野戦用のディーゼル機関車があった。
その機関車は、戦車、トラクター、ジープなどの部品が多用され、構造は極力簡易化されており、
電動工具などで簡単に修理ができる代物だった。
その後、この機関車は、当時の国鉄、名鉄、八幡製鉄所に引き渡され、
日本で本格的に使用された初めての機関車となり、
形態的にもその後開発された国鉄のディーゼル機関車に多大な影響を与えたと言う。
ちなみに、この機関車、最初に国鉄に引き渡された時、8500形を名乗っていたが、
これは進駐軍で使われていた機関車の番号が8500番台だったからである。
ちなみにこれはのちの国鉄DD12型。エンジンはキャタピラー製190PS×2。
扱いやすい機関車両であったが、やや非力であることと、
発電式のディーゼル・エレクトリックだがモーター搭載位置が低いため、雨の日にはよくモーター故障したらしい。
だが米軍における各種パーツ互換性の高さは皆様ご承知の通り。
当時の国鉄はこのディーゼル機関車が故障すると米軍当局に電話してジープを呼んだ。
するとGIがジープ2台でやってくる。で、1台置いていく。そのジープから外したパーツで修理ができたそうだ。
部品取りになったジープは、次の故障の時に帰りのジープで牽引して米軍基地に持ち帰ったという。
GI(彼らも技術屋だった)がとてもフレンドリーで、
国鉄の機関士たちに「ジープを貸してやる、好きに乗り回せ」と言ってくれたそうだ。
だが、あいにく当時の日本では免許普及率が非常に低い。「我々は運転できない」と答えると、
米兵は「なぜだ?おまえたちはエンジニアだろう」と不思議がったそうだ。


【戦争奇譚 〜ボールベアリングメーカー〜】

大戦中、ボールベアリングを供給していた日本のベアリングメーカー各社。
不二越のベアリングの「NACHI」ブランド(今も存続)の名前が軍艦の「那智」から来ているのも軍需メインだったため。
しかし戦後軍需がポシャり、各社、賠償として生産設備を接収されそうになる。
この危機を救ったのは国鉄だった。
昭和21年以降生産の機関車・電車・客車の台車軸受けを、
従来のプレーンメタルから一気にボールベアリングに切り替えた。
私鉄電車も西武鉄道を皮切りに続々追随。鉄道による内需増加でベアリング業界は接収・壊滅を免れたのだった。

139 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/24(金) 05:02:27
【戦争奇譚 〜機関車のお話し〜】

戦中、戦時粗製の機関車のボイラーが爆発事故を起こしたことがある戦時型蒸気機関車、D52型の話。こ
の型は戦後、改良されたボイラーに乗せかえられている。
戦時型で言えば、EF13型電気機関車は、家電製品でいうサーキット・ブレーカー、「高速遮断機」を、
製造に手間がかかる上に、なくても走る部品として省略したため、さすがに国鉄の現場から反対意見が巻き起こり、
説得に出向いた設計者が機関区(機関車の車庫)に軟禁される騒ぎに発展。
この設計者、戦時量産のため安全基準を下げたEF13のモーターの整備中に感電、九死に一生を得ている。
しかしこの設計者、戦後、英国国鉄では機関車に高速遮断機を設けず、
変電所の遮断機で「事故があれば、ひと区間の電車、機関車を全部止めてしまう」という、
かなり強引なシステムになっているのに「意を強くした」そうだが、
戦時中の日本国鉄と比べてでさえダイヤ密度がスカスカだった英国国鉄と同列に比較するには無理がある。


【戦争奇譚 〜鯨油で走るディーゼル車〜】

戦時中、ディーゼル機関の燃料に事欠いて、鯨油まで使ったことがある。
高速ディーゼル機関の燃料としてはかなり無理矢理。予燃焼室式の統制ディーゼルだからできた荒技。


【戦争奇譚 〜自称、元”特攻隊員”〜】

ノンフィクション作家、日高恒太郎氏によると「自称特攻隊」は100%ニセモノ。自称特攻隊員の特徴は、

 ・陸軍にいたのか海軍にいたのか曖昧。
 ・実在しない航空隊や航空学校などに所属している。
 ・軍歴を曖昧にする。陸軍なら少年飛行学校第何期とか海軍の予科練なら甲乙丙の何期で、
  さらに部隊名などを明らかにしない。
 ・本物は戦争体験を勇ましく語らない。
 ・有名人でも「特攻隊員」詐称する人がいる。元連合会長山本章氏も詐称していた。

ちなみに最も「怪しい」のは予科練十四期である。(週刊新潮8/26号より)

極真会館は大山倍達が元特攻隊員だったと自称していた。
それを捏造するため山梨に戦時中実在しない航空学校を作りあげ、
さらにありもしない出撃記録までデッチ上げていた。


【戦争奇譚 〜特務機関所属の中将の資金源は?〜】

名将の誉れ高い真崎甚三郎中将は満州中国の特務機関の勤務から帰ってくるとき、
鉄道貨車丸ごと一杯ぶんの家財道具を持って帰国して世田谷の自宅に戻ったらしい。
その際かなりの量の馬蹄銀も持ち帰って、戦後の事業経営の資金にした、という。
普通に陸軍の配置転換で満州の任地に勤務していたはずだが、
特務機関というのは中国人満州人の要人と交流しているうちに 何か役得があったのだろうか?

140 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/24(金) 06:35:53
【戦争奇譚 〜パイナップルの缶詰〜】

「ゲゲゲの鬼太郎」などで知られる漫画家の水木しげるは、
兵隊時代にパイナップルの缶詰を缶切りを使わずに指で空けた事がある。
水木氏が戦時中にラバウルなどにいた事は知られてるが、これは水木氏が初年兵だった頃の話。
どこの国でも新兵や初年兵は古兵や下士官などから死ぬほどしごかれるが、
ある日3人の新兵が理不尽なしごきに耐えかねて脱走した。
この不祥事に驚いた訓練部隊の司令官は、これ以上脱走兵が出ないように新兵達に対して懐柔策に出た。
それは「新兵全員にパイナップルの缶詰を支給する」事。
そして初年兵の水木氏も貴重なパイナップルの缶詰を受け取って大喜びしたが、
缶詰をそのまま兵営や寝床に持ち帰っても、意地の悪い古兵達に巻き上げられるのは目に見えている。
その為、この場で缶詰を空けて食べる事にした。だが、肝心の缶切りがない。
そこで焦った水木氏は、パイナップル食いたさに必死で道具も使わずに指で缶詰を空けて、
中身をその場で全て平らげてしまったという。
その後、あの時はよくあんな事ができたもんだなぁ、と思い出し、
パイナップルの缶詰を試しに指で空けようとしたが、どうしても空けられなかったとか。


【戦争奇譚 〜ある商社マン〜】

第二次大戦直前、欧州の三井物産支店に赴任した人がいた。
しかし、大戦が勃発し、独ソ戦が始まって欧州から日本に向けての物資輸出が絶たれると、
在独日本大使館に徴用された。
ところが、O大使と反りが合わず、海軍嘱託としてLisbonの海軍武官室で諜報業務に就いている。
当時、Lisbonには外貨自由市場、早い話が闇市場があった。
太平洋戦争後、Singaporeで没収した1000ドル紙幣は、回り回ってこの地で売捌かれたりしている。
尤も、この時は、米国の連邦準備銀行が紙幣の番号を控えていたお陰で、出所が分かり、
散々英米の新聞に書き立てられたらしいが。


【戦争奇譚 〜日本の分裂の危機〜】

1927年、昭和天皇がお召し艦に乗って、奄美大島に来島し、名瀬と大島海峡の古仁屋要塞をご訪問された。
そこで陛下にお見せする映画撮影のため、県職員がトカラ列島の十島村を訪れたが、
彼らはその行幸を全く知らす、県職員から初めて聞かされて驚いた。
当然、鹿児島県議会で問題となり、十島村営汽船建造の契機となった。
さてその後、1946年2月のこと、日本と米軍軍政府との行政分離線が、北緯30度に引かれてしまった。
このため、十島村に属する竹島、硫黄島、黒島の上三島と、口之島、中之島、
臥蛇島、平島、諏訪瀬島、悪石島、宝島の下七島とに分割され、
更に日本本土とこれらの島を結ぶ航路は運行が停止、下七島は連絡は遮断されてしまった。
この時、十島村の実力者だった人が、上三島の自分名義で借りていた民家を役場に改造し、
鹿児島県知事と掛け合い十島村臨時代理となり、1948年三島村として正式に分離してしまった。
日本にもベルリンの壁とか朝鮮半島の分断線があった訳だ。
ちなみに、この北緯30度線は、1951年12月、やっと北緯29度線に改められ、
トカラ列島の島々は日本に復帰出来、分断の悲劇も回避された。

141 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/24(金) 06:36:52
【戦争奇譚 〜幕府による米への鉄道建設免状問題〜】

時は明治2年 政府の鉄道建設計画が根本から揺らぎかける事件がおきた。
なんと慶応3年、江戸幕府がアメリカに鉄道建設免状を出していた事が発覚。
アメリカ公使館がその免状を楯に、鉄道建設をさせるよう求めてきた。
「そんなことを許可したら植民地同様になってしまう」と大隈重信が突っぱねた所、
翌日公使が抗議状を持って政府に乗り込んできた。
そこで仔細に免状を調査したところ、署名が将軍慶喜ではなく老中小笠原壱岐守であり、
大政奉還直後の12月23日発行だった つまり無資格の老中が勝手に発行したものだった。
それを理由に再度突っぱねたが、公使は納得せず、一時は戦争も辞さない構えだったという。


【戦争奇譚 〜なぜか豊富であったコンドーム〜】

第二次大戦中の日本軍では、ほぼ全ての物資が不足して居た中で、なぜかコンドームだけは豊富に存在した。
従軍カメラマンが湿気からフィルムを守るのに重宝したと伝えられる。
当時の日本で、ずば抜けて機械化が進んでいたのがコンドーム生産であったため。
戦略物資は学生が汗だくで作ってたのに、コンドーム生産に関しては、ほぼ完全に自動化されてたという。
全軍に配備された「突撃一番」は、前線の兵士達を感染病から救った。


【戦争奇譚 〜現在も残る被災建造物〜】

横浜市中心部には未だに空襲の被災建造物が現存する。
京浜急行戸部駅と日ノ出町駅の間に位置する旧平沼駅である。
戦時中に経費節減のため廃駅になり、その後被災し崩壊した。
同鉄道によると撤去しない理由はプラットホームと高架が一体構造であり、
解体すると高架の強度が低下するかもしれないからだそうだ。
それにしては、つい最近まで焼け焦げた屋根の支柱を放置してたのだから、
単に解体費用がもったいなかったからではないか。少なくとも表面だけ綺麗にすることはできるはずだし。


【戦争奇譚 〜戦時中の高級乗用車開発秘話〜】

乗用車が作られなくなった太平洋戦争中のこと。
天皇陛下、各宮家、将校、政府高官が乗る為の高級乗用車を商工省と陸海軍協同で企画し、
許可会社(日産とヂーゼル自動車)に試作させることになった。
と言うのも、やんごとなき人々が乗る車が、敵国の作った車では具合が悪い。
ということから、許可会社には東南アジアで接収した欧米の高級乗用車が貸与され、
これを参考に日産とヂーゼル自動車は高級乗用車を試作することとなった。
当時の日本は物資が不足しており、その試作車はエンジンとシャシーをトラックから流用、
ボディは帝国車輌が製作することになった。
さて1943年、日産とヂーゼル自動車の御料車の試作車が出来上がり、富士山麓で試乗会が行なわれた。
試乗してみると、エンジン音はやたらと五月蠅く、乗り心地もまるで良くなく、
内装もとても褒められたものではなかったという。
この試乗会では同時に、南方で接収したChryslerを走らせていたが、
前二社の国産車からこれに乗り換えたところ、あまりの乗り心地の良さに商工省、陸海軍の担当者全員が、
国産車を陛下に勧めるのは無理だ、と判断したと言う。
その乗り心地は、木賃アパートと高級マンションほども違いだったそうだ。
以降、御料車の試作は沙汰止みとなった。
ちなみに当時、天皇家が用いていたのは主にRolls-Royce。昭和天皇は戦時中もリンカーンに乗り続けた。

142 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/24(金) 07:45:26
【戦争奇譚 〜玉音放送のテスト再生〜】

玉音放送は昭和20年8月15日正午以前に一度再生されていた。
一部軍人の玉音盤強奪未遂などがあり、やっとのことで放送局に到着した玉音盤を職員がセット。
普段なら本放送の前にテスト再生をするが、はたして恐れ多くも玉音のテストをしていいものかと考えた。
しかしテスト再生をしなかったために本放送で事故が起きては大変と言うことで正午前に再生をした。
ガラス越しの調整室にいた局長や警備の軍人は、
スピーカーから突然流れてきた玉音を聞いて、全員その場で凍りついたという。


【戦争奇譚 〜玉音放送についての一般人の反応〜】

昭和20年8月15日、この日の正午のラジオ放送を、
「陛下はきっと国民を激励してくれるんだろう。」と勘違いした人がいたのは有名だが、
中には「陛下はきっと『朕と一緒に死んでくれ』と言うんだろう」と勘違いした人もいた。
運命の日、役所の前(ラジオが一軒一軒になかったので)に集まった人をみて、村長と村ただ一人の警官は仰天した。
包丁や、ロープ、中には青酸カリを持ってるものがいる。
「終戦に反対して暴動をおこすつもりか!」と戦々恐々としていると、ラジオが終わったあとも何事もなくみな帰宅する。
村長が一人の村人に聞くと、「陛下が死んでくれといったら一緒にお供するつもりだった」。
ある村でのお話し。

【戦争奇譚 〜靖国神社の銅像〜】

じつは戦後、靖国神社から強制的に撤去された銅像はひとつもない。
敗戦後、靖国神社から撤去された銅像は日露戦争関連のものがわずか8点。
しかも経営難から自主的にスクラップ屋に売った物だった。
また万世橋駅前の広瀬中佐像も、日本政府が設置した銅像撤去審査委員会の連中が、
聯合軍から要請があったわけでもないのに「自主的」に撤去を決めた。
聯合軍としては広瀬中佐像は上官と部下のあるべき姿を現したものでもあり、
軍国主義とは関係がないので残すつもりだった。


【戦争奇譚 〜日本製鋼所〜】

明治40年に日本製鋼所が設立された時、アームストロングと、ヴィッカースが大株主だった。


【戦争奇譚 〜長持ち〜】

幕末に幕府が輸入した工作機械が、第二次大戦後米軍に接収され在日・米海軍の施設船舶修理廠で使われていた。
それは蒸気ハンマーであったが、稼働止めたのは21世紀になってから。


【戦争奇譚 〜電気炊飯器〜】

電気炊飯器を最初に作ったのは陸軍。戦争遂行上大きな意味があった。
炊いた米は保存期間が短いので前線付近での調理が必要となる。
また炊飯の際、前線で大量の真水が必要となる。同時に非常に目立つ煙を出してしまう。
当時、炊飯が必要な米食文化圏の軍隊は近代戦争は出来ないという説が根強くあったので、
浄水器で水を洗浄し、電気で炊飯する野戦炊飯車を作って、日本軍も近代戦争が遂行可能と証明して見せた。
このときの技術が現在の電気炊飯器の技術に生かされている。

143 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/24(金) 07:46:27
【戦争奇譚 〜薬莢から作られた硬貨〜】

終戦後すぐ作られた50銭黄銅貨は旧軍の銃砲弾の薬莢等から作られているため、品位が一定でない。
(銅600〜700、亜鉛400〜300とかなりアバウトな配合比率)そのため良く割れた。


【戦争奇譚 〜硬貨による資源備蓄〜】

昭和8年から昭和12年にかけて発行された10銭と5銭硬貨は、
以前の白銅に代わりニッケルを主原料として製作された。
耐腐食性、対摩耗性に優れたニッケルは白銅と比べ偽造がしにくく、
これらの点が評価され採用されたが他にももう一つ目的があった。
兵器類に必要な特殊鋼の材料として不可欠であり国内でほぼ産出しないニッケルを、
白銅よりも高い純度で流通貨幣という形で備蓄しようというものであった。
昭和12年に日中戦争が勃発し昭和13年に臨時通貨法が制定されると、
代行貨幣が作られこれらのニッケル貨幣は実際に回収されている。


【戦争奇譚 〜硬貨のダイエット・陶器の硬貨〜】

昭和13年以降1・5・10銭は錫を代用でアルミを用いたアルミニウム青銅に切り替えられた。
しかしすぐさま銅も重要物資になり結局軽く加工も容易なアルミニウム100%の1・5・10銭が登場することになった。

そして太平洋戦争開戦、既に主力は全金属の航空機時代に突入していた。
アルミニウムはいくらあっても足りない、そこではたと気がついた。
「なんでアルミが足りないのに硬貨でアルミニウムを消費してるんだろ?」
ただでさえ減る金属割り当てに対し、インフレで小額貨幣の需要は増加しているため、
貨幣切り替えの転機になった昭和13年制定の臨時通貨法(議会の議決や承認なしに、
勅令により貨幣の素材・純度を変更できる)により、これらの貨幣はダイエットを開始した。
昭和15年から昭和18年の間に10銭は直径22.00mm・1.50gから直径22.00mm・1.00gに、
5銭は直径19.00mm・1.20gから直径19.00mm・0.80gに、
1銭は直径17.50mm・0.90gからデザイン変更を挟んで直径16.00mm・0.55gになり、
薄く小さくなっていった。

だがそのアルミもそのうちに払底する。
占領地の東南アジアから産出する錫と亜鉛の合金貨幣の生産が昭和19年から開始されたが、
南方からの輸送が途絶えがちになるとこれらもすぐさま製造中止、5・10銭は小額日銀券へと切り替えられた。
しかしこの時期になると紙もインクも重要物資となっており、
耐久性も紙幣よりも硬貨タイプの方が勝るため、なんと陶器(磁器)で貨幣を作ろうとした。
陶貨は国外では前例があり別段日本が初めてではないが、製造ノウハウは手探りで、
有田、瀬戸、京都などに製造が打診されプレス機もないのでボタンを作る要領で
10銭・5銭・1銭の各陶貨が作られたが本格的に出回る前に戦争が終結。
結局陶貨は日の目を見ることなく死蔵あるいは廃棄された。

144 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/24(金) 07:47:16
【戦争奇譚 〜そんな無茶な〜】

大戦中のソ連軍の、とある部隊の空挺話。「積雪してるから大丈夫だろう」と、
パラシュート無しで降下したことがある。当たり前だが全滅した。
一方英軍の爆撃機の尾部銃座から放り出されたものの、
雪の積もった針葉樹林のおかげで無傷で助かった人がいるの。


【戦争奇譚 〜えらい無茶をやらかすソ連軍〜】

ソ連では、コンテナに藁を詰めれば衝撃吸収材の代わりになると考え、
その中に乗員を乗せて輸送機から投下する実験をしたことがあるという。はたして乗員は無事だったのだろうか。
またソ連はパラシュート無しでの補給品投下も多くやっている。
包囲された部隊に対してそれをやって、後でドイツ軍が捕獲したら、
ほとんど着地の衝撃で壊れて使い物にならなかったそうだ。
他にも冬戦争の時ヘルシンキに爆弾をばら撒いて、
「資本家階級に搾取されているフィンランドの労働者に対して援助のパンを投下した」と、
全世界宛に発信したことがある。投下と爆撃の区別がつかなかったらしい。


【戦争奇譚 〜ソソ連兵の戦場での平均寿命〜】

第2次大戦ブックス「拳銃・小銃・機関銃」ではソ連の戦車搭乗歩兵の平均寿命
(実戦に出て生存していられる時間)は4週間程度だったそうだ。戦術的後退の許されない軍隊ならでは。


【戦争奇譚 〜ソ連兵の算数〜】

満州でソ連の捕虜になった日本兵達の話。
ソ連兵が日本人捕虜を整列させて人数を数えていたが、
整列した捕虜をいちいち指でさしで数えているので、恐ろしく数えるのが遅い。
業を煮やした日本兵が、掛け算を教えてやった。
するとそのソ連兵は一瞬で数値が出たことに対して驚愕。
日本兵はこんなことも知らない連中に負けたことを知って驚愕。


【戦争奇譚 〜ソ連兵たちの異文化接触〜】

ベルリンに攻めてきたソ連兵は民家から水道の蛇口と電球を略奪しまくったらしい。
なぜか?彼らは蛇口さえあれば「どこでも水が出て」、電球さえあれば「どこでも灯りが点く」と思っていたらしい。
さらに略奪品の腕時計も両腕に鈴なりにつけていたという。
ねじの巻き方が判らなくて、止まった端から捨てていたため。
またベルリン占領後には、水洗トイレがなんなのか理解できず、そこでジャガイモを洗っていた。
それと大戦前にリトアニアに進駐したソ連将校の奥さん方は、鹵獲したネグリジェをナイトドレスと勘違い。
それを着てパーティーに出席していた。

145 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/24(金) 07:50:56
【戦争奇譚 〜ソ連の損害〜】

第二次世界大戦において、ソ連戦車の損害はドイツの4倍だった。


【戦争奇譚 〜戦車の意味〜】

旧ソ連はクルスク戦線において戦車を地中に埋めて即席トーチカ陣を作った。
300台〜400台ほどの戦車を地面に埋めて。機動あってこそ戦車なのになぜそんな事をしたのか?


【戦争奇譚 〜氷上の鉄道〜】

シベリア鉄道工事のとき、バイカル湖を迂回する険しい山を掘り進むのに時間がかかりすぎたため、
なんと湖の氷の上にレールを敷いた時期があった。
おかげで氷が割れて貨物列車が沈没する事故が相次いで起こった。


【戦争奇譚 〜遅れた理由〜】

少し時代は遡るが、ナポレオン戦争三帝会戦(アウステルリッツの戦い)での話。
当時ロシア軍はまだ旧いユリウス暦を使用していたため、
グレゴリウス暦に更新したヨーロッパ諸国より日付が12日遅く、
待ち合わせていたオーストリア軍と合流できず各個撃破された。


【戦争奇譚 〜踏み倒すのはお家芸〜】

第二次世界大戦中、アメリカはレンド・リース法によりソ連に武器を供与していた。
ナチス・ドイツが消滅して幾年月が過ぎ、ソ連を訪問したアメリカ大統領、ニクソンは、
レンド・リース法で供与した武器の代金、8億ドルを払ってくれるように時の書記長ブレジネフに言った。
それを聞いたブレジネフは、
「あなたたちがくれた飛行機や戦車は酷いものばかりであまり使い物にならなかった。
だから支払いは3億ドルにしてもらえないか」と値切った。
当然アメリカはそんな都合の良い話に応じるワケもなく、結局、武器の代金は払われず終いだった。
またソ連は、ロシア帝国時代に発行していた軍事債を踏み倒し、世界各国から総スカンを食らったことがある。

146 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/24(金) 07:52:18
【戦争奇譚 〜実は密かな海軍大国だったソ連〜】

第二次世界大戦開始時にもっとも潜水艦を保有していたのはソ連だった。
実に200隻以上の潜水艦を持ち、新鋭艦も多かった。にも関わらずほとんど活動をしなかった。
結局1945年になって十数隻の商船を沈めたに過ぎない。
そのわりに100隻以上の潜水艦が沈んでいる。魚雷発射一回に一発しか発射できなかった。


【戦争奇譚 〜終戦後にも引揚船を攻撃したソ連〜】

第二次大戦中のソ連潜水艦が間抜けなように見えるが、日本に対しては憎むべき行為をしている。
北海道近海で1945年8月15日以降、数隻の日本商船を撃沈している。
南樺太や千島の侵攻に連動して北海道近海に展開していたが、北海道上陸のための海上封鎖も兼ねていた。
撃沈された日本船には南樺太や千島からの引揚者が多数乗船していて、その多くが犠牲になった。


【戦争奇譚 〜宇宙技術を用いた映画撮影〜】

『戦争と平和』(セルゲイ・ボンダルチュク監督)の一シーン。
ナポレオン軍とロシア軍が正面衝突する「ボロジノの戦い」では、
地平線の遥かかなたまで人馬が入り乱れる光景が展開し、唖然とさせられる。もちろんCGなどではない。
このシーンの最後で、地上を俯瞰するカメラ目線がどんどん垂直上昇していき、
ついには雲を突き破るシーンがある。
どうやって撮影したのか長らく謎だったのだが、だいぶたってから、ある本に秘密が書いてあった。
このカットを撮影するためにどうやらロケットを打ち上げたらしいのだ。


【戦争奇譚 〜キャビア〜】

乱獲に乱獲を重ねられていたチョウザメから取り出されたキャビアは、
実はスターリン時代の末期には、軍で靴クリームの代用に使われていた。
今は禁猟のはずの黒海のキャビアだが、実はマフィアが乱獲しまくっているため、お店に行くと普通に買える。
また、ポーランド産のキャビアも結構美味しいし、これは安い。
ロシアの黒海のキャビアは缶詰なので、匂いがきついのだ。
ちなみに、ロシアで普通に売っているキャビアを買うと、鮭の卵。レッドキャビアという。


【戦争奇譚 〜ロシア革命の真の理由?〜】

第一次大戦勃発時、同盟国であるフランスから東部戦線形成を急かされたロシア政府は、
戦時動員を遅滞させる原因の一つであるウォッカを禁じた(戦争が終わるまでは禁酒という命令を発した)。
しかしウォッカはロシア政府の専売であったため、売り上げはゼロになり政府の収入は激減し、
官僚をして「戦争に際して国庫の増収を図るのが当然なのに自ら収入の道を閉ざすのは前代未聞である」と嘆かせた。
当たり前の事だがこの禁酒令は守られず、ウォッカは闇で流通した。
ひょっとしてロシア革命の原因はウォッカ禁令だったのかもしれない。


【戦争奇譚 〜ソビエト共産党を支援したジャパンマネー〜】

実は、ソビエトの共産党を作るために資金などを援助したのは、日本だったりする。明石元二郎大佐。

147 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/24(金) 17:10:33
【戦争奇譚 〜赤の広場の「赤」〜】

「赤の広場」に、「共産主義の広場」というような意味がついたのは革命後のことだった。
元々ロシア語において「赤」は正義、「白」は悪というような意味があったため、
「正義の広場」→「赤の広場」という程度の意味でしかなかったのだ。
その後、革命軍が「正義の軍」という意味で「赤軍」と称したため、「赤」が共産主義そのものを意味するようになった。
寒い露西亜では、氷や雪を連想させる「白」が悪、暖かい炎を連想させる「赤」が正義を表す。
ちなみに、白系ロシア人というのは、革命時に「赤」でなかった人たちに対する蔑称でもあった。


【戦争奇譚 〜ロシアの日本侵攻戦略と日本側の対応〜】

日露戦争前、ロシアは日本侵攻のプランを作っていた。
それは舞鶴や名古屋、和歌山など等複数の場所に何派にも分かれて上陸し、
舞鶴〜京都〜大阪間を制圧後、日本軍を東西に分断、各個撃破するという、なかなか手の込んだものだった。
ただし基本的にそれほど輸送船が無い国だったから計画どうり実行する可能性は無かった。
もしも日本に侵攻するとしたなら現実的に考えると、船舶数からして舞鶴だけだろう、
と予想した明治政府は、舞鶴にのみ要塞を作った。


【戦争奇譚 〜ソビエト海軍の大艦隊の正体〜】

米国の衛星がソビエトの艦隊基地を撮影していた。
するとその写真には、かなりの規模の艦隊が港に停泊している。
しばらくして嵐が突然発生し、そのソビエトの艦隊基地を直撃。
米国の衛星がその直後を撮影したところ、沈み傾く船の数々が写っていた。
それらは全てハリボテだった。


【戦争奇譚 〜ソ連軍の軍紀違反者への懲罰の方法は?〜】

終戦後の満州や朝鮮におけるソ連兵の婦女暴行の阿鼻叫喚図は悲惨極まりなかったが、
急いでソ連軍憲兵隊に通報すれば取り締まってもらえたという。
ソ連憲兵隊の軍紀風紀の取り締まりは日本軍のそれより凄まじく、
通報で急行した憲兵隊は暴行を行ったソ連兵の集団を自動小銃で掃射、
死体をトラックに積み込んでどこかに持って行ったとか。
ソ連軍でも中央アジアの民族の兵隊であれば、政治将校の使うロシア語は通じないため、
軍規違反を問いただしても理解できない。
そうである以上、問答無用で射殺してケリをつける、という理由もあったらしい。

148 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/24(金) 17:15:23
【戦争奇譚 〜ソ連崩壊の直前の樺太で〜】

南端の北海道が見える海岸が近づくにつれて、道の脇とか林の中に戦車、大砲がずらりと並んでいた。
ところがこれがみんなダミー、戦車は、コンクリートで作って電信柱を主砲にしてあった。
大砲は電信柱とか、廃材を組み合わせそれらしく作ってある。
案内の通訳(KBGの監視役)「日本軍が攻めてこないように脅かしのダミーです」と答えた。
もうソ連が崩壊間じかで規律も緩んでいたころ、通常ならば外国人が立ち入り禁止のような場所に
KGB自ら案内して、このように本音をもらしているのもなにか異常ではあるが。
それよりもソ連は日本が攻めて来ると本気で思い込んでいたのは不思議だ。
逆に日本ではソ連が攻めてくると思われていたにも関わらず。
なおロシア人は、モンゴルやナポレオン、ヒトラーによる進攻がトラウマになっていて、
侵略に対して異常な警戒感、恐怖心を抱いているという。
歴史的に有名な「タタールのくびき」と言うものがあり、
ロシア正史をひもとけば9世紀あたりから外敵の侵入と略奪を受けつづけてきたことが記されている。
1000年もの間、侵攻と略奪を食らえば行動原理が外敵から侵略される「恐怖」になるのも分かる。


【戦争奇譚 〜迎撃戦闘機はいつ来るの?〜】

大韓航空ボーイング707がソ連領空を侵犯、最終的には、強制着陸させられた時の話。
ボーイング707が防空識別圏からみるみるうちに領空に入ってきた。
その本土上空に差し掛かる707をレーダーで追尾していたムルマンスク防空司令部が、
迎撃戦闘機がいつまでたってもレーダーに映らないのにやきもきし、基地に無線で問い合わせた。
すると、「操縦士酩酊のため、いまだ発進できず」との返答。


【戦争奇譚 〜捏造報告〜】

ソ連時代の話、ある分隊で喫煙しながら車両に給油していると、お約束通り引火して、車両を失った。
正直に報告したくないので、ゲリラと戦闘した結果と虚偽の報告。
当然ながら上官にはバレバレだが、その上官も昔似たような事件を起こして車両を損失していた。
ついでに自分の分も併せて報告しておくとばかり、戦果と損害が誇張して上に報告。
ところが、報告を受けた中隊長も若い頃に事故で車両を失っていた。
この際だからと大隊に報告すれば、さらに大隊長は別の中隊の不始末を併せて報告する有様。
こうして帳尻を合わせる報告書は、異例と呼べる早さで決済され、
雪ダルマ式に戦果と損害が誇張され続け、上層部に報告された。
最終的に最初の分隊は、自転車から戦車は勿論の事、戦闘ヘリや爆撃機は言うに及ばず、
何故か貨物列車まで駆使して、師団規模のゲリラを掃討したことになってしまった。当然、人的損害は全く無し。
書類上は人類最強と言っても過言では無い赫々たる戦果により、
彼らがめでたく勲章を授かったまでは良かったが、そう良い事は続かない。
その分隊は全員が異動され、最後は行方不明になったそうだ。

149 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/24(金) 17:20:05
【戦争奇譚 〜ミグ25、通称「空とぶレストラン」〜】

「1台のTV以外に基地に娯楽はなかった。
兵も下士官も、ラジオ、レコード、読書、寝棚に横になって昼寝、これらはすべて禁止されていた。
もちろんアルコールも。しかしアルコールだけは皆、無制限にじつは飲んだ。
燃料補給しないで最大70分滞空するのに、
ミグ25は14トンのジェット燃料と制動機と電子機器用に1.5トンのアルコールが必要なのだ。
だからミグ25の基地には、どこでも大量のアルコールが保存されていた。
ミグ25は<空とぶレストラン>と称されていた」(ペレンコ談話)。
もちろん工業用アルコールやトラックの不凍液をのめば、
死んだり盲目になったりという記録が山ほど残されている。


【戦争奇譚 〜レーダーなんてものがあったんだ!〜】

第二次世界大戦で、レーダーの開発が遅れた日本軍が苦戦を強いられたのは周知の通り。
ある意味、第二次世界大戦は科学力の戦争だったといえる。
しかし世の中とは広いもので、戦争が終わってしまってから初めて、
この世に「レーダー」というものがあると知った国がある。戦勝国のソビエト連邦である。


【戦争奇譚 〜T-34戦車の話〜】

とあるロシアのトラクター工場が終に閉鎖することとなったが、
ソ連邦時代から数十年間オブジェとして入り口に飾られていたT-34をどうやって移動させるか問題になった。
戦車一台を吊り上げれるクレーンを借りてくる金などどこにもないし、
わざわざ分解していたら工場跡地の引渡し期限に間に合わない。さてどうしたものか…
で、だめもとでガソリンとオイルを入れ、新しいバッテリーを繋げてエンジンを始動したら、エンジンがかかった。
結局、何の問題も無くスクラップ屋まで自走した。


【戦争奇譚 〜懲罰銃座〜】

IL-2シュトルモビックはコクピットを始め要所に装甲が施されており、
空飛ぶトーチカと呼ばれたが、当初生産された単座型は特に後上方からの攻撃に弱く、
その為12.7mm機銃を備えた後部座席を設けた。
この後部座席はなぜか装甲されておらず、ソ連空軍懲罰隊隊員の唯一の行き先だった。
また後部機銃員には女性搭乗員が配置されることも多かった。


【戦争奇譚 〜消えた核弾頭の行方〜】

ある国際軍縮フォーラムでの話。アメリカ側の軍事評論家がこう質問した。
「ここに、ロシアのxx工場から出荷した核弾頭の出荷伝票の写しがあります。
そしてここに、それを受け取った極東軍管区oo基地の、納品確認伝票の写しがあります。
出荷された核弾頭の数は36、納品伝票の数は32。
これだけで実に4個の核弾頭が、跡形もなく消えております!」
それを聞いたロシア側の研究者は、落ち着き払った声で答えた。
「ご心配には及びません。アメリカや日本の方にはわかりにくいかも知れませんが、
社会主義計画経済の現実を知る者にとっては、ごく当り前のことなんです。
ノルマを達成できないと、減給、左遷ですが、超過達成すると、ボーナス、昇給といいことづくめ。
ソ連が崩壊してからも、その慣性はまだ続いております。
だから、当然の成り行きとして、冷蔵庫もクルマもテレビも生産工場はどこも出荷数量を水増しするんですよ。
核弾頭だって、同じことです」

150 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/24(金) 17:21:40
【戦争奇譚 〜イニジエフ〜】

「我、死す。されど、屈せず。さらば、祖国よ。」
1941年6月22日、独ソ開戦から1ヶ月で、ワルシャワとモスクワの中間都市ミンスクは、ヒトラーの電撃作戦で陥落。
イジニエフ・アリスコビッチは、前述した遺書をしたためこのときの戦闘に参加した。
だが皮肉なことに遺書をしたためた彼だけが生き残る。
1945年ドイツ降伏まで、捕虜として過酷な収容所生活を送り、やっと彼は祖国に帰国した。
しかし「ソビエトも負けたところがある」ことを認めたくなかったスターリンは、
イジニエフに「対ドイツ協力罪」をでっち上げ「裏切り者」としてシベリア送りにしてしまった。

やがて時は流れ、スターリンは失脚。
後に立ったフルチショフによるスターリン批判により「ナチス・ドイツに対して勇敢に戦った者達」として、
ミンスクとブレスト要塞が「英雄都市」として、祭り上げられる。
と、同時にイジニエフは「ソビエト最大の裏切り者」から、一日にして「ソビエト最大の英雄」に成る。
手の平を返したようにソビエトはイジニエフを賞賛し、数多くの勲章を送る。
そんなイジニエフだったが、英雄に成ったからといって驕るでもなく、
シベリア送りに成っていたからといって、いじけるでもなく、
「私は単なる共産主義者。単なる労働者に過ぎない」と言って、
数多くの「英雄」としての名誉職をすべて断り、一人の労働者として、鉄道整備をしながら人生を過ごした。

そして晩年を迎えようとする彼の人生に一つの事件が起きる。
チェルノブイリ原子力発電所の事故である。
「私がいなかったら、誰が列車を動かすんだ?」
ただ、それだけを言うと、次々と逃げ出した同僚を尻目に避難者で満員の列車を一人で動かしつづけた。
汚染地域の上を何往復も。

やがて、すべてが終わった時、イジニエフは血を吐いた。放射能症である。
医者すらも、「イジニエフを治療すると自分が危ない」として、治療を断ってしまった。
チェルノブイリ原子力発電所の事故は、崩壊しつつあったソビエトという国家そのものを象徴していたとも言える。

「一人の労働者」として稼いだイジニエフの持つ「ルーブル」は、
インフレのせいで、一夜にして「紙くず」と変り、貰った数多くの勲章は、何の価値も無い「がらくた」なっていた。
そして、イジニエフは死にかけていた。
そんなイジニエフが、同じく死にかけていたソビエトに対して、遺した言葉がある。
「我、死す。されど、屈せず。さらば、祖国よ。」
こうして、イジニエフは死んだ。

151 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/24(金) 17:24:07
【戦争奇譚 〜西側最強の兵器?西ドイツのセスナ機パイロット、マチアス・ルスト〜】

「赤の広場が禁煙になったんだと」「どうしてだ?」「この前、空港になったからさ」
1987年、ドイツ人青年が小型機で赤の広場に着陸するという事件が起こった。
そのことを皮肉ったアネクドート。単なる好奇心でやったドイツ人青年も大したものだが、
着陸を許したソ連空軍にとっては大失態だった。
彼こと西ドイツ青年、マチアス・ルストは密かに西側最強の兵器と呼ばれた。
彼の「赤の広場」への着地を許してしまった結果、
たちどころに国防相以下、防空軍の相当数の将官のクビが飛んだからだ。
彼こと西側最強の兵器、マチアス・ルストはその後ソビエトで逮捕されて懲役を喰らったが、
そのソ連でお勤めを終え、西ドイツに帰国した事は結構知られている。
しかし、帰国直後に婦女暴行をやらかして再び刑務所行きになった事はあまり伝わっていない。
なお、以下が彼の経歴だ。

Rust,Mathias
1987(昭和62)年5月28日 ランス・セスナ172P機でヘルシンキを離陸。モスクワ「赤の広場」に強行着陸。
  当時、19歳。9月4日 自由剥奪4年の実刑判決を受ける。
1988(昭和63)年8月3日 釈放 国外退去処分。
1992(平成4)年 看護師(女性)を刺し、殺人未遂罪で逮捕。懲役2年6ヶ月。

刑期を終えた彼は出所し、世界放浪の旅に出る。
インドに赴いた際、そこで出合った裕福な紅茶商人の娘と結婚した。
その際、ヒンズー教に改宗した、と伝えられる。


【戦争奇譚 〜ヤキトリ好きのロシア人〜】

ロシア大使館(旧ソ連大使館)が現在の場所に建設されたのは、
都内でヤキトリの屋台が最も密集している場所だったから。
仕事が終わるとソ連大使官員たちはヤキトリをつまみながら焼酎を飲んだ。


【戦争奇譚 〜広すぎるのか、ただ仕事が遅いのか〜】

2002年に衛星の観測によってシベリアに隕石が落ちたようだとロシアに報告が行った。
ロシアは調査を開始し、9ヵ月後に山手線の内側ぐらいが禿山になっているのを発見した。
ただ、その地域には誰もいなかったので被害はゼロ。
さすがロシア。9ヶ月も調査しないと隕石落下地点も分からないというのもまた凄い。


【戦争奇譚 〜恐怖の誇示、弱さのバランス〜】

冷戦時代、ペンタゴンが年1回発行していた「ソビエト・ミリタリー・パワー」にある年、
”ソ連のニッアニー・タジル戦車工場はこんなに大きいぞ!”と、ワシントン市街の地図と重ね合わせ、
「キャピタル・ビルからリンカーン・メモリアルまでがすっぽりと入る」、巨大な軍需工場であることを強調した。
すると翌年、ソ連政府が「ソビエト・ミリタリー・パワー」に対抗して発刊していた、
「平和への脅威はどこから来るか」なる年次報告書では、その地図を完全に複写した上で、
デトロイト工業団地の地図を重ね合わせ、”アメリカの戦車工場だってこんなに大きいぞ!”と、反論。
冷戦時代はお互いに「お前の方が強い、俺らは弱い」と言い合って互いに恐怖を煽り敵意を募らせていた米ソ。
「恐怖のバランス」を皮肉って「弱さのバランス」と揶揄した政治学者もいたそうだ。


【戦争奇譚 〜漫画はわかりやすい〜】

アメリカ軍が漫画を教範に取り入れた「PSマガジン」を発行、
M16を始めとした兵器の扱いをわかりやすく教育した時に、
「アメリカ兵は漫画に頼らないと兵器ひとつ扱えない」と、冷笑したのはソ連だった。
だが、若い共産党員があまりに歴史を理解していないことが問題になった際、
ソ連共産党の取った対策は「ロシア革命史」をコミック化することだった。
この「ロシア革命史」、英訳版も出版されたが、漫画というよりは絵入り物語で、
漫画としてはPSマガジンより読みにくいシロモノ。

152 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/24(金) 18:07:47
【戦争奇譚 〜垂直落下する銃弾〜】

Tu-22Mバックファイア爆撃機は、超音速爆撃機でありながら尾部に銃座を持つという珍しい機体だが、
全速飛行中(マッハ2弱)に発射された弾丸は、ほとんど後ろに飛ばないで真下に落ちるというウソのような本当の話。
搭載された23mm機関砲の初速が約700m/s、一方全速で飛ぶ機体は650m/s程度を発揮しているので、
合計すると後ろに向かった弾丸は50m/sという玩具の鉄砲のような鈍足である。
ただしバックファイアを同じくマッハ2で追尾する戦闘機から見た場合、
弾丸の相対速度は発射速度に等しい700m/sであり、
また空気抵抗をほとんど受けずに弾速が落ちる事も無いので無意味な武装では無い。
もしマッハ3級の爆撃機に尾部銃座を設置し、これを真後ろからに向かって撃った場合には、
追尾する戦闘機のパイロットからは弾丸は発射後徐々に速度を上げて向かって来るように見える。
ただし地上から見上げた場合、発射直後の弾丸は後ろではなく前に進んでいる。


【戦争奇譚 〜チュラタム発射場〜】

ソ連のバイコヌール宇宙基地はバイコヌールにはない。
チュラタムという街が一番近いので、本来ならばチュラタム宇宙基地と称するべきなのだが、
秘匿のために500kmも離れたバイコヌールの名をつけたのだった。
だがアメリカはそのことを先刻ご承知で、はじめからその基地を「チュラタム発射場」と呼んでた。


【戦争奇譚 〜原爆は大したことない兵器〜】

第二次世界大戦終戦直後、ソ連の軍事関係者の間では、
「原爆はたいしたことのない兵器である」、という認識で一致していた。
その根拠は、都市部で使用しているにもかかわらず、
二都市で「20万人しか」死んでいないからというものであった。
戦争中2000万人失ってる国だからある意味当然の感覚なのだろう。
土木工事に核爆弾を使用するなどの無茶ぶりは、おそらくその辺りのセンスの延長上にあるのだろう。
状況が違えどレニングラードやスターリングラード考えたら、
ソ連の感覚ではドレスデン爆撃や東京大空襲もソ連から見れば「些細な損害」でしかない。


【戦争奇譚 〜管理〜】
 
旧ソ連空軍での話。当初パイロットには生存装備の一環として、
拳銃と実弾が支給され管理は各自に任されていた。
だがある時、パイロットが勤務を終えて帰宅したところ、妻と間男の「最中」を発見。
まとめて射殺するという事件が発生してしまった。
結果、拳銃はまとめて基地で保管、フライトの時にだけ貸し出すようになった。

153 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/24(金) 18:16:12
【戦争奇譚 〜酔っ払う〜】

ロシア語には「酔っぱらう」という意味の動詞が70個もある。(中央公論「世界の歴史 17 ヨーロッパ近世の開花」より)
安価な蒸留酒が伝わると半世紀〜一世紀ばかりその国がアル中になり、冷え込むと酔いの回りが悪くなる。
おっつけ強い酒が出回るようになる悪循環に陥る。その結果、寒い所の人はよく呑む。
たとえばモンゴルでの冬場の気温はマイナス40℃以下となるため、酔って路上で寝ると凍死する。
そのため首都のウランバートルでは警察が定期的にパトロールしている。
だが、毎年かなりの人が飲み過ぎてそのまま路上で寝てしまい、凍死している。


【戦争奇譚 〜醸造酒と蒸留酒〜】

吉村昭「私の引き出し」に、文化四年にロシア軍艦が千島や利尻礼文等に来たときのエピソードがあった。
略奪物資の中に日本酒があったので、水兵たちが樽からすくってがぶがぶ飲んだ。
だが甘くて薄いからか、彼らはがぶ飲みした挙げ句、皆ひっくり返ってしまったとか。
「翌日は一人残らず二日酔いで青ざめた顔をし、『日本の酒は恐ろしい』と口々に言っていたという」
(拉致された島人の記録による)


【戦争奇譚 〜なるほど〜】

T-62に搭載された消火装置に使われた臭化エチレンガスは毒性が強く、
消火装置作動後に乗員は直ちに脱出しなければならない。
つまり、火炎瓶などを火災センサーに認識させれば、実質戦車を撃破することが可能になる。


【戦争奇譚 〜原子力艦〜】

バルチック艦隊の原子力艦に親善訪問した米軍の将軍がいたのだが、
その後の調査で実はただならぬ放射線に被爆していた事が分かった。
「バルチック艦隊の乗務員は暗闇でも見えるんだぜ」というシャレにならないジョークもあったソ連の艦艇。

154 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/24(金) 18:17:11
【戦争奇譚 〜SS中隊の消耗〜】

ドイツの武装親衛隊は最激戦地へ配備されることが多いが、ある中隊を再編成のために引き上げさせたとき、
わずか2名しか残っていなかった。(1942初頭 東部戦線)


【戦争奇譚 〜アドルフ〜】

第三帝国時代、ドイツ軍では軍用犬・軍馬にアドルフ、と名付けるのが禁止された。


【戦争奇譚 〜ドイツ兵捕虜の待遇〜】

どうやら第二次世界大戦で、西部戦線にいたドイツ軍の死亡者数は、
終戦前戦死した者の数より終戦後捕虜収容所で死んだ数の方がずっと多かった。
特に米軍の収容所が非道くて、泥沼のようになった牧場に露天のまま放り出して置いたそうな。
物資が欠乏し、かつての占領軍に敵意を持たないでもなかったフランスが次にひどく、
意外なことにイギリスが一番ましだったとか。


【戦争奇譚 〜フランス式地雷処理〜】

フランスでは、早めの帰国を餌に捕虜たちに地雷処理をさせていた。
西部戦線の主戦場だったフランスにはドイツが敷設した1000万個の地雷が残されていた。
これを処理するため連合軍は、ドイツ兵捕虜を用い地雷探査に当らせたのだ。
だが工兵だったのならまだしも、他兵科の素人に地雷処理をさせて結構爆死させてるという。
証言によると、その地雷処理に携わった捕虜たちは「元工兵なんて10人にひとりも居なかった」という。
そのやり方だが、捕虜をはいずらせ木のくいを地面に突き刺す方法で地雷を探させる。運悪く信管に当たれば爆発。
処理済の地域でも爆発が相次いだため、確認のため捕虜に横隊を組ませ行進させる。当然、運の悪い者は爆死。
それを1年ほどやり、ドイツ兵捕虜の死者数は実に50,000名にも及んだという。


【戦争奇譚 〜ドイツ的な真面目さ〜】

ドイツで戦争中、パンが配給制になったときのこと。
「パンの小麦の量が少ないのではないか?」と疑った統計学者は毎日配給されるパンの重さを量り、
グラフを作ってパン屋に問うた。
「パンの重さは規定では180gになっているはずなのに、あなたのパンはそれよりも軽い。これはどういうことなのか?」
パン屋は「いや、そんなことを言っても、パンなんて重いのもあれば軽いのもありますよ」
と言い逃れをしたが、統計学者はグラフを示してさらに問い詰めた。
「このグラフを見たまえ。あなたが平均して180gのパンを作ろうとしているのならば、
このグラフの分布曲線の山は180gに来るはずだ。ところが実際のグラフでは160gが分布の山になっている。
あなたの店は軽いパンを作ってごまかしをしている。以後、善処したまえ」
次の日から、統計学者のところに届けられるパンの重さは重くなった。
しかし統計学者が引き続き重さを計りつづけたところ、パンの重さは「全て」180g以上であることがわかった。
分布曲線は以前のものの180g以上の部分と一致する。
このことから、パン屋が統計学者のところにだけ、180g以上の重さのパンを届けていることがわかった。
かくしてパン屋は物資隠匿の罪で逮捕されたそうな。めでたしめでたし。

――このエピソードからわかること。

・統計学はすごい。
・ドイツ人は細かい。
・数学者はあまり性格が良くない。

155 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/24(金) 18:18:02
【戦争奇譚 〜録音音楽〜】

ドイツの録音技術というのは昔から非常に優れていた。
第二次世界大戦の末期のこと、ドイツのラジオ放送局が録音のオーケストラ演奏を流していたが、
連合軍側の兵士たちには、それが録音のものとは到底思えなかったという。
「全土を焼け野原にされるほどの空襲に晒されても、平然と生でオーケストラ演奏をやっている余裕がある」
と、連合軍側兵士たちは誤解し、ドイツに脅威を覚えていたそうだ。

実用に耐えるテープレコーダーを開発したのが1930年代のドイツ。交流バイアス方式によるプラスチック磁気テープ
録音は1941年までに実用化していた。フルトヴェングラー指揮のベルリン・フィルの演奏をテープ録音し、対敵放送に
有効活用したのは有名。何とステレオ録音までやっていた。余談ながら、戦後このベルリン・フィルの録音テープを
ソ連が接収し、これを音源とした海賊版レコードを売りまくってあこぎに稼いだのも有名な話。


【戦争奇譚 〜ヒンデンブルグ号の炎上〜】

有名なヒンデンブルグ号の爆発は水素ガスが燃えたのではなくて、外部の塗料が燃えた。
映像でも、当時の証言からも、炎上しながら船体が上昇しているのが分かるが、
もし仮に水素が燃えたのであれば機体は急激に浮力を失って落下しないとおかしいのだ。
(分からなければレッド・ツェッペリンのファーストアルバムのジャケット写真を参照)
ドイツの記録書によると船体(気球部分)の塗料が火薬と同じ成分を大量に含んでいたことがわかった。
さらに驚くべきは、事故当時ドイツではそのことがわかっていたのに公表していなかった。
ちなみにこの気球部分の塗料の成分は、酸化鉄とアルミ粉。
雨風を防ぐために塗られたこの塗料の成分は、そのままテルミット弾の成分と同じ。さぞかしよく燃えたことだろう。
一方で、爆発そのものの原因は、雷か静電気であろうという見方が一般論だが、現在も結論は出ていない。


【戦争奇譚 〜1936年ベルリンオリンピック〜】

オリンピックの聖火リレーは、ナチスがベルリン・オリンピックで最初に行った。
また平和の象徴の鳩を飛ばすことも、このベルリン・オリンピックから始まった。
さらに世界初のテレビ放送をおこなったのもベルリン・オリンピックでのこと。
国威高揚のためのオリンピックという概念を最初に見出したのもドイツ。
ちなみにそのヒントはその2年前に行われたサッカー・イタリアワールドカップである。
だが現在のドイツの歴史の教科書では、オリンピックで聖火リレーが始まったのは
1960年のローマオリンピックから、と記されている。
なおドイツは、「オリンピックの聖火リレーが通るから」という理由でアルデンヌの森の正確な地図を作成した。


【戦争奇譚 〜ファンタの始まり〜】

第二次大戦中、ドイツは開戦によってアメリカからコーラの原液の輸入ができなくなり、
ファンタを健康飲料として開発した。
これは無果汁、ビタミンC、カフェイン入りで、ドイツ軍に粉末ジュースとして納入された。


【戦争奇譚 〜動物愛護精神〜】

ナチスドイツ政権時、エビの調理法についての法令が制定された。その要旨は以下。
「エビを水の状態から茹でるのは、エビの苦痛が長く続く、残酷な調理法であり違法である。
まず水を沸騰させてからエビを茹でる事で苦痛を与える時間を一瞬で済ますのが人道上良い」
なお現代の話だが、オーストラリアでは、日本料理店が摘発されたことがある。活けの海老を焼いたためだ。

156 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/24(金) 18:18:49
【戦争奇譚 〜フリーメーソンのジョークが…〜】

フリーメーソン第一回世界大会で出席者のひとりが冗談で
「セルビア皇太子を死刑にする」(※注:セルビアではフリーメーソンが禁止されていた)を宣告し、
全会一致で(冗談で)可決された。
後にゲシュタポはこの件でメーンソリーを弾圧した。
結果、フリーメーソンではその後、冗談でも政治の話をするのは禁止された。


【戦争奇譚 〜ドイツ人シャーロック・ホームズ〜】

第二次大戦中ドイツ兵に配布された本のなかでもっとも人気を博したのは、
レクルム文庫版の「シャーロック・ホームズの冒険」である。
ただしホームズはドイツ人で舞台はベルリンに差し替えられていた。


【戦争奇譚 〜ドイツの科学力は世界一〜】

第三帝国時代、ノーベル賞受賞者の3人に2人はドイツ人だった。


【戦争奇譚 〜軍備拡張のために〜】

ヒトラーは1938年5月末、三軍に対して軍備の拡張を指示し、
更に10月を目処にチェコスロヴァキアへの武力行使の準備と西部に於ける防壁の建設を指令した。
これに基づき、ゲーリングは、陸軍の幹部との会合で、1万の地下壕と対空監視塔を建設し、
モーゼルとラインの間の防衛を強化する総統命令を出す。
しかし、これらの措置は予算措置を伴わないものであり、ゲーリングはウーデットに対し、
ライヒに存在する労働力の優先使用、工作機械、ベアリングの輸出の制限、
38年度予算以上の債務負担、39年度の債務負担の先取り、原料確保の為の輸出と民需の制限を指示し、
6月14日に行なった陸軍の幹部との会合で次のように言った。
「現在の状況では、金のことは大して問題ではない。
困難なことが起こったら、各軍は元帥(ゲーリングのこと)まで申し出られたい。
元帥が助ける、大蔵省には責任を取らせない。必要な措置は直ちに講じられるだろう。
経済の運命は国防軍には関係ない。これについては元帥が責任を取る。
経済の幾つかの部門が崩壊しようとも全く問題ではない。
そうなれば方法はある。ライヒ政府が介入してこれを助けるだろう」
こうして、1938年秋、ドイツの金・外貨準備は枯渇し、
ライヒスバンクは占領下に置いた国の国庫から金・外貨・外国証券を売却し外貨をかき集めたが、
輸入審査機関が発行した外貨証明書は、輸入については、
その支払いの時点で外貨が存在する保証が無い状態だったりする。

157 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/24(金) 18:44:00
【戦争奇譚 〜戦艦大和〜】

大和型戦艦は戦艦としてみれば世界でも最高峰だった。
46p主砲、対46p防御、それだけの巨大な艦載砲にも関わらずコンパクトな船体、
28ノットの高速性、追従性は低いが意外なコンパクトの旋回半径。
だが残念ながら時代は大和型戦艦を見捨てた。
一方、大和級戦艦はその建造する過程で、日本の近代大型造船の基礎となる様々な技術蓄積が行われた。
それと大和級戦艦は戦艦じゃなくて、 今で言うアメリカ海軍第七艦隊旗艦「ブルーリッジ」のような戦域管制艦だった。
また大和級戦艦=超大型防弾装甲つき移動参謀本部(洋上リムジン)とも呼ばれていた。
その呼称は戦歴を見ればわかる。
1942年2月12日、連合艦隊旗艦となる。
同5月29日、ミッドウェー作戦により柱島泊地を出航したが、主隊として後方にいたため海戦の戦闘には参加せず。
同6月14日柱島に帰投。
以後も、トラック島での長期間の停泊を含めて実戦に不参加だった状況を指して「ヤマトホテル」と揶揄されもした。


【戦争奇譚 〜】

昔の狙撃者は、夜、タバコを吸って休憩する敵の兵士がいると、
一人目のタバコの火で敵に気づき、二人目で狙いを定め、三人目で射殺してたとか。
だから、戦時中夜の喫煙は禁止されてたし、
欧米では「同じタバコの火を3人でまわすと3人目の奴は近いうち死ぬ」って迷信がある。


【戦争奇譚 〜嫌われた狙撃兵〜】

集団で戦闘するのが兵隊。それゆえ個々の技量を戦力として数える狙撃兵は異質だ。だが狙撃兵は嫌われる。
敵だけじゃなく味方にも厄介者あつかいされる。
ある程度の単独行動も許されてるから、他の兵士からすると「好き勝手でよくわからない奴」になる。
ある戦闘で、支援のために狙撃兵がポジションに着いてたら、
「出てけよ!」って味方の歩兵に蹴飛ばされる話があった。その理由が、
 @自分達は身を晒してるのに狙撃兵は隠れて撃つ卑怯者。
 A敵が相手側に狙撃兵が居るのを察知すると怒り狂って激しく攻撃してくる。その矛先は狙撃兵
ではなくて身を晒してる自分達歩兵。だからだという。

158 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/24(金) 19:12:12
【戦争奇譚 〜それでも戦地でサウナを楽しむ赤裸々なお話〜】
         
ある本に、戦地でのサウナの様子が、赤裸々に書かれているので、ご紹介しましょう。
とある部隊が東部カレリア地方にいたとき、
兵士たちはサウナの中で、自分たちが戦地にいることさえ忘れてしまいました。
敵は近くにはいないと考え、兵士たちはサウナのロウリュ(陰イオンを含んだ熱気)を心ゆくまで楽しんだのです。
その間に前線の位置は移動し、見張り役の兵士たちは退却してしまいました。
その結果、サウナの中に取り残された兵士だけが、突如として敵の領域に入ってしまいました。
兵士たちが涼を求めてサウナから外に出ると、
前線は既に破られ兵士たちはロシヤ(旧ソビエト)軍の後方にいたのです。
兵士たちは総勢40人位で、兵器はおろか服もない全くの裸で、残されてしまったのです。
付近では、敵の戦車のキャタピラの音が聞こえ、とても緊張した場面であったそうです。
状況を把握した兵士たちは再びサウナに戻り、ロウりュ(熱気)浴び、
小さな集団としての士気を高め、そして、静かな森の中に隠れたのです。
その後、夜のうちに前線を突破し、2日の間ピートの沼地と藪の中を潜り抜け、
全員無事で味方の陣地まで戻ってきたそうです。
裸で、身体中傷だらけになった兵士たちが、味方の陣地でまず最初にサウナに入ったことは言うまでもありません。
そしてそれは「最高の入浴であった」そうです。

※冬戦争(1939年〜1940年 フィンランドとソ連の戦争)での出来事


【戦争奇譚 〜第二次世界大戦の本当に理由〜】

ドイツに赴任した帝国陸軍の若手は、殆ど全員が金髪美女との偶然にして運命的な出会いを体験し、
その後猛烈なドイツびいきになって帰国したという。
逆に米英に行っ士官は、最低の人種差別と国力の違いを思い知らされて帰ってくる。
日本が、三国同盟に参加し、「鬼畜米英」と叫んで第二次世界大戦を戦った、本当の理由だ。

159 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/24(金) 19:13:01
【戦争奇譚 〜「全核兵器消滅計画」(中島彰/講談)〜】

「これはSFではない。全世界の核2万発を無力化する脅威の計画」と帯にある。
この本は、高エネ研のトップも勤めた理論物理学者、菅原寛孝が説いた、
ニュートリノを発する巨大加速器を使うことによって世界中の核兵器を無力化できるという
「核兵器消滅計画」を解説したもの。

アメリカが原爆を製作するために立ち上げた「マンハッタン計画」で、
核爆発の実験を行う科学者を悩ませたのは「未熟爆発」という現象だった。
プルトニウム240は自ら分裂して中性子を発する「自発核分裂」という現象を起こす。
核爆発を起こすためには、プルトニウムを臨界まで圧縮するのだが、
このプルトニウム240の発する中性子によってイニシエーターと呼ばれる起爆部分が十分な中性子を発する前に、
いわばプルトニウムが「早期暴発」してしまうような現象。
この結果通常の臨界核爆発の3%程度の規模のエネルギー放出で爆発が終わってしまう。

マンハッタン計画の科学者は「爆縮」という手続きの採用でこの「未熟爆発」問題をクリアして
プルトニウム爆弾製造に成功したのだが、菅原は自らの信念である「核廃絶」に使えるこの現象に目をつけた。

ニュートリノ研究に使われる加速器を巨大化し、ここからニュートリノを核兵器に向け発射する。
ニュートリノは地球すら貫通する超高エネルギー素粒子だが、
この大量照射が物質にぶつかるとハドロンシャワーと呼ばれる現象を起こし、中性子を物質から叩きだす。
そしてこの中性子が目標の核爆弾のプルトニウムに作用して「未熟爆発」を起こさせ、
弾頭部分を分解してしまうというのが菅原の計画だ。

まさにSFのようだが、計算上は十分可能なことなのであるという。本の解説は平易で誰にでも読める。

もちろん、この計画の実現にはとてつもない投資が必要。
加速器の外周は1000キロ、現在最大の加速器の1000倍の規模。
そしてそれを動かす電力には、日本の全発電量の4分の1が必要。必要資金は数兆円。
しかし、強力な電磁石など技術的ブレイクスルーがあれば、
計画の規模はこの数分の1、資金も数千億のオーダーに縮小するという試算も示されている。

もっとも、規模は3%とはいえど核爆弾が爆発すれば周辺を汚染する。
高密度の中性子照射が周りの人間に当たれば致命的なダメージを与える。
核兵器にピンポイントでニュートリノ照射が可能かなど、考えるべきことはまだまだ山積。

しかし思考実験として実に面白い話。世界の軍事費は年間110兆円だという。
その数パーセントで可能な計画でもある。

核の抑止力を語る際に「相互確証破壊」という概念がある。
核で攻撃したら自分も相手の核による反撃で壊滅するほどのダメージを受ける。
これが分かっているから核兵器は使用されないという概念。

核兵器が実戦で初めて使われてから以来60年間、
通常の戦争は絶え間なく起こったが、核戦争は一度も起こっていない。
核兵器には通常の戦争を抑止する力はないが、核戦争を抑止する力だけは確かにあると言えるかもしれない。

核兵器が無ければ核戦争はもちろん起こらない。
しかし、核兵器があるからこそ核戦争が起こらないとも言えるこの矛盾。
だとしたら、巨大な投資をして核兵器を消滅させるこの本のような装置の存在意義は
最初から無いということになってしまうのだが。
奇想天外とも言えるが、技術面とは別に、地政学やらパワー・ポリティクスやらゲーム理論やら、
他の面と一緒に世界を考える参考にすると実に興味深い本である。

http://www.wafu.ne.jp/~windtown/books/b051108.html

160 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/24(金) 21:44:18
【戦争奇譚 〜急降下爆撃にこだわりすぎて〜】

ルフトバッフェが異常なほど急降下爆撃を重視していたのは有名だが、
なんとそれは独唯一の4発戦略爆撃機になるはずだったHe177にまで及び、
無茶な要求を満たすためか、4発で2枚のペラを回すなど、散々理解不能な事をして弄り回し、
結局独空軍による本格的な戦略爆撃が実現することは無かった。
因みに、終戦直前に普通で当たり前の4発機として試しにHe177B型を作ってみたら、
これが以外と使えることが分かったが、当然戦略爆撃なんて言ってる状況でなかったのは言うまでもない。


【戦争奇譚 〜寒さとの戦い〜】

厳寒の独ソ戦時、ドイツ空軍のある基地にて。
ドイツ軍のありとあらゆるエンジン類は燃料やオイルなどが凍結して使用不能。
ドイツ軍は捕虜にしたソ連兵に、なぜソ連のエンジンは動くのか尋問した。
その結果、Me109のエンジン下でドラム缶の燃料を着火に苦労しながら直接燃やした。
するとDB601は順調に稼動を始めたそうだ。
ドイツの技術は世界一と言うべきか否か判断に迷うところだが、
暖機運転時間も規定より長くしたことも相俟って稼動機増に貢献した。
なお、翌日から一層深刻な燃料不足に陥った(てゆーか枯渇した)ことを付記しておく。
これは日本も満州でやっていた。エンジン部分に余熱用のシートを掛けて炭火で暖めていた。
もっともたまに機体が灰になったそうだ。


【戦争奇譚 〜拳銃で撃墜〜】

西部戦線1945年4月。非武装のパイパーカブで偵察中のパイロットが、ドイツのシュトルヒ偵察機を発見。
観測手と2人で身を乗り出しながらコルト45を撃ちまくり、撃墜した。
墜落したシュトルヒ機のそばに着陸すると、パイロットが怪我をしていたので手当てしてあげたとのこと。
シュトルヒは旋回機銃があるから撃てばピストルなんて敵ではないはず。
おそらく機体重量を軽くするために機銃を下ろしてたんだろう。
鈍足の偵察機同士ならではの戦闘。


【戦争奇譚 〜空のバケモノたち〜】

ドイツ軍のトップエース、エーリッヒ=ハルトマン少佐は、大戦を通じて352機の連合軍機を撃墜した。
しかし、大戦中には彼を上回るエースがいた。
同じくドイツ軍のエース、ハンス=ウルリヒ=ルーデル大佐は、9機の連合軍機を撃墜し、
ドイツ空軍で唯一の「黄金ダイヤモンド剣付き柏葉騎士十字勲章」を受けた。
彼は戦闘機乗りではなく、急降下爆撃機のパイロットである。
因みに爆撃のスコアは、戦闘車両519輌 車両千台以上破壊。
戦艦一隻、巡洋艦一隻、駆逐艦一隻撃沈。その他舟艇、100隻以上撃沈であった。
なお、撃沈した戦艦はソ連のマラート。1000キロ爆弾で轟沈させたものだ。


【戦争奇譚 〜階級は低くとも〜】

Me262のジェットエースの中には一等兵や伍長がいる・

ハイム一等兵 5機撃墜
ペーター・ケスター伍長 7機以上撃墜
アントン・シュプラー伍長 7機以上撃墜

161 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/24(金) 21:52:49
【戦争奇譚 〜田舎海軍が背伸びをしすぎて〜】

田舎海軍として定評のあったドイツでは、艦船の数(特に巡洋艦や駆逐艦)で、
ロイヤルネイビーに劣るのを少しでもカバーしようとしたのか、
戦時中であるにも関わらず全ての駆逐艦で15p砲(軽巡主砲クラス)に換装することにした。
だがいざ搭載してみたら、やはり駆逐艦の船体で15p砲は重すぎて復元性が悪く、
特に冬の北海等では使い物にならないことが分かった。
更になんとか装填出来た12.7pと比べ、15p砲弾を手動装填するのは無理がありすぎだった。
(当然、自動装填装置などを付ける余地はない)結局、出航してすぐドックにUターンして元に戻すはめになった。
結局、大戦の一番重要な時期、独水雷船隊の大半はドックで弄り回される事に終始し、
苛烈な欧州大戦に何ら寄与することなく終わったという。


【戦争奇譚 〜戦艦ビスマルク〜】

戦艦ビスマルクが操舵機が故障して艦を止めたとき。すぐ近くを一隻の漁船が通りがかった。
その漁船はあまりの大漁で、獲った魚が海にこぼれおちそうなほど積まれており、
船縁も水面すれすれで、漁船は波と重みに苛まれていた。
するとその漁船の船長はメガホンを使い、ビスマルクに助けを求めた。
「われわれを風と波から守ってくれませんかね?魚が獲れすぎて港まで無事たどり着けそうにない」
リンデマンが即座に要請に応じるように当直士官に命じ、
艦はゴーテンハーフェン錨地のおだやかな水面まで漁船をエスコートして行った。
翌日、ビスマルクの食卓を魚料理が飾った。
(巨大戦艦ビスマルク ブルカルト・フォン・ミュレンハイム=レッヒベルク著より抜粋。)


【戦争奇譚 〜仮装巡洋艦〜】

第二次大戦中、ドイツから数々のCommercial Raiderが各地に向けて放たれた。仮装巡洋艦Kometもその一艦。
この艦は当時、不可侵条約を結んでいたソ連の支援を受け、
群氷、暴風に悩まされながら北極圏航路を回り、ベーリング海峡を経て太平洋に出、
ソ連船、ポルトガル船、大阪商船の南海丸に偽装し、
敵船九隻撃沈、一隻拿捕、ナウル島爆撃などを行い、1年9ヶ月後に本国に帰投している。
この時、一時南氷洋に退避し、日本捕鯨船団と接触、
鯨肉、野菜、缶詰、酒、煙草の補給を受けていたりする。
なお、この間捕らえた敵には死傷者は無い。
ついでに、北極航路の水先案内をしたソ連は、
後にこの船が仮装巡洋艦だったことを知って不愉快に思い(航行時には商船と偽っていた)、
水先案内料として、95万マルクをふっかけてきたという。


【戦争奇譚 〜大冒険〜】

戦時中ミシシッピ川を遡ったUボートが存在する。

162 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/24(金) 21:57:31
【戦争奇譚 〜使えるものは何でも使え〜】

第二次世界大戦末期のベルリン攻防戦において、
ドイツ軍は第一次世界大戦時代のイギリス菱形戦車を投入していた。
先日発売のベルリン戦の写真集に、路上で破壊されたその戦車の写真が載っていた。
いったい、どっから引っ張りだしてきたんだろうか。まさか博物館だろうか。


【戦争奇譚 〜こういうこともある〜】

サレルノ上陸作戦のとき、海岸まで出てきたドイツ戦車と米巡洋艦が放火を交えた。


【戦争奇譚 〜戦車で駆逐艦を撃沈〜】

四号戦車C型で駆逐艦を撃沈したことがあった。
フランス戦5/22〜25日
英独立第20歩兵旅団、アイリッシュ近衛連隊第1大隊、
ウィルッシュ近衛連隊第2大隊、若干のフランス歩兵、
対戦車砲部隊が守備するブーローニュを第2戦車師団が攻撃し、
23日と24日の夜に連合軍側は8隻の駆逐艦で部隊を海路から撤退させたが、
23日にブーローニュ湾で第2戦車旅団第3戦車連隊の4号C型が、
支援のイギリス魚雷艇を撃沈(ドイツ軍発表では駆逐艦)した、そうだ。

163 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/25(土) 01:08:41
【戦争奇譚 〜恐るべき早さ〜】

He162サラマンダーは1944年9月30日にドイツ空軍省とハインケル社が契約、
同年10月29日2設計完了、同年12月6日に初飛行、翌年1月にはテスト部隊に納入された。
恐るべき早さである。


【戦争奇譚 〜ドイツの兵器生産量について〜】

ドイツの兵器生産量がピークを迎えるのは1944年になってからであった。
更に信じがたい事に、そのピーク時の弾薬生産量は第一次世界大戦時のそれよりも少なかった。
シュペーアの回想録にあった話では、第二次世界大戦中月間でもっとも多く砲弾を作った時期でも
第一次世界大戦のときの平均的な月の値だったとか。


【戦争奇譚 〜世界最小の戦車ゴリアテ〜】

世界最小戦車として有名なゴリアテは、高性能爆薬を内臓し、
有線で操縦されて敵の場所まで行き、そこで自爆するというある種の移動地雷であった。
だが装輪は小さく、戦場では人の歩くほどの速さでしか移動できなかったため、
殆ど使い者にならなかった兵器であったことは良く知られている。
そんなゴリアテの挙げた最大の戦果は、
戦場に廃棄されたゴリアテを米軍兵士が見つけ興味本位で分解をしてみたところ、
野次馬を巻き込んで数十人が「戦死」したこと。


【戦争奇譚 〜音楽家の耳〜】

第二次世界大戦の頃、ドイツにおけるジェットエンジンの開発にまつわるエピソード。
後にJumo004として実用化されるエンジンのタービンブレードが振動で割れてしまうトラブルが相次いだ。
固有振動数のばらつきが原因らしいと判断した技術陣は、
音楽家を雇い、ブレードを「聴いて」貰って固有振動数検査を行った。
その結果、「音色の揃った」ブレードばかり集めた試作エンジンは目標性能を達成した。
しかし量産に適用できる手法ではないので、結局は回転数を下げた。


【戦争奇譚 〜民需技術のスピンイン〜】

第二次大戦に参加した各国には民間技術のスピンインが結構あった。

その1:
  ドイツ戦車の動力となった水平対向エンジンは、
  アウトバーンを走る高速バスの動力として開発されたものである。
その2:
  2号戦車後期型と3号戦車に採用されたトーションバー方式の懸架装置は、
  国民車(Volkswagen)に採用されたものが基になっている。

(余談)
  Bf-109の燃料タンクには400リットルの燃料が入る。
  Spitfireにも386リットルの燃料が入る。
  零戦はあれだけ長距離を飛べるのに、落下増槽を除くと380リットルの燃料しか入らない。


【戦争奇譚 〜根性悪い〜】

ドイツの秘密兵器V-1は、ちょうどロンドンのラッシュアワーの時間に着弾されるよう調整されてた。
これはただでさえラッシュで混んでる地下鉄に避難者を押し込め混乱させるため。
結果、見事に計画は成功。地下鉄で圧死する人が軒並み増えた。
一方イギリス側は毎晩毎晩モスキート一機だけ飛ばし焼夷弾を落として、
一つの都市の住民全員を慢性睡眠不足にさせていた。
費用対効果でも性根の悪さでもドイツを上回ってると思う。

164 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/25(土) 01:18:52
【戦争奇譚 〜いらないです〜】

フランスのソミュール軍事博物館所蔵のキングタイガー戦車は、
維持費があまりにもかかりすぎるので現在売りに出されている。
但し、元の所有者(?)であるドイツ人と同盟国である日本人には絶対に売らないそうだ。


【戦争奇譚 〜世界一バックが速い車〜】

第2次世界大戦終結後、ドイツは一切の航空機開発・製造を禁じられてしまった。
そんな中、戦闘機メーカーの雄、メッサーシュミット社は、会社存続のため、自動車を作って売り出すことにした。
メッサーシュミット伝統の横開き式キャノピー、タンデム複座という、
飛行機テイストのKR200の開発は順調に進んだのだが、
実車がほぼできあがる頃、設計者たちはとんでもないことに気づいた。
バックギアを取り付けるのを忘れていたのである。
飛行機ならばバックができなくてもいいが、自動車にとっては致命的な欠点である。
結局、メッサーシュミット社の技術陣は、
バックの際はエンジンを逆回転させるという荒技で、この問題を解決することにした。
かくして、メッサーシュミットKR200は、トップギアのままバックができる、
世界一バックが速い車として、市場に売り出されたのであった。


【戦争奇譚 〜一番の持ち味を活かさず、活かせず〜】

翼面荷重が200Kgもあり見た目いかにも重戦闘機ライクなBf109だが、
翼面荷重が130Kgしかないスピットファイアや110Kgのハリケーンより実は小回りが効いた。
全金属単葉引き込み脚機でBf109より小回りが効くのは零戦と隼ぐらいしかなく、
かつロール率のよさまで考えればBf109がもっとも俊敏な戦闘機と言って過言ではない。

Bf-109の意外なほどの運動性の高さは主翼前縁の引き出しフラップ(スラット)によるものだが、
多くのメッサー乗りたちは一撃離脱戦法に徹していたために、
このフラップの効果がでるような低速・小旋回半径での戦闘を行わず殆んど無用の長物だった。
これを使いこなせていたのはマルセイユのような職人的で編隊空戦を行わない一匹狼な一部のエースだけだった。

一方スピットファイアの特徴でもある楕円翼は
主翼端で発生する翼端渦を少なくする効率の良い翼形であるが、
逆に言うと旋回による翼端の抗力も発生しにくいので曲がろうとしてもなかなか速度が落ちず
小さく旋回できない傾向を持つという欠点があった。
しかるにスピットファイアのマーリンエンジンの気化式燃料供給装置は
初期の頃は気圧の急変化に対応しておらず、急降下による一撃離脱戦法が取れなかった。

ということで、後知恵で見るとバトルオブブリテンは
両軍共にお互い主力機体の一番の持ち味を 活かさず・活かせずに戦っていた
妙な戦闘だった,ということになる。信じられないが本当だ。

165 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/25(土) 01:25:43
【戦争奇譚 〜ケーギニン・ルイーゼ号〜】

ドイツ機雷敷設艦"Konigin Luise"(ケーニギン・ルイーゼ。ルイーゼ女王)は
もともとハンブルグ−アメリカラインの定期船として建造されましたが、
建造当初から敷設艦への改装が盛り込まれていました。
開戦を控え徴用された同船は、1914年8月1日(独の露に対する宣戦布告日)に改装を受け、
8月4日(英の独に対する宣戦布告日)の午後にエムスを出港し、テームズ河口に向かいます。
しかし同艦の行動はすでに英海軍の知るところであり、
折からの雨にまぎれて河口に接近した同艦の前には軽巡洋艦アンフィオンHMSAmphionを旗艦とし、
その他駆逐艦16隻からなる水雷戦隊が待ち伏せていました。

翌8月5日午前11時40分、発見されたことを知ったケーニギン・ルイーゼの艦長は機雷の敷設を命じ、
即座に退避に移りますが、逃げ失せるべくも無く英駆逐艦の射撃を受け、午後1時20分沈没。

この話には続きがあり、生き残って救助されたケーニギン・ルイーゼの乗員が機雷の敷設場所を教えなかったため、
翌日ハーリッチに向けて帰還中だったこの英水雷戦隊は機雷原に進入しアンフィオンが触雷・沈没してしまいました。
同艦の乗員のうちの150人と共に同艦に救助されたケーニギン・ルイーゼの乗員18人も戦死しました。


【戦争奇譚 〜飛行船〜】

第一次世界大戦当時、英国を爆撃した独逸飛行船隊はしばしば大損害を蒙った。
被弾すると、浮揚ガスとして使われている水素が引火しなくともガスが漏れてゆき浮力は低下する。
高度を維持するには、船体の重量を減らすしかなく、そのために搭載している数々の物品を投下する。
予備の機材、食料、衣類、そして戦死した戦友の遺体…だがそれでも追いつかないときは?
今度は生きている乗員が、自分の命を張って仲間を救うほかななくなる。
階級の低い搭乗員から一人づつゴンドラのドアの内側に立ち、
戦友(みな上官か先任者だ)に訣別の敬礼を送ってから後ろ向きにはるかな下界へ…。
もちろん、パラシュートなどはとっくに全員の分をまとめて投下してしまっている。
船体の保存が最優先されたからだと思われる。
只でさえ高価なジェラルミンを1隻で100トン近く使っており、基本的にスカスカな構造物であるとはいえ、
全長100-200メートル、直径が20メートルほどもある船体に組み上げるのは、
ドイツにとっても簡単なことではなかったはずだからだ。(「飛行船の雑学」田中新造より)

また当時の飛行船搭乗員の環境は苛酷で、迎撃機の性能が上がるに連れて、
高度5000m付近の酷寒の高空を暖房なしで飛行する破目になり、しかも当時の酸素ボンベは質が悪く、
精製過程で混じるガスのため指揮官が立ったまま気絶して指揮が取れなくなった船もあったとか。

166 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/25(土) 01:28:28
【戦争奇譚 〜フェリックス・フォン・ルックナー少佐〜】

第一次世界大戦時の仮装巡洋艦ゼー・アドラー及び、
「最期の海賊」こと艦長フェリックス・フォン・ルックナー少佐の活躍について。

ルックナー伯爵家は元来騎兵司令官を務めていた。
しかし大海原に憧れる嫡男のフェリックス少年は14歳で家出し、8年間を水夫として過ごし、
望みどおり海軍士官となった。

1916年、ドイツ海軍は通商破壊に帆船を用いることを思いついた。
既に内燃機関が主流となっていたが、これは決して奇想天外な発想ではなかった。
なぜなら、帆船は燃料を必要としないという大きなメリットがある。
加えて重武装の施しようのないことから、敵の油断を誘いやすい。

ルックナー少佐が艦長に抜擢されたのは、その数奇な経歴が皇帝の目を引いたということもあるが、
何より彼以外に帆船を操れる士官がいなかった。
イギリス製の「パス・オブ・パルマハ」に105mm砲2門と500馬力の内燃機関を搭載、捕虜収容用の空間を追加した。
船名は「ゼー・アドラー」に変更され、偽名は「イルマ」とされた。
「イルマ」とは、ルックナー少佐がかつて愛した少女の名である。

1916年12月21日に出航したゼー・アドラーは、クリスマスの日にイギリス海軍の臨検を受ける。
しかし可愛い水夫を「寝込んでいる船長夫人」に仕立て上げ、
また書類の改変を前日までの嵐のせいにして誤魔化し、この場を切り抜ける。
そしてそのまま大西洋を南下、4ヶ月後にはドレイク海峡を回って太平洋を北上、英米の商船を狩り続ける。
それは一隻の帆船によってもたらされたとは信じられないものであった。

獲物の中にはより強大な武装商船もあった。
20000t近い「ホーンガース」は火災を装ったゼー・アドラーを救助しようと不用意に接近、
突然の砲撃で無線アンテナを破壊され、
次いで「音だけは戦艦の主砲並み」の空砲で度肝を抜かれ、そのまま降伏した。
1917年8月2日に座礁大破するまで、この時代遅れの海賊船は連合軍に恐れられた。

これだけでも十分信じられないが、更に信じられないことに、ルックナー少佐は獲物の乗組員を一人も殺していない。
このことで後にローマ法王より「人道の騎士」と賞賛される。

またゼー・アドラーの乗組員は大破後チリに抑留されるが、病死した一人を除いて全員無事に帰国している。
そしてルックナー少佐は帰国後に、件のイルマとめでたく結婚した。

167 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/25(土) 04:33:28
【戦争奇譚 〜改名の理由〜】

第一次世界大戦終了間際、GermanyではFokkerD.VIIの後継戦闘機を選定した。
今回もFokker製でパラソル翼の戦闘機が圧倒的な強さを見せ、
正式名称をFokker E.Vとして生産が開始され実戦に投入された。
しかし、2週間で3機も墜落。E.Vは実戦部隊から引き揚げられた。
調査の結果、生産工程のミスであり、機体の欠陥ではないことが判明したが、
験を担ぐ操縦士からは嫌われたため、参謀本部は、同じ機体をFokkerD.VIIIと改名して生産した。


【戦争奇譚 〜ドイツ帝国の野望〜】

8日発売のドイツ週刊紙ツァイトは、同国の公文書館で見つかった資料から、
19世紀末に当時のドイツ帝国皇帝ウィルヘルム二世が、
米国本土への侵攻作戦計画を策定していたことが分かった、と報じた。
計画は1897年に立案が命じられ、1900年に完成。
艦艇60隻で10万人の兵士をニューヨークとボストンに上陸させ、米東部を制圧するとしていた。
作戦を立てたドイツ海軍当局者は、米国と開戦した場合、
海上封鎖や艦隊決戦よりも本土に上陸して戦う方が効果的と判断。
理由として「米軍の士気や練度は低い」と分析し、米中枢部を占領した上で、
ドイツ側に有利な講和条約締結を迫る戦略だった。
ウィルヘルム二世は植民地拡大を目指して海軍の拡張を進めており、
ミクロネシア諸島の領有などをめぐり米国と緊張関係にあった。
ドイツ軍首脳は長距離の渡洋攻撃には懐疑的だったが、皇帝の意向を尊重し作戦策定を進めたという。
皇帝の植民地拡大政策は英国やフランスとの対立も招き、1914年に第一次世界大戦が発生。
敗れたドイツ帝国は18年に崩壊し、作戦が日の目を見ることはなかった。(共同)


【戦争奇譚 〜水不足解消のための皇帝のナイスアイデア〜】

第一次大戦中ドイツ軍は深刻な飲料水不足に悩まされた。
そこでカイザー自ら水不足を解消するために新たなヘルメットを考案した。
それはヘルメットに穴を開けて雨水をヘルメット内部の隙間に溜めて、ストローで吸うという画期的な物だった。
だが、雨が降ってないときは日向で雑菌培養してるような物なので赤痢が大流行し使用中止になった。

168 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/25(土) 05:12:25
【戦争奇譚 〜シンガポールの博物館を護った田中舘秀三博士〜(1/4)】
@
私の心を激しく打ったのは敗けてもなお、後世に受け継がれてゆく業績を残した彼等の偉大さだった。

■1.シンガポール国立博物館にて■

数年ぶりに立ち寄ったシンガポール国立博物館では、太平洋戦争回顧展が開催されていた。
"The Singapore Story"という3D映画は、いきなり画面から飛び出した零戦が観客席の上で
イギリス空軍戦闘機スピットファイヤーを追い回し、ついには撃墜する画面から始まっていて驚かされた。
日本軍の占領は過酷だった、という描写はあるものの、
当時の植民地支配者の英国と挑戦者・日本の戦いを公平に見ており、
日本軍による虐殺しか記述しない日本の歴史教科書などより、はるかに客観的である。

シンガポールは、華僑を中心に、マレー人、インド人から成り立つ。
日本軍が弾圧したのは華僑のゲリラ勢力であり、彼らが戦後は共産党ゲリラとして治安を脅かした事、
そして英国支配下で搾取されていたマレー人は日本軍に優遇され、
また英国からのインド解放を目指したインド国民軍が日本軍の支援を受けてシンガポールで創設された事もあって、
一方的に日本軍を悪者視する史観は、この多民族国家では通用しないのだろう。

大戦中の展示物の中に、この博物館の建物の前で、
日本人とイギリス人数人が並んで立っているパネル写真があった。
戦時プロパガンダのポスターや、悲惨な戦災光景写真の中で、
日英両国人が一つのチームのように仲良く写っている情景は他から浮き上がって、
どこかほっとさせる雰囲気を醸し出していた。
実は、この博物館自体が、これら日英の科学者たちの心を合わせた協力によって戦火から護られたのである。

■2.そうだっ、やらなきゃならん!■

E・J・H・コーナー博士が、日本軍の占拠するシンガポール市庁舎を訪れたのは、
昭和17(1942)年2月18日、イギリス軍無条件降伏の3日後であった。
博士はケンブリッジ大学で生物学を学び、卒業以来シンガポールに移り住んで13年間、
ラッフルズ植物園で熱帯植物の研究をしてきた。
博士は植物園と博物館に保存されている標本や論文が日本軍や現地人の略奪によって
破壊されることのないように、イギリス総督の使者として日本軍に依頼していたのである。

この日、シンガポールの文化財を護るために日本から一人の学者が来ることになっていたので、
その人に会うためにコーナー博士は再び市庁舎を訪れたのだった。
紹介された人物は、長い鼻、不釣り合いに大きな眼鏡、乱れた髪、
くしゃくしゃの洋服と、いかにも貧相な五十男だった。
東北帝国大学に奉職し、日本における火山学、湖沼学の先駆者・田中舘秀三博士である。

田中舘博士は、植物学者であられる天皇陛下がシンガポールの文化財、研究・教育機関の安否を気遣っておられ、
陛下の名代として実態調査に来た、と述べた。
コーナーはこの言葉に「これでシンガポールの文化は助かった」と感動でしびれるような思いをした。

コーナーが博物館と植物園、図書館などの文化施設が危険な状態になっていることを説明し、
その保護を願うと、身を乗り出して聞いていた田中舘は、突如立ち上がり、腕を振り上げて大声で叫んだ。
「そうだっ、やらなきゃならん!」

169 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/25(土) 05:13:42
【戦争奇譚 〜シンガポールの博物館を護った田中舘秀三博士〜(2/4)】
A
■3.これが戦争というものか・・・■

田中舘はコーナーに案内されて、すぐに博物館と植物園を見て回った。
南洋植物の収集・研究で世界的に有名な植物園では、
日本兵がオーストラリア部隊の残していったおびただしい武器弾薬、ドラム缶などを片づけていた。
イギリス人の園長と数人の部下がかろうじて研究室や標本室を守っていたが、
広い園内は現地人が自由に出入りして、勝手に木を切ったり、物を持ち出したりしていた。

田中舘は、ナプキンに赤インクで即席の日の丸を作り、立ち入り禁止との札とともに、建物に貼った。
ちょうどそこに、官舎が現地人によって荒らされている、との知らせが入った。
コーナーが研究室として使っていた場所であった。
「よし、行こう」と田中舘はすぐに走り出した。コーナーは暴徒が武器をもって向かってきたら、と不安を抱いたが、
田中舘はそんな事は思ってもいないようだった。

二人が官舎についた時、数人の現地人がコーナーの部屋から、標本や私物を持ち出している所だった。
田中舘が日本語で叫んだ。「そこに置けっ。さもないと殺すぞ」
日本語が通じるはずもなかったが、田中舘の気迫に侵入者は縮み上がった。
彼らは、最初の略奪者はオーストラリア兵で、自分たちも物を持ち出してもよいのかと思った、と弁解した。

コーナーは私物には目もくれずに、四つん這いになって踏みにじられた自分の論文を、
宝石でも集めるように一枚一枚泥を落としながら拾い上げた。
その有様に、田中舘は「これが戦争というものか・・・」とつぶやきながら、
論文を気遣うコーナーを、本物の学者だ、と見て取った。

■4.これから山下に会いに行く■

田中舘は、この上は一刻も早く強力な手を打たなければならない、と思い、
「コーナー君、これから山下に会いに行く。そして文化財の保護を頼む。君も一緒に来るんだ」と言った。
「ヤマシタ? その人は誰ですか?」と聞くコーナーに、
田中舘は「シンガポールの支配者・山下奉文軍司令官だ」と、こともなげに答えた。
「オー、ノー」コーナーは怯えるように首をふった。

山下司令官は開戦と同時にマレー半島に上陸し、約3万5千の兵力で、8万の英豪軍を蹴散らしつつ、
わずか2ヶ月余りで1千キロ以上を南下し、遂にシンガポール占領を成功させた武功輝く将軍である。
「心配ない、山下と僕とは大学の同窓だ。学生時代からの親友さ」と田中舘は笑った。
これはコーナーを安心させるための方便であったようだ。

田中舘は、総督官邸にいる山下に会い、二人だけで2時間も話し込んだ。
会見が終わって出てきた田中舘は、コーナーに
「大成功だった。山下将軍は、できるだけの援助をしようと言ってくれた」と語った。

コーナーは後にこう書いている。

その後、教授は私に東条首相より発令された命令のことを伝えてくれた。
それは占領下にある東南アジアの国々の博物館、図書館、総ての科学標本のたぐいは、
その国の国民のために保存さるべきことを軍上層部に命じたものである。
その後ろに山下将軍の進言があったことは言うまでもない。

170 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/25(土) 05:14:34
【戦争奇譚 〜シンガポールの博物館を護った田中舘秀三博士〜(3/4)】
B
■5.いかに英人学者や現地人雇用者を食わせていくか■

田中舘は、山下将軍から口頭で博物館と植物園の責任者に任命されたが、
書面の辞令がなかなか届かず、その間の財政的援助は一切得られなかった。
田中舘は無給の館長であったが、現地人の園丁や雇い人はそういう訳にもいかない。
悪い事に、主事ヘンダーソンがシンガポール陥落の2、3日前にからすべての金を持ち逃げしていたので、
植物園の金庫はからっぽだった。

やむなく田中舘は、私財をはたいて当面の支出をまかなった。
不足分はその特異な政治的手腕を使って、食糧や金をどこからか掻き集めていた。
この時期の田中舘の主要な任務は、いかにコーナーら英人学者や現地人雇用者を食わせていくか、ということだった。

田中舘はシンガポールに来た時の服を何ヶ月も着たままなので、ぼろぼろになってしまった。
博士は平気な顔をしていたが、コーナーは気の毒に思って、空き家で見つけた上着やズボンをプレゼントしたが、
大きすぎて、いかにもおかしかった。

そこまでしてシンガポールの文化財を守ろうとする田中舘やコーナーらの努力に感謝して、
こっそり資金援助をしてくれる華僑も出てきた。

■6.学問への深い敬意■

山下将軍の軍政顧問としてシンガポールにやってきた徳川義親侯爵は自身が生物学者であり、
田中舘らの活動に深い理解を寄せた。
侯爵はチャンギー刑務所に収容されていたイギリス人学者たちを引き取って、
博物館と植物園に配属させ、各自の研究を続けさせた。

それを聞いて、日本軍の憲兵が飛んできて、「スパイされたら、どうします?」と問うと、
「少しくらいスパイされて、負けるような日本軍なのか?」と叱って、追い返した。
侯爵は後に、博物館と植物園を兼ねた総長に就任し、田中舘を全面的にバックアップした。

マレーのジャングルの研究では第一人者と呼ばれるC・F・シミントンはコーナーの友人であり、
マレーの林務官と植物学者のための手引き書を数年がかりで書き上げていたが、
出版前に戦争となり、原稿はクアラルンプールの出版社に置かれたまま、彼は行方不明となっていた。

この件をコーナーから聞いた田中舘は、「それは大変な事だ」と驚き、
すぐに山賊やゲリラの徘徊するマレー半島を無防備の車でクアラルンプールまで北上し、
ゲラ刷りの原稿を発見した。
原稿は、徳川侯爵と田中舘が費用を負担して、500部印刷された。

コーナーは後にこう記している。

著者のシミントンは、自分のライフワークが戦火の中を生き残り、敵国日本人によって救出され、出版され、
そして敵国人からも同胞からも高く評価されたことを知ることもなく、失意のうちに亡くなった。(中略)

侯爵と教授が自腹を切り、大金をはたいて英国人の一業績を出版したのは、
学問への深い敬意があったからにほかならない。
戦争の真っ最中、敵国人の仕事を英語で出版していかなる利益があるというのか。

171 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/25(土) 05:15:41
【戦争奇譚 〜シンガポールの博物館を護った田中舘秀三博士〜(4/4)】
C
■7.何か高貴な力に守られている■

その年の12月も押し迫った頃、田中舘は一時帰国することとなり、
コーナーの著書「マレーの路傍の木」をトランクに入れながら、「これは献上するつもりだ」と語った。
「献上」とは何を意味するのか、コーナーには分からなかった。

翌年1月、田中舘は博物館に帰任すると、コーナーを館長室に呼んだ。
彼は突然立ち上がり、直立不動の姿勢をとり、「起立! 気をつけっ」と大声で号令をかけた。
びっくりして立ち上がったコーナーに、田中舘は続けた。

賢くも大日本帝国天皇陛下には、マレーの写真と貴殿の著書「マレーの路傍の木」をご受納あらせられ、
ことのほか感謝しておられる。
これは余が献上申し上げた故であるが、漏れ承ったところによれば、
貴殿の本は陛下がお床の中で読まれた唯一の本である。終わり。着席。

コーナーは唖然とした。教授の話が本当かどうか疑いつつも、忘れがたい印象を受けた。

その話は博物館中に知れ渡った。
その時から私とバート(同僚)は自分たちが比較的自由に博物館の仕事をしていられるのは
何か高貴な力に守られているからだという気がしてならなかった。

■8.敗者の贈り物■

徳川侯爵が総長となり、また日本から二人の学者が、植物園長、博物館長として赴任してきた。
田中舘教授の仕事はほとんどなくなり、日本の学術研究会議から教授に帰還命令が出された。
田中舘は昭和18年7月に寂しく祖国に帰っていった。

田中舘秀三教授がいなかったらシンガポールの博物館と植物園と図書館は跡形もなく滅び去っていたであろう。
若き世代に残すべきものを失い、自分達の時代を子供たちに誇り高く語って聞かせることもできなかったであろう。
たとえ一粒の種は小さくとも、一粒の塩は無に等しくとも、それは人類を救う大きな力になりうる。
教授は傷つき、寂しく島を後にした。だが私たちは彼の遺志を受け継ぎ、希望の灯を高々と掲げ続けたのである。

昭和20年8月、日本軍が降伏し、9月には英軍が上陸した。
英人捕虜が釈放されるのと同時に、博物館と植物園に残っていた日本人学者達が抑留された。
コーナーは英軍司令部に占領中の彼らの功績を説明して釈放を願い出たが、
日本人学者達は同胞と共に収容所に留まる道を選んだ。

コーナーはその夜、ただ一人、植物園の庭を歩きまわりながら、占領中の思い出に浸った。

私の心を激しく打ったのは勝った日本人科学者の思い遣りや寛大さというより、
敗けてもなお、これだけ立派で、永久に後世に受け継がれてゆく業績を残した彼等の偉大さであった。

敗残者は今や勝利者である敵性人の心に大いなる勝利の印を刻みつけた。
敗けてなお勝つということはこういうことを言うのだ。
私はその大きさに圧倒され、夜空の下でいつまでも立ちすくんでいた。
国家も、政府も、そして民族も、繁栄しては衰退し、そして破局を迎える。
だが、学問は消して滅びない。私はこのことをシンガポールで、日本人科学者との交流を通じて学んだのである。

http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h12/jog164.html
(原典:E・J・H・コーナー著 「思い出の昭南博物館」)

172 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/25(土) 07:33:45
【戦争奇譚 〜早すぎる、遅すぎる〜】

ドイツのアウトバーンを走る車の一部は、他の地上物体と比べて余りにも高速なので、
ルックダウン能力のあるパルスドップラーレーダーに映ってしまう。
その逆に、北朝鮮の配備しているAn-2兵員輸送機(レシプロ単発複葉)は地表近くを超低速で飛行可能なので、
ジョイントスターが地面を走っているトラックと誤認する可能性があるらしい。


【戦争奇譚 〜ドイツの世論調査〜】

★1948年に西ドイツで行われた世論調査
・ナチズムが実行したことは悪いが、理念は良い…57%
・ナチズムは良い理念ではない…28%

★同じく1951年に行われた調査
質問:今世紀において、ドイツが最も繁栄した時期は何時か?
・第1次大戦前(帝政下)…45%
・ワイマル期…7%
・ナチス政権下(33〜39年)…43%
・ナチス政権下(第2次大戦中)…0%
・第2次大戦後…2%
・わからない…4%

1億総懺悔の某国とは対照的ではある…


【戦争奇譚 〜ベテランパイロット〜】

まだドイツが東西に分かれていた頃。
ベルリンの空港管制官がアメリカの地方航空会社のチャーター便を管制しようと躍起になっていたが、
なかなかうまくいかない。しまいにキれた管制官はチャーター便の機長に向けて怒鳴った。
「このド田舎モン!ベルリンに着たことあんのかコン畜生!」
チャーター便の老機長は、答えて言った。
「ああ。あるよ。1945年にね…そのときは着陸しなかったが」


【戦争奇譚 〜高性能特殊カメラ〜】

東ドイツのシタージュは密出国者を監視/特定するために、
一分間で1/1000コマを撮影できる特殊カメラを開発したが、
ソ連に貸し出しされた際にイタリアの税関で摘発され現在は映画監督ダリオ・アルジェントが所有している。
ホラー映画「サスペリア2」や「フェノミナ」でこのスーパーカメラは実際に使用された。


【戦争奇譚 〜共産党旗〜】

先頃、旧東ドイツの国家評議会議場に掲げられていたドイツ共産党旗がネットオークションにかけられ、
3300ユーロでハンブルグの売春宿のオヤジが落札、現在は店先に飾ってある、らしい。

173 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/25(土) 07:36:13
【戦争奇譚 〜退官通告〜】

ある英軍士官が、ビルマで原住民の部隊を組織し、日本軍に日夜ゲリラ戦を展開していた。
しかしある日、本国より退官通告が来る。その士官が離婚の当事者となったためだった。
体面を重んじる英軍の体質の一例だが、
この時はさすがにその士官の上官はその通告を本国に突き返したという。


【戦争奇譚 〜戦場にかける橋〜】

メコン川鉄橋は、映画の中では英国人技術者の助言によって完成し、英国士官のせいで爆破されている。
しかし実際は全て日本の鉄道部隊の手で完成されている。
メコン川の橋は鉄橋ではなくて木製橋なのだが、度重なる英空軍爆撃の攻撃を受けて何度も橋は落ちている。
でも結局その日のうちに修繕されていたので、映画のごとき劇的なシーンはあまりなかった。


【戦争奇譚 〜戦場での読書〜】

連合軍の兵士には無料でペンギンブックが届けられていたという。
少し前まで高校や大学に行っていた米英軍兵士は活字に飢えていたため、みな争うように読んだ。
戦場で純文学や古代ギリシャローマ哲学に親しんだ(それしか不幸にして届かなかった)兵士たちも多い。
出版社にとっては戦後の読者を狙った作戦が大当たりしたわけだ。
補給された無料書籍のうち基本的にはポケット版聖書が一番多かった。


【戦争奇譚 〜民兵組織〜】

BEF(大陸派遣軍)撤退後の英軍はことのほかドイツの降下猟兵を恐れ、
そこで設立されたのがLDV、即ち民兵組織である。
ドイツの宣伝省は同組織のことを「ほうきを担いだ軍隊」として揶揄していた。
しかしそれはあながち間違いとも言えず、猟銃や博物館から持ち出したロングソードで武装するのは未だましな方で、
「各自一袋のコショウを持ち歩き、いかなる招かざる客の襲来もこれで妨害するように」
と言い渡された部隊も存在したという。


【戦争奇譚 〜人体による実証実験〜】

第2次大戦中のイギリスで、戦闘機の機銃掃射の効果を調べる実験が行なわれた。
ジープに等身大の人形を数体乗せたものをターゲットとし、そこから離れた所で実験を多くの軍人達が見守っていた。
やがてやってきた戦闘機はなぜかその軍人達めがけて射撃を開始。
しかも機銃には手違いで模擬弾ではなく実弾が装填されていた。
弾丸の雨あられの中逃げまどう将軍やら大佐たち。地面に転がる無数の勲章。
結局この実験は、将軍一名の死亡を含む多数の死傷者を出した大惨事となった。
なおこの事故の死傷率は、事前に行なわれた計算の予測値と見事に一致していたそうだ。


【戦争奇譚 〜陸軍の海戦兵器開発〜】

空母やら潜水艦まで開発して物笑いの種になった皇国「陸軍」だが、
イギリス「陸軍」も19世紀末に魚雷を正式装備として採用していた。
もちろん、対艦攻撃用。


【戦争奇譚 〜昭南島博物館〜】

1942年、英領だったシンガポールは日本軍の猛攻で陥落した。
それから終戦まで、シンガポールのラッフルズ博物館・植物園はシンガポールが昭南島と名を換えたのと同じように、
昭南博物館として数名の日本人によって維持管理された。
但し、そのスタッフには敵である英国人が数人おり、自由に街を歩くことが出来、
更にはトラックや自動車も自由に使用できたそうな。(しかも驚くべき事に、この人々は捕虜の身分だった)

174 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/25(土) 07:48:29
【戦争奇譚 〜間違い〜】

ドーバー海峡の機雷原の縁で軸受けに故障を起こした英駆逐艦。
甲板に空軍の識別マーク(例の三色同心円)を付けてはいたものの、雲が低いしどうか、と危惧していたら、
突然「英空軍の」爆撃機2機が雲間から突っ込んできて爆弾を投下した。
すると、その後ろから「独空軍の」戦闘機が数機現れて、爆撃機を追い払ってくれたとか。
それからしばし上空を旋回していた物の、すぐに識別マークに気づいたらしく、
「あほくさ」といわんばかりの様子で機銃弾を数発船の前に打ち込んで、さっさと行ってしまっ たとか。


【戦争奇譚 〜連絡ミス〜】

「××上空で戦闘機隊と会合して、『ドイツ護送船団』を攻撃せよ」と命令された雷装のボフォート隊。
途中でさんざん行き違いがあり、戦闘機だけ先に行ってしまったのも知らず、
基地上空をひたすら旋回して待ち続ける。
飛行機側が無線電話に切り替えられていたことも伝わっていなかったため、
地上では必死で新しい指示を無線電信で送り続けるが、当然伝わらない。
とうとう燃料が切れそうになったため、基地に着陸した搭乗員達が、
「いったい何の出動なんでしょう。(中略)。めざす敵ってのは何なんでしょうか。」
と質問したのを聞いて、基地司令は
「君達がなんのためにここへ来るのか、誰も言わなかったっていうのかい…」と絶句した。
彼らが攻撃すべき『ドイツ護送船団』は、ドーバー海峡を突破してドイツに戻ろうとしている、
シャルンホルスト、グナイゼナウ、プリンツ・オイゲンの2戦艦1重巡を中心とした部隊だった。


【戦争奇譚 〜スパム〜】

第二次背か大戦でイギリス本土はドイツの潜水艦隊による通商破壊によって、
食料を始めとするあらゆる物資が不足した事は有名ですが、
戦前には3000万トンもあった食料の輸入量は、終戦直前には1000万トンまで落ち込みました。

しかし、それでイギリスが同じ戦時中の日本の様にひどい食糧不足と栄養失調に苦しんだかというと、
実はそうでは無く、むしろイギリス人の食生活は戦前より向上したとさえ言われました
(ちなみに食糧配給は戦争が終わってからもずっと続き、完全に配給制度が廃止されたのは1954年です)。

これはどう言う事かというと、戦前の量的には多くても栄養価の低い伝統的なイギリス料理の多くが、
味は悪くとも加工性(食材を無駄無く利用する)や保存性や栄養価の点で良く研究された代用食に
置き換わったためです。
その為戦中〜戦後のイギリス人は安価で不味い代用食中心の食生活を強いられたにも関わらず、
殆どの人が戦前よりよほど健康になったそうです。

なお、新鮮な食肉の供給が絶望的になり、戦時中のイギリスでそれに代用されたのが、
アメリカから食料援助で大量に供給されたランチョンミート、こと「スパム」の缶詰でした。
調理法さえ適切なら、決して不味いものではないのですが、
毎日スパムの食事にイギリス人はよほど頭にきたらしく、
「モンティ・パイソン」でもスパムをからかったギャグがあるのはおろか、
くだらない電子メールを「スパムメール」と言うようになったのも、それが語源です。

175 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/25(土) 07:49:56
【戦争奇譚 〜サボタージュ〜】

英国の1944年当時の怠業日数は1938年の3倍に上った。
有る造船労組員が組合の掲示板で勤労モラル向上を訴えただけで、3ポンドの罰金を科せられた。
なお、独軍の「英国人との付き合い方八箇条」には、
英国人が新しい状況に対応する際も非常にスローモーで有るが悪意はあってではないこと、
労働者階級には命令調ではなく、丁寧に友情を持って接すれば味方に出来ることを記している。


【戦争奇譚 〜円明園〜】

アロー戦争(1856〜60)の際、イギリス軍は世界でも屈指の名園といわれた円明園を焼き尽きした。


【戦争奇譚 〜代用コーヒー〜】

イギリス軍の爆撃機は、ナチスに占領されたヨーロッパ諸国にコーヒー豆の入った小袋を投下する作戦を実施した。
コーヒーが自由に手に入らない現状を認識させ占領軍であるドイツに対する不満をかき立てる作戦だった。
ちなみにその当時のオランダではコーヒー豆1ポンドが30ドル以上した。
代用コーヒーはタンポポやチューリップの球根から作られていた。
一説には、第一次世界大戦における「キール軍港の反乱」の原因は、
開戦からずっと暇を持て余していた上にコーヒーの支給も滞るようになった水兵達が
ついに切れたためだという。
そうしてみると意外とバカにできない作戦かもしれない。


【戦争奇譚 〜僅か一分で全滅〜】

1916年その後4ヶ月続くことになる第一次ソンム戦の初日である7月1日、
イギリス軍第10ウエスト・ヨーク歩兵大隊は進軍から一分以内で事実上全滅した。
全員で機関銃座の前に突撃していったため。
第一次世界大戦で強力な火器の出現、戦車の登場、塹壕線など、戦争の被害が急拡大したことによる。

176 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/25(土) 07:50:39
【戦争奇譚 〜大戦中のストライキ〜】

イギリスではWW2中も、労働者によるストライキが後を絶たなかった。
(ただし、本部の意向を無視して現場単位で行われる「山猫ストライキ」というもの)


【戦争奇譚 〜エースパイロット〜】

(その1)
英国人のエース達には、色々なニックネームが付いている。
その一人、第二次大戦における夜戦エースのJohn Cunningham大佐には、
Cat's Eyeと言うニックネームが付けられた。
これは、夜戦パイロットで初めてDFC勲章を得た時、
当時機上レーダーの存在は秘密だったため、
彼のスコアは、格別の夜間視力の所為だと言われたためである。
そんな彼だが、実は猫が嫌いで、Cat's Eyeのニックネームは心底嫌がっていたらしい。

(その2)
同じく英国の夜戦トップエースであるBransome A. Burbridge中佐は、実は良心的兵役忌避者だった。
しかし、6ヶ月後に神の啓示か、空軍に志願した。
彼は、レーダー手のBill Skeletonと組んでから、戦果を上げるようになり、
1944年11月4日夜間には、僅か200発の弾丸で、Bf-110を1機、Ju-88を3機撃墜した。
そんな彼等だが、共に信仰が篤く、戦後、Burbridgeは伝道師、Skeletonは司祭に転身したと言う。


【戦争奇譚 〜ゴルフ場〜】

日本の航空機、特に爆撃機は滑走路の短さや地盤の緩さがネックで性能が限定されてしまったが、
イギリスではやたらあるゴルフ場がそのまんま滑走路として使え、
しかもB17等の大型機の離着陸にも問題が無かった。


【戦争奇譚 〜戦時国債〜】

戦争経済ネタに関して一つ。
ナポレオン戦争後の英国では、戦費その他諸々の為に巨額の国債を発行し、
1821年の段階で国内総生産の3倍近くの国債残高があった。
しかし、財政改革により財政黒字が生じ、巨大な戦争も起こらなかったため、
第一次大戦までには国内総生産の3割にまで国債残高は減少した。
一世紀近くかけて、債務不履行(ソ連)やハイパーインフレ(ドイツ、日本)に頼らず、
財政問題を克服したイギリスは凄い。

177 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/04/28(火) 20:45:29

                 ∩   ∩
                 | つ  ⊂|
         ∧ノ~       ! ,'っ _c,!
        ミ| ・  \     ⊂/  ・  \
      ミ|  ... '_)     | __,,▼
      ミ|. (,,゚Д゚)        |・ (,,゚Д゚)
        | (ノ  |)      | (ノ  |)
        |   馬 |         |・・ .鹿 |
       人.._,,,ノ      ι.・,,_,ノ
        U"U         U"U





178 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/05/01(金) 19:26:46
【戦争奇譚 〜ラファエル・アドリーニ1715〜】

映画『プレデター2』のラストシーンで、エルダープレデターが主役の刑事に戦士の証としてくれた戦利品の銃。
その銃には「ラファエル・アドリーニ 1715」と銘が刻まれていた。

>ラファエル・アドリーニ( モロッコ系イタリア人の海賊 )
>
>1700年代当時、最も悪名で野蛮な海賊として恐れられる。
>一般の海賊旗とは違い「捕虜は不必要、皆殺しにする」という意味の赤い海賊旗を揚げていた。
>アドリーニが1715年に略奪したモノの中に伝説の海賊アイヴァーの銃があり、
>家宝としてアドリーニの名前と1715の数字を銃に刻んていだらしい。
>1718年にバミューダ海域で謎の失踪をして忽然と歴史から姿を消す。

なお、映画『プレデター』での設定では、以下のようになっている。

>1718年、海賊アドリーニの一団はギニア沖にある島に上陸する。
>そこで乗組員たちは教会にあった財宝をめぐり船長に反乱を起こす。
>船長が不意打ちをくらいそうになった時、茂みの中からプレデターが強襲。
>プレデターは驚く乗組員を次々と殺戮してアドリーニ船長に加勢する。
>反乱した乗組員たちを倒し終わった後、船長とプレデターは1対1の死闘へ。
>だが、決闘中に茂みへ逃げ延びた乗組員が足元に落ちていた火打ち銃で船長を撃つ。
>決闘を邪魔され激怒したプレデターは左肩のキャノンで乗組員を射殺した。
>すべてが死に絶えた後、プレデターはアドリーニ船長を勇者と認め、
>彼が首から下げていた金の十字架と伸縮式のヤリを遺体に捧げた。
>去り際のプレデターの手には「Raphael・Adolini 1715」と刻まれた火打ち銃の姿があった…。

179 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/12/15(火) 01:39:01
リオタールは『ポスト・モダンの条件』のなかで、近代とは、

1、愛による原罪からの解放というキリスト教の物語
2、認識による無知や隷属からの解放という啓蒙の物語、
3、労働の社会化による搾取と阻害からの解放というマルクス主義の物語、
4、産業の発展による貧困からの解放といいう資本主義の物語」

という「大きな物語」が信じられた時代としている。

つまり「大きな物語」とは、近代的一元思考のことを指している。
哲学的にはカントとかキリスト教とかをイメージすればよい

「大きな物語の終焉」とはマルクス主義を代表とするイデオロギー(吉本隆明流に言うと,「共同幻想」)が、
冷戦終結とソ連邦崩壊によって「大きな物語」は終わり、そこで局域的に展開される無数の問題、
つまり「小さな物語」に移行するということだ。

シンプルに言えば、マルクス主義が終わったということを抽象的に言ったのだ。

「小さな物語」とは、例えばフェミニズムや環境問題などがこれにあたるそうだ。
だが本当にこれが「小さな物語」といえるかは疑問ではある。
両方ともマルクス主義の残滓をひきずっており、ある意味両方とも「大きな物語・続編」というイメージだ。

むしろ「小さな物語」は個人が生きる拠り所となる家族や恋人、友人との関係をめぐる物語ではなかろうか?
これは吉本隆明の「対幻想」にあたる。

人間はしょせん物語、つまり幻想なしでは生きられない。「大きな物語」を否定しても「小さな物語」は残る。
哲学は家族や恋人、友人との幻想関係までを葬り去るのか?これは大きなテーマとなる。

少なくとも仏教やキリスト教は「家族愛」というものなど殆んど無視しているスタンス。
だが、仏教やキリスト教もしょせんは「大きな物語」であって、「小さな物語」を批判する足場はもはや解体されている。
そうである以上、これらに「小さな物語」を批判する資格はない。

最近の映画やドラマを見ていると結局行き着くところは家族愛であることが実に多い。
「ダイハード」にしても、テロリストなどの敵と戦う動機は正義でも愛国心でもない。
あくまでも家族愛であり、家族を守るというメッセージがそこには込められている。

これが仮に「小さな物語」だとしたら、家族こそが平和や愛の原点なんだ、という主張というよりも、
例えばエゴイズムやミーイズムに収斂する最悪の要因のように思えてならないのだが。

180 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2009/12/15(火) 01:39:52
ポストモダンはポスト・モダン(近代)。つまり近代後の事を指す。

近代とは大まかにいって、18世紀から19世紀のこと。このころフランス革命や、科学の目覚ましい発達、
産業革命、カントによる統一された哲学の完成といった社会や思想界で大きな変化が起きた。

そして近代の人たちは輝かし人類の進歩に少し調子に乗ってしまった。
人間の理性はすべてを理解し操れる、科学の進歩で何でも可能になる、社会に不幸はなくなると考えた。

これが近代的思想である。哲学的にはカントやへーゲルが代表格だ。

だが19世紀を越えると、近代の合理的思考に疑問を持つ人が出てきた。代表的な人物がニーチェやフロイトだ。
彼らは合理主義だけではとらえきれない人間の内面性について考え、理性を盲目的に信仰する事を批判し始めた。

他にも二つの大戦や、ナチスに見られる民主主義の暴走、世界恐慌、科学の限界へ等、
楽観的な近代思想を揺るがす事件が次々と起きた。

さらに言語の成り立ちを調べたソシュールや、アフリカなどの文化を研究したレヴィ・ストロースによる、
文化は絶対な物でない、構造って枠組みで作られてる物に過ぎない、別にいろいろなあり方がある、
理性によって絶対的に作られてる物ではない、という批判が加えられ、近代思想は衰退していくことになった。

この後に流行ったいろいろな思想や文化をひとまとめにしたものがポストモダンである。

特徴としては脱近代主義、行き過ぎた合理主義批判と人間性の見直しなどだ。どこかルネッサンスと似ている。
代表的な哲学者はフーコー、デリタ、ドゥルーズだ。全員フランス人である。
このポストモダンはフランスが中心となって流行った。年代的には六十年代のころだ。


ポストモダンを大まかに分けると、以下のようになる。

 第一期 ニーチェとフロイト

 第二期 レヴィ・ストロースとソシュール(構造主義の人たち)

 第三期 フーコー、デリタ、ドゥルーズ

 第四期 デリタ、リオタール

181 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2010/01/09(土) 02:32:35
【バカでも書ける長渕ポエム】
上京・挫折・酒・失恋・糞尿・嘔吐
↑この6点を織り込むだけで、誰でも書けますw


(SAMPLE)
安物の恋に破れ 安物の酒に呑まれ
糞まみれの路地裏で 真っ黄色いしょんべんをひっかければ
俺も痰ツボの中でゲロまみれ

うおーうおー くそったれの東京
うおーうおー くそったれの東京
臭ぇ臭ぇ最後っ屁でメリークリスマス


182 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2010/10/17(日) 17:57:15
【戦争奇譚 〜天皇陛下万歳〜】

昭和天皇が崩御したとき、防衛大学の講堂から万歳三唱が聞こえてきたという。
無数の白い手袋が万歳をしていたらしい。当時の当直の日誌にも記されている。
もちろん万歳するのは単に崩御して喜んでいるのではなく、
天皇の御世を振り返って、とか皇室の繁栄を祈念してとのこと。


【戦争奇譚 〜乗ってたのは誰?〜】

つい最近の話。ある日、ベルリン市街地で上空からいきなり戦闘機の風防が降ってきた。
警察が調べた所、なんと第二次大戦時の米国製P−51ムスタング戦闘機のものと判明。
ベルリン空港の片隅で風防が吹っ飛んだP−51戦闘機が駐機しているのが発見された。
なおパイロットの情報、及びなぜ風防がふっとんだのかなどは一切報道されなかった。

今から25年程前に、さる山中にて、墜落機の残骸と、パイロットの物と思われる骨が発見される事件があった。
後の調べで、墜落機は旧日本軍爆撃機「銀河」であることがわかった。これだけでも驚きだが、さらに驚くことがある。
なんと、遺骨は「人間の物ではない可能性がある」と発表されたのだ。
遺骨を研究してた学者が言うには、「これがもし人骨ならば身長は150cm以下140cm以上であり、
頭は我々人間のおよそ倍ぐらいの大きさを持つ。」との事。
いったい何が、なぜこの時代に銀河に乗っていたのだろうか?


【戦争奇譚 〜日本兵の幽霊たち〜】

東南アジアの田舎にいった日本人の客が、地元の子供達が大声で叫びながらお化けの真似をして遊んでいるのを見た。
その叫び声が気になった客が宿の主人に聞いてみると「ああ、この近くの森の奥では、ああ叫ぶお化けが出るんですよ」とのこと。
もちろん皆日本語などまったく分からない。タオルやぼろ布を被り、子供達は「グンソウドノー!!」と叫んでいた。

戦争が終わって日本も復興、経済大国になった頃、南方の原住民調査のためにかつての激戦地ニューギニアの山中に入った。
そこで原住民と仲良くなって、一緒に生活しているうちに、日没後は彼らが山の中に決して入ろうとしないことに、西丸氏は気づいた。
「なぜ、夜は山に入らない? 危険な野獣とかいるのか?」との問いに、原住民は「野獣はともかく、とにかく気味が悪い。
姿は見えないけど、あちこちから意味不明の人の言葉が聞こえる。でも、人の姿はやっぱり見えない。
白骨はいっぱいあるから、あれはその白骨の精霊だと思う。夜の山は生きた人が入る場所ではない」との応え。
「意味不明の言葉ってどんな?」と西丸氏が問うたところ、原住民の応えは「『ガヌバレ』『シカリシロ』と聞こえる。
私たちの言葉ではない」……だったそうだ。西丸氏は「さもありなん」と感じ入ったそうな。(>>59


【戦争奇譚 〜特攻隊員の辞世の句〜】

特攻隊員の辞世の句に大和魂を見たので貼っとく。
「死するとも なほ死するとも 我が魂よ 永久にとどまり 御国まもらせ」

183 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2010/10/17(日) 17:58:26
【戦争奇譚 〜回天〜】

回天とは、あまり知られていないが人間魚雷である。
中に人が乗り込んで操縦し、敵艦に体当たりする特攻兵器だ。
ある夜中、潜水艦のドックにて人の気配がした。
年輩の整備兵が「誰だ?」と誰何すると、そこには回天で特攻したはずの少年兵がいた。
驚く警備兵に対し、「今度は見事敵艦に体当たりしてみせます」と告げる彼に、
整備兵が「もういいんだ。二度も死ぬ必用はない」と答えると、姿を消してしまったらしい。
なお、回天はその構造と米軍のレーダー技術の発展から、120本程が実践投入されるも、
戦果は撃沈4隻撃破5隻と非常に少なかったという。


【戦争奇譚 〜イリエワニ〜】

第2次大戦中の1945年2月、ベンガル湾のラムリー島のマングローブが生い茂る沼地に、
イギリス軍が1,000人を超える日本軍をおびき寄せていた。
19日の夜から20日の未明にかけて恐ろしい叫び声が続いた。
負傷者の血の匂いに刺激された無数のイリエワニがこの沼地に集まり、
動きのとれなくなっていた日本兵に襲いかかったのだった。
沼地の外側にいたイギリス軍は一晩中すさまじい悲鳴を聞かされた。
そして夜が明けてから彼らが発見した生存者はわずか20名だった。


【戦争奇譚 〜爆発事故〜】

弾薬ネタと言えば、愛知県伊良子岬にあった旧陸軍の射場の話。
其処には連絡用のトロッコが敷設され、射爆場の監的壕と要塞砲の連絡を行っていた。
ある日のこと、一トン爆弾用の新型爆薬のテストが行われることになり、板橋から火工長がやってきた。
指揮所にて最終確認を受け、監的壕の前に設置された爆弾に向けて、
火工長以下5名の作業員がトロッコに乗って出発した。
火工長は軍服を着ており、残りは作業服に麦わら帽という出で立ちだった。
遅れて、見学者を乗せたトロッコが出発した。
そのトロッコが走っていたとき、突然レールに稲妻のような閃光が走り、試験用の爆弾が爆発した。
勿論、先に出発した火工長と作業員は粉微塵になって吹っ飛んだ。
しかし、作業員の遺体の一部は其処此処にあるのに、火工長の遺体だけが存在しない。
捜索隊は必死になって探した。ふとコンクリートの壁に目をやると、人間の形をした影が浮き上がってきている。
コンクリートの合わせ目に、軍服の生地のような糸屑が霜降りの如く細く一面に挟まり込んでいた。
火工長は、爆風で吹き飛ばされた拍子に肉体と軍服を壁に圧入されてしまったのだ。
その肉体に込められた脂血が時間の経過と共に化学変化を起こし、浸みだしてきていたのである。
事故処理班が軍服のなれの果ての糸屑をピンセットで取り出し、人型を拭い去った。
しかし、翌日早朝、事故処理班が現場に行くと、また人型が浸みだしている。
このままでは士気に影響すると考えた処理班長は、壁を擦り続けた。
それでも、人型は怨念のように翌日には現れている。
逆上した処理班長は自らセメントを塗りたくった。ところが、また人型が滲み出ていたと言う。
ついにたまりかね、タガネでコンクリートを片端から削り取り、
分厚くセメントを塗ることで漸く人型は滲み出なくなったという。

184 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2010/10/17(日) 18:48:22
【戦争奇譚 〜軍隊狸〜】

○戦場に赴き、日本軍を影で支えた狸たちのこと。

○当時の日本軍、道理で強いわけです。なんというか、メンタル面で。

事例1 愛媛県周桑郡壬生川町 松谷みよ子氏の話
 伊予の喜左衛門狸は日露戦争に出征した。
 小豆に化けて大陸を渡り、上陸するとすぐ豆をまくようにパラパラと全軍に散り、赤い服を着て戦った。
 敵将クロパトキンの手記には「日本軍の中にはときどき赤い服を着た兵隊が現れて、
 この兵隊はいくら射撃してもいっこう平気で進んでくる。
 この兵隊を撃つと目がくらむという。赤い服には、○に喜の字のしるしがついていた」と書かれている。

事例2 香川県高松市 室津源太郎氏の話
 日露戦争の時、高松のじょうがん寺の狸の総指揮の元、狸たちが出征した。兵隊に化けて山を作り、
 ロシア兵が登るなり山をひっくり返したりした。凱旋の時には狸までが提灯行列をしたという。

事例3 中国上海中支派遣軍八一〇一部隊 松谷みよ子氏の話
 昭和十五年冬。柳橋という場所で友軍の一個小隊が敵軍に包囲されて全滅に瀕しているという報告が入り、
 K氏所属の一個小隊は待機を命じられた。その後Kさんと戦友三名が偵察の命を受けた。
 小高い丘で動き回っている敵軍を発見し、報告に引き返そうとした途端に銃撃を受け、
 気がついた時には大陸の広野の果てしない暗闇の中に震えていた。その時、一人の戦友が「あっ提灯」と叫んだ。
 Kさんが振り向くと、目の前には懐かしい大三島神社の定紋入りの提灯の明かりがあった。
 「五六だぬきや、五六さんが氏神さんの提灯持って迎えにきてくれたか」そういって提灯の後をついて走り、
 無事に帰りつくことができた。

○いずれも『現代民話考(松谷みよ子 立風書房)』より


【戦争奇譚 〜異常に少ない捕虜〜】

1942年のマーシャル諸島ペリリューでの日本軍の戦死一万人・捕虜22人という数字は、
異常すぎるといわれている。玉砕があいつだサイパン戦ですら2千人ちかい捕虜が発生したのにだ。
アメリカ海兵隊は「皆殺し作戦」をおこなった可能性が高いと言われている。

185 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2010/10/17(日) 18:49:45
【戦争奇譚 〜硫黄島〜】

二、三年前に防衛庁長官が幕僚長と一緒に硫黄島に視察に行って一泊したが、
長官が朝起きて幕僚長に会うと「昨夜は部屋に英霊が訪ねてきて、
そのおかげでよく眠れませんでした」と笑いながら言われたそうだ。
ちなみにこれは当時の毎日新聞に載っていた長官のインタビュー記事。


【戦争奇譚 〜消えた軍隊〜】

・太平洋戦争中に消えた日本軍一個大隊
 1943年にニューギニア戦線で、米軍を上陸時に迎撃するため作戦行動中の日本軍が忽然と消えてしまった。
 未だに遺品の一つも出て来ない。

・広島に原爆を落としたB−29を観察していた謎の物体
 8月6日、前1時27分、Mk-1核爆弾リトルボーイを搭載したエノラ・ゲイがタキシングを開始し、
 1時45分にA滑走路の端から離陸した。午前6時30分、四国上空においてエノラ・ゲイのレーダー迎撃士官・
 ジェイコブ・ビーザー陸軍中尉がレーダースコープに正体不明の輝点を発見。
 通信士リチャード・ネルソン陸軍上等兵はこのブリップが敵味方識別装置に応答しないと報告した。
 エノラ・ゲイは回避行動をとり、高度2,000m前後の低空飛行から急上昇し、午前7時30分に8,700mまで高度を上げた。


【戦争奇譚 〜A級戦犯たちの呪い?〜】

A級戦犯の処刑を担当した軍人(ウォルトンウォーカー)は、
A級戦犯が処刑されたのと同じ日づけ、同じ時刻に、同じ人数(七人)、謎の自動車事故で死んだ。


【戦争奇譚 〜真の戦犯?〜】

日本を戦争に導いた人の事が書かれています。
日本の大臣と大使の計2名と軍属の1名が、アメリカの武器商社から超大金をスイス銀行に貰う見返りに、
日本を戦争へ導くように誘導した事を教えられました。
http://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/e/14f8cfe7ac5ee7ad3e3ea7d96fffd355


【戦争奇譚 〜そんな大日本帝国が敗戦したことは、人類史上最大のミステリー〜】
http://bu-nyan.m.to/tokua/mystery.txt


【戦争奇譚 〜原爆投下直後の人魂〜】

広島と長崎で原爆投下後の夜に多数の青い火の玉が出現。凄惨な現場を写した写真集にも載ってる。
瞬時に消えた無念か?死がわからなかったのか?答えは人間が炭になってリンが出ていたもの。

186 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2010/10/17(日) 18:52:21
【戦争奇譚 〜米軍捕虜食肉事件〜】

昭和19年7月、米軍の特殊部隊はサイパン島を攻略し日本守備隊を玉砕した。米軍は、このサイパンを
最前線基地として連日東京への空爆を行った。大本営は米軍の次の目標は硫黄島とみて、父島(小笠原諸島)に
約15000人からなる部隊を配置したのだった。同年8月31日から9月2日にかけて、いよいよ父島に対する
空爆が始まった。米空母からアベンジャー爆撃機が次々に父島に向かって出撃していった。
一方、父島守備隊は高射砲や機関砲で応戦し5機の米軍機を撃ち落した。この内の1機が後の第41代米国大統領と
なるジョージ・ブッシュ中尉だった。ブッシュは、からくもコックピットから脱出してパラシュートで離脱。
その後、味方の潜水艦に救助されたが、同乗していた2人の乗組み員は行方不明となった。

昭和20年8月15日終戦。9月2日に父島に米艦が到着し、立花陸軍中将を正使、森海軍中将を副使として
降状手続きを行った。この時、米軍側は開口一番、「パラシュートで脱出した米軍パイロットは何名いたか。その後、
どうなっているか知りたい」との質問に日本軍側は、「防空壕で全員爆死した」と回答。これに対して米軍側は露骨に
不機嫌な態度になった。その後、日本兵の復員は順調に進んだが、何故か的場陸軍少佐の大隊だけは復員が
許可されなかった。この時、米軍側は的場大隊以外の部隊から様々な情報を収集していた。
証拠固めができた昭和21年2月になって米軍側は、「捕虜になった米軍パイロット達は、残虐行為の末に殺害され
人食された。この事件の主犯は陸軍では立花中将と的場少佐、海軍では、森中将と吉井大佐である」として
グアムの軍事裁判に起訴した。立花ら4人は大筋を認めて、小笠原事件に関与したとする軍人ら25人が逮捕された。

一体、どのような経緯で捕虜の人食に至ったのか。その後のBC級裁判で恐ろしい真実が明らかにされた。
昭和20年3月に前任の師団長が自決。その後、副官の立場にあった立花と森が中将に昇格。全体の指揮権は
立花が握ることになった。立花中将の副官的存在が的場少佐であった。的場は、気が荒く酒乱の傾向があり、
気に入らないことがあると部下を半殺しの暴行を加えて周囲を恐れさせていた。実際に柔道、剣道など合わせて
10段以上の腕前と大きな体躯は周りを恐れさすには十分であった。

さて、ここで陸軍と海軍の高級将校達の酒盛りが連日行われた。終戦末期の物不足の中、貴重品である酒を
連日酌み交わした。だが、゛つまみ゛が無い。そこで、立花らは米軍捕虜の肉を食べて戦意高揚を図ろうと軍医に
捕虜の解体を命じた。針金で大木に縛りつけた米軍捕虜に立花が、「日本刀の凄みを披露する絶好の機会じゃ」と
言って、 試し切りの希望者を募って殺害。その後、遺体を解体させて大宴会の゛つまみ゛にした。 後の日本兵の証言に
よると、米兵の手足の肉や内臓を立花が食べると、 「これは美味い。お代わりだ」とはしゃいでいたという。

参謀だった堀江芳孝少佐は立花らの素行にかねてから不安を感じており、捕虜のホール中尉を、自分の英語教師と
して身近に置くことで守っていたが、外出後に戻るとすでに喰われた後だった。

的場少佐の部下の供述調書によると、この時に的場少佐が発した命令は次の通り。
  一、大隊は米人飛行家ホール中尉の肉を食したし
  二、冠中尉は此の肉の配給を取り計らうべし
  三、坂部軍医は処刑に立会い、肝臓、胆嚢を取り除くべし
   1945年3月9日 午前9時 大隊長 陸軍少佐的場末男
  発令方法…冠中尉並に坂部を面前に呼び口頭命令、報告は立花旅団長へ、通告は堀江参謀へ

結局、8人の米軍捕虜を殺害し人食したこの行為で、立花、的場、吉井ら5人が絞首刑となった。(森は終身刑だったが、
後のオランダ軍の裁判で死刑)。吉井は軍事裁判で、「無差別爆撃する米空軍が悪い。パイロットは処刑されて当然。
人肉は戦意高揚のため食した」と供述。更に、「日本軍の戦陣訓である、゛生きて陵辱の辱めを受けず゛という教えがあり、
捕虜に対する行為は何をおいても許される」と主張した。

ジョージブッシュは、昭和天皇の崩御で「大喪の礼」に参列した後、「初めて日本人を許す気になった」と語ったという。
それほどまでに、ブッシュはこの事件を「戦時中に経験した最悪の時」として自伝に書き込んでいる。もしあの時、
ブッシュが米潜水艦に救助されていなかったら、 米国大統領になっていなかった可能性が大きい。
何故なら日本軍に食べられていただろうから。

187 名前:名無しちゃん…電波届いた?:2010/10/17(日) 18:54:27
【戦争奇譚 〜敗戦のその先を見通していた詩〜】

戦死やあわれ
兵隊の死ぬるや あわれ
遠い他国で ひょんと死ぬるや
だまって だれもいないところで
ひょんと死ぬるや
ふるさとの風や
こいびとの眼や
ひょんと消ゆるや
国のため
大君のため
死んでしまうや
その心や

白い箱にて 故国をながめる
音もなく なんにもなく
帰っては きましたけれど
故国の人のよそよそしさや
自分の事務や女のみだしなみが大切で
骨は骨 骨を愛する人もなし
骨は骨として 勲章をもらい
高く崇められ ほまれは高し
なれど 骨はききたかった
絶大な愛情のひびきをききたかった
がらがらどんどんと事務と常識が流れ
故国は発展にいそがしかった
女は 化粧にいそがしかった

ああ 戦死やあわれ
兵隊の死ぬるや あわれ
こらえきれないさびしさや
国のため
大君のため
死んでしまうや

その心や 「骨のうたう」 竹内浩三 「愚の旗」 成星出版 より

昭和20年4月に戦死した詩人。未来がみえていたようなこの詩に軽いショックをうけた。
別の詩、「日本がみえない」も、戦後の日本を予知してたようでかるく身震いする。


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